ss内での設定は一貫させます
なおこの回はみやびベルモンドさんパーティです
現実に存在するものはすべて心の表れである。
つまりは、どう見るか。
瞼の裏に光が差した、というような目覚めではなかった。
目覚めがしらに最高照度の映像を再生された、その感覚に近い。
「青井で……っ」
意図しない声帯の震え。
喉の奥で咆吼が暴れていた。丸鋸の記憶。首を絞められた記憶。二つの死が脳裏でフラッシュバックする。
...けれど、叫びは押し留めた。
知っているはずだ。痛み以上に思い出すべきものを。
前回、何を間違えた。
自分を優先して、同じ過ちを繰り返すな。
誰も死なせない。それが結果的に青井も生かすことに繋がるだろう。
「大丈夫ですかな?顔色が尋常じゃないようですが」
黒糖さんの声。
青井は顔を上げた。
生きていた。
あの金属針に頭を貫かれる前の、コケティッシュな笑みを浮かべていた。
同じ言葉。同じ場面。同じ、やり直しの始まり。
冷静な思考なんてできない。とにかく、前回と同じではいけないと思った。
「……さん、かいめ」
ぼそぼそとした声は伝わらなかったらしい。
「なに?」
「三回目、なんです」
黒糖さんが眉をひそめた。
青井が死に戻りの存在を隠し、上手にみんなを誘導しようとしてもうまくいく気がしない。
なら自己開示が必要だ。物語における悲劇は大概、ディスコミュニケーションから発生する。
ありのままの自分を、その体験を信じてもらう。それが今必要なことだ。
「私、みなさんとこのゲームをするのが三回目、なんです」
言い切った。視線が青井に集中する。
顔が熱い。一旦MENUボタンを押して会話を中断したい。
というか少し冷静になると、ゲームのクリア回数を偽るだけで良かったかもしれない。
リトライボタンからやり直したい。
「三回目……?どういう意味ですか?経験者には見えませんな」
「あっあの、し、死に戻り、です。私は……二回、死にました」
「...は?」
頭に浮かぶままに言葉をつむぐ。
周囲の言葉が途切れる。相手にする価値があるのか、判断しかねている感じだった。
どうする。知識があろうと、相手にされなければ意味がない。
あと一押し要るのだろうか。でも、周りを説得するような一言なんて……
いや、違う。
この場においては…一人だけを説得できれば、それで通るのだ。
「だから、あの、この先、何が起こるか、知ってます」
幽鬼さんの目が細くなるのが見えた。
彼女は、この言葉の重みを理解しているはずだ。二十七回もゲームを生き延びた人なら。
「……詳しく聞かせてほしい」
幽鬼さんが呟いた。
――三回目。
その言葉を聞いていると、紅野の胸に奇妙な感覚が走った。
いや、あまり話は頭に入っていなかった。要点を押さえる他は、震えながら声を絞り出す青井を見つめていた。
自己紹介の時から気になっていた、怯えたリスのような子。背筋が齧歯目のように曲がり、瞳はクラゲのようにあてどなくさまよっていた。
「その死に戻り、他にもできる人は?」
「え……いえ、た、た、多分私だけ、です」
「えっと、ゲームに参加する前からできたの?」
「いえ、前回、しっ、しっ、死んでから、気がつきました」
けれど今の青井さんは違った。
怯えていた。震えてもいた。そこは変わらない。それでも、何かを決意した人間の目をしていた。こうなった人間に何かを偽る余裕なんてない。
その落差に、紅野は己を重ねる。ようやく手に入れた己の城、己の店を守るため、こんなゲームに参加したことを。
「死に戻り……あれですよねっ、ラノベでよくあるやつ」
桃乃さんはたわわな胸の前で手を合わせた。己より慌てた人間を見て落ち着いたのだろうか。
「しかし、そんなことがありうるんです?この世界には常識が通じない、というのは理解していますけど。」
