フリーレンを愛したい魔族ちゃんがコロコロされる話   作:丹羽にわか

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※注意※ 途中カニバリズム描写あり〼
残酷な描写タグをちゃんと使ったの初めてかもしれない



分かりきった結末(おわり)を迎える物語:①

 

「……明日は、一人でもちゃんと起きなさい」

 

 彼女は私の手をとり、自身の胸にそっと押し当てながら微笑んだ。

 服越しに心臓が早鐘を打っているのが伝わってくる。

 

「フリーレン」

 

 魔力の波長を感じる。魔法が発動する。

 

 何を、そう言いかけて──一瞬だった。

 

 疑問符を浮かべていた思考を、忘れさせられていた記憶が濁流となって押し寄せ、押し流す。

 

 玉座のバザルト率いる魔族の軍勢に襲撃され、私以外が全滅したエルフの集落。

 師匠、大魔法使いフランメとの出会いと修業した数十年、そして別れ。

 魔力を隠して魔族を欺き、卑怯者と罵られながら奴らを屠る日々。

 大魔族、マハトとの戦闘と、敗走。黄金となった片腕。

 旅の途中で補給の為に立ち寄った集落。そこで人間に紛れて生活していた魔族を倒そうとするも、特異な魔法に無力化され、敗北。

 

 それらの記憶に加えて、魔族に対して私が抱いていた憎悪、嫌悪、復讐心といった感情。

 

 そして、魔族は人の声真似をするだけの、言葉の通じない猛獣で、人食いの化物であるという知識。

 

 すべて、思い出した。

 

 ──魔族が、私の腕を掴んでいる。

 

 無意識に放たれた魔力の波動が、魔族の薄い皮膚を裂き、胸郭を叩き潰し、肺と心臓を吹き飛ばした。

 背後の白い漆喰の壁に赤く、不出来な花が描かれる。

 

「──あ…」

 

 その声を発したのはどちらだったか。

 

 私の腕を優しく掴んでいた手から、力が抜けていく。思わず手を伸ばして、空振る。彼女はよたよたと後退り、背中がどんと壁にぶつかって、ずるりと崩れ落ちるように、べっとりと赤い線を引きながら座り込んだ。

 まるで、彼女から真っ赤な花が咲いているように見えた。

 

 致命傷だ。もう、彼女は助からない。

 いや、助ける必要なんて無い。これは魔族なんだから。

 

 ──カラン、と。 乾いた硬質な音が、静まり返った部屋に響いた。彼女の胸元で揺れていたはずの、あの安物のペンダントが、赤く染まった床を跳ねて私の足元まで転がってきた。

 

 拾い上げる。

 

 血がついていて、それも塵となって消えた。

 魔族の魔法によるものとは違う、思い出が想起される。

 

 ──これ、あげるよ。

 ──なにそれ、ペンダント? 急にどうしたのよ。

 ──いつもお世話になってるからね。

 ──自覚があるなら世話を焼かせないようにしなさいよ。

 ──……今は関係ないでしょ。

 ──はぁ…まあいいわ。貰っておいてあげる。

 

 涙滴型の金属板に彫刻を施し、穴を開け紐を通しただけの簡素なそれ。

 彫刻されているのは星涙樹。頭を垂れるようにして蕾をつけ、星のような花を咲かせる珍しい木。

 

 花言葉は感謝。そして──懺悔。

 

「──ネルベ?」

 

 百年を共に過ごした魔族の名前を呼んだ。

 

 

 

 ❅

 

 

 

 北側諸国の山間にひっそりと築かれたその村は、常に針葉樹の鋭い香りと、それらを切り出し、加工する音に満ちていた。急峻な斜面の中に気まぐれのように出来た盆地に建てられた木造の家々は、外敵の侵入を拒むかのように密集している。

 

 そんな閉鎖的な共同体の中心を、美しい少女の姿をした魔族がごく自然な足取りで歩いていた。

 

 側頭部から突き出した、人間とは異なる一対の角。曲弓を思わせるそれにかかる、薄っすらと灰をまぶしたライラックのような色の前髪が、魔族の歩みに合わせてまるで二本の尻尾のように揺れる。

 人外、それもドワーフやエルフではない。もう何百年と大陸北部を中心に人類と争い続けている異種族──魔族を見ても、すれ違う村人たちは警戒心を抱いたり恐怖を向けたりしない。

 

「ネルべちゃんおはよう。今日も早いな。また仕事かい?」

「ええ、おはよう。これがわたしの役目だもの。それに、貴方だってそうでしょう?」

「ははっ、違いねえや!」

 

 行き交う村人の一人、立派な斧を担いだ木こりの男が、少女の姿をした魔族──ネルべに向けたのはその手の得物ではなく笑顔だった。ネルべがそれに口角を微かに持ち上げた笑みを返すと、男は空いている方の手を振りながら仕事場へと向かっていった。

 

 その背中に一瞬視線を向けて、ポツリ。

 

「仕事って何のことかしら。……。ああ、そうだったわ。村の周囲の見回りね」

 

 そしてネルべは男とは反対方向、村と外界とを隔てる見張り櫓付きの大門の方へ足を進める。

 その後ろ姿を眺め、話をする村人たち。

 

「ネルべ様、俺の爺さんの頃から姿が変わらないらしいな」

「華奢だよなあ。あれで村を救ったって本当なのか…」

「噂だとそうだけど、本人があまりそういう話はしないし、広められたくないみたいだぞ」

「魔族、だもんな。色々あったんだろ」

 

 

 数十年前にこの村を襲った凶悪な魔物を、偶然訪れたネルべが退治した。

 それ以来居着いてこの地を守り続ける、少し風変わりで長命な隣人として彼女は受け入れられている。

 

 

 ──昨日から(・・・・)

 

 

「ふぅ、昨日は魔法を使いすぎたみたいね。……。別に平気よ、この程度」

 

 ネルべにとって、この村は好都合な場所だった。新鮮な好物をいつでも楽しめる食料庫であり、閉鎖的な環境は自身の身を守る為の安全な拠点にもなる。魔族としての姿を隠す必要もない。

 言葉が通じる。華奢で美しい容姿をしている。自分たちを救ってくれたらしいという記憶がある。

 すると人間は『人食いの怪物』という事実よりも、『助けてくれる良き隣人』という彼らにとっての真実を信じるのだから。

 

「これが終わったら食事にしようかしら。柔らかい子供の肉でも、……。魔物に襲われて『居なかった』事にすればいいでしょう? ……失態になる? 違和感の原因? 確かに面倒ね、それは」

 

 ネルべは門を警備する男衆に見送られながら村を出て、うっすらと朝靄の残る山道を歩く。人の行き来だけでなく木材の運搬にも使われる道には荷車の轍がくっきりと残っていた。

 

「この辺りでいいかしら」

 

 暫し進んで足を止める。山道のカーブ地点、道の端に過去の落石の名残である巨岩がある場所で、死角ができ身を隠しやすいポイントだ。

 

「村長の記憶だと、村を出て冒険者になった息子が嫁を連れて帰って来る。近隣の村を出てからの行程を計算すると、それが今日の昼前にはここを通る……。わたしの魔法は万能じゃないの。本当の過去を知っている、武力を持っている、そんな危険因子は排除する。いつもの事でしょう」

 

 ネルべは岩陰に身を潜めると、鍔広の帽子を目深に被って角を隠し、魔力を極限まで抑え目を閉じた。他の魔族がいるわけでもなく、魔法使いとの誇りをかけた戦いでもないただの狩りだ。魔力量を誇示する必要はない。潜伏し、奇襲する事になんの躊躇も無い。

 

 鳥のさえずり、木々のさざめき。遠くからはこぉーん、こぉーんと木に斧を叩きつける音が聞こえてくる。日差しは穏やかで、風は緑の薫りをそっと運んでくる。ひどく退屈だ。魔導書でも持ってくればよかったかも知れない。

 

 どれくらいの時間、そうして過ごしていただろうか。

 

「──、──」

「────!」

 

 

 ──声がした。

 

 

「ようやくね」

 

 瞼を開く。暗灰色の瞳が覗き瞳孔が収縮する。

 

 ザッザッ、ザッザッと二人分の足音。そして、仲睦まじげな男女の話し声。

 

