孤独の風俗   作:M氏|夜の市場監査人

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第12話(最終回):大阪市中央区日本橋の『鉄壁の要塞』と『別れのショートケーキ』

 一週間後。俺は再び日本橋の地に立っていた。

 

 足取りは軽い。重力さえ感じないほどだ。

 

 すれ違うオタクたちが抱える、パンパンに膨らんだ紙袋(戦利品)。中身はなんだ? 限定版のフィギュアか、同人誌か。ふっ、ご苦労なことだ。重そうに背中を丸めて歩く彼らを見て、俺は心の中で小さくマウントを取る。

 

 俺が抱えているのは、そんな物理的な質量のある荷物ではない。“愛”という名の、軽やかで温かい翼だ。

 

 今の俺は、ただの客ではない。“リピーター(常連)”だ。いや、なんなら“彼氏候補”と言っても過言ではない。

 

 あのモモちゃんにとって、俺はその他大勢の有象無象(モブ)から、固有名詞を持つ特別な存在(ゴロぽん♡)へと昇格したはずだ。

 

「……今日は、その先へ行く」

 

 前回は様子見だった。だが、二回目なら違う。恋人同士のようなステップアップが待っているはずだ。

 

 具体的には、店外への布石。つまり、連絡先の交換だ。

 

 俺は期待に胸を、そしてリトル・ゴローを膨らませて、ホテルのドアを叩いた。

 

――――――――――――――――――――

 

「あ、ゴロぽ〜ん! 待ってたよぉ♡」

 

 ドアが開いた瞬間、甘いバニラの香りと共に彼女が飛びついてきた。

 

 変わらぬ笑顔。目元のシワを埋める厚化粧さえも、今の俺にはいじらしく見える。やはり俺の読みは正しい。この歓迎ムード、今日はイケる。

 

 俺たちはソファに座り、身を寄せ合う。まずは外堀から埋める作戦だ。俺はさりげなさを装い、最大のカードを切った。

 

「そういえばさ、これだけ気が合うんだから……そろそろLINE、交換しない?」

 

 言った。言ってやった。心臓が早鐘を打つ。

 

 さあ、どう来る? 恥じらいながら「いいよ」とQRコードを差し出すか? それとも「待ってました」とスマホを取り出すか? すでに俺のスマホ画面は『QR読み取り』の状態にしてある。カメラのピントも準備万端だ。さあ、来い!

 

 だが、彼女の反応は予想外だった。

 

「え〜? ゴロぽん、焦りすぎぃ♡」

 

 彼女は俺の鼻先を、人差し指でツンと突いた。

 

「お店のルールでね、5回デートしないとダメなの。……だからさ、あと3回。私に会いに来てくれるよね?」

 

「……ぐっ」

 

 完璧な切り返し。『拒絶』ではない。『条件付きの承諾』だ。「お前は特別だが、ルールという壁がある」という演出。

 

 俺の脳内で電卓が弾かれる。あと3回。指名料とオプションを含めれば、優に十数万円が飛ぶ計算だ。それは俺の独占欲を煽り、確定出費を約束させる悪魔の契約(ローン)。

 

 普通の男ならここで「営業かよ」と萎えるだろう。だが、今の俺は恋する“ゴロぽん”だ。

 

(……5回か。つまり、俺たちはまだ試用期間(トライアル)なんだな。燃えてきたぞ)

 

 俺はポジティブに誤変換し、大きく頷いた。

 

「分かった。通うよ。5回でも10回でも」

 

「嬉しい! ゴロぽん大好き!」

 

 彼女は俺に抱きついた。豊満な胸の感触。勝利を確信した俺は、そのまま彼女をベッドへ押し倒した。

 

――――――――――――――――――――

 

 だが、ベッドに入って数分後。俺は決定的な違和感を覚え始めた。

 

(……あれ?)

 

 攻めようとすると、かわされる。手を滑り込ませようとすると、まるで合気道の達人のように、絶妙なタイミングで体の位置を変えられ、力が分散してしまう。キスをしようとすると、「恥ずかしい♡」と首を傾けられ、唇ではなく頬を差し出される。

 

 柔らかい拒絶。まるで真綿で首を絞められるようだ。

 

 前回は“勢い”で流されたが、冷静になってみると分かる。彼女は俺に、指一本たりとも“核心”には触れさせていない。俺は焦った。このままでは前回と同じだ。俺は意を決して、禁断の一言を放った。

 

「……最後まで、いいかな?」

 

 前回ならもしかすると許されたかもしれない空気感。だが、彼女の返答はプロだった。

 

「だーめ♡ 私もしたいの我慢してるんだよ? ゴロぽんのこと、大切にしたいから……ね?」

 

 完璧なロジック。否定ではなく、“我慢”。男を傷つけず、かつ一線を超えさせない、魔法の言葉。

 

 「大切にしたい」と言われて、無理強いできる男がいるだろうか? いや、いない。

 

(……くそっ、口が上手いな!)

 

 俺の闘争心に火がついた。言葉で誤魔化されるものか。

 

 俺は強引に体勢を変え、後ろから彼女の秘部に自分のそれを押し当てた。既成事実を作れば、彼女も受け入れるはずだ。

 

「……あっ」

 

 ガツッ。

 

 入らない。彼女の手が、まるでワールドクラスのゴールキーパーのように、鉄の扉となって俺の先端をガードしている。

 

 すでに絶滅したと思っていた、現代の“SGGK(好きだけど・ゴロぽん・我慢してね・キーパー)”がこんなところにいたとは!