みんなの疑問を代弁したのは金子さんだった。
困惑と、それから少しの恐怖を滲ませて幽鬼さん、つまり28回目だというベテランプレイヤーの方を見る。
パスを投げられた彼女は瞳を下に向けた。
「...私も、かなり、困惑している。あの、見たことは無いんだよ。でもそうだね、死に戻りじゃないけど...常識外の技術はある。それに死に戻りをしてるって言っても、ふつう正直に言うことはないだろうし...」
ぐるぐると踊るオッドアイから彼女の困惑は伝わった。
「つまり、無いとは断言できないって感じかな?」
ただ、最終的な結論は青井さんにとって望ましいものではなかった。
「……ブラフとかなら、ふつうに教えてほしい。もう言ったけど、私は『利他』がゲームスタンスだから。可能な限り腹を割って、協力したほうがいい」
「正直、疑わしいですね」
「そうだね。否定するわけじゃ無いけど、それだけに命を預けるのは危険というか」
「前回までの状況を教えて欲しいですな、それくらい聞いたっていいでしょう」
青井さんに投げかけられる言葉はあまりにも妥当だ。
その度に彼女は大袈裟に肩を跳ねさせ、瞳孔が開いたまま押し黙る。ときどき口を開こうとするが、うまくまとまらないまま頭を抱えてしまった。……何事も言葉の選び方だ。彼女が何をしようとしているのだとしても、これではうまく行かないだろう。
思わず紅野は椅子を倒しながら席を立ちあがった。視線を己に集める。
「待った!」
青井さんの隣に歩み寄り、膝を折った。近くで見ると、彼女の肌は蝋のように白く、唇は微かに震えていた。まさしく『お人形さんのよう』だ。こんな娘さんに命懸けのゲームをさせるなんて正しくない。
青に朱の入った瞳と目線を合わせながら、その小さな背中をさする。最初こそびくりと肩を跳ねさせたが、繰り返すと次第に落ち着きを取り戻してくれた。
手を伸ばし、青井さんの小さな手を握った。
「彼女、顔色が悪いです。制限時間もないんですから、少し休ませた方がいいんじゃないかと」
小さい、冷たい、震えている。
緊張のせいか、血が引いていた。
「大丈夫、私は君を信じますよ」
ゆっくりと顔を上げた青井さんの目に、涙が滲んでいた。
けれど彼女は泣かなかった。代わりに、紅野の手を握り返してきた。弱々しく、でも確かに。
「……あ、あ、あ……」
「大丈夫ですよ、大丈夫」
「あ、ありがとう、ございます。その、手を握っていて、いいですか」
その声は、さっきよりも少しだけ、しっかりしていた。
「もちろんです」
紅野の中で何かが定まった気がした。
昔、青井は寂れた商店街で迷子になった時があった。
街行く人の視線に、物陰にいるかもしれないお化けに震え、一歩も動けなかった。
そんなとき、迎えにきてくれた母の温もりを今でも覚えていた。
*
前回、紅野さんに首を絞められた。
その時の疲れて歪んだ顔を覚えていた。
でも今は違った。
「ええ、青井さんに我々を謀るメリットはないでしょう。疑わしいことを言えば、その時判断すればいいだけの話」
側で熱弁を振るう紅野さんは、ただ純粋に青井を心配してくれていた。
手の温もりが伝わってきて、思った。
――この人を、殺人者にしてはいけない。
紅野さんは悪い人じゃない。桃乃さんを失って、正気を失っただけだ。
だから、誰も失わせなければいい。全員で生き残れば。
手を握ったまま、視線を一瞬だけ上げて、口を開いた。
「あの……お願いが、あります」
「何?」
「私に……リーダー、みたいなこと……やらせて、もらえませんか」
声が震える。
リーダーなんて大それたことを言って、失敗したらどうしよう。
「……リーダー、君が、かい?」
「はい。私……この先のこと、知ってます。罠のことも。どうすれば避けられるかも。だから……」