「後少しで僕の故郷だ。ああ…あの大岩、懐かしいな。そこを曲がると村が見えてくるんだよ。──って、ごめん。足は大丈夫かい? 身重なんだし無理は……」

「へーきへーき! そんなヤワじゃないよあたしは」

 

 背の高い細面の男は軽鎧をまとい腰に両刃の剣を佩いて外套を羽織り、その男の肩ほどの身長の女は分厚いウールのコートに身を包んでいるが、その腹部には膨らみがある。二人、いや三人は互いの歩幅を合わせながら、時折視線を絡ませては楽しげに語らっていた。

 

「──……」

 

 ネルべは息を潜め、極限まで気配を薄くする。

 

 立ちふるまいや気配から分かる。村長の息子だという冒険者は優れた戦士だ。

 正面からやり合うのは不利。だが、奇襲で仕留められるかどうかも賭けになる。女の方は簡単に殺せるだろうが。

 

 ──武力を持たなくとも、横槍を入れられる可能性は排除すべきか。

 

 ネルべは魔法を発動した。

 

「──あっ」

「? どうしたんだい」

「さっき落とし物をしてたの。拾ってこないと」

「え? 何を…って、いいって、僕が行くから。その落とし物はなんだい?」

「えっと──そう、ハンカチね」

 

 男は「了解、待ってて」と言って来た道を引き返していった。

 

「ハンカチ、落としたのよね」

 

 女はコートのポケットを漁る。

 

「……ある、わね」

 

 その手には鏡蓮華の刺繍が施されたハンカチが手に握られていた。花言葉は『久遠の愛情』。結婚して間もない頃、デート中にプレゼントされた思い出の品物だ。

 

「どういうこ──」

 

 女はその言葉を最期に物言わぬ屍となった。

 

 岩陰から音もなく現れたネルべの握る双剣によって背後から喉を掻き斬られ、肋骨の隙間に滑り込むよう刃を横にして心臓を一突き。ビクン、と震えた後に全身が弛緩し、崩れ落ちようとする女を音を立てぬよう静かに横たえる。

 女の握っていたハンカチが地面に落ち、広がる血だまりによって赤く染められていくのを、ネルべは観察するように無感情な瞳で見つめる。

 

「これ、あの男を殺すのに利用できないかしら? ……。ええ、身重って言っていたわね。珍しい肉が食べられそう。楽しみだわ」

 

 ネルべは笑みを浮かべながら女の死体に手を伸ばした。

 

 

 

 困ったなあ、と男は頭を掻いた。

 

「見つからない……風で飛ばされちゃったかも……どうしよう」

 

 伴侶である女性は少々男勝りな性格であり、ハンカチの類は男がプレゼントした刺繍入りの物しか持っていないはずだった。形あるものはいつか失われるのだとしても、無くしたとなれば暫く落ち込むだろう。出来れば見つけたい所だが、周囲は一面の大自然。

 

「うぅん…失せ物探しの魔法とか……いや、村に魔法使いはいなかったからなあ……」

 

 男は戦士であり魔法は使えない。伴侶はかつて商会の看板娘をしていただけの一般人だ。

 

「はぁ、難しい、か。これなら予備とか買っておけば良かったな……」

 

 男は肩を落としながら来た道を引き返す。どう声をかけよう、なんて考えながら。

 

 その時、男の戦士としての直感が警鐘を鳴らした。

 

「──なんだ?」

 

 知らない内に強大な魔物の縄張りに足を踏み入れてしまった時に似た、肌が泡立ち首筋にチリチリと火花が散るような感覚。

 男は即座に腰の剣の柄に手をかけた。周囲の森は静まり返っている。鳥の声さえしない。

 それなのに、村の方からは木こりたちが斧を振るう音が聞こえてくる。ただの日常の筈が、何か致命的な間違いを孕んでいる、そんな違和感。

 

「おい、冗談だろ……」

 

 鼻腔を突いたのは、生臭い鉄の匂い。

 男は弾かれたように駆け出した。先ほど伴侶と別れたばかりの大岩の前。そこには、あってはならない『色』が広がっていた。

 

 赤。

 

 それが血だと理解するのは一瞬だった。

 そして、血溜まりの中に鏡蓮華の刺繍が入ったハンカチが落ちている。

 

「どうして……まさか、『──』ッ!!」

 

 男は伴侶の名前を呼び、血溜まりから続く赤い線を見る。

 痛むほどに高鳴る心臓と叫び出したい衝動に堪えながら、森の中へと引き摺られていったような痕を残すそれを辿った。

 

 木々の隙間に、見慣れたウールのコートの裾が見えた。

 

「『──』ッ!!」

 

 男は茂みをかき分け、剣で枝葉を切り払いながら駆け寄った。そこには、うつ伏せに横たわった伴侶がいる。周りには何も居ない。

 

 地面に膝をつき、最愛の人に触れようとして──。

 

 ──ギィィィィンッ!!

 

 甲高い音と共に火花が散った。

 男が反射的に振るった剣が、彼の心臓を狙った一突きを的確に弾いた音だ。

 鋼と鋼を打ち合わせた時の硬質な手応え。男の右手には確かな痺れが残っている。振り向きざまに薄暗い森の中で妖しく輝く白刃が見えた。

 

「──剣!?」

 

 相手は人間だと、戦士の思考へと切り替わった男の理性が瞬時に判断を下す。

 速く、重く、鋭い一撃。並の相手、盗賊などではない。熟練の戦士か暗殺者か、あるいは──。

 

「意識外からの攻撃だった筈なのだけど、厄介ね」

 

 鈴を転がすような、涼やかな声。

 とん、と地面に降り立ったそれは美しい少女の姿をしていた。

 しかし、その側頭部から伸びた一対の角を目にした瞬間、男の背筋に怖気が走る。

 

「魔族……っ! どうして、こんな所に……」

 

 男は剣を正眼に構え直し、魔族──ネルベを睨みつける。

 

「いや、今はそれどころじゃない……っ! 早く倒して止血を、治療しないと……だから!!」

 

 焦燥を滲ませながら男は全身にぎりりと力を込め、乾坤一擲の一閃で眼前の魔族を斬り伏せようとする。

 

 けれど。

 

 ネルべはこてん、と可愛らしく首を傾げた。

 

「? もう死んでいるわよ、それ。分からないの?」

 

 淡々と、事実を告げる。

 

「心臓は貫いたし、喉もかき切った。それはもう、ただの屍肉よ。治療って、何をするつもり? ここから蘇生させる方法があるの?」

「あ、え、……あ……」

 

 ヒュッと息を呑んだ。

 魔族はただ興味本位で訊いたのだろう。だが、その言葉が何よりも鋭利な刃となって男を切り裂いた。

 剣が、男の手から離れる。ガチャン、と地面に落ちる音が、静かな森に響く。

 

 分かっていた。あの出血では死んでいると。でも、本能が理解を拒んでいた。最愛の人が、そのお腹の中の子と共にすでに殺されている現実を認識してしまえば、心が折れてしまうから。

 

「ああ、ああぁ……っ!!」

 

 男は膝をつき、死体に縋り付いた。ネルべが目の前にいることさえ忘れ、肩を揺らし、頰を撫で、声を殺して泣く。戦意は、完全に失せていた。

 

 ネルべは無防備な背中を晒す男へとゆっくりと歩み寄り、殺した。

 

 

 

 ❅

 

 

 

「急に戦意がなくなったわね。どうしてかしら」

 

 返り血に染まった双剣を手に佇むネルべは、物言わぬ二つの肉塊を見て怪訝な顔をした。

 完全な不意打ちだった初撃を防いだ事といい、男は優秀な戦士だった。あのまま正面から戦っていれば殺されていたのはネルべだったかも知れない。

 けれど、そうはならなかった。

 戦士だった筈の男は、肉塊に縋り付き嗚咽を漏らすだけの無力な存在に成り果て、あっさりとネルべに殺された。

 

「『おかあさん』と言ったわけでもないのに。ねえ、なんでか分かる?」

 

 ネルべは自分の他に誰も居ないのに問いを投げ掛けた。それが当たり前の事であるかのように。

 

「ちょっと、訊こえてる? ……。ふぅん? あの戦士は愛した女を守れず喪って絶望して、心が折れた、ね。守るべき個体が消えたのなら、自分の生存率を上げるために逃走するか、あるいは脅威を排除すべきなのに。ただ泣いて動かなくなるなんて、不思議なものね『愛』って」

