問いには解が必要だ。
お前は誰を選ぶ?
(1/9)
瞼が重い。頭が働かない。
ここはどこだ?何をしていた?
思考がまとまらない。
目の前には豪奢なテーブル。マカロンの乗った皿。もはや見知った娘さんたち。
全部知っているはずなのに、脳みそが熱暴走している。
一つ確かなことは______前は持っていた希望が、今はもはやなかった。
ああ、そうだ。
青井たちは最後の関門に辿り着いた。
そして、3人の死亡が必要だった。
「全員が協力すれば生き残れる」なんて淡い希望は最初から存在しなかった。
紅野さんが死んだ。金子さんが死んだ。そして、青井も死んだ。
「あお……」
己の話す声で、青井は覚醒した。
そして思い出す。
丸鋸の惨殺。
紅野の絞殺。
幽鬼の撲殺。
3度の絶望と痛みが同時に襲いかかった。
「いっ!?!?!?で……っ!?!?!あっ、あっ、ああああ、ああああああ※※※※※※※っ!?!?!?!??!?!?!?!?」
体中から溢れ出す血の花が咲いていく感触
酸素を絶たれて弛緩と緊張を繰り返しながら死んでゆく肢体
神経の根幹を砕かれ弾け飛んだ魂
耐えきれず、青井は椅子から飛び上がった。その勢いのままテーブルにぶつかり、ひっくり返した。
ぐらり、置かれていた食器や菓子類が宙に浮いた。
「ちょっ...」
災難だったのは青井の向かい側に座っていた3人。
耳障りな音が連続した。紅野さんと桃乃さんは椅子から立ち上がることもできず、両腕で食器の破片や紅茶から己を庇った。それでも、桃乃さんのヒールを紅茶が濡らし、足首にティーカップの破片が刺さった。
青井は両手を口元に寄せたままフリーズした。
「いったぁぁぁぁ!?痛い、痛いよぉぉぉぉ!!!」
「………っ。大丈夫!?桃乃さん、大丈夫だから…」
やばい、やってしまった。
何か、拭くものでも持ってくるべきだろうか?いや、でもゲーム中だしそんな場合ではないのか?でも、ゲームを進めるにしても、このまま進めれば…
思考をまとめる前だった。
紅野さんは惨状に一息ついて、青井を睨んだ。
「
「……へっ」
青井の心臓が飛び跳ねた。
こちらを睨む紅野さんの顔は険しく、声は低く、瞳には困惑と敵愾心の赤が読み取れる。
前のループでずっと青井の手を握っていてくれた紅野さんと同じだと思えなかった。
……怒られてる?私が?
それは、そうかも。
いきなりテーブルをひっくり返されたらだれでも怒る。
そう認識した途端、心臓がきゅう、としまった。
桃乃さんに視線を移しても、眉をしかめながらこちらを見ている。あの時の青井を認めてくれた桃乃さんは何処にもいない。
「あっ…」金子さんが何かを言おうとしたが。
コツコツ、と靴音。その前に紅野さんが青井に歩み寄った。
「……。どういう意図があってこんなことをしたのか、答えて欲しいのですが?」
どういう意図があって。どういう意図もないよ。
言い訳を絞り出そうとした。けれど、どれも言葉の体を成す前に喉に詰まって消えていく。
俯く青井の思考にあるのは現状ではなく、幼い日の出来事。
滅多に怒らない母親が、一度だけ本気で青井を叱った日のことを。
何を怒られたのかはもう覚えていない。でも、大きい音で、険しい顔で、幼子にも伝わる限りの怒りを込めた言葉を叩きつけられた。
あの日、青井という人間の方向性が捻じ曲がった。
あの日と同じで、何か世界のルールを破ってしまったのを感じた。
もう一度桃乃さんの方を見た。人生で何度か見た、青井を疎んでいるクラスメイトと同じタイプの視線だった。
………吐き気がした。
頭痛も感じた。
今すぐ毛の長い高そうな絨毯に座り込みたかった。ああ、しんどい。許してほしい。
何やらかしたのか、もう考えられない。
都合が良いかもしれないけど、ただ許してよ。こんなにしんどいのに。
なんか、頼りになる誰かがいきなり入ってきて、仲裁とかしてくれないだろうか。
「あっ」
青井は一つ、思い出した。
この状況を脱して、周囲の人間関係をリセットする方法を。
そして素早くそれに歩み寄った。
「ご、ご、ご、ご、ごっごっごっ....ごめんなさっ、紅野さっ」
「…へっ?」
青井が掴み上げたのは、銀に輝くフォークだった。
…そうだ、死んじゃえばいいんだ。
青井なんか、私なんか、死んじゃえばいい。
ループによる死の苦痛の堆積?知らない。死んじゃえ死んじゃえ、お前なんかみんなの迷惑だ。
首にフォークの鋭い三又をあてがう。
躊躇いなく気道と神経を貫く、その直前だった。
「何やってるんですか!」
裂帛。
ぬるり、フォークが汗で滑って落ちた。
「全員冷静になってください!年上なのに…!」
幼くも張り詰めた響きのある声。
青井に金子さんがかけよって、フォークをもぎ取った。
「落ち着いて!こんなことしちゃダメです!あなたも、何か理由があって来たんでしょう!なら、生きて帰らないと!」
力強く青井の手首を握り、真正面から金色の瞳を合わせる。
ところで。
ところで、なんで余裕のある言葉を使ったことからもわかるように、青井は金子を見ると何故か精神が落ち着いた。
*
「青井さんっ あなたはどうするんですか!」
最初のループ。一人怯えていた青井の両手を掴んでくれたヒトがいた。
誰よりも小さく。
誰よりも幼く。
けれど、責任感があって。
見上げたそのヒトの汗を含んだ金髪は、シャンデリアの明かりに融けて、まるでお星様。
