孤独の風俗   作:M氏|夜の市場監査人

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第11話:大阪市中央区日本橋の『ランキング1位の魔法』と『甘美なローション・レス』

 この日は、日本橋(にっぽんばし)の雑居ビルにある、マニア向けのフィギュアショップでの商談だった。

 

 店内に足を踏み入れた瞬間、独特の匂いが鼻をつく。古い塩化ビニールと、埃と、男たちの熱気が混じり合った、密室特有の湿った空気。

 

 商談相手は、脂ぎった額に迷彩柄のバンダナを巻いた店長だ。彼はショーケースのガラスを愛おしそうに撫でながら、俺の提案を一蹴した。

 

「ゴローさん、分かってないなぁ。たかが手入れ用のニッパーに、こんな原価かけられへんて」

 

 俺が提示したドイツ製の精密工具。刃の噛み合わせにミクロン単位の調整を施した自信作だ。だが、彼が守る“萌え”の聖域において、それは無粋な鉄塊でしかなかった。

 

「しかし店長、良い道具を使えば、フィギュアの寿命も……」

 

「あかんなぁ。ウチの客はな、道具(鉄)には金出さん。嫁(フィギュア)の“魂”に全財産を出すんや。実用性とか、機能美とか、そういう“リアル”はどうでもええねん」

 

 鼻で笑われ、商談は決裂。俺は徒労感だけを抱えて、電気街の喧騒へと放り出された。

 

 俺の仕事は、海を越えて良品を届けることだ。だが、この街では“品質”よりも“愛”という名の幻想が優先されるらしい。

 

 時刻は午後6時。堺筋(さかいすじ)沿いのオタロードは、戦利品の紙袋を抱えた戦士(オタク)たちで溢れかえっている。

 

 ピコピコという電子音。メイド喫茶の客引きの高い声。「いらっしゃいませご主人様〜!」という甘ったるい響き。

 

 それらが不協和音となって、疲れた脳を揺さぶる。俺は大きく溜息をつき、ネクタイを緩めようとした。

 

 その時だった。

 

(……ポン、ポン、ポン)

 

 立ち止まった俺の身体の奥底で、聞き慣れた警報が鳴り響いた。

 

「……いかん。腹が減った……のではない。……溜まっている。商談で理不尽な“こだわり”を見せつけられた反動か。俺は今、猛烈に……抜きたい」

 

 胃袋ではない。下半身の燃料タンクが空っぽ……いや、むしろ満タンすぎて爆発寸前だ。

 

 俺は眼光を鋭くし、チラシを配るメイドたちの絶対領域を華麗にスルーして、欲望のアンテナを全方位に展開した。

 

――――――――――――――――――――

 

 大阪の秋葉原、日本橋。この街は、虚構(フィクション)でできている。

 

 道を行き交うのは、カラフルなウィッグを被った少女たちと、それを熱心に撮影する外国人観光客。ショーケースに並ぶのは、物理法則を無視したプロポーションの美少女フィギュアと、最新のグラフィックボード。

 

 漂ってくるのは、電子部品の焼ける匂いと、どこかの店から流れてくるスパイスカレーの香り。二次元と三次元、食欲と物欲がカオスに混ざり合うこの街で、俺は今、現実(三次元)の頂点を目指そうとしている。

 

「……たまには、夢を見てもいいじゃないか」

 

 俺は路地裏に入り、スマホで風俗ポータルサイトを開いた。

 

 トップページに鎮座するのは、今まで避けてきた禁断の果実、『グループ内ランキング1位』の文字。そしてその横に輝く、残酷なまでの但し書き。

 

『特別指名料 +20,000円』……高い。あまりにも高い。

 

 20,000円あれば何ができる? 日本橋の名店でカツ丼が13杯は食える。いや、そこそこのスペックのSSDだって買える値段だ。たった90分の夢に、メモリ16GB分の対価を支払う価値があるのか?