 

 ネルべは魔法で死体を浮かせた。流石に村に持っていく訳にはいかない。痕跡は適切に処理し、肉は消費する必要がある。

 

「言葉だけは知ってるけど。この戦士が無力になったのは、その愛とやらがあったから、か」

 

 死体から滴り落ちる血を手の平で受け止めると、それを口元に運んでチロと舌を出し舐め取る。

 

「使えそうね。これは──過去を挟み込む魔法(レーゼツァイヒェン)をより高めるのに」

 

 魔族にとって、魔法の探求は本能そのものであり、存在意義だ。より効率的に、より確実に、人類を欺き、屠り、喰らう。そのための魔法。

 ネルべは唇を舐める。

 

「『わたしを愛している』と挟み込めれば、どんなに強い戦士や魔法使いでも屠殺場の豚同然に扱える。……。ええ、だって、愛する人が殺されてああなるのなら、自分から殺そうとはしない。剣を止める。そうでしょう?」

 

 ネルべは浮かせた二つの死体を、森のさらに奥、陽の届かない方へと運んでいく。道端に残された血溜まりには、魔法で削り取り土をかけ、何事もなかったかのように均した。

 

「愛を、研究しましょう。あの戦士が、自分の命さえ投げ出すほどに脳を冒した猛毒を」

 

 クスクスと声を漏らす。その顔には笑みが浮かんでいた。

 

「研究には何年かかるかしら? 10年? 100年? その果てに、わたしの魔法はどうなるのかしら。ふふっ、楽しみね」

 

 

 目には見えない誰かに向けて。

 

 

 

 ❅

 

 

 

 『私』の意識が目覚めた時、“それ”は森の中で子供の背を追いかけていた。

 

 私は“それ”の中から見ていた。VRゴーグルで動画を見ているように、視覚と聴覚だけが私に情報をくれる。

 視界が低い。手足が短くて、丸い。曲がりなりにも成人していた筈の自分の身体じゃない──子供の身体だ。これは夢、なのだろうか。

 

 不思議な状況だった。前を走る五歳くらいの子供が振り返る。その顔に恐怖が浮かんでいるのに、私は呑気だった。現実味がなくて、まるでホームビデオを鑑賞しているみたいに寛いでいた。

 

 やがて“それ”は子供に追いつくと、飛びかかり、押し倒し、悲鳴を上げる子供の喉笛に食らいついて──。

 

 ──血の味がした。

 

 吐き出そうとして、でも身体は動かない。

 夢なら醒めてと祈っても、視界にはどんどん鮮やかな『赤』が広がっていく。

 

 私は、何も出来なかった。

 子供が「お母さん、助けて」と、泣き叫び藻掻き苦しみながら訴えているのに、“それ”の中でただじっとしていた。

 

 身体が動かせないから?

 

 違う。怖かったからだ。私は、我が身可愛さに子供を見捨てた。

 何もしようとしなかった。中から声を上げれば意識を逸らすくらいは出来たかもしれない。出来たはずだ。でも、ドキュメンタリー映画で見た、狩りをする肉食獣のように子供に食らいつく“それ”が、その矛先を私に向けるのではないかと考えてしまった。

 

 ──どうやって? 私は“中”にいるというのに。子供を食らった“それ”の中に。

 

 子供は静かになり、“それ”は満足そうに新鮮で柔らかい肉を食らう。

 『狩り』は終わった。

 私は何もしなかった。

 

 ──私は卑怯で、人でなしだ。

 

 

 

 最初の『狩り』からそれなりに時間が経った。

 

 私という同居人の存在に“それ”は気付いていない。それはそうだ。私は一度も声を上げていない。意識の奥深く、暗い湖底のようなそこでじっと息を潜めて過ごしているだけ。

 

 こうしていれば、“それ”が何かしようとも私が感じることはない。私には、関係ない。

 

 ──でもあの血の味はまだ、消えてくれない。

 

 “それ”は殆ど野生動物の様な生活をしていた。虫や小動物などを食べ、洞窟や木の洞で眠る。おおよそ文明や社会といった代物とは縁遠い日々。

 混乱していた思考が落ち着いてきて、ここが異世界なんだと私が確信するのにそう時間はかからなかった。

 水を求めた“それ”が訪れた川の水面に映ったのが、頭に角が生えた暗い紫色の髪の美幼女だったから。それに、空を飛ぶ羽付きトカゲ──ドラゴンも見えた。ここは剣と魔法のファンタジー世界で間違い無い筈。

 ファンタジー世界で人外の幼女に憑依。現状を端的に表すと、十把一絡げのネット小説によくありそうな導入だ。その当事者になりたいとは、思っていなかったけども。

 

 私の前世は曖昧だ。何かで死んで、男だったか女だったのかも定かじゃない。ただ、サブカルに慣れ親しんだ社会人だったのは間違い無いだろう。

 

 “それ”は人外ではあるけどまだ幼かった。なのに大自然の中に実質一人きり。“それ”の親はどうしたのか、死んだのか、捨てたのか。“それ”は言葉を話さない。きっと文字も書けないだろう。子供を襲ったのも、野生児として生きてきてそういう価値観が無いからではないのか。

 

 急な雨で濡れ鼠になり木陰で寒さに震える“それ”。

 

 思うように獲物を捕らえられず飢えに苦しむ“それ”。

 

 私は“それ”に多少の憐れみを抱いていた。

 

 テレビの向こうから視聴者が、無責任な同情と憐憫を向けるのと同じように。

 

 “それ”が人殺しで、人を喰らう獣同然なのだと知っているのに。

 

 だけど。

 

 この世界に神様がいるのなら、それは随分と意地が悪いらしい。私に傍観者のままでいることを許してくれない。

 

 “それ”が次に襲ったのは人間だった。あの狩りの時のような子供ではなく、大人だ。しかも、弓を携えた狩人らしき壮年の男。

 無謀だった。

 “それ”がいくら人外だとしても子供と大人の体格差は大きく、飛び掛かった“それ”の爪が男の肩を浅く裂いたのに対して、“それ”がサッカーボールのように吹っ飛び転がるほどの蹴りを貰うことになった。

 

「──ッ!? ッ……ッ!!」

 

 奇襲は失敗。“それ”は腹部への強烈な一撃でえずき、吐瀉物を撒き散らして腐葉土の地面をのたうち回る。

 

「子供!? ……その角、魔族とかいう連中か」

 

 油断なく弓を構えながらの男の言葉に、私はありもしない心臓が跳ねたのを感じた。

 

 ──魔族。

 

 人を食う。角がある。人間に似た姿で、魔族と呼ばれる。その特徴に当てはまる存在が登場する作品がある事を私は知っている。

 

 認められない。認めたくない。だって、あの作品の“それ”は余りにも救いようが無くて、救われない存在だ。その中に私? ひどい話だった。

 

 男が弓を引き絞る。ギチギチと音が鳴る。鉄の鏃が鈍色の光を放っている。狙いは頭か、喉か。先に足かもしれない。機動力を奪ってから、腰に下げている鉈で確実にトドメを刺す為に。

 

 “それ”は殺されるだろう。人喰いの化け物が人間に仕留められる。王道の展開だ。正しい結末だ。

 

 なら、私は?

 

 私はずっと目をそらし続けていた。考えないようにしていた。諦観に浸り傍観者を気取る事で、現実を直視しないようにしていた。

 

 “それ”が死ぬ。その時、きっと『私』も一緒に死ぬ。

 

 死んで、どうなる?