「確かに!いいじゃないか!」
紅野さんがぱあっと笑った時、青井がどれだけ救われたか。
「まあ……いいんじゃない?」
紅野さんに続いたのは、意外にも幽鬼さんだった。
「死に戻り。真偽はどうあれ、どう立ち回るのか興味があるんだ。もちろん、妙だと思ったら反対させてもらう」
「しかし……何の証拠もないのに」
「すぐに得られますよ。ねえ、青井さん。この食堂に罠はある?」
紅野さんと頷きあって立ち上がった。
うまく行った、ときっと二人して思った。
「あ、あります!」
「どこ?」
「……あの皿、です」
テーブル中央のお菓子の乗った大皿を指した。
「あ、あれを持ち上げると鍵があります!」
「なんだって。それで、罠はここにあるのかな?」
「あ、え、えっとはい!持ち上げると、……か、か、あ、あっちの壁から、金属の針が飛んできます。持ち上げた人の、頭を……」
言葉が途切れる。黒糖さんの死に様が、脳裏をよぎる。
「貫く、です」
4人には幾らかの準備の後、食堂を出てもらった。
視界の端に桃乃さんの姿が映った。
彼女はどのループでも毎回、一番わかりやすく恐怖している。そのわかりやすさ、表裏の無さは青井の冷静さに貢献してくれていた。
きっと純粋で優しい人なのだろう。
…でも、感謝は後だ。
「ええと..この姿勢でいいのかな。かなり愉快なことになっている気がする」
「はい!」
紅野さんには手を握っていてもらった。
しかし、金属針で狙われるリスクを下げるため仰向けになってもらい、石膏像で周囲を囲んでガードした。これで万が一狙われても大丈夫。
そして青井自身は大皿を掴んでいた。
遠くから棒などで大皿をどかし、鍵束を取る...ことも考えたが、金属針のターゲットがどの基準で選ばれるのかわからない。
なので、黒糖さんと同じように青井が素手で鍵を取る。そして避ける。これが一番適切だと考えた。
「いち、に、いち、に」
「…なんでスクワットをしているのかな」
「避ける練習です!」
「まあ、時間はたっぷりあるからね」
震える手で大皿をどかし、その下にある鍵束を見つけた。
じっと目を凝らすと、リングの部分にピアノ線が巻きついていた。
ふ、と息を吐く。
その鍵束を掠め取ると...ピアノ線を引っ張った感触がして...
「っ」そして、思考が停止した。
予想外の事態、ではない。
冷静さの問題だ。やりなれたゲームでキーの配置が気になってしまうような現象。
まずい、動かないと、死ぬ。でも、動くってどう動くの?
あれ、動かないと具体的にどうまずいんだっけ?えっいや、そもそも今どういう状況だっけ...?
直後、4つのことが起こった。
ひゅん、という硬質な音と共に金属針が青井の頭目掛けて飛来した。
その直前、紅野が硬直した青井を思い切り引っ張った。
針は誰もいない空間を貫き、反対側の壁に突き刺さった。
青井が紅野さん目掛けて倒れ込み、結果として回避した。
「ーーーっ」
温かく柔らかい感触の中に転がり込んで、ようやく息を吐いた。
温かい。安全だ。
...ん?
「あっいやそんなつもりはごめんなさ今すぐどきま」
そそくさと立ちあがろうとしたが「そう焦らなくても」と紅野さんに抱き寄せられた。
「……なるほど、ブラフだけではないようで」
食堂に入ってきた黒糖さんは自分が刺さるはずだった針を見つめていた。
「誰か……死ぬところだったのですな」
顔から再び血が引いていく。
「えっと、その、前回……黒糖さんは、あの針で死にました。私は……止められなかった」
声が震える。でも、続ける。
「ごめん、なさい。前回、2回目なのに、助けられなくてえっと、その……本当に、ごめんなさい」
黒糖さんが青井を見た。
その目に、複雑な感情が渦巻いているのが見える。
けれど、彼女は小さく頷いた。
