その日の午後、
ベーカリー・カルデアの扉が、いつもより少し元気よく開いた。
「こんにちは〜!」
明るい声と一緒に入ってきたのは、
ふわりとした雰囲気の少女だった。
肩までの髪に、落ち着いた色のワンピース。
首から下げたカメラが、歩みに合わせて小さく揺れる。
「いらっしゃいませ」
藤丸が顔を上げると、
少女はぱっと表情を明るくした。
「噂は本当でしたわ……!
この空気感……とても素敵です!」
「……噂?」
思わず首をかしげる藤丸の横で、
マシュが小さく微笑む。
「もしかして、さくらちゃんのお友だちですか?」
「はい。
大道寺知世と申します」
丁寧に頭を下げたあと、
知世はゆっくりと店内を見渡した。
焼き上がったパンの匂い。
午後の光が差し込む棚。
忙しすぎず、静かすぎもしない、ほどよい間。
「朝の始まりとか、
帰り道の途中にあるパン屋さん、って感じなのに……」
知世はそう言ってから、
少し考えるように首を傾げる。
「でも、それだけじゃなくて……
“物語の途中”みたいな場所ですわ」
その言葉に、
藤丸は一瞬だけ視線を落とし、
言葉を選ぶように間を置いた。
「……そう見えるなら、
とても、嬉しいよ」
余計な説明はしなかった。
けれど、その一言で十分だったらしく、
知世は満足そうに微笑む。
「撮っても、よろしいですか?」
「パン、ですか?」
「いえ。
この空間ごと、です」
控えめなシャッター音が、
静かな店内に溶けていく。
棚に並ぶパン。
差し込む光の角度。
エプロン姿のふたりが動くたび、
シャッターが小さく鳴った。
「……ああ、本当に素敵ですわ」
カメラを下ろした知世は、
満足そうに息をつく。
「さくらさんが、
ここに通う理由が分かりました」
その名前が出た瞬間、
マシュがやわらかく微笑む。
「さくらちゃん、
よく来てくれます」
「やっぱり……!」
知世は少しだけ声を弾ませ、
今度はパンの棚へと近づいた。
一つ一つ、
名前を確かめるように目を通し、
その中で足を止める。
「このパンの名前……
“キャメロット食パン”?」
「はい。
大切な場所の名前です」
「そうですか……」
それ以上は聞かず、
知世は小さく頷いた。
「では、それを」
藤丸が丁寧に包み、差し出すと、
知世は両手で大事そうに受け取った。
「今度は、
さくらさんと一緒に来ますわ」
「ぜひ」
そう答えると、
知世はもう一度だけ店内を振り返り、
名残惜しそうに扉へ向かった。
鈴の音が鳴り、
午後の光が一瞬だけ揺れる。
「……にぎやかでしたね」
マシュの言葉に、
藤丸は小さく笑った。
「でも、
悪くない」
一日の途中で、
誰かが立ち寄り、
また歩き出していく。
午後の光の中、
パンの焼ける匂いは、
今日も変わらず、そこにあった。