 

 無だ。

 

 思い出した。

 死んで、その先にあるのは、何もない虚無だ。

 天国も地獄も無い。

 永遠に続く須臾をただ無為に漂うだけの存在に成り果てる。

 

 嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ。

 

 死ぬのは嫌だ。

 またあそこに戻るのは嫌だ。

 “それ”の巻き添えで死ぬなんて嫌だ。

 

 男は唇を固く引き結び、目を細め、呼吸を止めて狙いを定める。

 あの手を放せば矢が放たれる。

 

 そうなれば、私は。

 

『──言って』

 

 気付けば、私は“中”から声を上げていた。言葉ではない、“それ”の脳に直接、思念を叩きつけるような暴挙だった。

 

『「おかあさん」──言って! ──言えッ!』

 

 叫びだった。

 死にたくないという私の絶叫の代わりに出たのは、欺きの為の言葉。

 すると、突き動かされるように“それ”は震える声を発し始めた。

 

「……おか、あ、さん……」

 

 たどたどしい、無垢な子供の懇願にしか聞こえない声。

 

 最初、私は“それ”が発した声だと気付けなかった。

 それもそうだろう。“それ”は今まで言葉を発したことが無い。聞き馴染みが無いのだから。

 

「──ッ!!」

 

 男は息を呑んでその動きを止めた。

 よほど動揺が大きかったのか弓矢を下ろしてしまっている。

 

「言葉を……お前、もしかして……」

 

 男はきっと想像したのだろう。

 目の前にいるのは、母親を求める気の毒な子供なのだと。

 自分を襲ったのも事情があるのだと。

 化け物ではないと。

 そんな子供を自分は殺すのか? と。

 そうやって、男の狩人としての矜持と人としての情がせめぎ合っているのだろう。

 

 それは致命的な隙になる。

 

 ……私が考えていたのは、ただの足止めだ。

 男が躊躇ってくれれば、“それ”の身体能力と小さな体を活かして森の奥へと逃げ、隠れるのはそう難しくない。ひとまずそれでこの場を切り抜けられる、と。

 

 けれど“それ”は、『魔族』は、私とは違った。

 

 男が弓を下ろした瞬間、地面を蹴っていた。

 さっきまで痛みに震えていたはずの身体は、猫科動物のようにしなやかに手足を動かして跳ねるように駆け、男に肉薄する。

 

「しまっ──」

 

 魔力を纏わせた爪が、驚愕に目を見開いた男の喉を深々と斬り裂いた。

 鮮血が噴き出し、男は弓を取り落として、自身の喉を両手で押さえながらその場に崩れ落ちる。

 

「ガ、──ヒュ、ッ」

 

 男は自らの血溜まりの中でのたうち回った。しかし、その最期の躍動も、血溜まりの広がりに反比例して小さくなっていく。

 

「──ッ」

 

 言葉にならない、湿った音が最後に漏れ出て、それで男は静かになった。

 

 死んだ。

 

 光を失った瞳が“それ”を通して私を見ている。

 “それ”は指や手についた血肉を美味しそうに舐め取っていた。

 男を殺したのは“それ”の爪だ。

 けれど、その爪を届かせたのは、間違いなく私の言葉だった。

 

 ──また、血の味がする。

 

 あの子供の時と同じ……いや、ずっと濃くて、重い、罪の味。

 

 気持ち悪い。

 

 ああでも、最悪なのは『死ぬよりはマシ』と思ってしまう私自身だ。

 もしも、また似たような事があれば、私は“それ”に協力するだろう。私が生き延びる為に。

 

 自分の手を汚さず、ただ、見ているだけで。

 

 反吐が出る。

 

「……おかあさん?」

 

 “それ”は宙に視線を彷徨わせながら言った。

 

 あれはただ音を真似しているだけだ。その意味も何も理解していない。その意図しているところは分かる。分かってしまう。私は“それ”なのだから。

 

 私が声を上げ、“それ”は自分の内側にいる『私』という存在に気づいた。

 

 今、“それ”はその内側に向けて疑問を投げかけているのだと漠然と伝わってくる。

 

 お前は何だ、と。

 

 私はもう、死にたくない。

 

 たとえ、それが誰かの犠牲の上にしか成り立たないのだとしても。

 

『私は、』

 

 ──私はこの日、怪物(わたし)になった。

 

 

 

 ❅

 

 

 

「流石にこの量は食べ切れないわね」

 

 森の奥へと運んだ二人分の死体を前に『わたし』は困ったように言った。

 なら殺す必要なんて……と『私』は思うけども、人殺しは魔族の習性のようなものだと流石に学んだ。空腹かどうかは関係無い。何か事情や必要性があるのなら殺さない選択肢を取れるけど、それらが無ければ殺すのが当たり前。

 

 納得はできないが、理解はした。そういうものだと。

 

 今回に至っては、北側諸国の厳しい冬を超すための拠点として選んだ村、その環境を壊す要因になるのかもしれない存在だったから。殺さない、という選択肢は無かった。

 

「とりあえず、コレだけにしようかしら。あとは処分ね」

 

 わたしは女性の死体の前に屈み込むと、大きくなっているお腹を白魚のような指でツーと撫でながら、背筋がぞっとするような事を平然と口にした。

 コレ。つまりはそういう事だ。

 

『……ッ』

 

 身体があれば引きつった笑顔になっているであろう私の内心を、薄い笑みを浮かべるわたしは知らないだろう。

 わたしはその手に短剣を握ると服を開けさせ素肌にざく、と突き立てる。

 その手つきは丁寧で、『中』にあるモノを傷つけないよう慎重になっているらしい。

 

「コレかしら」

 

 切り開いた箇所から溢れる液体を気にもとめずにズブリと手を突っ込み、取り出したのは赤みがかった青紫色の物体。人としての輪郭もまだ定かでない新たな生命は、既にその輝きを失っていた。

 

「思ったよりも小さいわね……あーむっ」

 

 わたしはしげしげと眺めてから手の中のそれに齧り付いた。

 熟れた果実を食べるような気軽さで、そこに生命を頂く事に対する葛藤や躊躇、感慨や感謝なんてものは欠片も無い。魔族だから。

 

 ぐじゅり、と。

 

 静けさの中で、まだ柔らかな骨ごと血の滴る肉が噛み潰される音が響く。

 舌の中で『それ』をしばらく転がしてから、わたしは喉を波打たせた。

 

 ごきゅり。

 

 大きな嚥下音が響いて、わたしは口の端から滴る鮮血を親指で拭う。

 

「肉は柔らかいし骨も一緒に食べられるのはいいけど、水っぽくて薄味なのね」

 

 わたしは『期待外れだ』という落胆を滲ませながら言った。

 

 ──気持ち悪い。

 

 未だに血肉の味には慣れない。その事に安堵(落胆)する。まだ私は狂って(救われて)いないのだと。

 

 『わたし』は手の中の『それ』を食べ終えると、死体から剣などの装備を剥ぎ取る。

 

「魔物に襲われたらしいって説明するのに必要よね」

 

 そう言って残りを魔法で掘った穴に放り込んで火を放った。

 

「──『大体何でも燃やし尽くす魔法』。この魔法を手に入れられたのは運が良かったわね。『私』もそう思わない?」

 

 ごう、と火の勢いが増すのを見てわたしが言う。じゅうと鍋を火にかけたような音がした。この魔法のお陰で一時間もかからずに灰になる筈。

 しかし、声に出さずとも『私』とは意思疎通が取れるというのに態々口に出すのは昔の名残だろうか。

 

『そうですね。戦闘に直接利用できる魔法ではありませんが……』

 

 気持ち悪い、というのも精神的なものでしかなく、身体が無いのだから吐き気を催したり顔に出たりはしない。私は内心を取り繕った上辺だけの言葉で応じる。魔族と同じ様に。

 

『処理に要する時間がかなり短縮されたのは大きな利点でした』

「死体をそのまま埋めると野生動物に掘り返されてそこから発覚する可能性がある。そうよね」

『よく覚えてますね。流石です』

「ふふ、そうでしょう」

 

 それを教えたのはいつだったか。

 

 私がこの世界で、『わたし』の中で目覚めて十数年が経っている。その間に、わたしは魔法を使うようになり、『ネルべ』という名前を得て、より狡猾に人間を欺き、巧く殺し、食らうようになった。

 

 そういう風にしたのは私だ。

 

 昔のわたしは弱い魔族だった。魔法はとても実用性があると言える代物ではなかったし、力も強くない。戦士や僧侶、魔法使いとまともにやり合えばすぐ殺されてしまう程度の雑魚だった。

 

 けれど、生き延びてきた。私の言葉で。

 

 これは自惚れじゃない。

 

 幼い頃のわたしは狩人を殺せた経験からか、『飢え』を感じれば見境なく人間を襲っていた。

 そうなると時折、人間の中で強者と呼ばれるような存在と出くわし返り討ちに遭うことがあった。

 そういう時は、私の言葉を真似させて相手を動揺させその隙に逃げたり、殺した。同情を誘い見逃して貰った事もあった。

 成長してからも、よりわたしの危険が少なくなるような方法を考え、教えてきた。

 