金子さん。
これまでずっと止まってきた青井の人生で、走り出すきっかけをくれた綺羅星。
そして、青井に引導を渡したウラギリモノ。
*
青井が息を整えたのを見て、紅野さんは髪をかきあげながら元の席に戻っていく。
「…そうですね、私も熱くなりすぎました。しかし、この事は覚えて……」
青井はふと気づく。さっき、テーブルをひっくり返した時、銀の光が空中に跳ね上がるのが見えた。銀色の糸がついた、鍵束。
それに結びついたワイヤーを、紅野さんの足が踏みつけた。
この食堂のトラップが作動する条件はたしか、鍵束についたピアノ線を引っ張ること…
「皆、伏せろ!」
そこまで考えた直後、3つの音が連続した。
一つめは、幽鬼さんの叫び。
二つめは、高速で飛来した〈金属針〉が紅野さんの頭を貫いた音。小さくて、乾いていて、人間の脳を貫いたとはまるで思えない音だった。
三つめは、自立できなくなった紅野さんの体が受けた衝撃の方向そのままに倒れた音。
沈黙。
あまりの情報量に、青井と幽鬼さん以外に理解が追いついている人間はいないようだった。
「……へえっ?」
青井とて、理解しても飲み込みきれなかった。
散乱した室内。首の痛くなりそうな姿勢で倒れ、瞬きすらしない紅野さん。
どうして紅野さんは起き上がらない?
頭は相変わらず熱いのに、脳みその肝心な部分が軋んで、戻らなくなっていく感覚がある。
そして青井は、それを聞いた。
『オイオイ、そりゃないだろ、お前が紅野を殺したんだぜ?』
耳元で、小鳥の鳴くような声がした。
その少女は青井の側にいた。
色が白く、髪は金糸のようにサラサラ。
けれど、その瞳の金はギラついていた。
そして、その最大の特徴は金子さんと全く同じ顔、背丈、メイド服を纏っていることだった。
『まぁーーーしょーがねーよな。不可抗力ってやつだよ。お前は悪くない。まあ、お前に殺された紅野はそれじゃ納得しないだろうけど』
金子さんが、二人?
「へ…?」
潤ったリップや透き通った髪、肌。地中で長年熟成された琥珀のような金の瞳。
金子さんがもう一人現れた。それ以外に表現のしようがなかった。
ただし、見かけ以外の全ては全く別人だった。
周囲を見下すように背筋を逸らし、顎に手を当て、大胆不敵な笑みで状況を達観している。
世の中を舐めくさり、道理をわきまえないくせに己が正しいとわきまえない、ぐれた若者の雰囲気があった。
「だ、誰?何?」
『好きに呼べ。それが俺の名だ。』
「______」
『出自くらいは教えてやろうか。俺は幻影。お前が現実逃避に作り出した、金子型幻影だよ』
幻影が口を開くと、本物にはない八重歯が覗いた。
「なんなんだ…」流石についていけない、と幽鬼が眉を顰めた
(2/9)
なんだろう、幻影でも見ているのだろうか。
ああいや、そう解説してもらったのだけれど。いや幻影の言うことを信頼すべきではないと言うかなんというか……
「呼び名……頭が追いつかないけど、ひとまず、闇子さんで」
『…いや、それは流石にきつい』
「…影子さん?」
『…合格点をやるよ』
頬をつねる。痛い。白いものが僅かに吹き出た。
目を凝らしても消えたりはしなかった。
仮称・影子は手持ち無沙汰に足を組んでいて、その足は絨毯から少し浮いていた。
しかし、その手は壁の骨董品を突いて落としたりしていた。
現実に干渉できる幻影といったところか?
『というか、良いのか?ぼーっとしてて。側から見れば、お前が喧嘩した紅野をぶっ殺したように見えるだろ』
「あっ、ああ!?い、いや違う、違うの!」
『いやそう見えるって話をしてんだけど。俺は現実逃避ついでに生み出されたお人形遊び、だからってラジー賞を目指すつもりはないぜ』
影子の出現で遠のいていた現実が急速に色づいていく。
最初に動いたのは桃乃さんだった。
青井は彼女の目に、嫌な光を見た。見覚えがある。全てが破綻した先にある光だった。
最初のループで、己の中に。
2回目のループで、紅野さんに。
3回目のループで黒糖さんに。
のろのろとした動きの女が、動かない紅野の隣に座り込む。
「紅野さぁん?」頭に埃がついてますよ、くらいの声。
二人の間にあるものが何なのか、青井は詳しく知らない。恋人とかではないはず、このゲームに来てからの知り合いなのだから。
「嘘、嘘ですよね……起きてください……起きて……」
でも、分かることはあった。ループの中で、桃乃さんはいつも紅野さんの傍にいた。桃乃さんが危険に晒されそうになると、紅野さんは真っ先に庇おうとした。
つまりそこには信頼とか依存とか、そういう類の爆薬にも似た危険な感情が堆積しているはずで。
『構えろ』
ふわり。
不意に、彼女は桃色の髪を翻して立ち上がった。 その動作は、さっきまでのおっとりした女とは別人だった。目が座り、拳が握られている。
熊のような、遅いのにそう感じさせない足取り。
桃乃さんが求めていることが直感的に分かる。
目には目を。歯には歯を。命には、命を。
「桃乃さん、落ち着いて——」
金子さんが進み出るが、一蹴。
圧倒的な体格差による張り手で吹き飛ばされ、壁に激突した。
「紅野さんを、返してください」
青井は胸の前で手を合わせながら後退った。
くそ、どうしてこんなことになる。どうして頭の、外見だけじゃなく中身も伴って生まれてこなかった?
