ベーカリー・カルデアのある街で   作:テトマト

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第14話 バレンタイン

 

 

 その日は、朝から少し落ち着かなかった。

 

 理由は分かっている。

 バレンタインが近い。

 それだけで胸の奥がそわそわして、机に向かっても、いつもより字が頭に入らない。

 

(小狼くんに、何か作りたい……)

 

 思うのに、決まらない。

 甘いのは好きかな。

 でも甘すぎたら困るかな。

 重たいのは? 軽いのは?

 

 考えれば考えるほど、答えが遠くなる。

 

 放課後。

 さくらは、ともよと一緒にパン屋へ向かった。

 今日は相談する相手がいる――というより、背中を押してくれる人が二人いる。

 

 扉のベルが鳴り、いつもの香りが迎えてくれた。

 

「いらっしゃい」

 

 藤丸さんが顔を上げ、続けてマシュさんが柔らかく微笑む。

 

「こんにちは。さくらさん、ともよさん」

 

「こんにちは……!」

 

 さくらの声は、少しだけ小さい。

 ともよがそっと肘をつつく。

 

「さくらちゃん、今日は“目的”がありますのよね?」

 

「う、うん……」

 

 頬が熱くなる。

 

「……バレンタインで。小狼くんに、作りたくて」

 

 口に出すと、さらに恥ずかしい。

 でもマシュさんは驚くより先に、嬉しそうに頷いた。

 

「素敵だと思います。私でよければ、お手伝いしますよ」

 

「えっ、いいの?」

 

「はい。こういうイベントは……少しだけ慣れていますから」

 

 どこか照れたような笑み。

 その一言で、胸の奥のもやもやが少しほどけた。

 

「甘さは控えめにして、食べやすい形がいいと思います。小狼さんなら、きっと」

 

「うん……!」

 

「厨房、使っていいよ」

 

 藤丸さんが軽い調子で言った。

 

「今日は仕込みも一段落してるし。手伝いはマシュに任せる。俺は表を見ておくから」

 

「はい、先輩」

 

 そうして、さくらはパン屋の奥――厨房に入った。

 

 粉の匂い、温度、道具の並び。

 整えられた空間は落ち着くのに、いつもと違う場所に少しだけ緊張する。

 

 マシュさんは手際が良かった。

 計量のしかた、混ぜ方、火の入れ方。

 一つ一つが丁寧で、でも焦らせない。

 

「大丈夫です。ゆっくりでいいですよ」

 

「うん……!」

 

 その隣で、ともよが当然のようにカメラを構える。

 

「さくらちゃん、こちらを向いてくださいませ」

 

「えっ、今!?」

 

「今ですわ。とても良い表情ですもの」

 

「と、ともよちゃん……!」

 

 シャッター音が、小さく何度も鳴る。

 混ぜるたび、丸めるたび、焼き色が変わるたび。

 

 恥ずかしいのに、なぜか笑ってしまう。

 マシュさんも、少しだけ口元を緩めた。

 

「ともよさん、すごい集中力ですね」

 

「当然ですわ。大切な“記録”ですもの」

 

 焼き上がった小さな焼き菓子は派手じゃない。

 でも形が整っていて、香りがやさしい。

 

「……できた」

 

 さくらが呟くと、マシュさんが頷く。

 

「とても上手です。きっと喜びますよ」

 

「うん……!」

 

 その言葉が、背中を押してくれた。

 

 ――バレンタイン当日。

 

 放課後の帰り道。

 さくらは小狼を呼び止めた。

 

「……小狼くん」

 

「なに?」

 

 紙袋を差し出す。

 手が少し震える。

 

「これ……作ったの」

 

 小狼は一瞬だけ目を瞬かせ、それから袋を受け取った。

 

「……ありがとう」

 

 短い声。

 でも、確かに柔らかい。

 

「……大事に食べる」

 

 それだけで、胸の奥がふわっと軽くなった。

 

「えへへ……」

 

 さくらが照れ笑いをした、その時。

 

「小狼さん」

 

 ともよが名前で呼んで、鞄から薄い封筒を取り出す。

 

「こちらを」

 

「えっ? 俺に?」

 

「はい」

 

 受け取って開くと、中には写真が入っていた。

 

 パン屋の厨房で、粉をつけて真剣な顔をしているさくら。

 丸めた生地をそっと並べる手。

 焼き上がりを覗き込む横顔。

 そして完成して、嬉しそうに笑った瞬間。

 

「……っ、待って、小狼くん!?」

 

 さくらの顔が一気に赤くなる。

 

「こ、これ……!」

 

 ともよが後ろで満足そうに頷いた。

 

「小狼さんに私からのバレンタインプレゼントですわ」

 

「と、ともよちゃん……!」

 

 小狼は咳払いでごまかすように目を逸らしたけれど、耳まで少し赤い。

 

「……その、ありがとう」

 

「う、うう……恥ずかしいよ……!」

 

「……でも、似合ってる」

 

 小狼の小さな一言で、さくらは余計に顔を覆った。

 

 その横で、ともよは嬉しそうにカメラを構え直す。

 

「今の反応も、最高ですわ」

 

「と、ともよちゃん!」

 

 笑いと恥ずかしさが混ざって、さくらは結局、泣きそうな顔で笑った。

 

 甘い匂いは、今日も変わらない。

 でもその甘さはきっと――

 渡して、受け取って、少しずつ優しくなっていく。

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