 わたし()が死なないために、幾人もの命を奪った。

 最小限で済むようにしているけども、それはつまり私が選んでいるという事で──。

 

 

「──聞いてるの? 『私』、ねえったら」

 

 わたしからの呼び掛けにはっとする。

 夫婦を殺し、胎児まで……というのは私に結構な衝撃だったらしい。色々と思い出してしまう。

 

『……はい、なんでしょう』

「愛についての研究についてよ。まずはどうアプローチするのか、無計画で始める訳にはいかないでしょ」

 

 先ほど、男を殺した時に言っていた事か。

 わたしは素直な所もある。特に魔法に関することに対しては真摯で真面目だ。魔族の習性、なんだろう。アニメで血を操る魔族が『人生の大半を魔法に費やした』と言っていたのを覚えている。

 

 そう。アニメだ。

 

 葬送のフリーレンという作品がある。テレビで放送していたそれを見て、その美しい世界や心を打つストーリー、魅力的なキャラクター達に魅了され、引き込まれた作品だ。

 この世界は、その葬送のフリーレンの世界だ。

 確信したのは、言葉で人を欺き殺すというフリーレン世界独特の魔族の設定もそうだが、一番はアニメで出てきた『英雄の像』を放浪のさなかに見かけたからだ。エルフと顎髭の二人組の。ゴリラ云々の下りが強烈でハッキリ覚えていた。

 でも、勇者ヒンメル一行の像はどこにも無かった。今は原作よりも昔の時代らしい。魔王も健在だし。

 

 ──と、また思考が逸れた。どうにも調子が出ない。

 

『アプローチ、ですか。何かアイデアがあるのですか?』

「まずは行動パターンの割り出しと解析かしら。『それ』みたいな人間の(つがい)の。より記憶の精度を高めるためにね」

『なるほど……』

 

 わたしの使う『過去を挟み込む魔法(レーゼツァイヒェン)』は記憶に干渉する魔法だ。

 女性が突然「ハンカチを落とした」と言ったのは、あの時に魔法で『大事な物を落とした記憶』を挟み込んだから。それがハンカチだったのはあの人にとって特に大事な物だったからだろう。

 もっと複雑で具体的な過去を挟み込もうとすれば、相応の魔力に加えて、わたし自身の知識や記憶からその過去の情景を構築する必要がある。集落の住民に対してがそうだ。

 

 わたしは社会性を持たない魔族。当然、愛に関する知識なんて無い。

 

 最初は言っているように観察に費やすだろう。その間は人間への被害を減らせるかもしれない。でも、それも長続きはしない。ある程度学習を深めれば実験を始めるだろう。そして、用済みと判断すればあっさり殺す。

 

 どれだけの人間が殺されるか。

 

 私は思考を巡らせる。わたしの矛先を少しでもそらす為に。

 

 愛……恋愛……親愛……愛情……。

 

 ──そう。愛情だ。

 

 魔族にはきっと理解できない感情。解の出ない問。これにかかりきりになれば。

 

 それに、万が一理解できた時、もしかすると。

 

 試してみても、いいかもしれない。

 

『──懸念点が、一つ。記憶の精度向上だけでは不足かもしれません』

「へぇ? 聞かせてちょうだい」

 

 わたしは興味を示した。

 そうだ。乗ってこい。

 

『はい。愛情、というモノがあります。これは記憶ではない感情、気持ちの部分です。痛みなどの感覚とは異なる、『わたし』は感じた事の無いモノです。現状の過去を挟み込む魔法(レーゼツァイヒェン)では、再現が難しいかと』

「それはそうよ。だから記憶の精度を高めるんじゃないの?」

『危機的状況で、戦士が『愛している記憶』を想起しながら剣を振るうでしょうか。剣を止めるとしたら、それは『感情』なのでは。……おかあさん、という言葉で躊躇った人間を、沢山殺してきたでしょう、わたし達は』

 

 そう、沢山殺してきた。

 私が教えた言葉で。

 

「なるほど。機能不全を引き起こすほどの強い『感情』そのものを、わたしが理解して魔法に落とし込む、と言う訳」 

 

 わたしは人差し指を立てると頬にあてた。考え込むときの仕草だ。

 

『行動を学習するだけでは理解に足りないでしょう。わたし自身が体感する必要があります』

「体感、ね。でも、魔族のわたしがどうやって?」

 

 ──来た。

 

『いくつか方法はありますが、一番可能性が高いのは『時間の共有』でしょうか』

「時間を?」

『愛情にも種類があると聞きます。恋愛、友愛、親愛……長く使った道具に愛着を抱くとも。わたしでも、魔族でも、長い時間を共に過ごした相手ならば、何かしらの『愛』を抱くのではないでしょうか』

「……」

 

 私の言葉を訊いて、わたしはそれを丹念に咀嚼するように瞼を閉じた。

 音を立てて燃える火は、ついさっきまで人間だったモノを灰へと変え続けている。

 

 魔族が愛を知る。不可能だろう。葬送のフリーレンとはそういう作品ではない筈だ。

 人を欺き人を殺し、フリーレン達人類に討たれる舞台装置。それが魔族。

 

 人間を殺したくはない。けれど、それ以上に私は死にたくない。

 

 長い時間、魔族の時間感覚なら数十年だろうか。その果てに殺すのと、それまでに何十何百と殺すの。どちらがリスクが低いか。被害を減らせるか。明白だろう。

 

「まあいいわ。試してみましょう。時間なんて腐る程あるのだから」

 

 わたしは目を開くと言った。

 

 燃え尽きた灰と僅かな骨の溜まった穴には土をかけて埋めた。血の気配は何処にもないし、これで魔物などに掘り返される心配は無い。

 

「さて、と。戻りましょうか」

 

 わたしは集落に戻り、なんて事もないように村長に告げるのだ。息子たちを殺し孫を食らったその口で。

 

 異状なし。平和だったわ、と。

 

 

 

 ❅

 

 

 

 ──半年後

 

 

 

 白銀の髪をもつエルフの少女が一人、山道の岩陰に腰掛けていた。

 名をフリーレン。およそ六百年後の未来において勇者ヒンメルらと共に魔王を討ち倒す事になる魔法使いだ。

 彼女は左手に持った革製の水筒を傾け、喉をこくこくと鳴らしながら水を飲む。

 

「ぷはっ」

 

 口を離し、口角からわずかに垂れた水滴を手の甲で拭うとフリーレンは天を仰いだ。

 エメラルド色の瞳を細める。空は青く、陽光穏やかで、雲はまばら。北側諸国はすでに冬を越え春に入り、過ごしやすい天気になった。

 視線を下ろすと遠目に小さな村が見える。彼女の次の目的地だ。

 

「あと少しだね」

 

 フリーレンはそう言って立ち上がろうとして、ふらりと右にバランスを崩した。

 

「おっとと……」

 

 どうにか立て直し倒れることはなかったが、彼女は眉をひそめて自身の右半身を見下ろす。

 

「やっぱり、慣れないな……」

 

 苦々しげに呟くフリーレン。外套の隙間から覗く彼女の右腕は、黄金に輝いていた。

 肘は伸びたまま、腕の付け根辺りまでが冷ややかな光沢を放つ黄金に覆われてしまっていて、バランスを上手く取れずにぎこち無く、精彩の欠いた動きになってしまっている。

 

「はぁ……魔族の魔法はどれも人知を超えたものばかりだけど、あの魔族はとびきり出鱈目だった」

 

 つい先日。フリーレンはとある魔族に戦いを挑んだ。

 

 ──また敵か。争いは嫌いだというのに、無駄な事を。

 ──万物を黄金に変える魔法(ディーアゴルゼ)

 ──逃げたか……まあいい、追うのも面倒だ。

 

 だが、あらゆるものを黄金に変えるという埒外の魔法を前になす術無く敗北し、遁走。追撃されていれば黄金像の仲間入りしていただろうが、魔族の気まぐれで見逃され、生き延びた。

 だが、右腕は黄金に変えられ、日常生活にすら難儀する身体になってしまった。

 

「解呪しようにも、私の知っている解除魔法や、僧侶に見せた時の女神様の魔法はどれも効果無し。少し腰を据えて解析してみないとどうにもならなさそうなんだよね」

 

