Loop△/■
ソイツは黒糖さんのこめかみに、奪った金属棒を突き立てた。
防腐処理で白く変質する寸前の血液を舌で受け止めて、ソイツは口角を緩ませた。
背丈は青井よりも低い、おそらく子供。しかし、恐ろしく濃い死の匂い。幽鬼と似て非なる匂いだ。幽鬼がプラスチック繊維のように無機質なものであれば、ソイツは斬首を担当する処刑人のような、鮮烈な死臭を放っていた。
メイドを取りまとめる騎士の甲冑を纏っていても、匂いはソイツの本性を語っていた。
ソイツは、言うなればゲームのオニ。処刑人。青井はそれ以上の意味を与えられなかった。
裏道、最後の関門。
白く高く聳える門、その門の真正面で待ち構える処刑人を倒すーーーそれが残された問題だった。
(?/■)
黒糖さんのマーシャルアーツは一歩抜けている。彼女が死んだら、戦線崩壊の合図だ。
隙を作らないよう二人一組、金子さんと青井、紅野さんと桃乃さん、そして
処刑人の膂力は明らかに異様。
こちらが二人がかりで同時に切り込んでいるのに、二人纏めて吹っ飛ばされる。
5人で拮抗しているのに、最大戦力の黒糖さんが死んでしまってはどうにもならない。
「あ、ひーーー」
打ちかかるのを躊躇った金子さんがナイフごと、鉄甲を纏った拳で顔面を破壊された。
力の抜けた体が横に一回転して倒れた。
ゲームオーバーだ。
「いっやあああああああ!?!?」
紅野さんの悲鳴を横に、青井の体は反射的に処刑人へ突っ込んでいた。
手持ちの武器は尽きていた。拳で処刑人の顎を打ち据えた。
桃乃が紅野の手を取り走り出すのを横目に見て、覚悟を決めた。容赦なんてしない。
青井はどこまでいっても付け焼き刃の素人だ。だから、押し切るしかない。
単純な殴り合いで押し勝てない事は明らか。
青井はーーー鉄兜の隙間から、処刑人の左目に中指を突き入れた。
ぬるり。
ゼラチンを入れすぎたプリンと、水晶体の感触は似ていた。
「ーーー!!!」
痛みに叫ぶ処刑人、その開いた口に体重を乗せた蹴りを見舞った。
「■■■!!!」声にならない悲鳴と共に、処刑人がよろけた。それに乗じて、するりと鉄兜に手を回し、鼻骨に中指を引っ掛けながら、自分ごと転倒させる。
鉄兜と地面に挟まれた左手が軋む音がした。視界は90度曲転し、飛び散る血は赤色だった。
獣になった気分で、相手にのしかかり喉を押さえた。乱雑に押さえるだけじゃだめだ。ちゃんと、骨を、神経を潰す、それを意識して荒れた細い首に親指をしっかりと添え、骨の感触を感じながら全体重をかけてーーー
こきゅ、と相手の声帯が異様な音を立てた。
相手の喉からわずかに悲鳴のような声が漏れた。
これ以上やれば、彼女は死ぬ。確実に。
涙するその瞳と視線が合った。
押し切るしかないのに。
今更、「降参」なんて言葉を期待した。
一瞬喉への荷重を緩めてしまった。
次の瞬間、死にかけの虫じみた挙動で、処刑人が青井の腹を蹴りつけた。
「あ」
体のうちで、水風船が破裂するような音が重なった。
(?+1/■)
ラッキーパンチが効いてこれだ。...やっぱり、5人じゃダメか。
簡潔に、青井は命を絶たれた。
目の前の惨状に慌てふためく人間性はとうにすり減った。
何回目だろう。
無茶な行程だと最初から分かっていた。
死が魂を刈り取る感触にはもう慣れた。脳内の神経細胞を巡る火花が枯渇していく感触が分かった。薄れ冷めた思考の中、青井は狙いを簡潔に整理した。
やろうとしていることは、いわばグリッチ。
外法のゲームには外法を。
3人の死亡を要求するイベントがあるなら、そのイベントを発生しないルートを辿ればいい。四周目に見つけた配管がヒントになった。
ズルではあるが、確かな光明だ。
やってやった、という達成感さえ抱えて、青井はこの裏技に何十回も挑みはじめた。
しかし、だんだんと、青井は足元が崩れていくような不安に蝕まれていた。
問題は二つあった。
まず、件の処刑人だ。
この外法ルートを通ると、運営は必ずこの処刑人を配置する。
元々部外者が近寄らないように警備でもしていたのだろうか。こいつは大した台詞回しもなしに襲い掛かり、青井たちの命を奪おうとする。こいつが強い。甲冑を纏っている上、人体改造でも施しているのか5人を正面から打ち倒すほどの膂力を持っている。すでに7回青井はこいつに頭を踏み砕かれていた。
そして、幽鬼さん。おそらくこの中で唯一、黒糖さんを凌ぐであろう実力者。
彼女は外法のルートを行くと力を貸してくれない。絶対にだ。途中で離脱してひとり正規ルートを進んでしまう。
懐柔しよう、とはした。
彼女の内面に踏み入ろうともした。
そのほかにも、脅迫、金銭、懐柔。青井の魂が拒絶するようなこともした。
しかし、彼女の行動を変えることは叶わない。
絶対的な強さの処刑人。
決して意思を変えない幽鬼。
この二つにあと何回挑めばいいのか。次は行けそうな気もするし、永遠に無理な気もする。青井自身の格闘スキルは向上している気もするし、思考力はループのたびにすり減っている気もする。その度無駄死にさせている金子さんたちに、何か申し訳なさ、いたたまれなくなるような気持ちがあった。文字通り腹を切って詫びてみたこともある。
親友のように仲良くなった周回もあるのに、今では目を合わせるのも申し訳ない。
...だめだ、弱音を吐くな。言ったことは、真実になってしまう。
この目標を失えば、青井はどこまでも堕ちていく。
これから言うことだけが、本当だ。
覚醒とともに訪れる数十もの死の痛みに、もう恐れはない。
今青井にあるのは、6人で帰るのだという意思だけだった。道を走り出した理由なんて思い出せないけれど。己の意識が熱くなって、理性のある言葉を吐けているか自信がないけれど。
右足を出していたから、左足を出す。その先には、誰もが笑って迎えられるハッピーエンドがある。歩く理由は、それで十分のはずだ。
(?+2/■)
「なるほど、本当に99回を……」
「なんでそんなバカなことを、って思うかな?」
「い、いえいえ!人はそれぞれの道があるんです!そ、それそ」
こんな、意味のない会話をした記憶がある。
彼女のことだけは、あまりわかっていない。
初めての印象は幽霊みたいな人だった。魂を抜かれそうな瞳、この世のものとは思えないオーラ。殺人に躊躇いがない。
