聖園ミカに舌打ちされたい 作:性癖多面体
トリニティ総合学園において主要な部活に所属している生徒は、ほぼ全ての授業をオンデマンドで受講することになる。ここキヴォトスでの部活動とは仕事も同然であって、これを通常の学校生活と両立することは困難極まるためである。
また仕事と言った通り、トリニティに限らず大半の学校における部活動では擬似的な給与も発生する。基本的にトリニティではティーパーティーが各部活への予算を割り振ると同時に、部員への給与も校則に従って決定される。正義実現委員会に代表されるような大きな部活は、規模に伴って部員それぞれの手取りも優遇されているわけだけど……これに当てはまらない部活がトリニティにおいて二つ存在する。
シスターフッドと救護騎士団。
この二つの集団はティーパーティーの管理下にはなく、伝統としきたりによって毎月一定額が部員の口座に振り込まれる形となる。学園内のいかなる政治的活動にも参加せず、干渉されないことを目的として校則に盛り込まれた条項だとか。
そして。
「ヒナタ先輩、またお祈りの時間に寝ていたでしょう。寄り掛かってこられるとちょっと困ります」
「ご、ごめんなさいイリヤさん。あの、つい眠気が……ほんとに、すみません」
「……もう。わざとじゃないのは知っているつもりですから、そんなに縮こまらないでください」
私はその内の片方、シスターフッドに所属していた。
大聖堂の掃除をしつつ、生意気にも先輩に小言を言って怒った表情をしてみせる。……別に本当に怒っているわけではないけど、この先輩は毎朝のようにこれだから困るのである。朝に弱いのか、朝の祈りで常にうつらうつらとしては結構な確率で隣の私に体重を掛けてくる。
端的に言って、重いのだ。背も高くプロポーションにも恵まれている彼女に寄り掛かられると、祈るどころではない。私のさらに隣に座る後輩シスターにまで累が及ばないように体勢を維持するので精一杯である。
これで私ではなくサクラコ様の方に倒れていかないのは、夢現の彼女に残された最後の理性がなせる業だろうか。
「そっ、そういえば!」
しばらくの無言の後、言葉には反して意を決したように声を上げたヒナタ先輩が、使っていた竹箒を立て掛けてこちらに振り向いてきた。
このままでは気まずいとでも思ったのかもしれない。私は何とも思っていなかったけど。
「最近、イリヤさんはハナコさんの件で悩んでいると聞きました。あの、もし私に何か手伝えることがあれば、何でも言ってくださいね。いつもご迷惑をお掛けしている分、張り切ってお手伝いします!」
「……」
むん、と握りこぶしを作って笑顔を見せる彼女に、私は思わず表情を固まらせた。
ハナコさんの件。
つまりトリニティ総合学園2年、浦和ハナコをシスターフッドへと勧誘している件について、である。昨年度にシスターフッドの長、サクラコ様から私へと引き継がれたその仕事は、現在も難航していた。
一番大きな理由は、浦和ハナコがシスターフッドへの加入に対して全く乗り気ではないことだ。
この部活は、有り体に言って『権威と伝統の下に人助けをする部活』である。あるいは、信頼と実績(と思想)のあるボランティア部と言い換えることもできる。そして私から見た浦和ハナコは、誰かを助ける側の生徒ではなく、むしろ助けられるべき側の生徒だった。今の彼女は精神的に疲弊していて、とても他の生徒に気を配れるような状況ではないのではないかと私は思っている。
浦和ハナコは他者を助けたいと思っていない。だから、彼女がシスターフッドに入る動機もない。
では、どうして私は彼女を助けることができないのか。彼女の苦境を知っていながら、どうして。
……それは、私がすでに失敗してしまったからだ。
「―――ご心配いただき、ありがとうございます。ヒナタ先輩」
「いえいえ!」
「でも、今のところお願いしたいことはありません。せっかくお声掛けしてくれたのにごめんなさい……あ」
少し、暗い気持ちに捕らわれていた私は、先輩を突き放すような言い方をしてしまったことに言った後で気が付いた。反射的に顔を上げてヒナタ先輩の顔を見上げる。彼女は少し驚いたような顔をして、けれどまたすぐに笑顔を作った。
「……分かりました! でも、いつでも相談してくださいね! 力仕事じゃなくても、頑張りますので!」
それからはお互いに無言で作業をしていると不意に、バキッと音がした。
「……あっ」
それは先輩の声とともに静かな空間にやけに大きく響いた。
咄嗟に音のした方を見遣れば、ヒナタ先輩が掃除していた