「……感謝しかないよ、青井ちゃん。今回の私にとっては助けてくれただけの人だし」
その時、背後から温かい感触が降ってきた。
振り返ると、紅野さんに倒れた青井の上に、さらに桃乃さんが抱きついていた。
「エッ!?桃乃さん……!?!?」
人間サイズのマシュマロに埋まったような感触が背面にある。
サンドイッチの具材のようにされた青井は完全に硬直した。
「ごめんなさい...!疑ったりして、辛かったですよねぇ……!」
桃乃さんの腕に、力がこもった。
もう19の桃乃に対し、青井はまだ14。なす術なくぬいぐるみのように力強く抱きしめられる。
「まだこんなに小さいのに……!」
そこには異議を申し立てたい。まだ発育途上なんだから。
でも、その言葉が嬉しかった。こんな風に心配されるのは、両親以外では初めてかもしれない。
ぎこちなく「はい」と微笑み返す。
「絶対みんなで生きて帰りましょうね……!」
桃乃さんの声に頷いた。
そうだ。今度こそ。
全員で。
6人揃って、次の部屋へ移動する。
その間、青井は片手に紅野さん、もう片方を桃乃さんに繋いでいた。
正しく両手に花、だった。
二人ともルックスが100点満点なのは前提。
青井には悲しいかな、二人の衣装をトレンディな言葉遣いで解説することはできない、
しかしそれでもという声があったとするなら、応えよう、赤と白の髪をカールさせた紅野さんはまるで王子様のよう。耳から垂れるピアスや高身長の威圧感を、メイド服や華やかなマスクが打ち消している。舞台役者とかにいそうだった。それも、ポスターの半分を占拠するような花形役だ。
桃乃さんはひたすらに甘いお姫様のようだった。暴力的にたわわな体つきを、大きく膨らんだスカートや広がった桃色の髪で覆っている。その姿は万人に警戒心を抱かせず、誘われたカブトムシのように誘うだろう。
年上の二人は青井にペースを合わせてくれていたので、自分のペースで進むことができた。
「もてもてですな、青井ちゃん」
「あっはい...」
捕まった宇宙人みたいになっていた青井。次の部屋につくとその油断を意識的に切り捨て、やることを自分の中で再確認した。
これまでのような形のない不安はない。きっと二人のおかげだ。自分のやるべきこと、進むべき道に誇りを持てる気がした。
___天井の高い、白一面、六角形の部屋。
伝わっているか不安だったため、青井は道中説明したギミックを再度説明した。
「この部屋は……手錠をつけて、レバーを引くとギミックが始まります。天井から……丸鋸が、降りてきて……」
声が震える。あの記憶が蘇る。回転する刃。肉を裂く音。
ああ、やっぱり怖い。
握りしめているこの温もりがなければ、すぐに足を止めてしまいそうになる。
「時間内に手錠を外さないと……死にます。手錠の鍵は、さっき手に入れた鍵束で外せます」
「...うん、この手錠、それぞれ一つだけ入る鍵がある」
幽鬼さんがガチャガチャと手元を動かしながら補足した。
青井の説明を信じてくれているようだった。
「部屋は個室に分かれます。でも、その仕切りの中央、足元の壁は外れるので……、そこから鍵を渡せます」
「つまり、分断されるわけだ。私たちは命の刻限が近づく中、リレー形式で鍵を回す必要があるって理解で大丈夫かな」
「はい」
紅野さんのフォローに、青井は頷く。
「それ以外には何もないんです?例えばさっきみたいな金属針とか」
「はい。....ないはずです。この部屋、順番に手錠を解いていくだけ…順番が……大事です。最後の人は、時間がギリギリになる…」
『ので、私が最後になります。』そう続けようとした。
リーダーシップを取るものは積極的に不利益を被らなければならない。そうしなければチームは崩壊する。
「じゃあ、私が最後を務めよう」
紅野さんが手を解くと、青井の前に進み出た。