今の印象も幽霊みたいな人だ。
感情の起伏が少なく、儚げで。でも、やはり、致命的な鋭利さがある。青井がこの世界でこの骨を埋めるなら、きっと彼女のそばがいい。
青井は…正直、99回なんて全く共感できない。無茶な目標といったって、e-sportsやアイドルとはベクトルが違う。負ければ終わりで、何より人道に反している。
悪事を働くな、というのではない。青井だって自らの意識でここに来た人間なのだし。でも、それを生きる道にするというのは生存戦略としても間違っている。
日々を慎ましく暮らすだけの金が手に入ったらさっさとやめるべきだ。変身願望や自己実現欲求の向ける先を間違えているだけにしか見えない。
今手にはいる情報で判断できるのはここまでだ。
たぶん、上っ面の尊重だけじゃ手にはいらない。
彼女のことを本当に知りたいなら、ぶつかるしかない。
彼女のことも好きだ。
けれど、あるいは破綻も正常な人間関係のライフサイクルなのかもしれない。
(1/26)
Loop☆※
シャンデリアの照らす食堂は明るかった。けれど安心をもたらす類の明るさではなかった。
眩しいくらいのシャンデリアに、金子は自分たちが見せ物にされているという事実を反芻していた。
「………ぁぁ、青井です」
_______その照明が、一段昏くなったように感じられた。
「ゲームへの参加はさん、よん……忘れました。よろしくお願いします」
掠れた声が闇の源だった。
ボリュームの多い癖っ毛。小さい顔に、大きく丸っこい瞳。青い瞳に一粒の朱。よく見れば、ではなくて100人が100人可愛いと評する美少女。
なのに、どうしてだろう。
彼女の笑みを見て、金子はひどく胸がざわざわした。法悦で満たされたような、完璧な微笑みには感情がない。ゆえに困惑も怒りも届く気がしない。
この人の言うことに逆らってはいけない、と思った。
「私が一番このゲームの経験は豊富だと思うのですが、指揮させてもらっていいでしょうか」
「え?...あ、ああ、いいんじゃないでしょうか?」
顔を向けられた紅野さんは若干気圧されたふうに首を縦に振った。
空気を作るのがうまい。それで決まりだった。金子や桃乃さんは呑まれきっていて、黒糖さんも口を挟む気はないようだった。
「決まりですね。皆さん席を立たないでもらえますか?」
青井さん自身も反論を想定したふうではなかった。
全員の反応を聞く前に、椅子から立ち上がる。
そこから起こることは、金子の理解を超えていた。
まず、書類仕事を終えた後に首をコキっとやるような気だるさで、青井さんがマカロンの大皿を躊躇なく放り投げた。
その時、銀の紐が空中へ舞い上がるのが見えた。
青井さんは顔を前に倒すのだけれど。
「あっ」
それに合わせたように、銀色のそれは正確に青井さんの頭部を貫いた。
何がやりたかったのだ。
Loop■=
そしてその下にあった銀色の鍵束を掴み上げた。まるで、最初からそこにあることを知っていたかのように。
がしゃん、という音に金子は肩を跳ねさせる。
そして、壁にぶつかって砕け散った破片のうち、大きめのものを拾い上げ、青井さんが立ち上がった。
上方へのモーメントを与えられた北欧風のフリルや裾が膨れ上がり、シルエットを大きくする。
その佇まいはメイドというよりケルトの魔女のように映り。
ゆえに、そこから起こることは魔術に違いなかった。
「あなた、何を___」
言い切る前に、青井さんが手首のスナップを効かせて破片を横へ放り投げた。
ちょうど、そのタイミングでびゅん、という風切り音がした。
かん、という気持ちの良い音がして、壁から飛来した《それ》は破片にぶつかり、錐揉みしながらテーブルの中央に落下した。
《それ》、金属針のようなものを青井さんは己の袖を破いて片方に巻き、武器のようにした。
「よし、それじゃあ皆さん」
あいも変わらず理解しきれてはいないのだが、きっと、こういうことなのだ。
青井さんは鍵束の隠し場所や付随するギミックまで一眼で把握し、AIじみた動作でそれを看破して武器を手に入れた。彼女自身はそれに何ら感慨なく、今度はテーブルクロスを乱暴に机から引き抜いた。食器の破砕する音が連続する。
「これで縄を作ります」
いくら頭や目の良い人でもできない所業。尊敬や感動より、恐怖、強いて言えば畏怖という感情が金子を覆った。
「あと、壁も掘ります。皆さんで」
(2/26)
外が見れないので日付のことはわからないが、仮眠も取ったりする必要があるくらいには時間が過ぎた。
アンティークな柄の壁紙を剥がし、現れた壁を破片や金属針を使って掘り進めていくと、本当に爆弾があった。
そうわかったのは、映画で見たものみたいにカラフルな配線や液体が取り付けられていたからだ。
ただ、そこまでに相当の苦労をした。
三つ目の爆弾、青井さんがいうところの発火装置を壁から取り外した時には、手の皮がところどころ抜けていた。
もっと効率の良い掘り方があったのに、と終わってから思ったが、終わったことなので何も言わなかった。
ともかくーーー他の人より、私は穴掘りに貢献をしたと思う。
幽鬼さんが代わろうとしてくれたが、無理に私がやり切った。
ああ、わたしは、今日もいい子だ。
「なるほど、揺らさなければ爆発しない...ホントだよね?」
壁を掘っている間、明らかに長い時間仮眠を取っていた黒糖さんをこっそり睨みつけた。
すると彼女は私に向かってピンク色の舌をちろっと覗かせた。
やばいーーーそう思ったタイミングでちょうど、青井さんが何か話し始めた。
「このゲームで、壁を壊す必要があります。それに爆弾を使うので、三つとも私の足元に置いてください」
そんなこんなで次の部屋にたどり着くと、青井さんはスラスラと次のギミックの解説を始めた。
「壁が出た後は、丸鋸が降りてきます。その丸鋸を吊り下げる棒を使って、天井裏を移動しましょう」
「なんでそこまで分かるんですかぁ...?熟練プレイヤーの方には分かるものなんでしょうか」
桃乃さんの言う通りだ。
青井さん、いくら何でもゲームのことを把握し過ぎているというか。じゃあ運営の手のものか?そうだとしても何というか、隠すそぶりみたいなものが一切ない。
意見を求めるように幽鬼さんの方を見るが...
