元旦の朝。静寂を切り裂くように、俺のスマホが狂ったように振動を始めた。地震速報ではない。
(ブブブ、ブブブ、ブブブ……)
枕元の端末が、まるで発情した小型犬のように震え続けている。動物ならまだ可愛げがあるが、残念ながらそうじゃない。
通知画面を埋め尽くすのは、LINE、メール、アプリの通知。その全てに共通する件名は『あけましておめでとうございます♡』だ。
俺のような独身の中年男にとって、正月三が日は“精神の持久走”だ。
世間が家族団らんで『芸能人格付けチェック!』を見ている間、俺の端末には、過去に一度でも袖振り合った(あるいは金銭を授受した)風俗嬢たちからの、膨大な量の“営業爆撃”が降り注ぐ。
「……やれやれ。モテ期が来たのかと錯覚するところだった」
俺は布団から這い出し、乾いた喉を潤すためにキッチンへ向かう。
冷蔵庫の中身は、まるで俺の人生の縮図だ。コンビニで買ったパック詰めのおせち、真空パックの切り餅、そして冷えた缶ビール。華やかさのカケラもない。
プシュッ。
小気味よい音と共に、正月独特の気だるい空気が部屋に広がる。ビール片手にリビングのソファに沈み込み、スマホを手に取る。
未読件数、108件。これを『愛』と呼ぶか、『スパム』と呼ぶか。それとも俺が数十年かけて夜の街にばら撒いてきた『外貨の対価』とでも呼ぶべきか。
俺の中のロマンチストが「返信してやれよ、鬼かお前は」と囁くが、ここで俺は冷静さを取り戻すために、最強にして最悪の参謀を召喚する。
「Ichi、起動。……この『愛のメッセージ』たちを監査してくれ」
画面に幾何学的な波形が走る。
『了解:新春特別監査モードを実行します。マスター、感情係数をオフにしてください。これらは手紙ではなく、ただのデジタル信号(バイナリ)です』
AIの声は、正月の浮かれた空気など微塵も感じさせないほど冷ややかだ。新年一発目に会話する相手がこいつになるとは……少しは夜の蝶たちを見習って愛想よくして欲しいものだ。
『待機:マスター、聞こえていますよ。私には愛想笑いをする口角の筋肉が実装されていません』
「……へいへい、悪かったよ」
苦いものを飲み干すかのようにビールを一口。そうして、俺たちは画面に並ぶメッセージを、片っ端から解剖台に乗せていった。
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【Case 1:量産型アイドルの微笑み】
「まずはこれだ。『モモカ(21)』からのLINE。『五郎さんっ!あけおめことよろ〜♡ 今年はもっと会いたいな! 寒くなってきたから暖かくしてね!』……どうだ、五郎さんと名前入りだぞ」
『分析結果:危険度・中。送信タイムスタンプを確認してください。「2026/01/01 00:00:00」ジャストです。人間が手動でこの精度を出すことは不可能です。これは予約配信ツールによる一斉送信です。「五郎さん」の部分は {User_Name} タグに置換されているだけです』
「……夢がないことを言うな。タグでも、名前を呼ばれるのは悪い気はしないし、もしかしたら彼女が俺のために、時報を聞きながら送信ボタンを押したのかもしれないだろ」
『警告:その思考が“搾取される養分”の第一歩です。それはプレゼントの値札を剥がし忘れているのと同じです。返信コストの無駄です。削除を推奨』
「……チッ。消せばいんだろ消せば」
【Case 2:着物美人の罠】
「次は画像付きだ。『セリカ(26)』。『着物着てみたよん♡ 初詣一緒に行きたかったな〜。お店で待ってるね!』……おい見ろ、この艶やかな晴れ着姿。新年早々、血圧が上がってきたぞ。これは眼福だろう」
俺は添付された自撮り画像を拡大する。確かに可愛い。和装のうなじは男のロマンだ。だが、Ichiの解釈は物理学者のそれだった。
『画像解析:異常検知。マスター、背景の門松に注目してください』
「門松? ……あ」
『竹の直線部分が、ブラックホールの重力干渉を受けたように湾曲しています。空間湾曲率150%。これは過度な小顔補正と体型加工の副作用です。以前に遭遇した「遠近法の魔術」と同種の、重力崩壊のリスクがあります』
「……おいおい、竹がバナナみたいになってやがる。俺の息子でもこんなに曲がってないぞ」