高い背中に声を遮られた。
「他の子は、そうだな。納得する決め方なんてあるはずがない。背の低い順、というのはどうでしょう。最年少の金子さんを最初に、金子さん、青井さん、黒糖さん、幽鬼さん、桃乃さん、そして私だ」
「え……でも、紅野さん……ここは私が…」
「認めません。年長者の特権を発動させてもらうよ、ここは」
紅野さんが青井の肩に手を置いた。
「君がいないと、私はもう少し取り乱していた気がするんだ。だから、借りを返させてくれ。」
幸せだなあ。
勇気を出して、歩みだす。そういう時に、こんなふうに応えてくれる人がいるのはけしてありふれたことではない。
結局、紅野さんの提案を受け入れた。
「いいんですか…?何もしてない私が最初で」
「いいんだよ。大人の責任というやつだ。」
紅野さんが金子さんの目線に合わせてしゃがみ込み、その髪をそっと撫でる。
その光景を見て、胸がざわつくのを感じた。
ともかく、6人はそれぞれがつける手錠と、その鍵穴に合う鍵を見つける。
しかし、鍵はどれも雰囲気が似ていて、緊急事態の中ですばやく判別できるかは疑わしかった。
「こうするとわかりやすいんじゃないでしょうか。」
金子さんが青井に提案した。
己の金髪をぷちん、と一本。
使う予定の鍵に結びつける提案したとき、青井は肩を跳ねさせた。
「い、いい提案だと思いますっ。私も…」
青井の何かを察したのか、桃乃さんが助け舟を出してくれた。
良かった、金子さんと喋らなくて。
*
「青井さんっ!あなたは...?どうするんですか」
最初に励ましてくれた金子さん。
「私も...!金子さんみたいに、が、頑張りたいですっ...!」
*
枯れ枝のように細い手で、目の前から鍵をさらっていった金子さん。
「___え?あ、あれ、鍵、鍵がないといけないのに、どうして、私、持ってないの?」
丸鋸が頭上から迫ってくる。
*
最初の死。その最後の引き金を引いた金子さんに対しては、感情を整理しきれなかった。
多分、ただ残酷に殺されたとかなら良かったのだ。
一度親愛や尊敬の情を抱いてしまったから、その落差が、青井に金子さんを許させない。
...もちろん、不当な感情だと理解していた。
ともかく、ゲームの攻略を始めよう。
全員が手錠をつけ、レバーを引いた。床がせり上がり、六人は三角形の個室に分断された。
壁がせりあがりながら、金子が既に手錠に鍵を差し込もうとしていた。
「!」その手が一瞬止まる。
人を本能的に警戒させる異音が天井から響く。
無理やり五十音に直すならギュイイイイイイ、といったところ。
ああ、またアレが来る……!
「青井さん!」受け渡し口から声がした。
丸鋸が視界に入るのと同時だった。
金子さんが既に鍵を差し出していた。
騒音が既に一つ減っている。もう停止させたのだろう。
「っ」それをひったくるように受け取る。
順調だというのに、心はひどく乱れている。
手の中にある鍵が、1周目の自分が見た妄想のような気がする。
震える手で青い毛を巻きつけた鍵を探し、手錠に当てはめる。
ぬるり、かちり。
異常なほど頑丈だった。
「あぁ...」
頭上で丸鋸が停止したのを見て、崩れ落ちながら震える息を漏らした。
助かった。赤い毛の巻きついた鍵を撫でる。安堵感が再び脳を包もうとした。
「青井さん、次だ!」
紅野さんの声で我に帰った。
バカか私は。
「黒糖さんっ……!」
声を絞り出して、受け渡し口に鍵を入れる。
「ええ!」
黒糖さんの声。取り合いもなく、差し出した鍵がスムーズに消えた。手並みが良いのだろう、受け渡しの2、3秒後には丸鋸が止まった。
「よし、幽鬼さん!」
その後も、リレーは続いた。幽鬼さん、桃乃さん。一人ずつ、丸鋸が止まっていった。
その中で、ふと不吉なものが浮かんだ。
ーーーこれ、間に合うの...?