「...」
幽鬼さんは眉間を険しくしたまま、何事か考え込んだ様子だった。
その目は厳しく青井さんを見据えている。私は声をかけようと手を上げてーーー
「...あ、何か?ーー「黒糖さん、これ持っておいてください」......っ」幽鬼さんが反応してくれたが、それを青井さんが遮った。
廊下にあったキャビネットの一番下の段から取り出していたものだ。
「......なかなか、イカしてますな」
それは、ホルスター付きのナイフだった。
黒い革製のカバーを黒糖さんは太ももにつけた。
黒糖さんだけではない。さっきから青井さんはゲーム内の武器や罠を片っ端から拾ったり壊したりして、私たちに武器を供給してくる。
(3/26)
...なんだろう。さっきから、何かを言い出すたびに青井さんに遮られる。
まるで、こっちの内心を見通しているような。
不信感はある。何を知っているんだ、って洗いざらい聞きたい気持ちがある。
あと、青井さんのやり方は見ていて気持ちが良かった。このゲームのあちこちにある、狡くてデスゲームとして模範的な回答を小馬鹿にしているようだ。
ただ、もしこのゲームをいつも肯定している人からすれば、青井さんの行為は不愉快極まりないだろうな、とも思った。
「全員が手錠をつけたらギミックが始まるので、準備してくださいね。と言っても、手錠の鍵穴に、目印の付いた鍵を入れて回すだけです。桃乃さんから時計順に回していってください。3...いや、2回予行演習しましょう。あ、上を見ないことを意識してくださいね」
一挙一動にまで、青井さんは口を出してくる人だった。今は、桃乃さんにまだ鍵のかかっていない手錠に鍵穴を回す練習をさせているところだった。
「桃乃さん、手錠をつけた瞬間にもう鍵を回して、壁が登り切る前に紅野さんに投げ渡してください」
「は……はい……」
「うまくできなかった場合は、壁の中央の足元……このあたりを蹴ってくださいね。壁が外れるのでそれを使って紅野さんに鍵を渡してください」
そして、全員が手錠をつけた。
時計回りに、桃乃さん、紅野さん、黒糖さん、幽鬼さん、金子、そして青井さんに鍵を渡していく配置だった。
「待っている皆さんは手錠を引っ張ってください。引っ張っている間は丸鋸の降下速度が遅くなります……あ、すみません、復唱してほしいです、はい、」
「「「「手錠を引っ張っている間は降下速度が遅くなる」」」」
軍隊じみた手法でその事実を覚えさせられたあと、全員が手錠をつけると、本当に壁が床から登り始めた。6人に一つずつ三角形のスペースをあてがう形だ。
それと同時に、天井から神経に障る音が聞こえた。体の芯を揺らすような振動に、金子は青井さんの命令を忘れてそれを見上げた。
「ひ___」
丸鋸が生えてきていた。6人に一つずつ。
「桃乃さんは開錠!他の4人は手錠を引っ張る!」
青井さんの命令に混じって、かちり、という音がした。
桃乃さんの手が既に手錠から離れた。桃乃さんの上から迫っていた丸鋸が降下と回転を停止して、それまで目視できなかった一つ一つ刃のサイズが顕になった。
今更のように身に迫る死を再確認して、体が震えた。
「青井さん、丸鋸が、上から降りてきてます!」
あれがたっぷり1秒も胴体に食い込んだら、命はないことは確実だろうと思われた。
かちかち、上と下の歯が擦れ合い始めた。欲しい___あの銀色の鍵が。この不愉快な音を早く止めたい。
何とかしてほしい、そういう願いを込めた金子の絶叫にーーー青井さんは法悦のような、ずれた微笑みで返した。
「桃乃さん、紅野さんに渡す!」
続いて金子から目を逸らして指示を放つ。見捨てられたような恐怖が金子の背筋を駆け上る。
「は、はぁい!」
「金子さん、手錠を引っ張って!黒糖さん、三角の鋭角を蹴って!」
「はいよ!」
___そうだった。青井さんはこうも言っていた。
手錠を引っ張ることで丸鋸は遅くなると。
「...!ふぅ...っ!」
ぎりぎり、関節が軋むような力で手錠を引っ張る。どうだ?丸鋸は遅くなっているか?手応えがない。
また一回、どこかで、かちり、という音がして、紅野さんにあてがわれた丸鋸が止まった。
「やった、外れましたよ...!」紅野さんが弾んだ声で言った。それを聞いて心の中で苛立たしく思う、なんで私じゃないんだって。
「紅野さん、黒糖さんに渡す!」
黒糖さんが蹴って開けた鍵の受け渡し口から、紅野さんの長い腕が直接、黒糖さんに鍵束を受け渡した。
それが、ああ、ああ。
歯を食いしばって、ふう、ふう、と息を吐いた。なんで。年上の人たちから助かっていくんだろう。
迫り来る丸鋸の速度は、一度速いと思うほどどんどんそう思えてきた。あと距離はどのくらいだ?涙で視界が歪んで、正確にはわからなかった。もはや一刻の猶予もなくて、次の瞬間に対処しなければ髪、皮膚、頭蓋、脳味噌の順番に刃を入れられる予感がした。
また、かちり、という音がした。
「つぎ!黒糖さん、次幽鬼さんに渡してくださいね!」
「はいはい!」
長い金髪が数本、ぷちぷちと抜けた。
痛い。丸鋸に絡め取られたのだ。顔がぎゅうと上に引っ張られて、手錠なんか引っ張っている場合ではないと確信した。
黒糖さんが幽鬼さんに渡そうとした鍵束を奪い取ろうと、手を突き出してしっかり掴んだ。
「...っ!」
幽鬼さんの腕がわずかに驚くのを感じた。
ぎ、ぎ、ぎ、と鍵束が軋ませながら引き寄せる。
「どうしたんですか金子さん?」
心底意外、という声で青井さんが言った。
力で劣る金子の指はやがて解かれて、幽鬼さんが鍵束を手にした。
「...!」頭が、軋むように痛んだ。ふぅ、ふぅ、荒い息遣いで丸鋸を見上げた。
これは確実に駄目な距離だ、と思った。
今の奪い合いで、時間をロスした。次...鍵を取らなければ、確実に死ぬ。
どちらか死ぬ、金子か、青井さんか。青井さんに死んでもらおう、なんて思いはなかった。ただ助からなければ、という決意だけがあった。
でも、それは青井さんも同じはずだ。苛立ちを表現しているのか、青井さんのいる隣の三角から、絶えずごつごつと音が聞こえてきた。
再び、かちり、音が響いた。
来た。もう二人が鍵を解除する時間はない。次は奪い合いになる。
今度こそ。今度こそ、己が奪い取らなければ___
どちらかが生き残るか。冷え始めた私の思考を___
「幽鬼さん!金子さんにパス!」
青井さんは冷静な指示で断ち切った。
なにを、言っているんだろう、この人は。それをしたら___あなたは死ぬ。
この人は、自分が助かるつもりなんてないのか?
(4/26)
金子の脳裏に、借金取りの顔が浮かんだ。
毎月やってくる、スーツの男たち。
『信用ってのはな、一度失ったら取り戻せないんですよ、金子さん?』
父は借金を返すため、精一杯努力している。それを知らずに彼らは頭を下げさせ、呆れたように説教する。
そんな疑り深くて、強欲な姿に金子は軽蔑の念を持っていた。
でも、青井さんが金子のために命を捨ててーーー金子は己が彼らと同じことをしていたのだと気がついた。
(5/26)
ともあれ、かちり、という音がして、幽鬼さんが解除したのが伝わった。
そして、拍子抜けするほどあっさりと、私の手の中に銀の輝きは飛び込んできた。丸鋸はもう頭のすぐ上まで来ていた。
もう青井さんが助かる可能性は、ない。
金子は、震える手で鍵穴に鍵を差し込んだ。
かちり。
手錠が外れる。丸鋸が止まる。
助かった。金子は、助かった。
「青井さん!」
鍵を差し出すが、受け取る様子はない。まさか、諦めてしまったのか。
だめだ、駄目だそんなのは。金子が妙な考えを起こさなければ、青井さんは生き残って...
