気がついたとき、さくらはもう商店街の角を曲がっていた。
空は、思っていたより暗い。
夕方というには遅く、夜というにはまだ早い、
街灯が一斉に灯り始める時間帯だ。
(……もう、こんな時間)
制服の袖口が少しだけ汚れているのに気づいて、
さくらは視線を落とした。
息を整えたはずなのに、胸の奥がまだ落ち着かない。
放課後。
――でも、まっすぐ家に帰るには、遅すぎた。
体は疲れているのに、
頭の中だけが、まだ動いている。
風の音や、遠くの車の音が、
いつもよりはっきり聞こえる。
足を止めてから、はっとする。
家とは、反対の方向だ。
(……あれ?)
でも、引き返そうとは思わなかった。
理由は分からない。
気づいたら、ここに向かっていた。
白い扉の前で、さくらは小さく息を吸う。
一拍置いてから、そっとドアを押した。
鈴の音が、静かに鳴る。
「いらっしゃいませ」
藤丸の声は、いつもと変わらない。
それだけで、肩に入っていた力が抜けた。
「あ……こんばんは」
「こんばんは、さくらちゃん」
昼間よりも店内は静かで、
焼きたての匂いはもう薄い。
それでも、ちゃんとパン屋の空気が残っている。
カウンターの奥では、マシュが片づけをしていた。
こちらに気づくと、にこりと微笑む。
「今日は、遅いですね」
「……うん」
それ以上、言葉は続かなかった。
聞かれもしない。
さくらは棚の前に立つ。
並んだパンを見ていると、
胸の奥のざわざわが、少しだけ遠のいた。
視線は、自然と同じ場所へ向かう。
「ウルクの朝焼きパン、ありますか?」
「ありますよ」
藤丸は慣れた手つきでパンを取り、
紙袋に入れる。
「学校帰りですか?」
「……うん」
嘘ではない。
でも、全部でもない。
「お疲れさまです」
理由を聞かれないことが、
今はありがたかった。
会計を済ませて、袋を受け取る。
ずしりとした重みが、
ちゃんと“ここにいる”ことを教えてくれる。
「……あの」
さくらは少し迷ってから、口を開いた。
「今日のパン、
今すぐ食べた方がいいですか?」
「どちらでも」
藤丸は少し考えるようにしてから言った。
「でも、
落ち着いてから食べるのも、いいと思います」
「……うん」
それで、十分だった。
店を出ると、空はもう夜に近い色だ。
風が、少し冷たい。
さくらは近くのベンチに腰を下ろし、
紙袋を開ける。
一口。
噛むと、ほんのり甘くて、
ちゃんとした味がした。
さっきまで体に残っていた緊張が、
少しずつ、ほどけていく。
(……だいじょうぶ)
うまくいったわけじゃない。
疲れも、まだ残っている。
でも、ここに来た。
このパンを、ちゃんと食べている。
それだけで、
今日を終えていい気がした。
紙袋を膝の上に置いて、
さくらはもう一口、パンをかじる。
夜は、まだ続く。
明日も、また何か起きるかもしれない。
でも――
この時間に、
寄れる場所は、もう知っている。