みんなも挿絵をタップして急に視界が開けた青井さん体験をしよう!
(0/3)
私こと青井は不良品である。そうとしか表現のしようがない。
一番の理由は、コミュニケーションの不全。声を出すのが本当に苦手なのだ。
発声。それは、人間が最大の霊長たる理由だ。逆に、これ無くして人は人として認められず、あらゆる社会の一員として許容されない。
そういうわけで、いじめられているわけでもないのに、学校に友達がいない。サイゼのバイトでは「いらっしゃいませ」が喉に詰まって言えず、三日でクビになった。
この欠点を打ち消すような才能もない。読書量と編み物には一定の自信があるが、経済活動としてみればAIとミシンに任せておけばよい。
両親だけは青井を愛してくれている。それでいて、青井が立派に社会に巣立っていくことを夢見ている。
――無理だよ。
死亡遊戯。デスゲーム。
そういうものの存在を知った時、奇妙な納得感があった。ゴミ袋は部屋に置いておかれるより、収集場に持っていかれるべきだからだ。青井という不良品の歯車も、いつか処分されなければならない。
予想通りというべきか、青井はそのゲームで一度死んだ。
記憶は断片的だ。
がこん、と天井が開く。
そこから、鎖に吊るされた丸鋸が降りてくる。
痛み。悲鳴。諦念。努力。絶望。
天井から降りてくるのは永遠にも一瞬にも感じた。
止める手段はなかった。金子という女の子に奪われた。
無数の小さな刃はまず腕を断ち切り、肩に食い込み、
「ああ※※※ああああ※※※※※※※!!!!!ああ※※※※あ※あ※※ああああ※※※ああああああ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
頭蓋を一瞬で何百回もノックし、絶叫を脳内からかき消し、視界を赤と白のノイズで埋め尽くして――。
意識が途切れた。
(1/3)
己の話す声で、青井は覚醒した。
「青井で……………あああああああ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※っ!?」
ばん、と目の前のテーブルを叩く。
心臓が早鐘を打っていた。脂汗が背中を伝った。
己の頭を触る。全く無事だった。唯一の自慢、そこそこ整った顔にも傷一つなかった。指も動いた。足もあった。
……生きている?
視界が焦点を結ぶ。
そこは食堂だった。ゲームの序盤に訪れた場所。
天井からは巨大なシャンデリアが吊り下げられ、壁には鹿の剥製や古びた肖像画。
今は、自己紹介が丁度終わったタイミングのようだった。
腰掛けた5人の娘さんから、驚愕、困惑、様々な表情で見つめられていた。
顔がぱああっと熱くなる。
ばつが悪くなり、青井は手元に視線を落とした。
目の前には、豪奢な装飾が施された長いテーブル。
皿は色とりどりのマカロンが置かれたものが、一つだけ。
やっぱり。既視感がある。
丸鋸にミンチにされる数十分前、青井たちはここに集められ、そして……どうなったのだったか。
結末はたしか、腕を切断された。丸鋸を見上げて、顔に熱いものが走った。蹲って、それ以上何も来ないことを祈った。
けれど、服が皮膚が骨が内臓にあつあつのばちばちが侵入して、血を吐いて、それが何故か白くて……
「大丈夫ですかな?」
赤いエクステが頬にかかった。
「顔色が尋常じゃないようですが……」
「こっ」
横から声がかかった。直後だった。
こっ、という空気音と共に青井の口から胃液が放出された。
真っ白なテーブルクロスが汚れ、青井はあわててそれを拭う。
やってしまった、と思いながら視線を向けると、黒髪、すこし年上の娘さんは飛び退いたあとこちらを眺めていた。態度や振る舞いに自信があり、青井とは人種が違う。
少し迷って曖昧に笑うと、彼女は不審そうに目を逸らした。
彼女のことは知っている。名前は確か、黒糖さん、だっけ?自信がない。人の名前を覚えるのが苦手だ。
……生きている? 彼女は矢に頭を貫かれて……時間が戻った?なら……
「死に戻り?」
ボソリと呟いた声は誰もに聞こえなかった、と思う。
これが死に戻りだとすれば黒糖さんはむしろ生き返っていて当然か。
こういうの…死に戻りって最初から、あるいは死の直前からでは?
