ベーカリー・カルデアのある街で   作:テトマト

14 / 16
第13話 朝の通学路、ローマの暁ミルクパン

 

 朝の空気は、少しだけ張りつめている。

 

 通学路を歩きながら、小狼は無意識に背筋を伸ばしていた。

 誰に見られているわけでもないが、朝という時間帯は、それだけで気が引き締まる。

 

 一人暮らしの朝は静かだ。

 その静けさに慣れてしまえば、誰かと顔を合わせないことも苦にはならない。

 

 ただ――食事だけは、きちんと取る。

 

 それは昔から決めていることだった。

 

 いつもより少し早く家を出た理由は、それだけだ。

 通学路の途中にある、あの小さなパン屋。

 

 朝の時間帯に開いているのを見たのは、初めてだった。

 

 ガラス越しに見える店内は明るく、焼き上がったパンがきれいに並んでいる。

 扉を押すと、控えめなベルが鳴った。

 

「おはよう。学校前?」

 

 カウンターの向こうから、藤丸の声が飛んでくる。

 夜や夕方と違って、少しだけ張りのある声だった。

 

「……はい」

 

「やっぱり。制服だと分かりやすいね」

 

 藤丸はそう言って軽く笑い、自然にカウンターから一歩出てきた。

 距離は近いが、詰めすぎない。

 ただ、話しかけることをためらわない。

 

 それが、この店の空気だった。

 

「朝はあんまり種類多くないけど、ちゃんと食べる人向けのはあるよ」

 

 棚を示され、小狼は視線を向ける。

 

 油っこすぎないもの。

 甘さが残りすぎないもの。

 短い時間でも食べやすいもの。

 

「……これを」

 

「ローマの暁ミルクパンだね」

 

 即座に名前が返ってくる。

 

「朝用に焼き方を少し変えてる。柔らかめで、甘さも控えめ。急いでる人向け」

 

「……助かります」

 

「でしょ。朝って、意外と余裕ないもんね」

 

 藤丸はそう言いながら、手早く紙袋にパンを入れる。

 作業の合間にも、自然に会話が続く。

 

「一人暮らし?」

 

 唐突だが、詮索する響きはない。

 

「……はい」

 

「そっか。じゃあ朝は特に大事だ」

 

 

 会計を済ませると、マシュが小さく頭を下げた。

 

「いってらっしゃい。良い一日を」

 

「……いってきます」

 

 店を出て、少し歩いた先で足を止める。

 歩きながら食べるのは、どうにも落ち着かない。

 行儀が悪い気もして、小狼はベンチに腰を下ろした。

 

 袋を開け、パンを手に取る。

 

 一口かじると、歯を立てた感触がやさしい。

 中はふんわりしていて、甘さは後を引かない。

 

「……ちょうどいい」

 

 思わず、そう呟いた。

 

 朝にちょうどいい。

 重すぎず、軽すぎず。

 ちゃんと一日を始められる味だ。

 

 急がず、残さず、最後まで食べる。

 それだけで、体の奥が静かに整っていく。

 

 立ち上がり、紙袋を畳んで鞄にしまう。

 校舎はもうすぐそこだ。

 

 ふと、小狼はパン屋の方角を思い出す。

 

 朝でも、あの店は変わらなかった。

 話しかけてきて、必要なことをくれて、深入りしない。

 

 ――またパンを食べに寄ろう。

 

 そう思いながら、通学路を歩き出した。

 

 今日も、ちゃんと始められそうだった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。