「ち、違う……違うの、私は——」
「違わない」
キンキンとした、底冷えのする声。
「あなたが殺した。わたし、見てました。あなたが何かを引っ張って、そしたら紅野さんが——」
ガシャン!!と耳障りな衝突音。誰かが椅子を蹴り飛ばして視線を集めようとした。
「全員、落ち着け」
これまで「何やってんだこいつら」みたいな顔で見つめていた幽鬼さんだ。
「青井さん、あんたはその気で紅野をやったわけじゃない、そうだね?」
仲裁しようと、桃乃さんと青井に向けて歩み寄る。
しかし、その前に金属プレートのついたブーツが突き立った。
「いや失敬」
黒糖さんは歪んだ口元を隠そうともせず、幽鬼に向き直った。
「止める、っていう意思表示かな。それは」
「ま、そういうことですな。手っ取り早くメイクマネー、って気分じゃなくなりました」
二人の間に緊張が走る。
白い閃光。否、幽鬼さんが黒糖さんに拳を放った。最低限のダメージで意識を刈り取ることを意識した一撃。それが閃光である以上、人には止めようがない。
だが、鈍い炸裂音。
「私、刺激に飢えててね。」
黒い稲妻が閃光を弾く___黒糖さんの手刀が幽鬼さんの一撃を手痛く迎撃したのだ。
一歩下がった幽鬼さんの白い手は赤く腫れていた。
「なんだ、お前」
「せっかく盛り上がりそうなのに無粋は良していただきたい」
『黒糖つっよ……いっつも即死してる癖に。助けは期待できなさそうだな。時間を稼げ』
金子さんは気絶。
幽鬼さんと黒糖さんは睨み合い。
そして、青井と桃乃さんの対決。
桃乃さんは少しずつ距離を詰めてきた。
三回目のループで、手を握ってくれた人。抱きしめてくれた人。そして、命をかけて守った人。
その人が、今、青井に見紛うことなき敵意を抱いていた。
「ももの、さん」
「………」
「そっそっその、あっ、謝ります、謝りますからっ……」
「それで、また私を騙すんですか?」
「………へ?」
桃乃さんはこちらに歩を進める。
ばり、ばり、と踏みつけられる食器の悲鳴が連続する。
「私がバカでチョロそうで!かんったんな嘘も見抜けないからって!また騙して騙して傷つけ、手に入りそうなものを奪っていく!そうなんでしょう、そうなんだろう!!!!」
違うんです、なんて簡単な反論もできない。
理由は2つあった。
一つの理由は……桃乃の咆哮は単に青井だけに向けられたものではないからだ。
これまでの人生で彼女が心の奥に蓋をして、きっと一生開けるはずがなかったもの。その扉を青井は開いてしまった。
もう一つの理由は……違わないんだもの、青井が、私が殺したんだもの。
そうだ、あの優しかった紅野さんを殺した。なら、そのケジメをつけるべきではないか?