「顔が赤いですね。風邪だからといって中止してもらえるとは思えませんけど」
横から、高い声がした。
触れれば折れてしまいそうな細い腕。金髪の少女、金子。
この子が、鍵束を奪ったから、青井は――罠の解除が間に合わず――
「あああ※※※※※※っ!?」
「ひゃっ!?」
手を振り乱し、椅子から崩れ落ちた。
前回の最後に味わった痛みを思い出す。
青井は言葉にならない感情を込めて金子を睨んだ。やむを得ぬことだったと理解はしていた。だからといって、彼女は青井の死の引き金を引いた。これはどうしようもなく事実だ。
「……なんなんですか。」
心配をしたはずが、睨まれた金子がショックを受けるのは当然の反応だった。けれど、青井としても感情の整理がつくはずがなかった。
「はいそこ。あまり喧嘩しないでください。」
咎めるような声がして、周囲を見渡した。
唯一の経験者、幽鬼さんだ。
彼女以外からも視線が飛んできていたが、その幾分かは非難のニュアンスが混ざっていた。
「……っ」
青井は席を立ち、食堂の端にある椅子の上に丸まった。
青井のことはお気になさらず、という意思を込めて視線をやると、5人はこのゲームについて考察を始めた。
テーブルには件の幽鬼、金子、黒糖のほかに二人少女が残っている。
背の高いイケメン、紅野さん。全く失礼な表現だけど……いやらしい体つきの桃乃さん。
全員、五体満足だ。傷一つない。
現状を整理しよう。
さっきまで見ていたのは夢……?じゃない、はずだ。
デスゲームとかいう極限状態に放り込まれ、リアルな夢を見た。そういう可能性もある。
でも、記憶にある感触はリアルすぎた。
そして何より、青井の脳裏にこびりついている死の、痛み。
有名な言説だが、人は自らが体験したことしか想像できないそうだ。そして、青井は注射針以上の痛みを味わったことがなかった。
あれは夢じゃない。実際に起きたこと。
そして、青井が行っているのは死に戻りだ。
そうこうしている間にも、青井を除いてだが……1周目の通りに娘さんたちはゲームの分析、探索を進め、食堂へ戻ってきた。テーブルの中央に置かれたマカロンをつついている。
……それ自体は至極平和的な光景のはずなのに、何故か嫌な予感がする。
「はは! 実に盲点ですな。私たちはさっきからずっと鍵に手を伸ばしていたわけだ」
黒糖さんが、歴史的発明をしたという顔で、白い陶器の皿を見つめている。
___待って。
記憶の彼方で、警鐘が鳴る。その皿は。その場所は。
危ない。
そう叫ぼうとした。
けれど、青井の喉は「あ」という空気の漏れる音を出しただけで、機能不全を起こした。
叫んだら注目される。変な目で見られる。「何言ってんだこいつ」と思われる。そんな、どうしようもない、さりとて14年ものの卑屈なブレーキが、コンマ数秒、青井の声を遅らせた。
黒糖さんが、皿を持ち上げ、その下にある鍵束を取る。その鍵束には、極細のピアノ線のようなものが見えた。
4つのことが起こった。
ひゅん、という硬質な音と共に何かが黒糖さんの頭目掛けて飛来した。
それは黒糖さんの側頭部から反対までを貫いた。
絶命した黒糖さんが衝撃のままに崩れ落ちた。
その絶命した躯に向かって青井は「待って!」と叫んだ。
数秒の沈黙ののち。
「いやああああああああっ!?」という桃乃さんの絶叫が場を動かした。
娘さんたちはそれぞれ行動するが、もう手遅れだ。黒糖はどうしようもなく死んでおり、できるのは彼女と同じ失態を犯さないように振る舞うだけ。
二つの感情が胸に去来した。
一つは納得だ。溢れ出る白い綿を見つめながら、冷えていく心で考えた。同じだ。 やっぱり、ここはあの場所だ。黒糖さんは死んだ。青井は「死に戻り」をしている。
そしてもう一つは諦念や無力感。
青井は、声を出すのが苦手だ。誰かの命がかかっているとしても。
黒糖だったものに向かって手を合わせた。