 

 普段の俺なら絶対に手を出さない。だが、ここ最近の俺は“地雷”を踏みすぎていた。精神のバランスシートが赤字なのだ。

 

 安物買いの銭失いを繰り返し、心は荒んでいる。この負債を一撃で黒字化するには、トップランカーという名の“劇薬”が必要だった。

 

『警告:マスター、その価格設定は市場相場から+70%の乖離があります。“特別”という名称は、単なるブランド維持のためのインフレ調整費の可能性があります。費用対効果(コスパ)の観点からは推奨されません』

 

 スマホから流れる冷徹な音声。Ichiの分析は常に正しい。こいつは数字しか信じない合理主義の塊だ。

 

 だが、今の俺に必要なのは正論ではない。接待だ。極上のホスピタリティだ。

 

「うるさい、Ichi。これは浪費ではない。トップの技術を肌で感じるための“研修費”だ。男には、コスパを度外視してでも確かめなきゃならない“頂(いただき)”があるんだよ」

 

 俺は震える指で、予約確定ボタンを押した。

 

 画面に表示された「予約完了」の文字が、やけに輝いて見えた。

 

 賽は投げられた。もう後戻りはできない。

 

――――――――――――――――――――

 

 指定されたのは、電気街の裏手にあるシティホテル。

 

 ロビーには、戦利品を広げて語り合うオタクたちの姿はない。静謐な空気が流れている。俺はエレベーターの鏡で身だしなみを整え、指定された部屋のチャイムを鳴らした。

 

 ガチャリ。重厚なドアが開く。

 

「はじめましてぇ〜、モモですぅ♡」

 

 そこにいたのは、フリフリのロリータ服に身を包んだ小柄な女性だった。

 

 ふわりと漂う甘いバニラの香り。可愛らしいシルエット。だが、至近距離で見ると、わずかな違和感が網膜を刺激する。

 

 目元の小ジワを埋めるような、職人芸とも言える厚塗りファンデーション。首元から漂う、隠しきれない“ベテランの年輪”。

 

(……あれ? 写真より、一回り……いや、二回りは年上じゃないか?)

 

 俺の脳裏に、かつてテレビで見た『ボヨヨーン』というギャグを持つ女性芸人の顔がよぎる。……似ている。圧倒的な若作りと、そこから滲み出る人生経験の厚みが。

 

 まさか、またハズレか? メモリ16GB分の投資を、俺はドブに捨てたのか?

 

 ポケットの中でスマホが震える。Ichiから辛辣なプッシュ通知が届いた。

 

『分析:画像データとの整合性エラー。推定年齢の詐称疑惑あり。即時撤退ラインです。繰り返します、即時撤退を』

 

 分かってる。分かってるが……。俺の落胆をよそに、彼女は部屋に入るなり、驚くべき行動に出た。

 

「お名前なんていうの? ゴローさん? じゃあ、ゴロぽんね♡」

 

「……は?」

 

 ゴロぽん。50近いおっさんを、まるでポメラニアンか何かのように呼ぶその距離感。さらに彼女は、ソファに座る俺の真横にぴったりとくっつき、太ももに手を置いてきた。

 

「ゴロぽん、今日会えて嬉しいなぁ。なんか、運命感じちゃったかも」

 

 上目遣い。吐息のかかる距離。その瞳の奥には、計算なのか天然なのか分からない、底なしの沼が広がっている。

 

 俺が長年かけて築き上げた頑丈な“おじさんガード”に、ピシッと亀裂が入った音を聞いた。

 

(……可愛いじゃないか)

 

 厚化粧? 知るか。それは老朽化した外壁を美しく見せるための、プロの修復技術だ。

 

 この密着度、この甘え方。俺は今、風俗に来ているのではない。年下の彼女とデートしているのだ。Ichi、お前の計算式には“愛嬌”という変数が欠けているぞ。スペック表だけで人間は語れないんだ。

 

――――――――――――――――――――

 

 シャワーを浴び、ベッドへ。そこからの彼女のサービスは、まさに“ランキング1位”の名に恥じぬ暴力的なまでのテクニックだった。

 

「ゴロぽん、気持ちいいこと、いっぱいしよ?」

 

 淫らな言葉を惜しげもなく囁きながら、彼女は俺の上に覆いかぶさる。そして、驚愕の事実が判明する。

 

 彼女のそこには、一本の毛もなかった。つるりと磨かれた、白磁のような肌。

 

「ふふっ、私のパイパンの赤ちゃんマン(ピー音)、気持ちいい?」

 

 ゴ、ゴフッ……!