その時だった。
轟!!!と青井さんのいる三角から爆発音がした。
壁が砕け散り、その破片が顔に飛んでくる。
それに少し遅れて、小柄な陰が煙に紛れて飛び込んできた。
「げほっ、ゴホッ...」
「青井さん!?」
「順序をミスりました」
飛び込んできた青井さんは酷い姿だった。
まず、両目から何かが出ていて、血の涙を流していた。そして、片腕もなかった。
「爆発させる時は両耳を塞いで両目を閉じ、口を開かないと駄目なんですよ。そうしないと気圧差で酷いことになる。ホントだったんですね」
「へ...?」
何から何まで、言うことが理解できなかった。
標的を失った丸鋸は、地面に衝突しないギリギリで停止して唸っていた。
それは元からなのだけれど...青井さんは自らの傷に大した執着がないようだった。
「順序は丸鋸で起爆→腕を切るですね...いやそもそも手を切らなくても...ああ駄目だ、完全に前が見えない。リトライです」
そう言うと、青井さんは自分から後ろに倒れて、丸鋸に巻き込まれた。即死ではなかったが、青井さんは叫び声一つ上げなかった。
「は...?え?」
Loop☆¥
青井さんは無傷の金子の三角に転がり込んできた。
青井さんはすべて織り込み済みのようで、うんうん、と頷く。
……この人の余裕というか、不安の全くない行動を見ていると、自分のあさましさ、思慮の足りなさがしみじみと感じられた。
「へ……あ……?」
そのまま、十数秒かけて丸鋸は虚しく回転し、停止した。
「金子さん、どうして鍵を奪おうとしたんですか?」
「えっ...?」
「金子さんなら最後になっても耐えられるかなと思ったんですけど。いえ、私の予想外のことがあったなら知りたくて」
胸がきゅう、としまる。
なんだ、どういう答えを求めているんだ。
『私が我慢の足りない愚かな人間だからです。反省いたします』とでも?
「教えてほしいです。今後に活かしたいので」
青井さんは金子を上目遣いにみつめた。
なるほど。
この人は自己犠牲のつもりなどなかった。
私に不利な立場を敷いた自覚もなかった。
私の強さを確信している。
どんな時も間違えない人間だと信じている。
「……私が、愚かだからです」
「金子さんはそんな人間じゃないですよ」
「何が分かるんですか」
「分かるもなにも、そうに決まってるじゃないですか」
「何が決まってる、ですか?私自身が、私を浅ましい人間だと言っているのに!」
「金子さんがどう言おうと、私は金子さんが誰よりも輝いた人だと思っていますよ。………たぶん好きなんでしょうね」
その言葉が、青井さんへの印象を決定づけた。
(6/26)
自覚がないという意味では、金子は異常者のくくりにはいる。
あまりに強い責任感。齢13にして、父親の借金を肩代わりするべくデスゲームに参加し、あまつさえそのゲームのなかで罪悪感ゆえに死さえ選びかけた。
責任、それは無償の愛という言葉から最も遠い言葉だ。
無意識に跳ね除けてきたそれを、青井という少女から金子はなみなみと注がれていた。
感謝するべきなのだろうか。
でも、金子は単純に怖い、もっといえば気持ち悪いと思った。
だって。金子と青井は、他人、なのだから。
(7/26)
息が苦しい。
空気が冷たい。
酸素が足りない。
小学校のマラソンを思い出した。6キロメートルほどの道のりを、全校生徒で走るのだ。半ばまで走り切る頃には、手足が棒のようになって、頭はくらくら。前に進むことしか考えられなくなっている。もっといいフォームはないのか。外回りをしていないか。積み重なっていく傷は大丈夫か。なぜ走っているか。繰り返し。
ループは、その繰り返しをさらに繰り返す繰り返し何度も繰り返し繰り返す何度でも。そんな感覚だった。
心が擦り切れていく。肉体的には毎回もとに戻るのだけれど、心はもうとっくに冷え切って固まって、前に進むこと以外考えられない。
……完全に冷え切る前に思い出そう。
この旅路はどこから始まったものだったか。
そうだ、青井は、私はあまりにも不完全で、この世を生きていく価値があると思えなくて。こんなところに来た。
でも、そこで輝かしいものに出会って、気がついたら最初の悩みなんて路傍に置いてきていた。
いいことばかりじゃなかった。けど、みんなの色んな面を知ることができた。
それは青井の周囲に留めて置けないかもしれないけど、きっとそれでいいのだ。
(8/26)
青い少女の不安定な立ち姿は、幽霊のように揺れるススキを思い出させる。
私こと桃乃は、その実態の知れない恐怖に肩を振るわせた。
「あーおいさーん。大丈夫なんすかね、これ」
「はい」
「次はどうしますかな?」
黒糖さんに抱きつかれた青井さんは悩んでいるフリをしていたが、多分もう次に言うことは決まっていた。
片手がもげ、中から得体の知れないものがまろびでているというのに...怖いひとだ。先が読めない。ここを出たら、きっと2度と関わることはないだろうなあ。
映像越しに見たりする分にはきっといい人なのだろうけどーーーうん、怖い人とはあまり関わりたくない。
頭のよい人より、安心できる人がいい。
「あの天井があるでしょう、黒糖さん登ってください」
「...おや、私が先陣?」
「大丈夫、しばらくは何の罠もありません。片腕の欠損がなければ私が先に登るのですが」
「先読みするのやめてほしいですなー。つくづく、人間と話してる気がしないんだけど」
黒糖さんはぶつくさ言いながらも、テーブルクロスと金属針で作成されたナニカを受けとった。それを持ったまま、器用に刃を避け、丸鋸を吊り下げているツルツルとした柱に登った。
...天井裏に登るつもり?でも、天井まで3階建てくらいの高さがある。柱には起伏があるがソレでカバーできるのは一階分くらい。天井に飛び移るなんて、その道のプロであっても...