ごめんなさい。
ああ……やっと言えた。
心のなかで。青井は何もかもできない、こんなゲームに参加するしかない人間だと証明してから、やっと言えた。
(2/3)
辿り着いたのは、天井の高い、白一面、六角形の部屋だった。
入ると同時に入り口が閉ざされ、電光掲示板に「CLOSE」と表示される。出口にも同様だ。
みんな、ここの仕組みはああだこうだと実験している。
壁に掛けられた手錠。そして、六角形。
そして、青井だけは”前回”からこのゲームの仕組みを熟知している。
忘れるはずもない、己が死んだ場所。
「ここ、開きません!閉じ込められました!」
金子さんが施錠された入り口を一生懸命押したり引いたりしていた。青井にとっては既知の事実だ。
青井なんかよりきっと頭も良くてしっかりしているはずの彼女がそんなことをしているのがおかしくて。
「……ふふっ」思わず笑ってしまった。
金子のみならず、全員からぎょっとしたような目線を向けられた。
青井は顔を赤くして俯き、状況が過ぎるのを待った。
ここは、手錠を嵌め、レバーを引くとゲームスタートだ。各三角の天井から丸鋸が降りてくる。丸鋸に切り裂かれる前に、先ほどの鍵束を使って手錠を解除しなければならない。
ただし、鍵束は一つしかない。複数人が助かるためには、隣の三角と繋がる小さな受け渡し口から、リレー形式で鍵を回さなければならない。
このリレーで最後尾となり、結果、解除が間に合わなかったのは青井だ。
その鍵束は――今、幽鬼さんが持っている。あれが、あれを最初に持っていれば。青井は今度こそ死ぬことはない。
しかし、どうして譲ってもらうべきか。
青井は幽鬼さんに向き直った。
「なに?」
「…っ」
言葉がうまく出ない。
本当に最低限の意思疎通はできるつもりだ。でも、「自分はこの後起きるトラップを知っている。解除するにはその鍵束が必要だ。みんなより優先して生き延びたいのでその鍵束を渡して」なんて言えるわけがない。
幽鬼さんが持っている鍵束を掴んだ。青井なりの意思表示だ。
「……別に、いいけど」
彼女は拍子抜けするほどあっさりと、手を離した。
じゃらり、と冷たい金属の感触が青井の掌に残る。
やった。
手に入れた。あの時、いくら求めても、手首がちぎれそうになるくらい踏ん張っても手にはいらなかった、生存への切符だ。
「………青井さん。何か見つけたなら教えてほしい。私たちは一応チームなんだから。」
「……っ」
鍵束を庇うように背を向けた。
「……その気なら、何も聞かないよ」
幽鬼は念のため、なのか。あるいは確信があって聞いているのか。
顔を見れない青井には分からなかった。
ゲームが始まるまでは前回と同じだった。
数分仕掛けを試した後、5人は手錠をつけてレバーを引いた。床の一部がせり上がり、分断する壁になる。青井たちは個別の三角形に分断された。頭上でモーターの駆動音が響き始めた。
キィィィィィンという、あの忌まわしい回転音。
この時ばかりは青井は俯くのをやめ、天井を見上げた。
天井には穴が開き、そこから巨大な丸鋸が降りてきていた。
全員の頭上に、等しく死が迫っている。
でも、大丈夫。手錠にある穴。それに合う鍵。すでに確認済みだ。
ぬるり、かちり。
逆に違和感のあるくらい簡単に開いた。
丸鋸が止まる。青井は………生き延びた。
「い…いやあああああああ!!!何これ!?やばいですってええええ!!!」
隣の三角形から、桃乃さんの周回遅れな悲鳴が聞こえた。
壁一枚隔てた向こう側。
生存の安心感が脳を膜のように覆う。
もう、青井は死なない。それだけで、何か、もう、全てが十分な気がする。
青井は鍵束を握りしめたまま、硬直した。
この壁の地面に接するところに、小さな受け渡し口がある。それの意味する所と、実行すべき行動が結びつかない。
「幽鬼さん!幽鬼さん!ノコギリが…!丸いやつが降りて来てます!」