彼女の腕力が非常に強いことはシスターフッドの間ではよく知られていたので、椅子の破損それ自体に驚きはなかった。元が古い設備だし、そういうこともあるだろう。しかし、手摺の破砕面から突き出した無数の鋭いささくれが視界に飛び込んでくれば話は別である。
「ヒナタ先輩!」
「ひゃっ! ごっ、ごめんなさい!? 私はまたこんな粗相を―――」
「いや、そうじゃなくて!」
苛立ちから私は語気を荒げた。
駆け寄った私は手のひらには触れないよう、しかし強く彼女の手首を握って目の前に出させる。先輩は目を白黒させた。
「え、あの……?」
「血は出てないですよね、見たところトゲも刺さってないみたいですけど……先輩、痛いところは?」
「な、ないです……」
「本当ですか? 適当に言ってませんか? 後から化膿したりしたら大変なんです、ちゃんと答えてください」
握った手は強張っている。これでは見えないトゲがあっても感じ取れないだろう。手を握ったまま、彼女の手のひらや指先を中心に押したりなぞったりして反応を見る。
「どうですか」
「あっ、ぅぁ……」
「痛いんですか? どこが痛かったですか?」
私が問い詰めると、先輩は頬を真っ赤にして小さく声を漏らした。
「ど、どこも痛くないです……」
「痛くない? 今の反応でですか?」
両手でヒナタ先輩の手をさすりながら聞き返す。先輩の顔はいよいよ首元まで赤くなって、その白い指先を私の指がかすめるたび微かに震えた。
これは……どう見ても痛みを堪えている。早く白状させて救護騎士団の医務室まで連れて行くべきだろう。
「あぅ、あっ……」
「ヒナタ先輩、迷惑なんて考えなくて良いんです。椅子が壊れたことだって仕方のないことで、それよりも痛いのなら痛いと言って救護騎士団に診てもらうべきです。午後にだって先輩にしかできない仕事があるんでしょう? このままだと差し支えが出てしまいますよ」
キヴォトスの生徒は銃弾に撃たれても痛いで済む頑丈な体を持っているが、こういったささくれも含め変なところで普通の人と同じくらい軟弱である。料理の練習をしていて包丁で手を切ってしまうこともあるし、それこそ銃を扱い始めたばかりの幼年期には手にマメやタコができることもある。
ヒナタ先輩は生徒の中でも身体が頑丈な方だと言うけど、他の生徒と同じように怪我をすれば痛いはずだし特別痛みに慣れているわけでもないはずだ。
「うぅっ、うあ」
「ん? ここですか? ここが痛いんですね」
ほっそりとした小指の先端をつまむと、一際大きな反応があった。
なるほど小指が。
私はじっと目を凝らして指先を見つめた。丸く整えられたピンク色の爪と、白い指。そこに異物は見当たらない。
「うーん……やっぱり肉眼では見えないです。先輩、早く医務室に―――先輩?」
「……」
手を引っ張ってもくたりとした感覚しか返ってこない。
振り返れば、ヒナタ先輩は何故か頭から湯気を立ち上らせて目を回していた。
◇
「―――ということがありまして」
放課後。
色々と端折った私の話を静かに聞いていたミカ先輩は、うんうんと笑顔で頷いてから言った。
「イリヤちゃんって普段何考えて生きてるの?」
「えっ」
「あっ、間違えた」
ミカ先輩は一息つくようにティーカップを傾けて紅茶を口に含んだ。
びっくりした。急に凄い火力で罵倒された気がしたけど、私が知ってる聖園ミカはそんなことしないし、たぶん聞き間違いか言い間違いだよね。いや、彼女からの罵倒ならそれはそれで私としては聞いてみたい気持ちはあるんだけど。
「えっと、イリヤちゃんはそのヒナタちゃん? のことが心配なんだよね」
「あ、はい。そうです。結局先輩を医務室に運んだ後は会えなくて」
何もしてないのに先輩が倒れた。
私が何かしてしまったのかとあれこれ悩んだのだけど、結論としてはそうなった。事実、先輩が意識を失うようなことは何もしていないのだから。
ヒナタ先輩は疲労を溜め込み過ぎていたのではないかと私は睨んでいる。
「うん、大丈夫じゃないかな。詳しい理由は話せないけど、何となくそんな気がする」
「何となくなのか、詳しい理由が分かってるのかどっちなんですか」
「何となくってことにしておいて、ってこと!」
ミカ先輩がもう、と頬を膨らませた。ついでに背中の羽をはためかせる。
何だか本当にミカ先輩には事の真相が分かっているようで、少しだけ私は安心した。……今はミカ先輩の言葉を信じることにして、明日またヒナタ先輩に会ったら、もうちょっと休みを取るように言ってみようかな。