 片腕を封じられたフリーレンの戦闘能力はそれなりに低下してしまっている。大魔族や将軍相手では魔力制限で不意をつけても厳しい戦いになる可能性が高かった。

 故に彼女は、魔物や魔族による被害が比較的少ない中央諸国で万物を黄金に変える魔法(ディーアゴルゼ)の解析と解呪を試みる事にした。

 しかし、中央諸国までの道のりは長い。必要な物資を補給する為、彼女はこの先の集落を目指している。

 

 視線を山道の先に向けた。

 

 こぉーん、こぉーんと木々を切り出す音がする。立ち上る煙は炭焼小屋からだろうか。

 どこにでもある小さな村だ。……そう見えた。

 

 

 

 ❅

 

 

 

 村の入口に近付くと、見張りの男が一瞬こちらを値踏みするように見た。丸太みたいに太い手足の大柄な男だ。均一に体を鍛える戦士の肉体ではない、毎日重い斧を精一杯振るう木こりの体つきだ。この村には兵士はおらず、住民による自警団が活動しているようだった。

 

「エルフか、珍しいな。目的は?」

「旅をしててね。物資の補給だよ」

 

 男は顎をしゃくって通って良しとジェスチャーをした。フリーレンは「どうも」と答え外套の裾を翻して背の高い門をくぐる。

 

「──すごいね」

 

 一歩足を踏み入れた瞬間、フリーレンを包みこんだのは濃厚な『木の香り』だった。切り出されたばかりの木々が放つ清涼ながらも何処か刺々しい匂い。それが、村を囲う防柵の内側に溜まっている。

 村の雰囲気も、一般的な農村などとはだいぶ異なっていた。

 木組みの家々は縦に細長く鋭利な三角屋根が特徴的で、それが隙間無くみっしりと並んでいるのは限られた空間を最大限活用するためだろう。そして、あちこちから斧が木を叩く乾いた音がする。低い地鳴りのような振動は、水車で動く製材用のノコギリのものだ。

 昼下がりという事もあり人通りは少ない。職場なり家なりで昼食を摂っているのだろう。

 この集落全体が一つの工房のようだという印象をフリーレンは抱いた。

 

「さて、まずは宿を取って、買い出しに行こうかな」

 

 通りがかった村人を捕まえて場所を訊いてから、フリーレンは宿に向かった。

 この村は観光地ではないが、林業で栄えており仕入れに来た商人などが訪れる事がある。そういう需要向けにしっかりとした宿屋があるのはフリーレンにとって有り難かった。集落によっては宿屋が無く、空き家はまだいいが馬小屋で寝泊まりする事もこれまであったのだ。

 宿屋で受付を済ませ、やや狭いが清潔に保たれた部屋に案内される。ベッドに荷物を放り投げると、そのまま自分の身体も一緒に放り込んで眠りたい衝動をこらえながらフリーレンは外に出た。

 

「毎度ありー」

 

 商店では保存の効く堅パンや塩漬けの肉といった食料や新しい靴、魔法薬の材料などを購入した。魔道具や魔導書の類は置いてないようで、なら魔法店が無いかと尋ねるも、この村には魔法使いは一人しかおらず、そういった物を扱う店は無いらしい。

 フリーレンはしょぼーんとした顔で肩を落としながら商店を出る。まだ日が沈むまでは時間があるが、宿に戻ってゴロゴロ魔導書でも眺めようか、と足を踏み出そうとして、ふと思い立つ。

 

「そういえば、この村唯一の魔法使いは教会にいるんだっけ」

 

 普段は村の周囲を散歩がてら見回りをしているらしいが、そうでない時は教会で、親が仕事に出ている子供たちの面倒を見ているらしい。

 魔法使いなら魔道具や魔導書の一つや二つは持っているだろう。望み薄だが、それらを見せてくれるかもしれない。

 

「よし、行ってみよう」

 

 フリーレンは背筋を伸ばして足を踏み出し、教会の場所を知らない事に気付いて踵を返すのだった。

 

 

 

 フリーレンは、村の中央にある小さな教会を物陰から見ていた。

 視線の先には、信じがたい光景が広がっていた。

 

 花壇の縁に腰掛け、角にかかるライラック色の髪を風に靡かせながら、聖典を手に子どもたちへ読み聞かせをする少女の姿をした魔族。

 

「──天地創造の女神様は、種を蒔きました。正直者の言葉からは安らぎの花が咲き、欺く者の言葉からは鋭い茨が芽吹きます。嘘は自身を傷つける棘となり、欺瞞はその足を縛る根となるでしょう。女神様の蒔いた種を美しく咲かせる為に、日々を清く正しく生きなさい……って、聞いてないわね」

「お姉ちゃん話ながい〜!」

「ボール遊びしようよ」

「おやつー!!」

「はいはい。お勉強が終わったらね」

 

 子供たちは彼女の膝にすがりつき、隣に座って肩を寄せ、楽しげに笑っている。その光景はあまりにも平穏であり、牧歌的で、とても悍ましいものだった。

 

「……随分と、人の真似事が上手いみたいだ」

 

 フリーレンは微かに顔をしかめながら呟く。

 あの魔族は角を隠していない。現に、子供たちの中にはあの曲弓のような角に触れている者もいる。そんな魔族と子供たちの様子を見ている神父や村人達に警戒心はなく、微笑ましい光景だとばかりに顔を綻ばせていた。

 

(この村の話を聞いた時、魔族が居るだなんて情報はなかった。まさか、村ぐるみで隠蔽してるなんて)

 

 通りすがりの村人に話を聞いたが、その村人は「あの人はこの村の恩人なんだ」「魔族だけど人に危害を加えたことは無い。村を何十年も守ってくれてるし、子供たちも懐いてる、いい人だよ」「戦争の事は知ってるが、種族と個人はまた別だろう?」などと話していた。

 

 つまり、魔族と人類が敵対している事を知って尚、ここの住民はその魔族を受け入れ、守ろうとしているというわけだ。声真似に騙されて。*1

 

 ならば、そんな魔族が人間社会に溶け込んでいる理由は何か。

 

 当然のこと。より自由に、より効率的に人類を殺す為に他ならない。

 いい(魔族)などこの世に存在しない。魔族はおしなべて人類を欺き殺す猛獣であり、そういう生態の生き物だという事をフリーレンは良く知っている。

 

 故郷であるエルフの里を魔族の軍勢に滅ぼされ、大魔法使いフランメに拾われ魔族を欺き殺す術を身に着けてからの数百年で、数え切れない程の悲劇を見てきた。相互理解や人魔共存の可能性は『乏しい』のではなく『()()』だ。

 

(この村はもうダメだ)

 

 フリーレンは冷徹に見切りをつけた。一度魔族を受け入れてしまえば、ここにいる魔族を殺したとしても、住民たちは偽りの希望に縋って次の魔族を受け入れてしまうだろう。それは、痛んだ粒を抱えたブドウの房があっという間に腐り果てる様に似ている。

 

(面倒事は避けたいんだけど、参ったね。教会に近づいた段階で捕捉されてる。気が抜けてたかな)

 

 キィンと耳鳴りが響くような感覚。魔族の魔力探知だ。

 フリーレンは黄金と化した右腕に意識を向け内心で嘆息する。戦闘は避けられないだろう。

 

(本調子じゃないから気乗りしないけど。魔族の魔力は……そこそこか。まだ若い個体だね。これなら今の私でも殺せそうだ)

 

 フリーレンは自身の魔力制限を確かめた。放出されている魔力は本来の十分の一以下、人間の熟練した老魔法使い程度に抑えている。右腕が使えないというハンデはあるが、魔力制限を解放しての不意打ち──初撃で仕留めれば問題は無いだろう。

 

 懸念点は周囲の村人と子供たちだった。戦闘の余波で傷つくようなことがあれば、自分はお尋ね者になるかもしれない。人々に受け入れられているあの魔族を殺せばパニックが起きるだろうし、その後恨まれもする筈だ。フリーレンは人間社会の面倒くささに嘆息する。

 

(……まあ、いいか。被害は出さないよう気をつければいいし、どうせこの後は中央諸国で右腕の研究……終わる頃には覚えてる人間はみんな死んでるからね)

 

 長命種らしい尺度から判断を下したフリーレンは、杖を手に物陰から出た。

 

「──出て来てくれないのかと思ってたわ、旅の魔法使いさん?」

 