金子さんの悲痛な叫び。 青井は現実に引き戻された。急速にやるべきことを理解する。
『部屋の真ん中、床のところに僅かに隙間がある!そこから鍵束を渡すので手錠を解いてください!』そう言って、鍵を渡すだけ。
でも、あいも変わらず喉がつかえた。そうしている間にも丸鋸の接近する音が響く。
青井は無言で、鍵の受け渡し口を開け、そこに鍵を入れる。
予想通り、この中で最も冷たく俊敏な指の持ち主…幽鬼さんがその鍵を奪取した。やっぱり彼女は事態を素早く理解してくれた!しばらくして、幽鬼さんの三角形の丸鋸が停止する。
「部屋の真ん中、床のところに僅かに隙間がある!そこから鍵束を渡す!手錠を解く!」
ああ、よかった。やるべきことをやってくれた。やっぱり幽鬼さんはすごい。
――でも、間に合わないなあ、これ。
そう直感した。
幽鬼さんが鍵束を渡し口に入れた。
残り3人の少女が奪い合う様を、青井は食い入るように見つめている。怖い、恐ろしい、……目を離せない。15本の白魚のような指による艶めかしい争奪戦。敗れたものは、死ぬ。
前回は、青井があの中にいたのだ。それが今は、何処か他人事のようにそれを見つめている。
「…………づ……、っ、……………」
壁に耳を当てると、金子さんが必死に踏ん張っている声がした。きっとその小さなお手々を伸ばしているのだろう。
誰よりも小さく、幼い、本来守られるべき少女が己の命のためだけに死力を尽くしていた。
浮かんだ言葉を青井は咄嗟に胸を叩いて打ち消した。今、何を思った?……それは、人として、絶対に考えてはならないことだ。
「あっ…」
「………っ!」
鍵争奪の勝者は紅野さんだった。
しばらく迷った気配の後、紅野さんに相当する三角の丸鋸が停止した。そして、紅野さんは鍵を受け渡し口に戻すのだけれど。
桃乃さんは鍵束を受け取って、でも、そこでタイムアップのようだった。
丸鋸はもう、降りきった。
間に合わない、金子さんが死ぬ、そう確信した。
「…………あ………」幼い絶望の声が壁越しに聞こえて、青井は。
金子の閉じ込められている三角に向かって、何度も突進した。
「………っ!……………ぁぁぁぁ!!!!」
それは間違いなく、平手すら見舞ったことのない青井の人生史上、最大の攻撃だった。己を省みない突進に、壁はガン、と重い音を返して、それだけだった。青井はすぐに立ち上がり、ありとあらゆる破壊を試みた。青井はこの僅かな時間、真実、金子の救出を心から願った。
壁の項にあるものは尊い理想であり、壊れた幻想だった。
何度かめだった。青井は握りしめた拳の爪の間から白いものが溢れ、鼻からも白いもこもこを垂らしながら、それを聞いた。
桃乃さんと金子さんの絶叫が、回転音に混じっていく。
青井は耳を塞いだ。
うずくまって、震える膝を抱えた。涙と綿が入り混じってこぼれた。
認めよう。
青井は金子さんに整理のできない感情があった。死の苦痛によって、理性は半ば崩壊していた。
けれど、けれど。
こんな結末は望んでいなかった。
「「あああ※※※※※※※※※※※※※※あああ※※※※※※※※※※※※※※あああ※※※※※※※※※※※※※※あああ※※※※※※※※※※※※※※っ!!!!!!」」
2つの悲鳴が響く。
人間に共通した構造故か、ふたりの娘さんはそっくりな咆哮を放った。
桃乃さんの甲高い咆哮は嵐のように過ぎ去った。
金子さんの僅かに舌足らずな絶叫だけが、青井の耳から忍び込んで、脳をとろんとしたもので包んだ。
ふと思う。今まで何をしていたのだったか。
(Loop2 3/3)
六角の仕切りが解除される。
静寂。
金子と桃乃さんは白いモコモコの山になっていた。
二人とも殆ど真っ白に染め上げられていたが、金子がどちらなのか判断に困ることはなかった。
彼女の幼くも整った顔立ちだけは、殆ど無傷のまま残っていたからだ。
あと一度咳をしたら死ぬというような、病人の表情をしていた。