しかし、黒糖さんはひょいひょい、とさながらロッククライミングの選手のように、わずかな起伏に手をかけながら柱の中腹まで登り、そこからナニカを
「ーーーああ、そっか。」
さながら鉤縄のように振り回し、開いた天井にひっかける。その後、素人目にわかるくらいに綺麗な動きで、柱を蹴り、縄に最小の負担をかける動きで天井裏までひらりと舞い上がった。
そこからロープが垂らされた。
「じゃ、黒糖さんに続きましょう」
(9/26)
幽鬼からすればゲームが壊されるというのはどこか懐かしいことだった。
ないことではないのだ。運営とて血と肉の通った組織。
2つ例を挙げよう。
一つ、生存型のゲーム。『ウイルスによって暴走させられた獣たちから、命からがらプレイヤーたちは逃げ惑う』……そういうコンセプトのゲーム。しかし、参加者のなかに動物博士が居たのだ。興奮したライオンも、威嚇するハイエナも、動物博士の前には腹を向けてゴロゴロと喉を鳴らした。
彼女を先頭にプレイヤーたちや動物たちは列をなし、パレードのように進んだ。
あれほど愉快に終わったゲームを幽鬼は他に知らない。
当の動物博士さんは次のゲームで、鉄製の獣に首から上を貪られたらしいが。
もう一つ。今回のゴーストハウスに良く似た脱出型のゲームだ。
このゲームには脱出のための鍵が一つあったのだが、その鍵が壊れてマトモに進まなくなってしまった。それだけなら無事に詰みのはずだったのだが、通気孔やダイヤル錠が脆く、破壊可能だったのだ。プレイヤーたちは通気孔を潜ったり、謎解きを無視して強引に突破してしまった。
そのプレイヤーたちは、次の次の次くらいで、鋼鉄の檻に閉じ込められ、餓死、もしくは手足を食べて窒息したと聞いている。
暫くすると運営はそういう手段を取れないよう工夫を凝らし、時には出口に重火器を設置して不正を強引にガードするようになった。
つまりは、そういうルールなのだ。
アスリートたちが正々堂々と勝負しようとするように。
幽鬼が死亡遊戯で飯を食う以上、そのルールは破るべきものではない。
乗り気でなかった幽鬼は、当然天井裏に登るのが一番最後になった。
登った先では、自然、少女たちはおしゃべりになった。
ここはゲーム会場に比べて通気性が高いからだろう。音が反響せず、密室特有の圧迫感もないのだ。
その実社会のような空気感がむしろ幽鬼の心を不安定にさせた。
「おー、こんな風になってるんだ?スタッフの休憩室みたいな?ここで丸鋸とかいじってたのかな?」
「なるほど、自分たちで言うのは何ですが...私たちは、相当に可愛い、ですからね。その姿を十分に消費しようとするなら、現地で撮るスタッフが必要なはずだ」
「すごい、プロの感想ですね」
その床は剥き出しの木材で構成され、製材場で記された油性マジックが読み取れた。乱雑に放置されたコンセントやスイッチの類、湯気を立てているコーヒーはこのゲームを成立させようと懸命に働いていた運営の血と汗を感じさせた。
壁にはガムテープで引っ付けた小型カメラのレンズが覗いていて、いまだにゲームを成立させようとする運営の意地を感じさせた。
「涙ぐましいじゃん」
「あまり油断しない方がいいと思いますよ。こんなの、見てる側はたまらないでしょう」
黒糖がピスピス、とカメラに目線をやったり、桃乃が机の上に投げ出された封の切られていない菓子に手を伸ばしていた。
その中から、青井が一つの引き出しに目をつけ、乱暴に開ける。所謂ダガーナイフがその中に入っていた。
「紅野さん、お願いできますか?」
「あ...うん」
幽鬼は幾度もゲームに参加してきた。その中で、『理不尽には』ーー生き残るチャンスが0ではないという意味でーーープレイヤーを死なせまいとする運営の厚意のようなものを感じていた。
しかし、先頭をいく少女...青井は明確にこのゲームへの敵意を持っている。
ゲームを壊そう、なんて調子に乗った奴は過去にいた。
ソレならあるいは幽鬼は素直に協力、あるいは格好のチャンスと乗ったかもしれない。
それもプレイスタイルの一つだし、そういうやつはとっとと破滅するか2度とこないのがオチだ。
何より再現性がない。幽鬼の目標を揺らがせるようなものではない。
でも、この少女は背負っているものがきっと違った。ソレに基づいて、ゲームを徹底的なまでに破壊しようとしていた。
それは幽鬼と同じ重さのものを背負っていた。
言葉にできないナニカ、触れ合えば衝突するしかないものを。
「ねえ」
だから、幽鬼は機を逃したと察しつつも口に出した。
何人かが頭だけで振り向き、そして青井の背中に視線を流した。
聞かなくていいんですか。そう言う意図が伝わってきた。
が、青井は足を止めない。
そうすると4人は青井に続いて歩き出した。
歓迎されないと察しながらも、幽鬼は強引に口を開いた。
「私は協力できないからな。この先に何があっても」
「そう言うと思ってました」
金魚鉢のような瞳が幽鬼を見つめた。
2回目だった。
最初にふと見てそして忘れかけていた、繊細なものとは違った。
...噴火する海底火山のような、危うい衝動を秘めていた。
そしてーーー幽鬼は察する。
こいつは、こいつである限りーーー幽鬼の敵だ。
(10/26)
「次の障壁は、ガードマンが一人です。ああ、紅野さん、犯罪歴にはなりませんから安心してください。その逆の懸念は必要ですが」
私、紅野はこの青井という少女が不気味でたまらなかった。
一番は、一度も瞳を合わせないことだ。保護欲をそそる見た目をしているのに、全くこちらを見てくれない。紅野の厚意、興味、そういうものをぶつける隙が一部たりともない。
だというのに、紅野の恐れや不安は神経質なくらいに察知する。
まるで人形師、紅野たちはマリオネットだ。
丁重に扱われている。傷のつかないように、慎重に扱われていた。
それが、どうしようもなく気に触る。デスゲームという極限状態だから、心の奥底に隠しているけれど。
「紅野さんは前衛を、その、お願いしていいですか?嫌なら...」
「そう伏し目がちに言われては断れませんよ...」
遠慮とは、信頼の対象にある言葉だ。
配慮とは、拒絶の対象にある言葉だ。
ずっと拒絶されていると感じた。
本当に私たちを頼る気持ちがあるなら、踏み込んできて欲しいものだけれど。
奇妙な違和感を感じたまま、舞台は変わる。
安っぽい扉を開けると、ざあああと、幾万幾千の木の葉の擦れあう音が聞こえた。
白く高く聳える門、その手前に人影があった。
「知恵ある従者たちよ、よくぞ試練を乗り越えた」
鎧を身に纏った処刑人の掠れた言葉。
挑んだ5人の少女は、そのまま頬から上を潰された。
進展を毎回作れるほど、青井は小説の主人公のように器用に動けなかった。
(11/26)
Loop*+
青井はこともなしに次のループへ向かった。
その道程に語るべきことはない。同じことの繰り返しだ。
同じ結果、同じ挫折。同じ無力感。
変化が生じたのは、丸鋸のトラップを乗り越えた時。
