年が明け、世間は新しい空気に包まれている。だが、俺のような個人事業主に正月休みはない。ただひたすらに、孤独な夜と向き合うだけだ。
大阪市西区、九条(くじょう)。
かつての花街の面影を残すこの街は、どこか昭和の匂いがする。松島新地という巨大な欲望の迷宮が鎮座するエリアだが、今日の俺のターゲットはそこではない。ちなみに、先程までの商談は失敗した。
一息吐こうと近くで喫茶店を探すが、正月休みなのか全然開いていない。
(ポン、ポン、ポン……)
立ち止まり、ネクタイを少し緩めた瞬間、身体の奥底で警報が鳴った。
「……いかん。腹が減った……のではない。……溜まっている。俺は今、猛烈に……抜きたい」
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すでに臨戦態勢になった俺は、近くのラブホテルに先入りする。いつもならこんな無謀な真似はしないのだが、今日の俺には秘策がある。
スマホを取り出し、最近導入した『AIアシスタント・Ichi(イチ)』を起動した。どうせなら『Ecchi(エッチ)』にするべきだと思う。そうすれば、もっと流行るだろう。
「おい、このデリヘルの『マリア(22)』どう思う? ハーフ顔、Iカップ、チャット待機中だ。値段は正月割引で90分25,000円の指名料込みだ」
画面上のAIアイコンが波打つ。
『警告:解析結果を表示します。映像の不自然な画角、背景の歪みから算出される推定BMIは30オーバー。さらに料金も通常時より高く設定されています。地雷確率は99.9%です。即時撤退を推奨します』
「……チッ。これだから機械は」
俺は舌打ちした。AIは数字しか見ない。だが、俺の目は節穴じゃない。
ライブチャットの画面越しに見える彼女は、ベッドに腰掛け、恥じらうように微笑んでいる。確かに少しだけ遠くに見えるが、その顔立ちは整ったハーフ系だ。
「お前にはわからんか。この“遠さ”こそが、奥ゆかしさなんだよ。リスクのない食事なんて、味のしないガムと同じだ。毒があるかもしれないからこそ、フグの肝は美味いんだよ。俺の長年の勘が『行け』と叫んでるんだ。値段もお年玉だと思えばいいじゃないか」
『反論:それは“勘”ではなく“願望”です。過去の損失データに基づけば――』
「うるせぇ! 男には、リスクを承知で飛び込まなきゃならねぇ時があるんだよ!」
俺はAIの声を遮断し、通話ボタンを押した。
機械に何がわかる。俺が求めているのは確率論じゃない、ロマンだ。俺は今、どうしてもジャンクな味付けの“得体の知れない肉”にかぶりつきたいんだ。
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30分後。ホテルのチャイムが鳴った。俺は勝利を確信しながらドアを開けた。さあ来い、俺のマリア。AIの鼻を明かしてやる。
「おまたせしましたぁ〜」
その瞬間。俺の視界が黒く塗りつぶされた。
(……でかい!?)
そこにいたのは、マリアではない。プロレスラーのアンドレ・ザ・ジャイアントだ。縦にも横にも、俺の想像を遥かに超える質量を持った巨体が、ドア枠にミチミチに詰まっている。
……なんてことだ。確かに“得体の知れない肉”にかぶりつきたいとは言った。だがそれは“繊細なフレンチのジビエ”を頼んだつもりであって、運ばれてきたのは“脂マシマシの二郎系ラーメン(全トッピング)”だった。
チャット画面で普通に見えたのは、どういうマジックだ!? 彼女自身の重力場が空間を歪めていたのか!?