ついでに、この出来の悪い頭を砕いてくれれば上々だ………
『オイオイ、そりゃナシだ。』
影子は暖炉から黒く重い火箸を取り出し、桃乃に向けて振り回し牽制した。
いや、これは青井の幻影なのだから、現実には青井自身が火箸を振り回しているのだろうが。
「なんなんですかあなた、金子さんの偽物?わたしは、もう、死...っ」
『うるせえな、外付け理性回路としちゃ見過ごせねえ』
桃乃さんは一時進行を止めたが、不規則に上下する肩は落ち着いた感じではない。
むしろ、彼女の中で敵意が膨れ上がっているように見えた。
『手加減はできねえな。殺すか?』
「......無理」
『はいよ、めんどくせえな。この館の構造は大体頭に入ってる。それにしても分の悪い賭けだぜ』
影子がくるりと振り向き、火箸を、壁に何度も突き立てた。
「っ...何を...」
青井の問いに応えず、影子は暖炉周辺の壁をガリガリと削っていく。
呑気に問うている隙もなかった。
桃乃さんがこちらに向かって飛びかかった。
勢いもあり、何倍も大きく見えた
___けど、見える!
紅野さんや幽鬼さんに襲われた経験から、青井は多少『場慣れ』というやつをしていた。
素人以下の桃乃の動きなど瞬時に見切れた。
問題は殺意の差だ。
桃乃のがら空きの脇腹に拳を叩き込む選択肢は青井にはない。
代わりに桃乃の拳を受け止めて、青井の腕の骨がみしりと鳴った。
痛みに耐えながら上半身を守るが、そのままラッシュでガードをずらされていく。
背後からガリガリと壁を削る音が聞こえていた。
影子は何かやってくれているようだ...いや、彼女が青井の幻影である以上、第三者からは桃乃さんの攻撃を弾きつつ壁を掘削すると言ったような、ちょっと面白い様が見えるのかもしれない。
青井のみぞおちに桃乃さんの拳がめり込んだ。
痛みに崩れ落ちた。床に散乱していたマカロンに鼻先から突っ込んで、口内が血と糖の甘い匂いで充満する。
「あぎっ!?」
肋骨がみしりと軋んだ。
まずい、抑え込まれた。
青井の後頭部に向けて、何度も何度も拳が打ち下ろされる。
衝撃に脳が揺れ、口の中を切り、血が白いモコモコに代わり、気道を埋めていく。
失神する、その直前だった。
ぼしゅう!という破裂音。壁から匂いのついた気体が噴き出し、青井と桃乃さんはもろともに吹き飛ばされる。
『おい、早く!』
床に投げ出された青井は、影子に手を引かれるまま歩いていく。
ぼろぼろと顔についていたマカロンが床に落ちた。
ふらふらとした動きで、爆発の震源地に向かって歩いていく。
「な、何、これ」
『ああ?そうか、俺とお前は視座が違うのか。ほら、最終ギミックまでたどり着けばこの館は火事になる。そのための発火装置を探したが、英断だったな。活路だ』
煙の向こうに、配管があった。
砕けた石膏ボードの裏側から剥き出しになっている。その土手っ腹に、爆発で黒くひしゃげた口。人がぎりぎり入れそうなサイズの穴だ。
影子に手を引かれ、その狭い亀裂へ頭から飛び込んだ。 肩が壁の断面に引っかかり、メイド服の生地と皮膚が同時に裂ける音がした。
構うものかとばかりに、影子はひっぱり引き込もうとする。 肋骨が軋む音を聞きながら、青井は無理やり体を「裏側」へと押し込んだ。
ぬるり、冷たい手が足に絡みついた。桃乃さんの手だ。
まずい、引き摺り出される______
『ハブアグッドターイム!』
影子がいつの間にか回収していた金属針を桃乃さんの腕に突き立てた。
「ちょっと、何を!?」
『ラジー賞総ナメにするつもりか?現実に桃乃の腕を刺したのはお前だぜ』
しかし、その手を振り払うことには成功した。
その配管の奥へ、奥へ這いずっていく。
足の先から、甲高い怨嗟の声がずっと響いていた。
『あーあ、もう引き返せねえぜ。桃乃は完全に敵だな』
(3/9)
暗い。狭い。
青井は配管の中を進む。
その四足に躊躇いはない、勇気もない。自暴自棄、投身自殺にも似た実行力だけがあった。
犬のように姿勢を低くして、暗闇を手探りで探りながら、どんどん奥へ進んでいく。
たまに光の入る亀裂があって、少しずつ様相がつかめてきた。
そこは、異様な空間だった。最初は四角い空調ダクトだったはずだ。
這い進んで数メートルもしないうちに、継ぎ接ぎだらけの溶接痕がある円形の鉄管へと接続されていた。
規格の違う管をコーキング剤で無理やり繋げたような杜撰な施工。
正規の建造物でさえ、手抜きが問題になる昨今だ。デスゲームの建築物に正確な施工をしている余裕なんてないのだろう。
配管は不細工に分岐していて、その隙間から、生暖かい風が漏れ出している。
裏をかいてやった。
そういうふうには青井は思えなかった。
どこからか大きな音がした。
ゴウン、ゴウン、と巨大な換気扇かポンプが唸る重低音が響いていた。
まるで、この建物という瀕死の獣が必死に咳をしているようだった。
病気の体内は瘴気に満ちている。
配管内の空気を口に入れるたび、青井はクラゲの触手に喉を弄られたかのような痛みを感じていた。
息をするのが苦しい、けれど息をしないともっと苦しい。
青井は何度か咳き込んで、静かな、喉を刺激しない呼吸の仕方を覚えた。
闇が、だんだん質量を帯びていくように感じられた。
ここはきっと、ゲームの外側。理性も悪意はなく、理不尽と破壊だけがある。理性ではなく本能が、何重にも警告している。
それでも進むしかなかった。
そうだ。
まだ諦めていない。
全員で、生きて帰る方法を見つける。
そのために、この先に何があるのか確かめなければならないのだ。
青井は動き続ける己の手足を見て、そう解釈した。