皮膚からいっそう血の気が引き、息を呑むほど青くなっていた。
瞳は生前にもまして輝き、宝石のよう。しかしわずかな潤いと涙の跡が残り、無生物には生み出せない美しさがあった。
金子が生きているのか死んでいるのか、青井はさっぱり見当がつかなかった。
手足の輪郭さえあやふやな状態になっているのに、次の瞬間には「青井さん、今更怖気づいたなんて言わせませんよ!」と叱咤してくれそうな予感がした。
しばらく青井はぼおっと金子だったものを見つめていると、ふと風が吹いて、金糸のような髪がさらりとゆらめいた。
「………ふぇ?」
風の源は、隣に立つ女性。頭一つ上から青井を見おろしていた。こんな人が本当に食堂にいたのか、自信がないくらい変わり果てた様相をしていた。
彼女、おそらく紅野さんは青井の背後に立ち、『すごい』顔で青井を見ていた。
具体的にどのような相貌だったのかは、彼女の名誉のために差し控えよう。
立っているのは、おそらくは3人。
青井、紅野さん、幽鬼さん。桃乃さん、■■さん、黒糖さんは死んだ。
「何も、してあげられなかった。私、何も、彼女に」
桃乃さんは、紅野さんと仲良さそうにしてたなあ。大切な人を失ったショックは辛いことだろう。
こういう時、どういう顔をすればいいんだろう。青井には目を逸らすことしかできなかった。
「…行きましょう」
幽鬼さんが先頭を歩き、青井が続き、最後尾に紅野さんがいる。
視線を感じる。猫化の爪のように細く鋭い悪寒。
(…………大丈夫、ばれてない、よね)
青井は自問する。
鍵を渡すのを躊躇したことだ。あれがなければ、黒糖さんと桃乃さんが生きて帰る道も、あるいは。
いや、大丈夫だ。あの部屋は仕切られていた。中が見えるわけじゃない。
それに、鍵はちゃんと渡した。義務は果たした。幽鬼さんに渡して、幽鬼さんが紅野さんに渡した。
だから、間に合わなかったのは事故だ。運が悪かっただけだ。青井は悪くない。罪のことなど考えるな。他に考えるべき問題はいくらでもある。それに、罪について何も知らないんだ。何も知らないし、罪の存在を信じているかどうかも分からない。
きっと、牛さんを殺して食べるのは罪なんだろうね。己が生きるために人を殺すのもきっと罪だ。けど、それじゃ全てが罪だよね。
だから、不可抗力の殺しは罪じゃないんだ。
紅野さんは、幽鬼さんは、桃乃さんは、前回罪を働いたか?いいや、不可抗力だ。不可抗力で、結果的に青井を死に至らしめた。
青井も同じことだ。不可抗力。不可抗力で……■■を殺した。
だからそうだ、青井は悪くないし、紅野さんからそういう目で見られるのが辛かった。
エレベーターホールに出た。
古びた鉄製の檻のような……エレベーターが一基。
そして、その横には暖色の部屋が見える。
これは…青井にとって未知のエリア。
「……ここも、何が起こるか知ってるんですか?」
「………へっ?」
背後からの紅野さんの詰問。青井が何か秘めているという確信が感じられた。
その間、幽鬼さんがヘッドドレスをその空間に出し入れしたりしながら、安全性を調べる。彼女なりの基準をクリアしたのだろう。乗り込んで手招きしてきた。
「……乗ろう」
紅野さんを振り切るように青井は幽鬼に続いた。
しかし、3人が乗るとエレベーターはけたたましく鳴り、動作を停止した。
降りてみると、「100kg」の重量制限が表示されている。
「one time only」とも。ええと、onetime only。こういう時のタイムは、なにか、「回」みたいな意味を表すのだったか?じゃあ、「1回だけ」ということ。そして、100kg。およそ、青井2人強か。
1回しか動かないエレベーターで、人間2人弱。
ここにいるのは3人。つまり。誰か1人が、置き去りになれば。
そのことに考えが及んだのと同時だった。