「あ、どーもー」
彼女がニコリと笑った。その瞬間、俺のSAN値はゼロになった。
……前歯が、ない。上顎の中央、本来あるべき白い象牙質が欠落し、そこには深淵なる闇(ブラックホール)が広がっていた。
『通知:視覚情報と事前の予測データの整合性を確認しました。……ご愁傷様です』
ポケットの中でスマホが震えた気がした。うるさい、黙ってろ。今はそれどころじゃない。俺は目の前の現実(ブラックホール)に吸い込まれそうになっているんだ。
「あ、シャワー浴びますぅ?」
彼女が動いた。ドスン、と部屋の空気が揺れる。俺はようやく、ライブチャットの絡繰(からくり)を理解した。
彼女がベッドの奥に座っていたのは、奥ゆかしさでも演出でもない。“そうしないと画角に収まりきらなかった”のだ。遠近法という物理法則を悪用した、恐るべき空間魔術。俺はそのタネ明かしを、身銭を切って体験している。
……まあいい。顔と体型は諦めよう。だが、サービスはどうだ? 『人は見かけによらない』という言葉に、俺は最後の望み(ロマン)を賭けた。
見た目は悪いが味は絶品という、頑固親父の店かもしれない。
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だが、その淡い期待は、ベッドの上で粉々に粉砕された。
「私ぃ、すごい技持ってるのぉ♡」
マグロのように横たわっていた彼女が、唐突にそう宣言した。歯のない口元から漏れる言葉はフガフガとして聞き取りづらいが、自信だけは満ち溢れている。
すごい技? まさか、この巨体を活かした密着プレスか? それとも、歯がないことを逆手に取った、痛みのない究極のバキューム吸引か?
「……お、お手柔らかに頼むよ」
俺が身構えた瞬間、世界が反転した。
「んっ!」
グワシッ。
彼女は俺の腰を両手で掴むと、プロレスラーのような手際で引き寄せ、あろうことか俺の息子を“脇の下”に挟み込んだのだ。
(……は? 脇?)
胸ではない。脇だ。上腕二頭筋と広背筋による、万力のような締め付け。これは性行為ではない。“ヘッドロック”だ。あるいは“関節技(サブミッション)”だ。
「これ、気持ちいいでしょぉ〜?」
「ぐ、ぐぅ……ッ!」
否定できない。いや、否定する余裕がない。物理的に痛い。彼女が腰を振るたびに、俺の股間は工業用プレス機に挟まれた鉄屑のように悲鳴を上げている。
人生初の『脇ズリ』。その感想は「感動」でも「快楽」でもなく、ただひたすらに「生命の危機」だった。まるで、俺の息子が一粒のニンニクとして、マッシャーで容赦なく押し潰されているようだ。
(折れる……! リトル・ゴローが、複雑骨折する……!)
俺は必死に耐えた。これは修行だ。正月の滝行だ。そう自分に言い聞かせ、痛みに耐え抜くこと数分。
最後は彼女の手によって、半ば無理やりフィニッシュを迎えた。……いや、解放されたと言ったほうが正しい。
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事後。賢者タイムというよりは、交通事故の被害者のような気分で服を着る俺に、彼女は笑顔(歯なし)で言った。
「次、また呼んでくれたらね♡」
(……次?)
俺は耳を疑った。この惨状でリピートがあると思っているのか? そのポジティブさは、もはや狂気の域だ。
「あ、あはは……そうだね。機会があれば」
俺は引きつった笑顔で大人の対応(嘘)をし、逃げるようにホテルを後にした。
ちなみに、この『ミッドナイト』とかいう店は、数週間後に案の定潰れていた。市場原理(神の見えざる手)は、残酷なまでに正しかったのだ。
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九条の冷たい夜風が、冷や汗をかいた肌に染みる。25,000円と、交通費と、ホテル代と、精神的HP(ヒット・ポイント)を失った俺の足取りは重い。
ふと、スマホを取り出す。画面には『AIアシスタント・Ichi』からの通知が残っていた。
『学習完了:“ロマン”という変数は、“地雷”と同義語であることをデータベースに登録しました』
「……うるせぇよ」
俺はスマホに向かって毒づいた。だが、今日ばかりは反論できない。AIの冷徹な計算の方が、俺の曇った眼(まなこ)よりも正しかったのだ。
『提案:九条エリアには、評価3.8の老舗蕎麦店が営業中です。今のマスターに必要なのは、コシのある麺ではなく、傷ついた自尊心と股間に優しい“やわやわの出汁”だと推測します。……それに、蕎麦なら“歯がなくても”啜れますから』
「…………」
……悔しいが、その通りだ。今の俺に、硬いものを噛み砕く気力はない。
「……悪くない提案だ。行こう、Ichi。今日のところは、お前の勝ちにしておいてやる」
俺はコートの襟を立て、出汁の香りを求めて歩き出した。歯車が噛み合わなかった一日の終わりには、せめて具沢山の蕎麦でも啜ろう。
……歯があることのありがたみを、噛み締めながら。
※安心してください。リトル・ゴローの複雑骨折は免れました。ただ、少し形が変わった気がします。
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