聖園ミカに舌打ちされたい   作:性癖多面体

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3. 自分以外の誰かに向けられているという一般性癖

 

「失礼、セイア様はいらっしゃいますか」

 

 私から見た聖園ミカは、天真爛漫で自由奔放。あるいは、わがままなお姫様。大抵のことは自分の思い通りになると思っていて、そしてこれまでそれが否定されることはなかった。彼女が育ったトリニティという箱庭は、恐らく聖園ミカにとって楽園にも近しいものだった。

 わがままとは言ったものの彼女の性根は基本的に善良で、彼女の欲求が悪い方へ傾くことはなかった。何の柵にも囚われることなく人に手を差し伸べることができる彼女に、多くの生徒は偶像を見た。私が九年にわたって観察していた限り、聖園ミカはそのようにしてパテル分派の首長にまで担ぎ上げられた。

 そう、担ぎ上げられた。

 

「ええ、非常識であることは承知しています。しかし火急の用件なのです。どうしても、今でなければ」

 

 彼女に集団の長としての度量はない。

 彼女は自由で、純真無垢で、だからこそ多くを率いる者として適さない。自らの派閥に対して、立場以上の責任を負うつもりがない。例えばそれは、パテル分派を名乗るだけで甘い汁を啜ろうとする生徒に対しての引き締めをする気が見られないことにも表れている。パテル分派は今、水面下で静かに荒れ始めている。

 人を惹きつける魅力はあっても、誘蛾灯のように自身の傘下へと収まった生徒たちを率いるなんて思想は、彼女の中には存在しなかった。

 

「今セイア様にお会いしなければ、トリニティ―――いえ、キヴォトス全体が戦火に包まれることになりかねないのです。荒唐無稽であることも承知の上で、どうか」

 

 だから聖園ミカは、首長になどなるべきではなかった。

 仲の良い友人数人で笑い合っているくらいが、精々彼女に見合った立場のはずだった。放課後に私室で隠れてお茶会なんてしてないで、外のカフェで普通にスイーツを食べて、今度どこかへ遊びに行こうとかそんな話をするくらいが、ちょうど良かったはずなのだ。

 ……けれどこんなことを言っても、私は所詮傍観者だった。私と彼女の間には先輩と後輩という壁が横たわり、次から次へと余計なものを身に負わされてなお、楽しそうに笑う彼女を見ていることしかできなかった。

 

 深夜二時。月明かりに照らされた庭園を横目に、白く息を切らせて回廊を走る。

 

 聖園ミカ―――ミカ先輩はそもそもあまり頭が良くない。学業の成績がどうこうという話ではなく、人を疑うことを知らず自分を疑うこともせず、思考に枷が掛かってしまっている。

 そうだ。あの子は、人を疑うことを知らない。誰かに騙されていても、気が付くことができない。そうと知っていながら彼女を騙そうとした悪い大人がいた。その企みを、私が阻んだ。

 結果として、こんなことになっている。

 

 最奥の部屋に辿り着く。ノックをする手間も惜しんだ私は、付いてきたサンクトゥス派の生徒の制止を払い除けて、ドアノブに手を掛け―――

 

 轟音とともに、ドアが吹き飛んだ。

 

「……っけほ、ごほっ」

 

 ぱらぱらと瓦礫の崩れる音が響いて、立ち込める粉塵が周囲を覆い隠す。

 瞬間的に、頭の中が無力感と絶望で満たされた。

 

 遅かった。

 遅過ぎた。

 どうしようもないほど私は愚かだ。

 

 私はまた失敗した。

 

「……あ、」

 

 煙が晴れるとそこには、ヘイローを破壊された百合園セイアが横たわっていた。

 

 

「それでね、セイアちゃんがうるさいんだよ。『私に羽は生えていないが、その代わりに君と違って頭が羽根のように軽いわけでもない』とか! もうすぐ定期試験だからって勉強しろって普通に言えないのかなー! それに私そんなバカじゃないし! 言われなくてもちゃんと毎日勉強してるんだから!」

「……え、毎日ですか? それは意外です」

「イリヤちゃんまで!」

 

 放課後のお茶会。

 今日のミカ先輩は随分と鬱憤を溜め込んでいたようで、百合園セイアへの愚痴が止まらない。いつも通りと言えばいつも通りか、と聞き流していただけに、突然飛び出した彼女の言葉に少し驚かされた。

 ミカ先輩、これまでは一日の大半をオシャレと甘いもの、あとは人付き合いに費やしていたはずなのに、一体いつから勉強までするようになったのだろうか。

 