『おいおい、この先に出口があるとか期待しちゃってるわけ?ゆっくり話す時間ができた。さっさと本題に入ろうぜ』
…うざったいくらい、耳触りの良い声がした。
影子はどうやら物理法則を都合よく無視できるらしく、配管の先の方から、頭以外が埋まった姿でニヤニヤとこちらを眺めていた。
(4/9)
『俺はな、言わばお前の二つ目の心だ。読書カード一位で表彰された青井優子ちゃん、それで大体わかるだろ?』
「...精神の分裂。タルパ。統合失調。ああ、幻視による自己対話。精神の統制機構、そういうこと?」
『正解』
時々服にねじが引っ掛かり、破れる。
色すらわからない液体が顔にまとわりついていた。
『本来は頭の中に収まるもんだろうがな、お前は短期間で常人の人生数倍分の経験をした。その結果、私という理性と暴力、そして欲望のヘルパーを手に入れたんだ。』
影子はほつれたフリルに手をかけ、躊躇いなく引きちぎった。
それで顔をぬぐう。
「欲望?」
『ああ。粗野に振る舞いたい。吃音なんて捨てたい...エトセトラ。現状の一番大きな欲求は、最も本質的な問いへの回答を出すことだ』
ふと、手のひらに鋭い痛みを感じた。
いつの間にか、配管の錆びて尖った部分で傷つけてしまった。
影子が甲斐甲斐しく、服を破いて包帯にしてくれる。
『簡単だよ。
ゴン、と棒状のものにひどく頭をぶつけた。
いや、実際の衝撃はきっと大したことがない。影子の言葉が、長年抱えてきた腫瘍のように胸の内で傷んだ。
前に向き直り、分厚い複数の棒を手探りで確認する。
そして横に分岐があるのを見つけ、そちらにずれた。
『お前、ぶっちゃけさ、6人生還なんてどうでもいいだろ?さっさと3人で生きて帰って、楽になりたいだろ?あのギミックを見た瞬間から』
その先で、配管がいくつかに分岐していた。しかしいずれもひどく狭い。
広いものから順に当たってはみるが、いずれも行き止まり。
最後に残った通路は、もはや40センチの高さもないだろう。
青井の肩幅がぎりぎり通れる程度。
「そんなこと...っ、ない!」
叫びながら、狭い配管へ飛び込んだ。
ぎりぎり、という圧迫感。
両腕を前に伸ばして、一本の木のようになってようやく入り込めた。
ヒールを脱ぎ捨て、手足の指の力だけで進んでいく。
影子の声から逃げるように。
これも行き止まりなら、終わりだ。
『お前はさ、金子と生きて帰れりゃ満足なんだよ。これまでずっと金子と向き合わなかったのがいい証拠だ。その欲に逆らえなくなるからな』
「黙れッ!」
『言葉に覇気がないねえ。それじゃネズミもビビらないぜ?』
疲労が溜まっていた。ひどく眠い。一度休憩したい。
なのに、配管は途中から他の配管と合流し、水でほとんど満たされていた。水漏れがひどいのか、酸素はあった。
口と鼻だけを出して、何とか酸素を確保しながら進んでいく。
心の中で、300秒を数えた。それくらい進めば何かが見えるだろうと。
600秒経った頃、青井は意識が明滅するのを感じた。影子の助けなしには、口からも皮膚からも水を吸い取って腐乱していただろう。
いつか、声で目が覚めた。
影子ではない。現実の声が……足元から、現実の声が。
「……あ……………………」
「…さあ……………斡旋…」
青井は耳をそばだてた。
しかし、何も聞こえない。
…………偶然?
『幻聴でも聴いたんじゃねえのか?さっさと進もうぜ』
いくら耳をそばだてても、はっきりとした音は何一つ聞こえてこない。
頭上の小さい配管から、溢れでる水は冷たい。
肉体と精神の両面から、青井の力を奪っていく。
青井は水音で、自分の手足が動いているか確認した。
いつまで動いてくれるか。
とうに手足の感覚がない。ただ寒さへの本能的なストレスだけがある。
『そもそも、6人生還にこだわる理由って、何よ?お前元々正義感強いタチだっけ』
「...」
『あのさ、所詮他人だぜ?』
言われて、彼女たちのことをまだ何もわかっていないと思った。
幽鬼さん。最後のギミックにたどり着くと、全くの容赦なく青井と金子さんを殺した。……けれど、今回。最も理性的に青井を救おうとしたのも幽鬼さんだった。
紅野さん、桃乃さん。彼女らと築く関係は何故か極端になりがちな気がした。最初は無関心。次は憎しみ。次は愛着。そして今回はまた、憎しみ。
黒糖さんは未だに内面が見えてこない。
金子さんは………
もっと、もっと知りたい。
生きてここを出て。
(5/9)
「しっかりしなきゃ、こんなのじゃだめだ…」
「優子は頑張り屋さんだね、みんな知ってるからね」
「しっかりしなきゃ、こんなのじゃだめだ…」
「優子は頑張り屋さんだね、みんな知ってるからね」
「しっかりしなきゃ、こんなのじゃだめだ…」
「優子は頑張り屋さんだね、みんな知ってるからね」
「しっかりしなきゃ、こんなのじゃだめだ…」
「優子は頑張り屋さんだね、みんな知ってるからね」
「しっかりしなきゃ、こんなのじゃだめだ…」
「優子は頑張り屋さんだね、みんな知ってるからね」
「しっかりしなきゃ、こんなのじゃだめだ…」
「優子は頑張り屋さんだね、みんな知ってるからね」
「しっかりしなきゃ、こんなのじゃだめだ…」
「優子は頑張り屋さんだね、みんな知ってるからね」
「しっかりしなきゃ、こんなのじゃだめだ…」
「優子は頑張り屋さんだね、みんな知ってるからね」
「しっかりしなきゃ、こんなのじゃだめだ…」
「優子は頑張り屋さんだね、みんな知ってるからね」
「しっかりしなきゃ、こんなのじゃだめだ…」
「優子は頑張り屋さんだね、みんな知ってるからね」
「しっかりしなきゃ、こんなのじゃだめだ…」
「優子は頑張り屋さんだね、みんな知ってるからね」
「しっかりしなきゃ、こんなのじゃだめだ…」