全員が無傷で生存していた。
黒糖さんがすでに丸鋸の上に登り、幽鬼は拒絶をあらわにした。
「私は続かない。だって、それは___明らかに、まずいルートだ」
幽鬼は丸鋸が降りてきた天井へ歩み寄った。
その天井から、蜘蛛の糸のような、微かな、本当に微かな光が漏れていた。
それまで希望に思えていた光。でも今回の青井には、なぜかそれが、どこまでも淋しく空虚な気持ちにさせるものに思えた。
それが始めで、青井は突然周りが暗くなり、意味を持たないものになっていくように思われた。
一つずつ無意味になっていき、ついには青井自身も無意味で空虚なものになってしまった。
さっきまであった目標意識、これまでの希望、友情、覚悟、さらには苦痛と絶望までもが意味をなくしていった。
とろんと眠りに落ちるように、青井は無力感の海に落ちた。
青井さん?と誰かが突然座り込んだ青井に声をかけた。
歩きすぎた踵が痛んで、青井は泣き出してしまった。
泣きながら、青井は自分の心の平衡が崩れたのを感じた。
ああ、今だ。
今が、心の限界だ。
この周回がきっと最後。この周回も上手くいかず、みんな死んで、青井の心も完全に死ぬ。
『あなたは、これからどうするんですか?』
追いかけていた希望が、青井の中で神格化したものが意味をなくした。
残っていたものを再確認する。
『青井さんはもっと自信を持ってください!青井さんがダメなら、私なんてダメダメです!』
桃乃さんからもらった自信は、とうに消え失せて
『それで、周囲を頼れたらなおいいね』
紅野さんからもらった親愛は裏切って
『だから、この世界は面白い』
黒糖さんからの期待も裏切って
ああ、もう何も残っていないじゃないか。くそ、みんな、正しいことだけをするようにした。
みんなの良い面を最大限引き出したつもりだ。
みんなで、美しく、後に続く、世間体の良い、悲劇のヒロインのような、お行儀の良い、社会の構成要因として満点の答えを導き出したはずだ。
残っているものが一つあるとすれば______
「大丈夫?立てないなら、おぶっていくけど」
幽霊女が、前回と少しだけ違う言動をした。
「この、空いた扉へ向かおうか。」
正規ルートを進もうとするこの女に、青井は多分、人生で初めてがなり立てた。
「おまえは、なんなんだ」
(12/26)
突然の威嚇に、周囲の空気が凍った。
それでも青井は声を止めない。
わからなかったからだ。幽鬼がここまで協力しなかった理由が。
数十のループで、幽鬼の目標ーーー99回クリアを目指すまでの経緯を聞き出した。その上でわからない。理解ができない。
「私が選んだ道の、何が、まずいんだよ!おい!言えよ!」
「ーーーだって、明らかに正攻法じゃない。こういう時、運営はあっさり脱出させることもあれば、無理やりゲームを続行させようとすることもある。後者の場合、難易度が異常に跳ね上がる可能性もある」
違う、それは青井が聞きたいことじゃない。
必要なのは解剖と検証だ。
どうせ死ぬなら、終わるなら、これまで尊重してきた幽鬼の内心を強引に覗き見てやる。
「じゃあ何だよ!前者ならお前は安全にクリアできる確信でもあるのかよ!」
「そういう訳じゃーーー」
「違うだろ!お前が固執してるのは、馬鹿みてえなーーーああいいや言っちまえ!意味のないルールと目標のためだろうが!そのために私のルートを捻じ曲げるな!」
ここからは、完全に未知の領域だ。
幽鬼の内心を完全に踏み躙っている。次の瞬間に襲いかかってくるかもしれない、
幽鬼の体から、圧倒的な死の気配が膨れ上がるように感じられた。
黙れ、と無言で語っていた。
でも青井は目を逸らさない。自分の怒りを全てぶつけないと、衝突しないと、気が済まなかった。
それは現状への苛立ちでもあったし、何より幽鬼の人生に苛立っていた。
幽鬼の声が少し低くなった。
「おまえーーー何様のつもりだ。いきなり好き勝手言ってくれて」
そのとおり、幽鬼のことなのだから青井は本来知ったこっちゃない。どれだけ過酷な道を歩もうと、他人事。なのになぜかムキになってしまう。
鳥肌を立てながらも、一歩歩み寄る。
「それに、意味のないルールなんかじゃない。ルールは、私にとって力を与えてくれるものだ」
「知ってるよ!その上で、そんなものを貫く意味がねえって言ってんだよ!」
「意味がーーーない?」
「あるわけーーーねえだろうが!お前は、お前の目標は偽物だ!」
「なにを、言っている?」
今、幽鬼の殺意のスイッチを連打しているのを感じる。
当然だ。これまで、数えるのもやめた回数のループの全ての知識を使って彼女を追い詰めていた。
「本物ってのは、小さい頃から!誰に言われるでもなく目標を追いかけるもんだろうが!お前はなんだ?たまたま向いていた?ふざけんなーーー最初から破綻してんだよ!お前の目標は偽物だ!ルールとやらに力を与えられているのがその証拠だろうが!!!!」
幽鬼の瞳が、青井の言葉で揺らいでいた。
青井自身何を言っているのか理解できない。繋がったままに出しただけ。本物って何だ。そんなものは存在するのか。
思春期の、目標に向けて歩み出す少女にぶつけてはならない禁忌の問い。
「なあ、答えられないのか!」
関係が修復不可能なところにまで至っている。
それでもーーーいいやーーーそうならなければならない人間関係だって、きっとあるのだ。
青井が、生き残るべき3人を定めるような人間なら、いやそういう人間になったなら、幽鬼と仲良くなれた未来もあったのかもしれない。
彼女の弟子とやらになって、二人でゲームの世界に飛び込めたのかもしれない。
でも、その未来は選ばなかったのだ。
だから、この破綻は必定だった。
(13/26)
青井の一言一言が深々と胸に突き刺さってくるのを感じた。
急所を突かれた、というより心が脆く赤裸々になっていた。
スランプ続きで不安定になっていた心は、詰問されただけで大きく揺れた。
「うるさいーーーいっぺん黙れ!」
「黙らない!」
「何様のつもりだ!何が本物、偽物だ!」
「黙れよ、偽物が!お前は、本気で自分に悩んで、悩んで悩んで悩み尽くしてここにいるのか!?」
「そうにーーー」
決まってんだろうが、とは続かなかった。
拳が出た。
どっちから、ではなくて、両者ともに耐え難い衝動を向けていた。
「本当にーーー私はプレイヤーなんだ!」
そんなことしか言えなかった。
拳を形作らないまま、ひん曲がった握りで青井の頬をぶん殴った。
青井は踏みとどまって、瞳孔を開きながら、ぎろりと睨みつけてきた。
「あー!?なんだよ!」
「ーーー」
「もう一回言えよ!こんな悪趣味なゲームの、何なんだ!お前は!どういう背景があれば自分と他人の命をそこまで粗末にしていいんだ!?」
意趣返しのように、平手で幽鬼の頬を叩く。
避ける必然性は感じなかった。
幽鬼は口の中を切り、口の中に鉄臭い匂いが広がったかと思うと白い繊維質に変わった。
「私は、立派な志なんてないぞ!何回やっても、何事もうまくいかない!真剣にやっても嫌われていくばかり!」
