ツーポイントファイブ   作:畑渚

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2人だけのプレリュード

 次の日、詩織は「失礼しました」と礼をして職員室をあとにする。入るときまで握られていたプリントは、もうそこにはなかった。

 

 駆けるように階段を登る。目的地は言わずもがな、響のいるであろう部室だ。

 

 音楽室の方向から、楽器たちの音が鳴り響いてくる。吹奏楽部が練習を始めたのだろう。たまに抜けたような音が聞こえるのは、学生らしさだと感じた。

 

 そしてその音たちに混じって、常人では気づけないようなノイズ。

 

 天性の音感を持つ詩織だからこそ気づけるその音こそ、軽音楽部から漏れ出た小さな音だった。

 

「なんて声をかけよう」

 

 音が近づいてくるにつれて、詩織の足取りは重くなっていく。

 重くなるにつれて、次第に脳内をごちゃごちゃとした考えが埋め尽くし始める。

 

 そもそも彼は私のことをどう思っているのだろう。

 

 そんな考えまで頭をよぎる。

 詩織は響に直接、彼の音楽が好きだと言えたことはない。彼が会話を避けているのもあるが、詩織が素直になれないという問題のほうが大きかった。

 

「はぁ、考えてても仕方がないか」

 

 階段を登りきり、軽音楽部の方へと足を向ける。

 

 しかし、その足はピタリと止まった。

 

 音が聞こえる。弦をはじく、たよりない音だ。慣れない楽器で慣れない音楽を弾こうとして、その難しさに四苦八苦している。

 そのせいで、彼本来の音楽が音を立てて崩れていく。

 

「……っ!」

 

 詩織は踵を返す。向かうは、対岸の音楽室だ。

 

 

♪♫♪

 

 

「くそ、難しいなやっぱ」

 

 響は部室のなかで、そう呟いた。

 

 常に脳内には、先日聞いたあの曲があった。しかし、あのとき彼の耳を震わせていたのはヴァイオリンの音色であり、ギターの音ではない。

 

 ではなぜ彼はヴァイオリンを弾かないのか。

 

 答えは「家から持ってくると親にバレる」からであった。

 

「響、部活に入ったんですって?」

 

「最近流行りのAI研究会っていうのがあって、アルゴリズムの最適化や活用法の研究を……」

 

「意外ね。そんなことに興味があったなんて思っても見なかったわ」

 

 これは昨夜の母親との会話である。

 

 そう、響は部活を偽っていた。

 軽音楽部という、敷かれたレールを踏み越えたその先の存在を、クラシック音楽を正道とする母親に露見することを恐れたのだった。

 

 彼に与えられたのは放課後の2.5時間という短い時間と、半ば捨てられるように放置されていたエレキギターくらいだった。

 

 だから彼には、それは青天の霹靂だった。

 

 ガラガラガラ

 

 音を立てて開け放たれた教室の扉。

 

「な、詩織。どうしてここに?」

 

「どうしても何もないでしょ!」

 

 ぐいっと渡されるケース。その大きさと形状から、中に何が入っているのか響にはすぐに分かった。

 

「なにしょぼくれた音弾いてるの?あんたにはこっちがお似合いよ!」

 

「ヴァイオリン……いったいどこから」

 

「昨日体験入部したときに音楽室の隅で見つけたのよ。先生の私物みたいだったから借りてきたわ」

 

「それより、何の用だ?ここは軽音楽部の部室だぞ」

 

「し、知ってるわよ!」

 

「知ってるってつまり……詩織おまえ……」

 

「……そうよ」

 

 

 

 

 

「軽音楽部を潰しに来たのか?」

 

「どうしてそうなるのよ!」

 

 思わず勢いよく突っ込んでしまう。

 

「だってお前、いつもクラシックの王道ばっか弾いてるじゃないか!軽音楽なんて邪道だと言うものだとばかり……」

 

「それは響もでしょ!?というかコンクールの課題曲なんてそんなものじゃない!」

 

 詩織は勢いに任せて言葉をまくし立てる。

 実はいつも聞いてくれていたという事実にちょっぴり心が飛び跳ねたのだが、それをなんとか奥底に押し込んだ。

 

「私も入ったのよ、軽音楽部に!」

 

「よく親御さんが許したな」

 

「許したも何も、母さんは部活まで口出ししてくるような人じゃないわよ」 

 

「そういうものなのか……」

 

「で、どうするのよ。弾くの?」

 

 響は受け取ったケースを眺める。

 

「ま、まあ。やってみないでもない」

 

 そう言って、響はケースを机のうえに置いた。

 

 

♪♫♪

 

 

「案外きれいだな」

 

 ケースの状態は、お世辞にもいいとは言えなかった。しかしケースとは裏腹に中身は、古めかしい木の香りがするものの状態は悪くない。むしろよく手入れがされている印象だった。