丸鋸の下降速度が以前よりも速い気がした。
「紅野さんっ!!!」
最後の受け渡し。桃乃さんが鍵束を差し出した。
手袋に掴まれた指が、がっしりと鍵束のリングを掴んだ。
青井は仕切にへばりつき、向こうの音に耳を澄ませた。
丸鋸の音。まだ止まらない。まだ……
「紅野さん、早く……っ!」
そして、顎に流れた汗を拭った直後だった。
「あああ※※※※※※っ!?」
ドクン、青井の心臓が跳ねた。
仕切りが下がっていく。
うそだ。嘘だ嘘だ。
嘘嘘嘘ーーー
紅野のいた三角形から、白いモコモコが漏れてーーー
「ふふ、ふふふふふふ。」
この場で最も低く成熟した声を聞くと涙が出た。
「鍵穴に差し込むところまではうまく行ったんだけどね、そこで片腕を丸鋸に切られてしまって。意識が飛びかけたけど、誰かに呼ばれた気がしてね。やるべきことを思い出せた」
仕切りが解除されきる前に、青井は飛び越えて紅野さんのもとに駆け寄った。
慣れない激しい運動をしたものだから、足を引っ掛けて頭から床に突っ込んだが、そんなことはどうでもいい。
「ふふ、誰の声なのだろうね」
赤い娘さんは、二足で立っていた。
左腕は肩から先がなく、白いもこもこがふわふわと落ちていく。
痛みに震え、化粧が脂汗でぐずぐずになり、それでも笑っていた。
「……紅野さん!」
声が震える。嬉しい。嬉しくて、涙が止まらない。
「で、でも腕が…」
「安いものだ、君が選んだ道がうまく行って良かった」
そう言うと紅野さんはフラッと体勢を崩す。
慌ててその体を支えた。
「全くの無傷とはいきませんでしたな。」
「これじゃ商売も続けられるか...というか、その腕は…?」
「ああいや、繋げられるます!これは…」
青井が防腐処理の説明をすると、娘さんたちは落ち着きを取り戻した。
「……みんな、生きてる……」
六人全員が。
紅野さんの腕は戻る。
青井は、拳を握った。
やり遂げた。
きっと、勝利に違いなかった。
……そう思うと、ふいに目眩がした。
吐き癖かもしれなかった。胃から逆流するものがあった。
青井はとっさに壁に顔を向けた。
こぅ、と意図せず声帯が震え、びちゃびちゃと飛び散る。
「あぅ…ごめんなさ……っ」
汚れた口元を、躊躇わず桃乃が拭き取ってくれた。
「大丈夫ですかぁ……?」
「あ、ありがとう……ございます……」
その光景に悪意の入る隙間はない。
5人の娘さんたちは、デスゲームというある種の地獄から解放される道筋が開かれたのを感じていた。
「・・・・・・」
幽霊のような少女だけが、行く末を睨んでいた。
エレベーターホール。
「これが多分、最後の障壁です。」
するすると言葉を紡げた。
「ゲームには二つか三つ大きな障壁があり、生還率が7割になるよう調整されます。あっ...幽鬼さんの受け売りですけど。さっきの丸鋸で、その、二人、つまり3割以上死ぬこともありました。なので、これがきっと最後です。」
全員でエレベーターに一度乗り、降りた。
青井は重量制限の表示を見て安堵の息を漏らした。
「250kg……」
実はここが最大の不安要素だった。
前回は100kgだった。
今回は六人全員が生きている。
やはり、エレベーターの重量制限は、(人数−1)×50、という理解で良いようだった。
「そんな……横はともかく縦に伸びてはいけないなんて気にしちゃいませんでしたよー!!!!!」という桃乃さんの言葉に象徴されるように、場は再び混乱して、けれど穏やかに進んだ。
「六人で250kg。一人平均42kg弱。アニメ体型でもない限り無理がありますな」
「金子や青井さんはどれくらいかな」
「40、無いくらいです」
「右に同じです。あんまり正確な体重とか気にしてませんでしたし」
「ええー!?二人とももっと食べないとダメですよ!」
「で、私や幽鬼さん、紅野さんはまあ50を割ることはないでしょうな。そうですな、6人合わせて、40kgは落とさないといけませんか。服は人として恥ずかしくない範囲まで捨てるとして」
「ああ、それであのサウナを利用しろってことなんですね」
「ひとり頭1割弱減らさないといけませんね。私だとええ、五キロくらいですか...?いけなくもなさそうですね」