「うるさい!道徳の授業でも始めるつもりか!」
幽鬼も平手を返すが、青井のような威勢の良い音は響かない。
さらに反撃で青井の張り手。
大したダメージはない。
何より響くのは、先ほどからの罵声で感じた青井という少女の地金。
常に前向き、肯定的、建設的。
皆んなと一緒に生業を成すことを"良し"と本心から考えている。
真面目で、正直で、謙虚で、報われぬ努力家である。
この子は、受け入れられなかっただけだ。
幽鬼のような、後ろ向きで、否定的で、刹那的で。
暗く、悪意に満ち満ちて、意地が悪く、他人と戦うことをよしとする。
最初から受け入れられることなんて考えてもいない。
真面目?正直?謙虚?そんな生き方、考えたこともない。
そんな人間より、青井たちは、このゴーストハウスの奴らは、"上"にいる。
「ああ……ごめんね、わかるよ、幽鬼さん」青井の哀れみと挑発が混ざった声が、ひどく心をかき乱す。
幽鬼よりも優先され生き残るべき人間だ。
幽鬼に、師匠から受け継いだ目標がないのなら……あるいは、目標の重要性を証明できないのなら。
「違うよね、幽鬼さん。わたしたちは!」
青井にフリルをぐい、と掴まれ、そのまま頬をひっぱたかれた。
「親の借金を返さなきゃいけないわけでもない。20にして芸能事務所を持ってるわけでもない。楽しみたいこともない。騙されたわけですらない」
そんなはずがないのに、赤い血液が飛び散って見えた。心がゲームにのめり込む前に逆行していた。
頬から血が少しずつ出て、じくじくと傷んだ。防腐処理を受けた体にはないはずの痛み。防腐処理に痛みを消す作用は無いが、それでも出血や傷口へ空気や液体が接触する痛みは構造上防いでくれる。
故に、痛めつけられているのは心の方だ。
「わかるよ、幽鬼さん。最低ですよね現実は!ルールは顔の知らない誰かが得をするためのもの!誰も彼も人面獣心!真面目にやってもケチがつくどころか、悪魔のような連中に目をつけられる!……それにくらべれば、このゲームは強くさえあればいい!私たちみたいな欠けた連中には、ここでワンチャン祈るしかない!」
「ーーー違う!」
「違わないだろ!外に出るのも億劫で、当たり前が当たり前にこなせなくて!そんな私たちでも受け入れてくれるから、お前はここにいるんだろうが!!!」
青井に襟を掴まれ、ヘッドバッドを真正面から当てられた。互いの額から溢れた真っ赤な血が溢れた。
反撃の台詞は喉に詰まる。目標の再確認が必要だ。
目標はすでにある。だが、行動が伴っていない。
あの時の決意を、再び胸に焼き付けるために。
「同じなんだよーーー誰よりも、冒涜的で、邪悪なあなただから、ーーー誰よりも、心を許せると思ったんだよ……だから、助けるから、助けろよぉ…」
「うるさい!」
幽鬼は何とか振り解いて、青井を睨み返した。
「わたしはーーー師匠から受け継いだ、99回目の目標を達成しないといけないんだよ!」
叫びは徐々に小さくなっていき、言い切る頃にはぼそりとつぶやくような声になっていた。
自分で吐き出した言葉が重い。喉になにかへばりついているような感触がする。
「ーーーお前みたいな、何の見込みのないへなちょこに、否定されてたまるか!」
青井の両手を、両の手のひらで強く突いた。
げほ、と小柄な少女が咳をはいた。
その喉や、腕の傷からまた赤いものがこぼれた。静謐ささえある、蒼い空間に赤い血がこぼれた。
床に溢れたそれを、幽鬼は咄嗟に拭おうとして、青井からの2撃目を受けた。
バカが、己にそう吐き捨てた。
くそ、なんで今更あいつを思い出す。
青井から顎を突き上げられた時に、誰かの悔しそうな顔が胸をよぎった。
蝋の森で殺した、萌黄色の髪のあいつ。
その罪悪感は、受け入れ難さは、あの叫びと共に忘れたはずのものなのに。
幽鬼はーーー自身を見失っているのか。
ふざけるな、こんな初心者まみれのゲームで自分の道を否定させるか。
そうだ、自分の道を否定させたくない。
それだけでいいんだ。わたしは、いま、それに全力で怒れているんだからーーー
(14/26)
青井は、幽鬼が何か意識を固めたのを知覚した。
初めてだったかもしれない。こんなにも、誰かの意思をはっきりと感じ取ったのは。
恋をするならこんな感覚なのかも。ーーーともかく、相手が胸襟を開いたなら答えなければならない。
(15/26)
幽鬼と青井は奥歯を噛み締めて、一度だけ全力の拳を振り抜いた。
互いに互いの一撃を増幅するノーガード。
二人は大きく吹っ飛ばされた。
ディスプレイのパネルを落とされたように、幽鬼の視界が暗くなる。
(16/26)
それは、幽鬼が白士から言われたことのない、存在しない記憶。
ーーー他人と真剣に関わってみろ。お前にはいい経験になるだろう。
(17/26)
赤が白に入れ替わった。
幽鬼の視界から血の幻影が消え失せた。
(18/26)
二人揃って、ワタまみれで倒れ込んだ。
幽鬼は、青井のことが心底嫌いになった。多分、人生で一番に。でも、むかつきや憎しみとは無縁のものだった。誤解とかすれ違いの結果ではなく、互いの本音を真剣のごとく、1000%でぶつけ合った結果として嫌いになった。こいつは可及的速やかに目の前から消えて、どこか知らないところで幸せになるべきだと思った。
青井もやはり、幽鬼のことが心底嫌いになった。ずっと仲良くなれそうな気がしていたのに。いやきっと、根本では似たところがあるのだ。しかしそれゆえに、二人が笑って同じ道を行くことは不可能だ。残念だったけれど、それがきっとあるべき姿だ。この女は可及的速やかに目の前から消えて、どこか知らないところで己をまっとうして幸せになって欲しいと思った。
(19/26)
「助けるって、お前の攻略ルートに合わせるってことだろう?」ススキの擦れあうような、透明で無機質な声。
青井はそう言われた瞬間、ぱちくり、と目を瞬かせた。
馬鹿が。お前が言ったことだろうが。
「ーーーはい」
幽鬼の中に、生存を害さないものを殺して、自らが劣等のうちにないと証明する道理はなかった。
「その代わり、2度と私の前に現れるな。そんな、悲観的で、絶望的な戯言を、突きつけるな」
「ーーーわかりました」
青井にその提案を飲ませた瞬間、脳内から萌黄色が消え去った。
視界に見苦しく広がっていた赤色も消え去った。
青井に先行して、天井へ続く丸鋸へ歩き始めた。
手も差し出さなければ肩も貸さない。
ついてこいよ、と背中で語った。
(20/26)
処刑人は、また門の前で待ち構えていた。
「知恵ある従者たちよーーー」
処刑人がお決まりのセリフを紡ぐ。
大丈夫だ。いける。
「幽鬼さん」
青井は戦法を最後に確認しようとした。
幽鬼が話を聞いているのか、確信が持てなかったからだ。
青井が何を言っても幽鬼は「へえ」「そう」とか呟くばかり。
幽鬼がここまでついてきていたのは奇跡、干天の慈雨のような奇跡だ。
だからと言って、彼女が魔法使いのように全てを解決できるとも期待していなかった。