 

 手際よく肩当てを組み立て、弓を張り、松脂を塗る。響には手慣れたルーチンワークであったが、詩織にはそれが一流の職人の手さばきのように見えた。

 

「よし」

 

 A線の開放弦。つまりは「ラ」の音が教室に満ちる。

 

 次にクラシックの名曲、穏やかな曲を試し弾きする。伸びのある緩やかな音が、放課後の校舎に響く。

 

「ちょっと弦が伸びてるな。でも許容範囲だ。これなら」

 

「ちょっと待ちなさいよ」

 

 そこには、いつの間にかキーボードをセッティングし終えた詩織がいた。

 

「私も入れなさい。大切な部員の一人なんでしょ」

 

「ははっ。わかったよ」

 

 曲はヴァイオリンのソロから始まる。

 存在感を強調するかのような低音の連なり。木が共鳴し、振動となって襲いかかってくる。

 

 響には、残念ながら音楽の分野において「協調性」というものは存在しなかった。ソリストの彼にとっては、自分以外の演奏は全て、自分を引き立たせるスパイスでしかない。

 

 しばしの休符。

 そして静かなピアノの伴奏。

 

「……」

 

 ちらりと詩織に目をやる響。その顔はどこか不安げだ。

 

 唯一無二な詩織の奏でる旋律は、完璧なクラシック音楽だった。

 

 しかし直後、転調とともに詩織の指が激しく鍵盤の上で踊り始める。

 先ほどまでの不安をかき消すかのように、力強いリズム。強く弾きすぎて、鍵盤をたたく音がパーカッションのようにさえ聞こえてくる。

 

「……何よ」

 

「いや、何でもない」

 

 響はただただ、驚愕していた。まさか詩織がこのような曲を弾けるとは思っていなかったからだ。

 

「ならばこっちも……!」

 

 弓を弦の上へとのせ、素早く駆け巡らせる。

 

 攻撃的な音が、胴体を震わせ空気を唸らす。

 

「っ……!」

 

 詩織は、自分が濁流の中にいるのではと錯覚した。それほどまでにアグレッシブな響の旋律が、ピアノの音を呑み込もうとしていた。

 

「させない!」

 

 詩織は今までにないくらいに集中し、次の音を見極め続ける。

 彼の弾き方を、音を、音楽を知っているからできる芸当であった。

 

 やっと隣に立てたのだ。この位置を手放してなるものですか!

 

 ただひたすらにその執念だけで、彼女はその才覚をひときわ進化させようとしていた。

 

 

 

 

「マジか」

 

 今まで、自分が音楽の中心にいた。自分が押せば、共演者はいつも引き下がる奴ばかりだった。

 

 しかし今の詩織は違った。

 

 あの手この手で攻め方を変えても、そのすべてに喰らいつき離そうとしない。

 

「ならば」

 

 曲調を変える。原曲にはない旋律、テクニック。それぞれを駆使して新たな音楽へと昇華させる。

 

 これでもついてくるのか……!

 

 もはや原曲ではなくなったそれに、詩織は執拗に喰らいつく。

 

 あんたの音楽は、私が一番わかってるんだから!

 

 曲は次第に早まっていく。まるでかけっこのようだ。追い越しては抜かれて、また追い越し返す。

 

 どちらが主旋律かなんてない。どちらも主旋律だ。

 

ダンッ

 

 高みの頂点で、曲は終演を迎える。

 

 二人は言葉を交わすこともなくお互いを見つめ合った。そしてどちらが先とも言わずーー

 

 

 

 

 

 パチパチパチパチ

 

 乾いた拍手によって無言の会話が遮られた。

 

「せ、生徒会長!」

 

「途中からでしたが聞いてました。私は音楽に造詣はありませんが、素晴らしいと率直に思いましたよ」

 

「あ、ありがとうございます。それで、どうしてここに?」

 

「いえ、書類を渡しておこうと思ってですね」

 

 響は一枚のプリントを渡される。

 

「そこに、部活動として満たさなければならない項目を並べておきました。参考にしてください」

 

「あ、ありがとうございます」 

 

 書類に目をやると、さまざまな規則が並んでいる。そしてその一番上、最低条件として記載されてるのは、活動人数3人以上という制限だった。

 

「その条件を変えることは生徒会の私にも不可能です。ですが、最低条件さえ満たしていれば、私の方でどうとでもできます」

 

「どうして」

 

「はい?」

 

「どうしてここまで親切にしてくれるんですか?こんな場末の部活に」

 

「はは、なるほどそういうことですか」

 

 生徒会長はくるりと背を向け、その本意が見えないようにした。

 

「私は全生徒の味方ですから」

 

「……っ、ありがとうございます!」

 

「それでは。よい報告を期待してます」

 

 そのまま去っていく生徒会長に、響はしばらく頭が上がらなかった。

 

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