 魔族は聖典からゆっくり顔を上げると近寄ってくるフリーレンを見て言った。優しげな笑顔に見えるが、その暗灰色の瞳には何の感情も浮かんでいない。爬虫類のように冷たい目だ。

 

「エルフだなんて珍しいわね。初めて見たわよ」

「そう。……随分と語る(騙る)のが上手いね。流石は魔族だ」

「あら、ありがとう。沢山勉強(・・)したもの、そう言って貰えると嬉しいものね」

 

 その言葉の応酬に子供たちが不安そうな表情をする。意味は分からずとも、その裏の不穏な気配を察したのだ。

 

「お姉ちゃん……?」

「ああ、不安にさせちゃったかしら。ごめんなさい」

 

 魔族は子供の頭を撫でて宥める。毒気を抜かれるような光景を前にしても、フリーレンは気を緩めることなく杖を手に攻撃魔法を使うタイミングを窺っていた。

 

「ねえ魔法使いさん、その腕はどうしたの?」

 

 横目でフリーレンを見た魔族が言う。風で靡いた外套の隙間から黄金になった右腕が見えたのだろう。

 

「別に。前に少しヘマをしただけだよ」

「そう? でも、()()()()()()()そうだと大変じゃない?」

「──? 何を言って」

 

 突如、フリーレンは()()()()()。自分の左腕は過去に魔物に食われて失った事を。

 

「っ……あ……!?」

 

 フリーレンの左腕に激しい痛みが走った。右手で押さえようとするが黄金と化している故に動かせず、杖が手から離れ地面を転がる。彼女はよろめき、片膝をついてしまう。

 

(──左腕は確かにあるのに、記憶では()()()()()()()……この魔族の精神魔法か)

 

 さっきまで杖を握っていたのは左手だ。視界にも確かに左腕が入っている。なのに、魔物に食われた瞬間の凄惨な記憶が脳裏に焼きついている。あるはずのない痛み、『幻肢痛』というモノだろう。

 経験したことのない痛みの奔流に、フリーレンの意識は混濁する。魔法を使おうにも集中できず魔力が纏まらない。

 

「こ、この人、痛がってるけど大丈夫?」

「そうね、中に運びましょうか。……。ええ、分かったわ」

「お姉ちゃん?」

「ううん。なんでも。ほら、魔法使いさん、今はゆっくり休みなさいな」

「──化けもッ」

 

 魔族が手をかざす。

 

 ──バチン。

 

 フリーレンの意識はぶつりと途絶えた。

 

 

 

 ❅

 

 

 

 『私』達がこの村を拠点としてから半年程度が経った。

 無事に冬を越し、例年なら痕跡を消してこの村から立ち去るところだが、今は『わたし』の言う()()()()の為に留まっている。

 

 長い時間を共に過ごす相手は未だ見つかっていない。

 

 わたしは適当な人間に過去を挟み込んで同棲しようとしたが、なるべく時間をかけたい私は普通に生活を続けたうえでアプローチしてきた相手を選ぶほうが後々破綻するリスクが下がる、と説得した。わたしはそれに納得し、相手がいない間は村唯一の教会で子供達の面倒を見ると言い出した。

 わたしは集落の奥様方の井戸端会議にしれっと参加したり、新婚夫婦の家にこっそり聞き耳を立てたり、物語を読んだり、魔法のために熱心に色々やっていた。その中で、子供が『愛おしく』『愛すべき』存在と知り、その世話をすれば愛を体感できるのではと考えたらしい。

 

 子供に手出ししないか不安だったが、わたしは上手くやっていた。まるでそういう能力でもあるのかと思う位に人々から信頼されている。村を守った英雄だという過去を挟み込んでいるとしても、そこに感情は伴っていないから、彼らに好感を抱かせる振る舞いを意識的にせよ無意識にせよしているらしい。

 

「ネルべお姉ちゃん!」

「そんなに走ると転ぶわよ」

「あっ──うっ、……びえぇぇぇえん!!!!」

「だから言ったじゃない」

 

 人間の真似事を上手くこなしているわたし。これなら暫く平穏が続きそうだ。

 

 そう安堵したのもつかの間。

 

 珍しく村に魔法使いがやってきたと思ったら、()()()だった。

 

 物陰から現れた彼女をわたしの視界を通して見た時『私』の思考はフリーズした。赤い宝玉が特徴的な杖を持つ銀髪のエルフの少女なんて、私は一人しか知らない。

 

 ──葬送のフリーレン。

 

 

 

 教会の一室、簡素なベッドに横たわり寝息を立てているのは、後の世で魔王を倒す事になる魔法使い。

 服装はアニメで見た白と金の衣装ではなく、外套に膝上丈のチュニックなど古代の旅人という印象の格好。今は原作からだいぶ昔のようだ。

 その右腕は燭台の光に照らされ鈍い黄金の輝きを放っている。

 『わたし』の解析によると、その黄金に魔力の痕跡は無いが呪いの産物だろうとの事だった。その時に視たフリーレンの記憶にある下手人は、()()()という男の魔族らしい。

 ()()()()()()だ。私はアニメしか見ていないから、原作でそういう過去があったと描かれたのかもしれない。今となっては知る由も無いことだけど。

 

「上手くいって良かったわ。このエルフ──フリーレンというのね。彼女、わたしより圧倒的に格上よ」

 

 わたしはフリーレンを見つめながら言う。

 解析ついでに体内の魔力を調べたんだろう。恐ろしいことに、意識を失っていてもフリーレンの魔力制限はまったく揺るがないが、直接肌に触れて調べられてしまうと魔族相手では流石に誤魔化せない。幸いなのは、わたしは魔王軍や他の魔族との繋がりが皆無な事だ。フリーレンの魔力制限という、未来で魔王を殺せる情報を伝える相手がいないのだから。

 

「でも、魔力をあえて隠すだなんて魔法使いとしてどうなの? 有効なのは確かなのだろうけど、プライドって無いのかしら」

『それだけ、魔族を恨んでいるんでしょう』

「ふぅん? よく分からないわね」

 

 有効だから使うのに、プライドに拘る辺り魔族らしい考えだ。

 今回は今までで一番の命の危機だった。フリーレンが子供を気にせず先手を打って攻撃してきたり、精神防御に阻まれ魔法が失敗していれば私達は死んでいただろう。

 

 わたしの過去を挟み込む魔法(レーゼツァイヒェン)は記憶に干渉する。その応用の一つで、体の部位を失ったという凄惨な記憶を挟み込み、呼び水として痛みの感覚も送る*2事で強烈な幻肢痛を発生させる、という使い方がある。今回、フリーレンに使ったのはそれだ。

 即効性があり効果は高いが、痛みに強い熟練の戦士とかだと気合で無視して動いたりするし、矛盾を認識された時点から効果が薄まるなど弱点もある。

 

 とはいえ、まさか主人公に通用するとは思っていなかったけど。魔族の魔法が人知を超えているというのは確からしい。

 

「──さてと、フリーレンを相手に実験するなら過去が邪魔ね。憎悪が強すぎる」

 

 わたしはフリーレンの額に手を当てた。

 魔力が練り上げられる。接触でもしていない限り感知できない程に精密なそれは、魔法を発動する予兆だ。

 

 フリーレンが現れた時、私の混乱する思考は『死にたくない』一色だった。だから、わたしが魔法を使うのも制止しなかった。

 けれど、私は死にたくないが、何も言わずにここでフリーレンを殺してしまっては原作が滅茶苦茶になるのは明らかで、それは一人のファンとして、元人間として看過できなかった。

 

 ──そうね、中に運びましょうか。

 ──エルフは研究に利用できる。殺さないで。

 ──ええ、分かったわ。

 

 そして、咄嗟に考えついたのが『長い時を生きるエルフなら、共に生きる相手として最適なはず』という理由だった。

 

「……へえ、故郷を魔族に滅ぼされたの。それに沢山魔族を見て殺してきたみたい。だから子供と遊ぶわたしを見てもあれだけの殺意を抱いていたのね」

 

 わたしが視たフリーレンの記憶は私も視る事が出来た。凄惨な過去だ。魔族によって平穏がいきなり崩れ去り、ついさっきまで話していた家族同然のエルフたちが次々と殺されていく阿鼻叫喚の中で、孤軍奮闘するフリーレン。けれど結局生き残ったのは彼女だけ。

