こちら、都市伝説研究センターです。   作:えいどら

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幕間 赫い死神
幕間 第一話:赫い少女


 春の終わり、東京。

 陽がゆっくりとビルの狭間に沈みかけ、街には赤と灰色が溶け合うような柔らかな光が差し込んでいた。

 

 道を行き交う人々は、仕事帰りの疲れた表情と、これから飲みに行こうとする期待に満ちた足取りが入り混じっている。

 夕暮れの駅前は喧騒に包まれ、サラリーマンのネクタイは少し緩み、学生たちは楽しげにスマホを囲んで笑っていた。

 

 だが、春だというのに、風はどこか刺すように冷たい。

 歩道の端を駆け抜ける女子高生たちが、肩をすくめながら「寒っ……!」と笑い合っている。

 まだ冬の名残が、都会の隙間に頑なに残っているかのようだった。

 

 通りの一角、小洒落たカフェの前に並ぶ男たちの声がふと耳に入る。

 投資家らしき二人組の会話が、街のノイズの中でくっきりと浮かび上がる。

 

「やはり安定しているのは加賀美インダストリアルか……」

「ふん、あそこは代表が若いのに考え方がしっかりしてる。海外との接点も強いしな」

 

 交差点の信号が変わり、車のエンジン音が低く響く。

 その合間を縫って、別の声がかぶさる。

 

「……どうだろうな。あの若造が本当に信用に足るかどうか……」

「三年前の噂、知ってるか? “人買い”だなんて話もあったぞ」

 

 その言葉に、冷たい風が吹き抜ける。

 春の空気に混じって、かすかに乾いた埃の匂いがした。

 

 街は今日も、人々の言葉を呑み込みながら、変わらず流れていく。

 

 建物のガラスに映る夕日が、まるで火のように赤く燃え、

 その下で、東京という街は、次の夜に身をゆだねようとしていた。

 

 ――静かに、そして確かに。

 

 夕陽は高層ビルの隙間にゆっくりと飲み込まれ、街の色が次第に褪せていく。

 赤く染まっていた空は、すでに藍色のヴェールを纏い始め、街灯がぽつ、ぽつと灯っていく。

 

 その帰り道、制服の女子高生たちがコンビニの前にたむろしながら、肩を寄せ合って笑い声を交わしていた。

 だが、ふとした瞬間、その空気が少し変わる。

 

「ねえ聞いた? この近く……出るらしいよ」

「出るって……まさか幽霊?」

「やめてよ……ただでさえ寒いのに、もっと寒くなるってば……!」

 

 悪戯っぽく笑う声、けれどどこか半信半疑の不安も滲んでいた。

 

 そのすぐ横を通り過ぎる中年のサラリーマンが苦笑を浮かべつつも、無意識に足を速める。

 通りの向こう、街の端にぽつんと建つ古びた神社――

 鳥居は錆びて赤黒く、掲げられた注連縄はもう何年も新調されていないようだった。

 参道の灯籠は壊れたまま、藪に埋もれてほとんど見えない。

 

「でもさ、東港共立のやつら……見たらしいよ……あそこの神社からぁ!」

 

 誰かが面白半分に驚かせるように声を張ると、他の子たちが「やめてってば!」と笑いながら身をすくめる。

 

 気がつけば、通りのざわめきに混じって、夕方の喧騒が徐々に夜の静寂へと移ろい始めていた。

 ビルの谷間から、冷たい風がふわりと吹き抜け、思わず身を縮める人々の肩を撫でていく。

 

 空はもう、完全に日を落とし、淡く残った陽の名残を夜が静かに呑み込んでいった。

 どこか遠くでカラスが一声鳴いたあと、その場の空気が一層冷たくなったように感じられた。

 ネオンがきらめく明るさの裏で、街は静かに“何か”を孕み始める――そんな気配が確かにあった。

 

 そして神社の奥、見えない闇の向こうに、誰かの気配がほんの一瞬、通り過ぎたような気がした。

 

 だが、誰も気づかない。

 

 東京の夜が、またひとつ、始まりを告げようとしていた。

 

 古びた神社の境内は、夜風すら届かないほど重く淀んでいた。

 朽ちた鳥居の奥、灯りはひとつもなく、ただ湿った土と、どこからともなく漂う線香の焦げた匂いだけが満ちている。

 

 そんな闇の中を――

 

「いやいやいやいや!!ちょっと待てぇぇぇ!!」

 

 ひとりの女子高生が、半ば叫び声を上げながら全力疾走していた。

 黒髪をなびかせ、赤いリボンのシャツの裾を振り乱し、息を切らしながら走るその少女――赤羽葉子だった。

 

 背後からは、黒い霧のような怨念の塊が、ずるり、ずるりと地を這うように迫ってくる。

 

「はぁ!?なんで追いかけてくんの!?ていうか近いんだけど!!キモいんだけどぉ!!」

 