 

 俺は理性の堤防が決壊する音を聞いた。なんだそのパワーワードは!?

 

 男の全性癖をピンポイントで爆撃し、強制的に幼児退行させる悪魔的な語彙力。今の俺は、輸入雑貨商の亀頭五郎ではない。ただの“ゴロぽん”だ!

 

 しかも彼女は、業務用ローションを使わなかった。「私ので十分でしょ?」と言わんばかりに、自らの潤いだけで俺を受け入れ、擦り合わせてくる。

 

(……熱い! そして、濃い!)

 

 人工的な潤滑剤ではない、生身の温もりと摩擦。例えるなら、それは最高級のビロードのような滑らかさと、溶けたキャンディーのような吸着力。冷たいジェルでは決して再現できない、生命そのものの温度だ。

 

「あぁっ、ゴロぽん、好き、好きぃっ!」

 

 その声が演技だとしても、今の俺には真実だ。

 

 俺たちは繋がっている。心も、体も……! ランキング1位とは、容姿の順位ではない。“客という垣根を越えて、男を丸ごと愛でる才能”の順位だったのだ。技術でこれができるわけがない。これは、彼女が本来持っている母性、いや、人間力そのものだ。

 

 俺は、20,000円の追加料金が“安すぎた”ことを悟りながら、快楽の濁流に飲み込まれていった。それはまるで、泥沼に咲く蓮の花のように、背徳的で美しい時間だった。

 

――――――――――――――――――――

 

 退店後、俺はオタロードの喧騒の中を、ふわふわとした足取りで歩いていた。日が落ちて、電気街のネオンがいっそう煌びやかに輝いている。

 

「……見つけた。俺のオアシスを」

 

 もはや疑う余地はない。彼女は俺に気がある。あの密着度、あの言葉。ビジネスで出来る範疇を超えていた。

 

 スマホが震える。Ichiからの通知だ。

 

『評価:ドーパミン過多による判断力低下を確認。マスター、それは“営業”です。典型的な色恋営業のパターンAに該当します』

 

「黙れ、Ichi。お前には分からんさ。この胸の温もりは、0と1のデジタルじゃ再現できないんだよ」

 

 俺は上機嫌でスマホをポケットに押し込み、その足で日本橋のデカ盛り店に入った。今の俺の胃袋は、どんな高カロリーな爆弾でも受け止められる。

 

「すみません、カツ丼、大盛りで! 卵はとろとろで頼むよ!」

 

 しばらくして運ばれてきたのは、黄金色に輝く丼だった。

 

 丼の縁まで並々と注がれた出汁。その上に鎮座する分厚いロースカツ。そして全体を優しく包み込む、半熟の卵とじ。湯気とともに立ち上る、甘辛い醤油とラードの香りが、俺の食欲中枢をダイレクトに刺激する。

 

 俺は箸を割り、一気にかき込んだ。

 

「……んんっ、これだ!」

 

 サクッとした衣の食感の後に、ジュワリと広がる豚肉の脂の甘み。そこに甘辛い出汁を吸ったご飯と、濃厚な卵が絡み合う。

 

 美味い。口の中いっぱいに広がる、暴力的なまでの旨味とカロリー。さっきの“極上の時間”の余韻と、この“極上のカツ丼”が、俺の中でシンクロする。

 

 勝利の味がする。今日の俺は、間違いなくこの日本橋の王だった。

 

 俺は一心不乱に丼を空にした。満腹感と、充足感。

 

 ……この時の俺はまだ知らなかったのだ。その甘い蜜の裏に、“鉄壁の要塞”と“物理的な痛み”が待ち受けていることを。

 

 そして、このカツ丼のカロリーすら消費しきれないほどの重い現実が、来週の俺を襲うことを。




※次回にしっかり地雷を踏むのがゴロぽんです。

▼ 五郎の失敗から学ぶ『良いお店の調べ方』は、ここでこっそり公開している。
[https://x.com/night_auditor_m]
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