「いやあ、どうでしょう。10%というのはプロのボクサーが数日食事管理をしながら落とす量です。この量を痩せ型の青井さんや金子さんに要求すれば、まず死ぬでしょうな」
「そんな...」
結果として、それは地獄のような数十分だった。
紅野さんが元々片腕がなかったせいか、6人は比較的簡単に『結論』に辿り着いた。
青井も手伝った。
これは仕方ない。紅野さんだってそこの犠牲は強いられた。
全員が膝の一部を切り落とした。
多分、何人かは切らないでも突破できたのだが、そこは奇妙な仲間意識があった。
最後には、人として恥ずかしくないギリギリの格好で、六人は身を寄せ合ってエレベーターに乗り込んだ。
「……いける」
金子さんが呟いた。ギリギリ250kgを下回っていたらしく、エレベーターが動き出した。
「最後の壁が、開いた...!」
「ここから先は未知のエリア…ですけど、もう大きな障壁は、な、ないかなって」
ごうんごうん、とエレベーターが登っていく。
前ループの幽鬼さんの言葉を当てにするなら、あとはもうウイニングランだ。
いや、その言葉が外れている可能性はあるのだが...そこまで考えていたくなかった。
「いけるっ、いけますねぇぇぇ……!」
桃乃さんが顔を上げて笑った。
汗だくで、疲れ果てて、片足がなくて。
それでも、歯を見せて笑っていた。
青井は紅野さんと桃乃さんと、壁に寄りかかっていた。
「……青井さん」
紅野さんが呟いた。
「ありがとう。君のおかげで、ここまで来られた」
「……私、だけの力じゃ、ないです。それに、全然最適解を選べなかった、ダメダメで…」
「謙遜しなくていい」
紅野さんの手が、青井の頭を撫でる。
「君は、立派なリーダーだった」
「ですよぉ!青井さんがダメなら、私なんてダメダメダメです!もっと自信を持ってください」
「それで周囲を頼れたら、なおいいね」
胸に、温かいものが広がった。
認められた。役に立てた。誰も死なせなかった。
これで終わり。少し眠い。
物語はハッピーエンド。
ん、あれ、そういえばこれ死に戻りのことが観客とか運営に伝わっているのだろうか…まあ、なんとかなるか?
他には何もまずいことはないはず。なのになぜ違和感がある?
青井はいくらかの賞金と、そして成長した心とともに明日へ走る。
そうだ、私たちの人生はこれからも続く。
紅野さんや桃乃さんとも、きっとまた会える。連絡先を交換して、時々お茶でも――
エレベーターが止まった。扉が開く。
暗い。
冷たい空気が流れ込んできて、重い瞼を叩いた。
私たちは杖をつきながらよろよろとその先にある階段を進む。
目の前には、重厚な鉄の扉。そして、その上に――
三つのピクトグラム。
人の上に、大きくバッテンがあり、それは一つとして点灯していない。
3回のゲームで培った直感が告げる。『3人死ね』。
いやだなあ、そんなはずがないのにね。
「……か、勘違いしちゃあだめですよね?」
「これっ、焦げ臭くないですか?」
桃乃さんと金子さんの声は震えていた。
通ってきた通路から漂う焦げ臭い匂いが絶望を加速させた。
「三人以下にならないと…扉が、開かない。まあ、こういうゲームでしたな」
黒糖さんの言葉に、沈黙が降りた。
違う、はずなのに。どう否定すればいいのか、頭が軋んでうまく返事を出せない。
「ここまで来て……みんなで協力して……それで、こんな……」
「冗談じゃない……!冗談じゃないですよ……!何で……!」
「そっか。辻褄合わせが必要なんだ。青井さんはここのことは初めてなんだよね。意外な解決法があるとかではない」
幽鬼さんの声。
視界が歪んだまま、顔を上げられない。
1秒後にはじまることを予期しながら、動けなかった。だって、結局青井はそういう人間だ。
それよりも、ふと帰りたいなあと思った。
青井はお金がないとか、騙されたとか、とにかく切迫した事情で参加したわけではなかった。
図書室に行きたかった。そういえば、太宰の歯車が読みかった。
憂鬱な夢想に意識を委ねた。
その結果、
「みんな、落ち着きましょう。こういう時こそーーー」
三つのことが起こった。
ビュン、と何かを持って黒糖さんが腕を振り抜いた。
一旦場を納めようと、場の中央に進み出た紅野さんの頭に金属針が突き立った。
紅野さんの体から力が抜け、崩れ落ちていく。
「こ、黒糖さん、そのつもりだったんですかぁ?」