 その後フランメに拾われ、師事し、彼女が死んでからは大陸各地を旅して魔族を魔力で欺き殺す日々。

 そんな中、マハトという大魔族に敗北し遁走、立ち寄った村ではわたしに気絶させられる。

 

 このままでは、目覚めたフリーレンとは殺し合いになるだろう。そうなれば私達は死ぬ。

 

「……あまり戻しすぎると人格に問題が出そうね。なら、こうしようかしら──過去を挟み込む魔法(レーゼツァイヒェン)

 

 そして、わたしはその過去を封じた。

 

 

 

 ❅

 

 

 

「──エルフのお姉ちゃん、記憶喪失なの?」

「うん。故郷で暮らしてた事は覚えてるんだけど、寝て起きたら全然知らない別の場所にいるし、いつの間にか右腕もこんなだし。だから、旅をしてたんだ。記憶の手掛かりを探して」

「大変そう」

「まあ、そうだね」

 

 ベッドの上で上体を起こしたフリーレンは子供の言葉に淡々と返す。

 

 ()()()()()()()()()

 

 過去を挟み込む魔法(レーゼツァイヒェン)によって、フリーレンは『エルフの集落襲撃からネルべに気絶させられるまでを記憶喪失になった』という過去を挟み込まれた。

 

 それは記憶を消去したのではなく、記憶の詰まった引き出しの存在を忘れているような状態だ。

 手掛かりを探して旅をしていた、というのは、忘れさせられた記憶と残った記憶や直前の状況との整合性を取るために、時間を掛けじっくりと魔法で辻褄を合わせた結果だ。

 

「おねえちゃ、ネルベお姉ちゃんとはもう会ったの?」

「うん。魔族だから警戒したけど、ああいう人も居るんだね。エルフの里だと、人類の敵だって話や角があるだとかそんな事しか聞かなかったから」

 

 フリーレンの記憶と精神は、エルフの里で平和を謳歌していた時代に回帰していた。憎悪も復讐心も、フランメから得た魔法や魔族に対する知識も思い出せない。*3

 

「お父さん言ってたよ。しゅぞく? とはせんそーしてるけど、こじん? は別だって。言葉があるんだから、おはなしすれば分かり合えるんだって」

 

 魔族は人類の天敵だが、言葉がある。なら、互いに理解して通じ合う事が出来る筈だ。フリーレンは子供の言葉に頷く。

 

「そう、だね。……その通りだ」

 

 けれど、胸に妙な疼きが走る。何かが軋み、悲鳴を上げている。

 

 その理由は分からない。まだ目覚めたばかりで本調子じゃないんだろうとフリーレンは結論付ける。

 

 すると、コンコンと扉がノックされた。

 

「開いてるよ」

「入るわよ」

 

 部屋に入ってきたのは魔族の少女、ネルべだった。その手には木桶と手拭いを持っている。歩くたびにちゃぷりと音がするので水が張ってあるようだ。

 

「お姉ちゃん!」

「ここにいたの。もう掃除の時間よ」

「あっ、あたしもう行かないと! じゃあね!」

 

 子供はぴゅーっと部屋を出ていってしまう。

 

「慌ただしいわね」

「そうだね」

「体調はどう?」

「まあまあ、かな。右腕がコレだから」

 

 フリーレンは左手で支えるようにして右腕を掛け布団の上に出した。窓から差し込む光を反射してギラギラと輝く黄金。

 

「眩しい」

 

 目を細めて布団に引っ込めるフリーレン。

 ネルべはベッド脇の椅子に腰掛け、サイドテーブルに手に持っていた荷物を置くと、フリーレンの瞳をじっと見つめて口を開いた。

 

「これからどうするつもり?」

「急だね……まあ、ここを出て、これまで通りエルフの里を探すよ。記憶や腕は戻ってから研究すればいいし」

「気の長い話ね」

「エルフだから。時間は幾らでもあるよ」

「そう。……なら、まずはここで腕を治してからにしない?」

 

 その申し出にフリーレンは目を丸くする。

 

「いいの? 助かるけど」

「ええ。貴女は強い魔法使いみたいだけど、その分強い魔族を引き寄せてしまう。その身体だと厳しいでしょ」

「多分ね。記憶よりも魔力操作が上手くなってるし魔力も増えてはいるけど」

 

 そこで、フリーレンは微かに目を細めた。

 

「でも、どうしてそこまで良くしてくれるの?」

「わたしに目的があるからよ」

 

 ネルべの答えに「目的?」とフリーレンは首を傾げる。

 

「ええ。わたしは研究をしているの。長い時間を共に過ごした相手ならば、魔族でも()を抱けないか、というね」

「愛……? その言い方だと、魔族には愛という概念がないの?」

「魔族は社会性を持たない生物だわ。生まれた時から孤独で、親や兄弟なんて繋がりは無い。他の魔族と徒党を組む事もあるけれど、それは戦いの為のもの。親愛、友愛、恋愛、愛着……わたし達には分からない」

「……」

「だから、この村にお邪魔しているのだけど、やっぱり人間と魔族だと生きる時間が違うのよね。どうしようかと思っていた所で、貴女が来た」

 

 ネルべは淡々と話す。事実、そして嘘を織り交ぜながら。

 

「ふぅん……まあ、理解ったよ。私が丁度いい存在だって事が」

「気分を害してしまったかしら」

「? 別に」

「そう。人間とは違うのね」

「エルフだからね」

「で、どうかしら。ああ、断られたからすぐ追い出すなんて事はしないわ」

 

 その時は、()()()()()()()()()という過去を挟み込むだけだから。

 淡々と次の策を巡らせているネルベに悪意は無い。ただ、研究のためという冷徹な思考に基づいている。

 フリーレンは顎に手を当てて少し考え込むと、こくりと頷いた。

 

「いいよ。魔族がどれくらい生きるのか知らないけど、エルフと比べればどうせ大した時間じゃないし……あ、エルフって恋愛感情とか薄いから、そういうのは無理だよ」

「魔族も似たようなものよ。そうね……お友達から始めましょう」

 

 ネルべは微かに口角を持ち上げると、木桶の水で湿らせた手拭いを手に近寄ってくる。

 

「友達からって……って、自分でやるよ?」

「左手だけじゃ届かないでしょ? 半分は任せなさいな」

「…………なら、お願い」

 

 フリーレンが見覚えのない寝間着をはだけさせると、冷たい感触が肌を通して伝わってきた。

 ぞわっと鳥肌が立つ。

 

「──うひっ」

「逃げないの」

「ちょ、待って、お願い」

 

 エルフと魔族。人類とその天敵。

 

「せめて温めさせてよお」

 

 

 

 これは、分かりきった結末(おわり)を迎える物語。

 

 

 

 

 

 

 

*1
ネルべの魔法は高度な呪いであり、マハトの魔法同様に魔力が検出されないのでフリーレンは気付いてない。

*2
ネルべ自身が感じたことのある感覚は挟み込める。

*3
※独自設定:里で暮らしていたエルフ達はフリーレンを含めて、魔族が人類と争う敵対種族だと知っていても、対話の余地の無い人食いの化物という実感は薄かったとしてます。小説版の描写的に、バザルトの襲撃まで外敵がいなくて平和だったらしいし、経験豊富なゼーリエとの交流も無さそうだし。




たすてけ勇者一行(ry やデイカスをご存じの方はお久しぶりです。丹羽にわかです
このたび『フリーレンにコロコロされる魔族オリ主杯』という企画を開催しており、今作はそれの参加作品となります
アニメフリーレン2期を祝すと共に、二次創作の更なる発展と原作の更新を祈願して

また、どうか他参加者方の作品も読みに行って下さると嬉しいです
短編一話だけでもいいからこの1週間で投稿してくれてもいいわよ!!!!

感想ここすきお気に入り評価読了報告クレメンス

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#フリーレンにコロコロされる魔族オリ主杯


過去を挟み込む魔法(レーゼツァイヒェン):ドイツ語で栞。オマージュ元の月島さんとはだいぶ別物です。あっちは改変した過去が現実に変化を起こしますが、こっちは記憶と体感など、ハンカチ然り自分の介在しない過去も挟み込めたり。発動条件も、斬り付ける必要とかは特に無く、だいぶ無法な精神魔法。でも気合の入った戦士なら無視してぶった斬れるから無敵ではない
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