「優子は頑張り屋さんだね、みんな知ってるからね」
「しっかりしなきゃ、こんなのじゃだめだ…」
「優子は頑張り屋さんだね、みんな知ってるからね」
「しっかりしなきゃ、こんなのじゃだめだ…」
「優子は頑張り屋さんだね、みんな知ってるからね」
「期待に、応えなくちゃ」
(6/9)
時間の感覚がない。
『そもそもさ、こんな状況になったのは誰のせいだ?』
「...?」
『幽鬼が最善最速の判断を下さなかったせいだ。』
青井は感触の変化に気づいた。
ここから先の配管は上向きになっていた。
傾斜は30度程度か。立ち上がれたとしても登っていくのはきつい。
しかも、絶えずぬるぬるとしたものが上から流れてくる。
しかし水がなくなるのは幸だ。
『辛いよな』
幻影に反応する余裕がない。
言葉を素直に受け入れる他にない。
『紅野が締め殺したせいだ。あれがなきゃ、三周目の絶望もなかったのに』
何度も滑り落ちて、冷たい水に落ちて、青井はやっと要領を掴んだ。
四肢は地面ではなく、横につけるのだ。蜘蛛のように登っていく。
配管の狭さが幸いして、滑り落ちることはない。
『黒糖もめちゃくちゃやりやがる。お前が助けてやったのに全部無駄にしやがった』
浅い呼吸しかできない。酸素が足りない。意識が朦朧とする。
それでも、青井は傾斜を登りきった。
配管が平行になっている部位に辿り着いた。
「____!」
光が下から差していた。
光は、配管を下った先にあるようだった。
ほとんど90度の急傾斜だ。しかも、配管はある程度下った地点から他の配管と合流し、太くなっている。後戻りはできない。
落下死にだけ気をつけて、ゆっくりと配管を降っていく。
焦らなくても、体は重力に引っ張られてどんどん降りていた。
やがて、青井は配管の狭い箇所から抜け出し、数秒自由落下した。
ベシャリ、という落下音が全身を突き抜けた。
落ちた先は平面にも関わらず、背が裂けて白いモコモコが周囲に広がった。
両手の力だけで起きあがろうとしたが、うまくいかなかった。
影子の助けを借りてようやく立ち上がる。
「.....っ」
落ちた先には、これまでより強い光があった。
出口だ。
青井は立ち上がり、それに手を伸ばす。
___ただし、高さが数センチしかない、小さな横溝に。
『行き止まり、だな』
影子の言葉を否定するように、青井は遥かに明るくなった視界で周囲を這い回った。しかし、あるのは腕も突っ込めない排水溝や、ツルツルとした壁の向こうにある他の配管だけ。最初に見つけた横穴が最大の出口のようだった。
風の流れからして、地下に酸素を滞りなく供給するための溝のようだった。
それは扉でも溝でもなく、絶対的な「地形」だった。
従って、砕きようがない。
出られない。青井は___ここで飢え死ぬ他にない。
無論出口として機能しないそこから、エレベーター前の空間が見えた。
四つの人影があった。 桃乃さん。黒糖さん。幽鬼さん。金子さん。
見える体重制限は二百kg。そのためか、金子さんが片手を切り落としたところだった。
『じゃあ、見てみるか。お前が一緒に帰ろうとしている4人って奴が、いかに醜いか。お手本を見せてくれるぜ』
(7/9)
囚人のように、溝から4人を見つめる青井。
「……青井さん?」
最初に反応したのは金子さんだった。
エレベーターに入れていた片足を、躊躇いながら退ける。
「生きてたん、ですか……」
金子さんが、溝に駆け寄った。
その顔は、ヘドロまみれの青井を見て、あからさまな警戒の色を浮かべていた。
そして。
「...今、助けますね」
慎重に。思索はあれど揺るぎはなく、その決断をした。
「金子、何してんの。早く乗んなよ。無理ですよそりゃ」
「そうだね」
幽鬼さんもエレベータから降り、青井が入っている溝の周囲をコンコンと叩いた。
そして、甲高い笑い声が、その光景を切り裂いた。
「あ……………は………あは、あはははっ!見てください、見てくださいよ皆さん!」
桃乃さんだった。 壁にもたれかかり、ぎこちなく笑っていた。
「逃げたかと思えば、そんなところでどん詰まり!」
そこにあるのは乾いた狂気。 いや、狂気ですらない。
「因果応報ってやつですか!ねえ、でられますー?出られたら今度こそ私が殺しますけど!」
桃乃さんは、ガラガラになった喉で叫んだ。
青井は口がわなわなと震えて、悪口を言いそうになった。
「あなた...何回も言ってるじゃないですか!あれはきっと事故みたいなもので...」
「まあでも、金子さん、そこで拘泥しても仕方ありませんぞ。」
「そうですよぉ!それに、私も手足を切るなんてごめんですから!」
黒糖さんに手を引かれ、金子さんもエレベーターへ去っていく。
桃乃さんは、一番年下の金子さんに手を切らせて悪ぶりもしない。言葉にならない怒りや失望が、ため息になって出ていく。
皆去っていく。200kgのエレベーターへ。
青井は、一人残される。
桃乃があざけるように横目を送った。
『いいね』
桃乃の敵意に応戦するように、青井の心がひどく冷たくなっていった。
拳を握りしめる。溝越しでなかったら、桃乃に殴りかかっていたかもしれない。力のこもった爪の隙間から白いモコモコが浮き出る。
これまでの、思考の高速化とはまた違う変化だった。
『ああ、いい、その方向性はいいぜ!』
これまでの青井の思考回路が組み変わっていく。
そもそも、こんな状況になったのは誰のせいだ。
桃乃、あの女。女の悪いところを全て詰め込んだような形をしやがって。
許せない。
『その方向で己を固めろ!あらゆる己への加害性を認識しろ!』
許せない。
私をここに来るまで助けなかった周囲。
言わなかった私が悪い?