「なるほど、最近眠そうにしていたのは勉強に時間を取られていたからですか」

「えー、これだけで気づいちゃうんだ……? そうなの、ちょっとだけやりたいことが出来て」

「へえ、そのために勉強が必要なんですね」

「うーん……ただ、誰かと仲良くなるためにはセイアちゃんみたいな子が言ってることも、分かるようにならなくちゃいけないのかなあ、って思って」

 

 彼女は何でもないことのように、ケーキスタンドからスコーンを取りながら言った。私は今度こそ心からの驚愕を覚える。

 何せ、彼女はいつも百合園セイアの言うことを “難しくて意味分かんない。偉そうでムカつく” と言って憚らなかった。というか、今の話を聞いていた限りその考えは変わっていないだろう。そんな人物の言っていることを理解したいとは、何もかも自分の感性とは合わない物事について勉強することと同じだ。

 どうやら、よほど熱中する何かを見つけたらしい。

 

「例えばね、『経験論的裏付けに欠いた君の稚拙な確信』がナントカカントカ……あ、なんか思い出したらまたムカついてきたかも」

 

 ところで、彼女が百合園セイアについて話しているときに、いつも思うことなのだけど。

 聖園ミカの舌打ちに一番近い存在って、実は百合園セイアなのではないだろうか。

 

「その、ミカ先輩?」

「んー?」

 

 ミカ先輩に舌打ちされた唯一の生徒になりたい委員会委員長の私としては、大いに危機感を抱かざるを得ない。

 だって先輩はいつも “ムカつく” とか、“セイアちゃんは本当に人を怒らせる天才さんだよね” とか言っている。私の判定では、もう今にも舌打ちが飛び出してもおかしくない苛立ち様である。

 何なら本人の前では既にしてしまっている可能性すらある。

 私の前ではそんなに感情を顕にしてくれたことないのに。

 

「……ミカ先輩は、普段セイア先輩のどんなところにイライラするんですか?」

「何言ってるのか分かんないところ。私が分かんないの知ってるはずなのにずうっと難しいこと言ってくるところ。あと話してるときの顔。スーンって感じの」

「最後のはどうしようもなさそうですね」

「そういえばイリヤちゃんも結構表情薄いよね。スンッてしてる」

 

 スーンとスンッは何が違うんだろうか。

 私自身あまり表情豊かな方だとは思っていなかったけど、ニュアンス的にミカ先輩を苛つかせる素質はありそうだった。要はこの表情のまま、百合園セイアみたいなことを言っていれば先輩は苛立ちが溜まるわけである。いや、嫌われることはしたくないけど。

 

 試しに言ってみようかな。

 『ミカ先輩の表情はまるで生きたアレゴリーですね。目に映る全てを寓意する豊かな表情は、この世界を美しく解釈し直すための小さなレンズのようです』とか。

 ……百合園セイアはこんなこと言わないか。これではただの衒学趣味の気色悪い詩人だ。舌打ち以前に距離を取られる未来しか見えない。難しいものである。

 

「ね、イリヤちゃんの話も聞かせてほしいな。最近新しい友達(・・・・・)ができたりしなかった?」

「新しい友達、ですか?」

「そう! 同学年で、口数はあんまり多い方じゃないけど、真面目で素直で優しい子とか!」

 

 誰よその女。

 ミカ先輩は明らかに誰か特定の個人を思い浮かべている様子だった。しかも妙に先輩からの好感度が高い。

 これでも記憶力に自信のあった私は、先輩に質問を投げた。

 

「同学年ですか。一年生で正実のマシロさんではなく?」

「違うかな」

「真面目で素直で優しい二年生……もしかして、髪が白いですか?」

「! うんうん!」

「では、守月スズミさんですね。……生憎と今のところ彼女とは特に交友はありません。ミカ先輩から見て、私と彼女は気が合いそうなんですか?」

 

 私が訊ねると、ミカ先輩はポカンと気が抜けた表情を見せた。

 

「えっと……他に心当たりはない感じ?」

「ええ、これといって」

 

 他には、誰も。

 これでもシスターフッドとして、凡そ全校生徒の顔と名前、性格は一致させている。その方が悩める生徒から心を開いてもらいやすいからである。情報をひけらかすとかえって心を閉ざされてしまうので、あくまで話を聞くスタンスを生徒によって変えるだけだけど。

 

「んー、イリヤちゃんと仲良くなったら良いよって言ったはずなんだけど。……まあいっか」

「ミカ先輩?」

「あのね、イリヤちゃんにお願いがあるの」

 

 一息溜めて、その綺麗な瞳でこちらを見据えたミカ先輩は言った。 やめて。

 

「―――アズサちゃんって子の、友達になって……ううん、一度だけでも、話し掛けてみてもらえないかな」

 

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