 

 なんとか滑り込んで、ゴールを狙うリトル・ゴロー。それを笑顔で(しかし万力のような握力で)阻止する彼女。

 

 これはプレイではない。攻防戦だ。矛(俺の欲望)と、盾(店のコンプライアンス)の、仁義なき戦い。

 

 これはもうワールドカップの決勝戦だ。延長戦はない。90分で決着をつけなければならない。

 

 しかも悪いことに、今日はローションがないことが仇となった。

 

 興奮していない彼女の愛液(みず)は砂漠のように枯渇し、俺のモノは乾燥した皮膚と擦れ合い、摩擦熱を持ち始めた。

 

(……アイタタタ! 熱い! 痛い!)

 

 快楽ではない。火傷のような痛みが走る。まるで紙やすりでデリケートな部分を擦られているようだ。

 

 ヒリヒリとした痛みが神経を駆け巡る。だが、ここで引くのは男のプライドが許さない。

 

 「気持ちいいでしょ?」と聞く彼女に、脂汗を流しながら「あ、ああ……最高だ」と引きつった笑顔で答えるしかない地獄。

 

 結局、俺は痛みと摩擦熱の中で、何も成し遂げられないまま果てた。

 

 白い天井が、やけに遠く見えた。

 

 結果は0G(ゴール)0A(アシスト)、一枚のイエローカード(股間の痛み)。とんだダメ選手だ。

 

――――――――――――――――――――

 

 事後。ヒリヒリと痛む股間をパンツに押し込みながら、俺は悟った。

 

 彼女は『鉄梨(てつなし)』だったのだ。どんなに金を使おうが、どんなに通おうが、絶対に一線は超えない鉄壁の要塞。

 

 ランキング1位の理由は、サービスが良いからではない。“期待を持たせて、ギリギリでじらす技術”が日本一だったのだ。

 

 LINEの件もそうだ。5回通ったところで、また新しいゴールポストを用意されるに決まっている。「次は店外デート5回ね」とか言って。

 

 俺はまんまと、その養分にされたのだ。

 

「ゴロぽん、また来てね♡」

 

 帰り際、玄関で靴を履く俺に、彼女が無邪気に言った。悪びれる様子など微塵もない。

 

「あ、そうだ! 今度来るとき、ケーキ買ってきてよぉ。デパ地下のショートケーキがいいな♡ イチゴが乗ってるやつ!」

 

 ケーキ。俺の財布から高額な特別指名料を毟り取り、俺の股間に火傷を負わせた上で、さらに手土産をたかろうというのか。

 

 しかもコンビニではない。デパ地下だ。昨今の物価高を知らないのか!? 卵も牛乳も値上がりしてるんだぞ!

 

 プツン。

 

 俺の脳内で、何かが切れる音がした。大人の余裕? 紳士の振る舞い? 知ったことか。俺は傷ついた獣だ。

 

 金も、プライドも、股間の皮膚も失った、48歳の中年男の、精一杯の反撃を見せてやる。

 

 俺はドアノブに手をかけ、振り返らずに言い放った。震える声で。

 

「……け、ケーキか。……そっちが、買っといてよ」

 

「え?」

 

 背後で固まる気配を感じながら、俺は逃げるようにドアを閉めた。

 

 バタン、という乾いた音が、俺の恋(勘違い)の終わりを告げた。

 

――――――――――――――――――――

 

 数日後。俺は泌尿器科の待合室にいた。

 

 医師の診断は無慈悲だった。『包皮炎(ほうひえん)』。無理な摩擦による細菌感染。全治一週間。

 

「……高い授業料だったな」

 

 薬局で軟膏を受け取り、トボトボと歩く。

 

 ランキング1位、特別指名料、Sランクの幻想。全ては幻だった。俺の手元に残ったのは、ヒリつく痛みと、チューブに入った塗り薬だけ。

 

 腹が減った。今の俺の空腹を満たしてくれるのは、高級フレンチでも、デパ地下のショートケーキでもない。

 

「……牛丼、つゆだくで」

 

 いつもの牛丼屋のカウンター。俺は紅生姜を山のように乗せた牛丼を、箸でかき込んだ。

 

 ズルズルッ。

 

 甘辛いタレをたっぷりと吸った米が、喉を通っていく。柔らかい。温かい。そして、濡れている。煮込まれてクタクタになった玉ねぎの甘みと、紅生姜の酸味が、傷ついた心に染み渡る。安っぽい肉の味。

 

 だが、これが現実だ。これが俺の身の丈だ。乾燥した夢よりも、つゆだくの現実のほうが、今の俺には優しかった。

 

 スマホが震える。Ichiからの通知だ。

 

『分析:マスター、今回の損失は計上済みです。次の監査対象を選定してください』

 

「……うるさい。しばらく休みだ」

 

 嘘だ。きっとまた、傷が癒えれば夜の街を彷徨うのだろう。

 

 俺は孤独な市場監査人。

 

 まだ見ぬ“本物”を探して、俺の馬鹿馬鹿しくも愛おしい旅は、これからも続いていく。

 

 【孤独の風俗・第一部 完】




ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。五郎の孤独な旅は、これにて一旦完結となります。

彼もしばらくは傷(包皮炎と心の傷)を癒やす時間が必要かと思いますので……(笑)。また筆が乗りましたら、第二部が始まるかもしれません。その時はまた、彼に盛大な地雷を踏ませてやろうと思います。

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