「癖が悪くってね。万が一を、と考えてしまうのです。いやはや、英断でしたな」
黒糖さんの手には湿った布があった。持ちやすいようにしていたのだろう。食堂で彼女自身を殺すはずだった、あの針を。
「あ……」
今見たものは何を意味するのだろう。
点と点が、事象と事象がつながらない。
とにかく危険だとは分かった。
心臓も痛いくらいに暴れていた。
「黒糖さん……?」
「そりゃあ、あなたと紅野さんと桃乃さんは見るからに仲が良かったですからな。組まれる前に潰そうと誰だって思うでしょう」
背後でピクトグラムが一つ点灯した。
黒糖さんの金色の瞳が冷たい光を宿した。
なんのはなしをしているんだろう?状況を飲み込めない青井に合わせて話してほしかった。
とにかく、倒れている紅野さんを助け起こしに行こう、と思った。
常識的に考えて、そうすべきだ。
「わっ!?」しかし、甲高い悲鳴。
振り返ると、幽鬼さんが一番近くの金子さんの杖を払い、転ばせていた。
体重を支えていた杖をそのうなじに当てる。
金子さんの運命は確定した。
杖に突き破られるまでの刹那、産毛の生えているあたりがとても艶かしく思えた。
くぐもった音が聞こえた。
金の少女は手足を僅かに跳ねさせ、そして動かなくなった。
痙攣の仕方は、きっと鳥が死ぬのによく似ていて、青井は……やっと誰かが死んだことに気がついた。
やっと現実を思い知った。
そっか、紅野さんが死んだ。
視界が歪む。涙なのか、それとも意識が壊れようとしているのか。
「…っ、ああ※※※ああああ※※※※※※※!!!!!ああ※※※※あ※あ※※ああああ※※※ああああああ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!?」
ゲームオーバー。
理解してなお受け入れ難かった。
なんだ、これは。
全員を救おうとした。全員で生き残ろうとした。今度こそヘマはなかったはずだ。
なのに。
原因はなんだ?
悪人はどいつだ?
幽鬼さんと黒糖さんか?この人たちを改心させれば問題は解決されるのか?
違う、これは、そういう構造のゲームなのだ。
争い合い、蹴落としあう。そういう構造のゲーム。その中で、二人が悪人のロールに回っただけ。
つまり、どうしようもなくて。
これから起こることは敗戦処理でしかない。
ーーーあ。幽鬼さんがぬるりと青井の側を通り過ぎた。
今、桃乃さんに、杖を振り翳して...
考えるより先に立ち上がった。
手遅れだとしても、守らなくてはならないものがあった。
選択肢は2つあった。
一つは幽鬼さんに殴りかかる選択肢。
1秒後の幽鬼さんの姿が鮮明に予測できる。一撃は入るだろうという確信があった。
青井はもう一つの選択肢を選んだ。
桃乃さんの上に覆い被さり、背中で喉を狙っていた一撃を受け止める。
衝撃。
背骨が軋み、青井自身が横に倒れた音。
肺から空気が押し出される感覚。
絞り出された胃液で桃乃さんの服を濡らして申し訳なかった。
「青井さん……!」
きいんと耳鳴りがして、桃乃さんの悲鳴が水底から響いたように聞こえた。
今まで何をしていたんだっけ?酸素が足りなくて考えられない。
とりあえず駆け寄る桃乃さんを落ち着けようと思って、笑った。
「……抱きしめて、くれた人、だから、せめて、」
言い切る前に、体の内側から、首の骨が折れる音がした。
黒糖さんなのか、幽鬼さんによるものなのかはわからない。
視界が暗くなっていく。
扉が開き、爽やかな風が死にゆく青井に最後の思考力を与えた。
(……ごめん、なさい、また、うまくいかなかった……)
手を繋いでくれる人たちがいたのにうまくいかなかった。
でも、次は。
・・・次は、なんだ?
このギミックがあるのだ、どう足掻いても3人しか生き残れない。
やるべきことは分かる。
自分にとって大切な二人以外を切り捨てるのだ。
黒糖さんを殺す。
金子さんを殺す。
幽鬼さんを殺す。
(……やだよぉ、そんなの)
けれど、6人生存こそ青井が夢見た結末だ。
それは、最初からあり得ませんでした?
それなら、何のためにここまで…
『夢、夢ねぇ。そう立派なモンかな?』
……頭のなかで、誰かが喋った。
『原初を辿れ。お前にとって本当の始まりは何処だ?』