ふざけるな。
私は真剣に悩んだんだ。
自分のアイデンティティに、将来に、現在に絶望して、こんなゲームにのめり込ませたのはお前らだ。
『気持ちよく他人を切り捨てろ!弱者を潰すのは摂理だぜ!』
そして、金子さんが青井よりも己の命を優先した。それは、それだけは...!!!!
絶対に、許さない。
ここからでたら、金子さんを、わたしの
『今のお前なら、できなかった欲望も全部叶えられるぜ!貧乏な親に金をやろう!そして金子を___』
ずがん、と聞きなれない音がして、影子が沈黙した。
「大丈夫ですか、青井さん、ですよね。ああ、名前の話です」
金子だった。
サウナにあったものだろう斧を、危なっかしく青井の覗く溝目掛けて振り下ろしていた。片腕で。
「今更ですけど、その、名前聞いた時あまりはっきり聞き取れなくて」
無茶だ、と思った。
斧は早速刃こぼれしている。建築物を壊せるような作りではないのだ。
「助けられるように見えないけど」
「青井さんを置いて、私だけ帰るなんてできない」
「それに、重量制限もありますよぉ!そんな女、さっさと置いていきましょうよぉ!」
それでも、背後からの静止を意に介さない。
「ダメです!!!!」
金子さんの声は、震えていた。理解しているのだろう、己の行為は徒労の類でしかないと。
銃。斧。刀。一通りの道具を使って青井を救済しようとする。
それに誰も追随しない。
桃乃はもちろん、幽鬼も割り切った態度だ。
13歳の少女は、ひとり武器を振るう。意思も不確かな、どうでもいいはずの他人を助けるために。
溝は、ほんの1ミリだって削れない。
けれど、剣を振り上げた金子さんの髪がふわりと舞い上がり、汗と合わさって、照明に溶けてきんきらにきらめいて見えた。
ああ、このひとは、そういうひとだった。
黒糖さんが死んで、立ち上がる気力をなくした青井を勇気付けてくれたひと。
親の借金を返すために、物事をなあなあで済ませないために、命まで賭けて進む人。
世間一般には、それをずれた責任感とか、強迫観念とか、お節介とかいうのかもしれない。
けれど、
青井がここまで走ってこれた理由。
そうか、私は、この輝きのせいでここまで頑張ってきたんだ。
(8/9)
青井は聖者ではない。
最初のループ、丸鋸から金子を殺してでも助かろうとしたのは青井も同じだ。
自分や、特に好きな人だけが助かれば佳いという心は確かにある。加えて臆病。
それがなぜ、全員で助かるなんて道を迷いなく目指したのか。
簡単だ。それは、やりたかったからだ。
肩で息をしながら壁に寄りかかる金子を見た。精いっぱい小さな肩を上下させて、酸素を取り込んでいた。
怖いだろうに、他の3人が自分を置いていかない保証はないのに。
「……金子さん」
青井は、掠れた声で言った。
「行って。私のことは、いい」
「嫌です……私は、いい子……だから」
金子は、1本しかない手でずっと溝を叩き続けた。
独り言をつぶやきながら。
「えへへ……ありがとう」
その瞳に”ある程度努力して満足しよう”なんていやらしさはない。そして、善意や慈悲もない。
青井をそこから救出
なんだか、嬉しかった。
結局みんな、自分がやりたいようにやっているのだ。
そして、青井もきっとそうする。
青井は金子さんの後ろにいる黒糖さんにアイコンタクトを送った。
黒糖さんは、一瞬だけ目を細めた。
金子よりずっと背の高い彼女が、最後に残った武器____斧と拳銃を持って青井の元へ近寄った。
「黒糖さん...」
「金子さん、離れているのがよろしいかと。人よりはできるもんで」
金子の側で、黒い嵐が吹いた。
一拍置いて理解する。
五発の銃撃による溝の加熱と歪曲。そこに斧による一撃だ。
天賦のものがあるとしか思えない一撃だった。
攻撃力という点なら、幽鬼を超えた出力だろう。ただの一瞬で、金子の数十分を遥かに超える戦果を叩き出した。
青井を閉じ込める溝に、爪一つ分の傷をつけるという程度の。
「はは、格好悪いですな。手詰まりだ。置いて進む他ないでしょう」
「………っ 」
金子はまだ、踏ん切りがつかないようだった。
綺麗な金髪をかき乱しながら悩んで、綺麗なのにもったいないなあ、と思う。
「金子さん。手を、触れさせてくれませんか。」
「...はい」
青井は金子の手に触れながら、じっくりと彼女の顔を見た。
家事のせいか、荒れた手だった。
ああ、やっぱり愛おしい。苛立ち、疲労、それらが滲むものであっても。
「金子さんは、やらなきゃいけないことがある。ここで止まってられない。そうでしょう」
「...だけど」
「行ってください。私は、私の脱出ルートがあります」
下手な嘘だった。でも、金子はそこで……笑った。
弾かれたようにそこから走り出して、過労のためか転びながら、エレベーターに向かっていく。そこから一瞥もしなかった。