不意に、背後から熱を帯びた「獣」がのしかかってきた。地面に叩きつけられる衝撃。肺から酸素が叩き出された。力任せに握り絞られて狭くなった首からこひゅう、と音を立てて出ていった。首に巻き付いたそれに咄嗟に爪を突き立てたが、大きく、熱く、力強いそれは一寸たりとも力を緩めない。
紅野さんの手だった。
がはぁ、がはぁと熱い吐息を感じた。
「が、はっ……!」
幽鬼さんは何もしてくれない。
…それは、そうか。
青井は彼女らにとって不可解な行動をしすぎた。幽鬼のゲームスタンス「利他」は「自分に不利益が及ばない範囲で人を助ける」というもの。
『……青井さん。何か見つけたなら教えてほしい。私たちは一応、チームなんだから。』あの呼びかけを無視した時点で、青井はもはや正体不明の異物なのだ。死んでくれたほうが都合がよい。
紅野さんにとってはより明確な敵だろう。
降りてくる丸鋸の解除手段を青井は瞬時に見抜き、安全を確保し、しかし他人を助けなかった。そして何より………桃乃さんを見殺しにした。
そこまで考えた時、罪悪感を飲み込んだ青井にもはや抵抗する力は残っていなかった。対して、桃乃さんを殺され、己の命もかけた紅野さんは生々しい渇望に満ちていた。
捕まったウサギと豹のように、決着は簡単についた。
視界が明滅する。
紅野さんの媚びと怒りの交じった声が頭上に聞こえた
「幽鬼さんも、納得してくれますよねっ。彼女は危険だ」
「……そうだね」
指が首に食い込む。
頚椎が軋む音が、体内から響く。
苦しい。痛い。
紅野さんの顔が見える。そこに見える表情は恐怖だけじゃない。きっと、桃乃さんへの感情も。
……青井は、彼女に殺されるのだろう。
でも、そこまで苦痛じゃない。
だって、前回はあれだよ?丸鋸にバラバラにされた。それに比べれば紅野さんのこれなんて安楽死……なんて流石に言えない。脳のシワに棘が生えたみたいに頭が痛い。舌が膨張して空気に甘みを感じた。
青井は存外に冷静だった。脳内で一つの変化が起こっていた。
ピンチになるほど、心が冷えていく。
酸素が限られても、そのぶん思考の効率があがり、クリアに、青く、冷徹になっていく。デスゲームをするものに求められる資質とは、きっとこういうものだ。
そのうえで出した結論はこう。
今回は、間違えた。
誰かを犠牲にして生き残るなんて、それはこれまで青井が歩んできた人生じゃない。例え、一度青井を殺した相手だろうがそれは変わらない。
紅野さんの顔を見て、申し訳ないと思う。
年上の人がこんな、情けない顔をしているのを初めて見た。
幽鬼さんにも。彼女は食堂で他の娘さんと馴染めない青井に話しかけてくれた。感情が見えないだけで、きっと優しい人なのに。
変わらないと。
次は。
次の世界線では。
ただ生き残っただけじゃ、青井は何も変われない。
みんなで協力して、笑顔で、誰も死なせない。
そんな誰もが笑って、誰もが望む最高なハッピーエンドってやつを掴んでみせる!
不意に、力が緩んだ。
青井は本能的に咳き込むが、最早動く力はない。
紅野さんはより効率的なとどめの方法に気がついたようだった。青井の首を目掛けて、その長い足を持ち上げる。
(……ごめんなさい、紅野さん!幽鬼さん、紅野さん、桃乃さん、黒糖さん)
か細い声は声にならない。
「次は……っ、うまくやって、助けさせてください!」
それでも叫んだ。
それは、真実、誰も聞いたことのない声だった。
無理もない。なにしろ彼女は、勇気を振り絞ることなどなかったのだから。
臆病な娘さん、青井。
死を目の前にした、一世一代の決意だった。
「みんな、みんな絶対に……!」
紅野さんの顔がぐしゃぐしゃになった。
「今更、そういう顔をするな____」
視界が完全にブラックアウト。
けれど意志は澄んでいる。
できるはずだ。
黒糖さんを助け、丸鋸を最速で停止させ、体重制限をなんとかして
____■人そろって生還する。
希望の前には絶望が必要