青井は不安になって、幽鬼の顔を覗き込んだ。
彼女はーーーすると、不愉快そうに目を細めて、顔を近づけ返した。
銀と青の眼に見据えられて、青井はごくりと喉を鳴らした。威圧されてのことではない。
見惚れてしまった。
青井は、これまで人間の造形というものに感じいったことがなかった。
14年と少し生きてきて、ここまで混じりっけのない空恐ろしさ、美しさ、いやらしさに出会ったことがなかった。
(21/26)
そして青井は理解した。
殺人ゲームのプレイヤーのプロ。馬鹿げたゲームに才能と努力を捧げた歪さ。この世に3度も再現されないであろう奇跡というものが、どういうものなのか。
(22/26)
そこからの出来事は、まさしく魔法。
処刑人が殴りかかった。
幽鬼は最小限のステップでそれを回避し、その腕を取る。
その勢いを利用して、処刑人を投げ飛ばして地面に叩きつけた。
軌道は真円だった。
地響き。
鉄鎧も、振動は殺せない。
処刑人の少女は、一発で伸びた。
デスゲームだけで使える、プロの技術だった。
戦場では使えない。銃使いの方がよっぽど強いから。スポーツでは使えない。ルールや伝統に則ったものではないから。
それで、決着だった。
一連の動きは瞬きの間に終わったのに、そのあまりの無駄のなさのせいか、スローモーションにも思えた。
「♪♪♪♪♪♪」
幽鬼は、鼻歌を歌いながら先へ進んだ。
(23/26)
きいい、安っぽい音と共に門が開いた。
夕日が逆光になって幽鬼の眼をくらませる。
きっと、裏から出る形になったせいだ。さぞカメラの写りは悪かろう。
門の向こう、道とは言い難い草がぼうぼうの狭路に、6台の車がむりやり停めてあった。
運営のスタッフを殺してはまずいだろう、よくやったーーーと考える余裕さえあった。
いつかのように腕を噛ませる必要さえなく、間違いなく過去最高の動きであの処刑人を止められた。
これまでがむしゃらに積み上げたプレイヤースキルが、何か一つのものに結実したように思われた。
幽鬼は門へ向かう。髪が独りでに前へ流れる。ああ、追い風だ。心地好い。
遠目にエージェントさんの顔を見て、何か違和感がある。
ああ、鼻歌を歌っているからだ。ゲームの中でこんなことをするような性格じゃなかったのに。
こほん、と咳をして切り替えた。
その一歩手前、幽鬼は振り返って、呆然としている青井にしっかりと視線を定めた。
こいつのおかげで一つ成長した、何かそういう確信があった。
さっきまでの己が無知な子供に思えた。
まだゲームクリアではない。
けれど、笑った。
「じゃあね」
(24/26)
「...はい、さようなら」
やっぱりプロじゃないか。最後の最後に美味しいところ持っていきやがって。
(25/26)
「賞金、私の分も使っていいですから...」
「そんな、そこまで貰うわけには...」
「いやあ、やっぱり楽な仕事だったね」
そこからは、青井を含めた5人が悠々とゲームをクリアした。
金子たちは青井に必要以上の感謝なんてしない。金子たちから、青井へ向けられた感謝は「道中引っ張ってくれてありがとう」という程度のものだった。青井も彼女らを労い、少しの会話を交わして、それぞれの帰路につく。
......彼女らからすればループなんて知り得ぬこと、青井は一度きりのチームメイト。死闘の痕跡はこの世のどこにもない。
でも、青井はとても満足げだった。
後部座席に乗り込んで、メイドキャップを外す。毛量が多いので、湿気が溜まっていた。
「初めてのゲームで散々暴れてくれましたね」
エージェントから運転席越しに話しかけられた。
「楽しかったですか?満足です?」
満足かって。
何十回も死んだ苦痛に金は見合っていないし、今後ループ能力を活用する予定もないし、金子さんたちと今後2度と出会うこともないだろう。
答えは決まっていた。
「私は私を全うしました。だからきっと、心のままに満足していいんです」
「これしかない、と言っていた時と顔つきが変わりましたね」
「そうですか?人見知りも、頭の悪さも、何も解決していませんけど...」
マイナスをゼロに近づけるだけの旅だったけど。
「きっと、マイナスでよかったんですよ、最初から」
(26/26)
気がついたら、高級住宅街の自室だった。
他にも手入れの行き届いたベッド、クローゼット、テーブル。全部が成金趣味ではなく、かといって貧乏臭さはない。
これらは全て、幽鬼がチョイスしたものだ。
弟子の女の子たちがいろいろ世話を焼こうとしてくれたが、あえて自分で全てやってみることにした。その後白士をこの家に招き、もてなしてみたところ80点くらいの評価はいただけた。それ以来、気になったプレイヤーを招いて見せびらかすのがすっかり趣味になっている。
閑話休題、幽鬼は自分の生活が満ちていると感じていた。
その上「おはようございます」と鈴を転がしたような声が響く。
タレント顔負けの美人さんが満面の笑顔で出迎えてくれるとなれば、もはや妄想狂の描いたものに違いなかった。
幽鬼は己の頬をぐにぐにとつねった。
「おはよう。」
「随分と夢見が悪いようでしたが。またお調子の方が...」
「いいや、メイドさんたちと遊ぶ夢だよ」
もう、と美人さんはくるりと振り返って部屋を出ていってしまった。開いたドアから、朝餉の匂いと見知った少女たちの談笑が聞こえてきている。今日は昆布出汁だな、そう頭の中で呟いて、あとで鍋の中身を確認しなければと思った。
30の壁を突破してから、随分と振る舞いに自信が出たものだ。
美人さんは自身が一線で活躍するベテランプレイヤーでありながら、幽鬼の身の回りの世話をこなし、かつ他のプレイヤーとのコネクションもしっかり築いている。人間力みたいなところを踏まえると、とっくに幽鬼なんか追い越している気がした。
それでも一時は激しく口論し、殺し合いに発展しかけることさえあった。でも物事はなるようになるもので、未だに幽鬼を師と仰ぎ、来る99回のゲームのために、何でも幽鬼勢力なんてものを育ててくれている。
毛糸の口からその存在を知った時は顎が外れそうになったが、その数日前に美人さんに何事か生返事した記憶があるので何も言えなかった。幽鬼としても、気持ちの良い女の子がいれば面倒を見るにやぶさかではないので、結局一定の責任を持って面倒を見ていた。
ともあれ、彼女はまさしく、自慢の弟子、己の誇りだった。
自分の教えを受け継いだ彼女が99回を達成してくれるのなら、もし己が道半ばで倒れても、その時笑って死ねるだろう、なんてことさえ思っている。
「って、弱気になっちゃいけないな」
...いや、エージェントさん、高慢なライバル、師匠、仲間たち。いろんな人たちに支えられて今の幽鬼がある。
その厚意を無駄にしないよう励まなければ。
光の溢れる扉の先を見る。もう少しすれば、愛弟子が布団を引っぺがしに来るだろう。
だから、今はあと少しだけ、この幸せな微睡のなかでーーー
もうちっとだけ続くんじゃよ