どういう訳か、青井にはそれがすごく官能的に思えた。
金子と入れ違いに、黒糖が寄ってきて拳銃をおいていった。
「……ありがとうございます」
青井は、溝越しに頭を下げた。
「どいつもこいつも、てめえの命より優先したいものがあるって、信じられませんよ」
黒糖さんは、まともに歩けない金子さんを抱き上げながら言った。
「でも、そういう奴らと出会えるから、この世界は歩いてみる価値がある。つまり、刺激に飢えてるんですな。食堂で、何か見れるかな、と思ったが大正解でした。おひねりです」
「……はい」
青井は、銃を受け取った。
黒糖さんはひらりと手を振り、エレベーターに歩いていく。
桃乃さんは三角座りをして、こちらを目を細めながらこちらを笑っていた。嫌悪感がした。………けどそれは、鏡を見たときに感じるようなものだ。きっと、人を憎むことにも慣れていないのだろう。
桃乃さんが勝手をしないよう見ていた幽鬼さんは、一瞥してから、操作した。
エレベーターの扉が、閉まる。
上昇していく音が、遠ざかっていく。
青井は、一人になった。
(Loop4 9/9)
溝の前で、青井は座り込んでいた。
手の中には、黒糖さんからもらった銃がある。
元から、体は限界に近い。
低体温症、過労、戦闘によるダメージ、などなど。黒糖さんには悪いが、眠ってしまえばそのまま死ねるかもしれない。
『これがお前の答えか?これでハッピーエンド、だと思ってるわけ?あいつらまた殺し合うぞ。3人になるまで』
影子がまた現れた。
でも、その形は朧に霞んでいる。
『まあ、死んで次の周回だが...その前に方針を決めよう。でも決まりだよな。次のループでは黒糖、桃乃、紅野を殺そう。黒糖はさっさと死んでもらって、桃乃、紅野は丸鋸のとこで...』
「待って、私はまだ、全員で生き残りたい、そのためにチャレンジしたい」
『はあ?』
影子は頭の横で指をクルクルと回した。
『見たろ、あいつらの醜い姿。お前を見捨てて、生き残ろうとした。無理だとさっさと割り切った。不清浄でふしだらな悪性。お前だって、そう生きていい。あいつらを切り捨てていいんだぜ』
青井は、ほんの少しだけ目を閉じた。
他人を切り捨てて___楽な道を生きるべきか。その権利が、あるのか。
「そんなの、どうでもよくない?」
『……は?』
そもそも、切り捨ててよいも悪いもあるのか。
誰よりも大人で導く力がある紅野さん。
謎めいた魅力のある黒糖さん。
幽鬼さんは知的で経験豊富で、実は優しくて、でも、きっと仲良くはなれないだろう。
そして、包容力も守ってあげたさもある桃乃さん。
みんな可愛い。みんな尊い。
仲良くなれたら、きっと楽しいだろうなあ。
「誰は悪いとか、原因とか。こんなゲームだけじゃ判断できないよ。見捨てるなんてダメだと思う」
『何言ってんだ、お前。何度死んだと思ってんだ、あいつらのせいで』
「それよりも、みんなで幸せになりたいんだ。必死で私を助けようとする金子さんを見て、ふと、初心に返って。そう思った」
『金子の意思を継ぐ、みたいな?そうだ……あいつだって、結局お前を見捨てただろ!絶対に6人で帰りたい理由はどこにもない!幻影として、お前の理性として言うぜ、おまえは冷静じゃない!辻褄があってない!』
つじつまがあってない、そうかもしれない。
青井の中ではもはや決意があるのだった。
「わたし、感動したんだ、あの時。」
『___』
この気持ちはあるいは、金子本人への思いではないかもしれない。
でもあの時、手を取ってもらった時、ずっと止まっていた青井の時間は進み出したんだ。
「あの時、金子さんを見上げた時の
『......脳を焼かれた、ってやつか?そんな手垢のついた自己陶酔で......』
「でも、私はそれがあるから、きっと2回目に来て、ここまで立って来られたんだ」
声が、沈黙した。
やがて、ゆっくりと言った。
『……決意は固い、か。誰も彼も終いには本能で動くんだな。最後のギミックを解決するアテは無いんだろ?』
青井は首を横に振った。
『へえ、何も見つけられなかったのに。こんな泥だらけ、見るに耐えない汚物じみた旅路だったのに?』
「何も見つけられなかった。見るに耐えなかった、それが重要なの。私__かわいさだけが取り柄なんだから」
青井は、立ち上がった。
拳銃を、横の影子向ける。現実には、自分自身のこめかみにでも突きつけているのだろう。
初めてだ。己の手で、幕を下ろすのは。
『視座の違い、か。俺は泥を見て、お前は星を見た……だが、その先は地獄だぞ』
耐えられるだろうか。次は4回分の死の痛みが襲い来る。
そして、その次は……
「大丈夫、地獄だって星明かりがあれば歩いていける」
道行きの問題に、これで決着をつけよう。
引き金を引く。そして世界が割れた。