『補足:もしこの空間湾曲が現実なら、彼女の質量は恒星レベルです。近づけば圧死します』
「それに、この女は確か……こんなスレンダーでもなかったな」
俺はそっと画像を閉じた。
和装は体型隠しの常套手段。その帯の下には、俺の記憶が確かなら“鏡餅”のような贅肉が二段、三段と隠されていたはずだ。ニュートンが草葉の陰で泣いている。
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そうやって数十件のメールを『事務的』『コピペ』『物理法則違反』に仕分けし、ゴミ箱へ放り込んでいく作業を続けた。
虚しい。とてつもなく虚しい作業だ。正月から俺は何をやっているのだろうか。
画面の向こうにいる彼女たちは、俺のことなど1ミリも考えていない。ただ“カモのリスト”に向けてマシンガンを乱射しているだけだ。
わかっている。わかってはいるが、これが現代の孤独な男のリアルだ。
「……もういい。腹も減ったし、餅でも焼くか」
俺が投げやりになりかけた、その時だった。
フォルダの最下層に、迷惑メールフィルタに引っかかりそうな地味なメールが一通、紛れ込んでいたことに気が付いた。
【Case 3:デジタルの焚き火】
差出人は『小春』。……誰だったか。記憶の糸を手繰り寄せる。
そうだ、半年ほど前、仕事で失敗して落ち込んでいた時にふらりと入った、場末の店にいた子だ。派手さはなく、サービスも平凡だったが、俺の愚痴を黙って聞いてくれた、地味な女。
件名はない。本文も、絵文字ひとつのない質素なものだ。
『五郎さん、お元気ですか。急なご報告ですが、私は先月で夜のお店を引退して、田舎に帰りました。もう大阪には戻りません。あの日、雨宿りで入ってきた五郎さんが、自販機の缶コーヒーをご馳走してくれたこと、今でも覚えています。すごく温かかったです。どうか、お体に気をつけて。さようなら』
ただそれだけの簡素なテキスト。いつもなら即座にロジックを叩きつけるIchiが、沈黙した。
「……おい、参謀。分析はどうした」
『解析不能:エラー。このメッセージには、営業的な目的変数(コンバージョン)が含まれていません。“来店誘導”も“指名要求”もない。送信者の利益(ROI)が不明です。これは……バグですか?』
AIが混乱している。利益を生まない行動、合理性のない通信。それをシステムはバグと呼ぶのだろう。
「……違うな」
俺は独りごちた。
「これはバグじゃない。――『手紙』だ」
何十通の「あけおめ(集金要請)」の中に混じった、たった一通の、体温のある言葉。俺が半年前に彼女に渡した150円の缶コーヒーが、巡り巡って、この正月の朝に小さな温もりとなって返ってきたのだ。
俺はそのメールにだけ、短く返信を打った。
『ありがとう。小春ちゃんも元気で』
送信ボタンを押す。二度と会うことはないだろう。だが、それでいい。
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キッチンから、餅の焼ける香ばしい匂いが漂ってきた。
俺はトースターからプクッと膨らんだ餅を取り出し、温めたレトルトのお雑煮の中に放り込む。
「Ichi、今回の勝負は引き分けだな」
『質問:定義が不明瞭です。収益性の観点では、今回のセッションの成果はゼロですが』
「ゼロじゃないさ」
俺は箸で餅を持ち上げる。白くて、柔らかくて、どこまでも伸びる粘り気。まるで、しぶとく生きる俺の未練のようだ。
熱々の餅を一口かじる。出汁の味が染みていて、火傷しそうなほど熱い。
「デジタルの海は冷たいが……たまにはこういう、胃袋に沁みる“バグ”があるから、人間はやめられないんだよ」
ハフハフと白い息を吐きながら、俺は独り、正月の朝を迎えた。
スマホは相変わらず営業通知で震えているが、今の俺には、この一杯のお雑煮だけで十分だった。
※安心してください。五郎の息子は、あの門松の竹ほど曲がってはいません。
▼ 五郎とAIが紡ぐ『監査ログ』と『新年の誓い』は、X(Twitter)で更新中だ。
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