放課後。
昇降口を出たところで、ともよちゃんが少しだけ声の調子を変えて言った。
「今日は、パン屋さんに寄りませんこと?」
「行く!」
さくらは、迷うより先に答えていた。
横を歩いていた小狼くんが、ほんの一瞬だけ驚いた顔をしてから、静かに頷く。
「……俺も、いい」
三人で並んで歩く帰り道は、特別な話題がなくても不思議と落ち着く。
カードの異変もなく、授業も無事に終わった日。
だからこそ、寄り道をする理由なんて、なくていい。
小さなパン屋の扉を開けると、控えめなベルの音が鳴る。
「いらっしゃい」
藤丸さんの穏やかな声と、マシュさんの柔らかな「こんにちは」が重なった。
夕方の店内は、昼よりも少し静かで、灯りも落ち着いている。
焼きたての甘い香りが、自然と肩の力を抜いてくれた。
棚に並んだパンを見た瞬間、ともよちゃんの目がきらりと輝いた。
「今日は……交換してみませんこと?」
「交換?」
「それぞれ、一番気になるパンを選んで、あとで分け合うんですの」
「えっ、楽しそう!」
さくらは思わず声を弾ませた。
小狼くんは一瞬だけ考えるように視線を棚に向け、それから小さく頷く。
「……悪くないな」
選ぶ時間は、それぞれ違った。
ともよちゃんは迷わない。
見た目の美しさと、写真に収めたときの映え方まで想像しているみたいに、すぐに一つを手に取る。
さくらは、棚の前を行ったり来たり。
「……うーん……」
「さくらちゃん、真剣ですわね」
「だって、どれも美味しそうなんだもん……!」
小狼くんはじっと棚を見つめていた。
甘さ、重さ、食べる時間帯。
静かに考え込むその姿は、選ぶという行為を大事にしているように見えた。
それぞれの紙袋を受け取り、店の奥の小さな飲食スペースに並んで座る。
外の音が少し遠くなり、この場所だけ時間の流れが緩やかになる。
「では……交換ですわ」
最初に差し出されたのは、ともよちゃんのパン。
「オルレアンのリボンブリオッシュですの」
「いただきます!」
さくらが一口かじると、思わず目を丸くした。
「わ……! ふわふわで、すごく上品!」
「でしょう? 見た目も可愛らしかったので」
次は、小狼くん。
「……ローマの堅焼きミルクパンだ」
「ありがとう、小狼くん」
一口食べて、さくらはゆっくり頷く。
「うん……甘いけど、落ち着く味だね」
「……甘すぎない方がいいと思って」
小狼くんは少し照れたように、視線を逸らした。
最後に、さくらのパンを二人に分ける。
「アヴァロンの花蜜ロールだよ」
「さくらちゃんらしいですわ」
「……軽いな」
三人で笑う。
理由なんて、なくていい。
今日は、誰かが悩んでいるわけでも、立ち止まっているわけでもない。
ただ選んで、分けて、少しだけ相手の好みを知る。
「また、三人で来ようね」
さくらがそう言うと、ともよちゃんは嬉しそうに頷き、小狼くんも小さく「……ああ」と答えた。
パン屋の灯りは、今日も変わらない。
けれど、その中で過ごした時間は、確かにそれぞれの胸に残っていく。
選ぶことも、迷うことも。
今日は全部、誰かと一緒でよかった。