 そう悪態をつきながら振り返った瞬間――

 ふわり、と自分の背中から黒い炎が立ちのぼっているのに気づいた。

 

「って、ちょっ……え? え? 熱ちぃぃぃ!!私が燃えてるぅぅぅぅ!!」

 

 まるでロケット噴射のような勢いで足が速くなる。

 駆け抜けるたびに黒炎が後ろに尾を引き、境内の闇を一瞬だけ照らした。

 

 そのとき、葉子のスマホが勝手に点灯し、スピーカーから落ち着いた声が響いた。

 

『霊能力者、それ本物じゃないから。

 ただの呪詛の凝り固まり。仕留めれば消えるよ。』

 

「魔法使い!!見てるならこいつなんとかしなさいよ!!

 てか聞こえてんの!?えっ!?あぁああああ!!」

 

 だがスマホの声は聞こえていないかのように無反応。

 

『……もうちょっとで右側に出るよ。適当に処理して。』

 

「聞けよォォォォ!!こっちは死にかけてんのよバカァァ!!!」

 

 怨念は葉子のすぐ背後まで迫り、黒い触手のような腕が地面を擦りながら伸びてくる。

 

「……もういい!!こんなバイトやめてやるからなああああ!!」

 

 叫んだその瞬間、葉子は手を虚空に突っ込むと――

 そこから音もなく、古めかしい、凶々しい斧を引きずり出した。

 

 刃は欠け、柄には古い呪符が巻かれ、握った瞬間――

 

「っ……いっっっったぁ……!」

 

 両腕から血が滴り落ちた。

 だが構わず、葉子はその斧を地面にズドン!と突き立て、身体を支えながら叫ぶ。

 

「来いよ!!ぶっ壊してやるからなァ!!」

 

 怨念が叫ぶような声をあげて跳びかかってきた瞬間――

 

「おりゃあああああッ!!」

 

 葉子の振り下ろした斧が黒い霧の中心を一閃した。

 刃が触れた瞬間、怨念はぎゃん、と悲鳴を上げたように砕け散り、

 黒い破片となって四方に飛び散り、ほどなく灰となって消えた。

 

 沈黙。

 

 葉子は肩で息をしながら、血のついた斧を杖のようにして地面に立てかけた。

 

「……はぁ……はぁ……もうマジ無理……!」

 

 スマホがようやく反応し、淡々とした声が返ってくる。

 

『お疲れ。帰りにコンビニ寄ってきて。甘いもの。』

 

 夜の神社に、葉子の叫び声が虚しく響き渡った。

 

 

 

 

 

 

「っっはぁ〜〜……死ぬかと思った……」

 

 疲れた足取りで、赤羽葉子は街中にそびえるガラス張りのビルに入る。

 自動ドアがすっと開き、暖かな空気が彼女を包むと、ほんの少しだけ体がゆるむ。

 

 ロビーは静かで、人の気配はまばら。警備員はモニターを見ているだけで、葉子には一切干渉してこない。

 

 中央のエレベーターのボタンを押す。カチ、と軽い音がしてドアが開き、彼女は無言で乗り込むと「9」のボタンをタップした。

 

 静かな上昇の中で、スマホの画面には先ほど消し飛ばした怨念の写真が一瞬だけ映る。すぐに閉じて、ため息。

 

 チン、と鳴る音とともにエレベーターのドアが開く。

 正面の大きなガラス窓の向こうには、東京の夜景。

 ネオンが星のように瞬き、車のライトが遠くで線を描いている。まるでジオラマのような景色だ。

 

「……こわっ……」

 

 何気なく漏れた葉子のひとことが、やけに静かな廊下に響いた。

 

 そのまま廊下を歩き、目的の部屋の前に立つ。木製のドアを軽くノックして開けると、中は薄暗く、空調の静かな音だけが流れていた。

 

 部屋の奥――広めのソファにだらんと横たわり、スマホをいじっている緑髪の女性。

 

 森中花咲。

 

 フード付きのパーカーに、ゆるっとした部屋着。

 

 髪はきちんと手入れされていて、大人びた落ち着きがある。けれど、その気だるげな雰囲気は昔と変わらない。

 

 葉子は手に持っていたコンビニ袋から、ひとつのドーナツを取り出し、花咲のスマホの上にそっと置く。

 

「はいこれ。」

 

 花咲はスマホから目を離し、顔だけ動かしてドーナツを見た。

 

「……プリンが良かった……」

 

 文句を言いつつも起き上がり、脚をくずして座り直すと、ドーナツの包装をもそもそと剥がし始める。

 

 外では、まだ冬の名残が風に乗ってビルのガラスを鳴らしていた。

 それでも、この部屋の中はどこか緩やかで、落ち着いた空気が流れていた。

 

「……店長もう帰ったから、ばねちゃんも帰ってどうぞ〜」

 

 そう言いながら、花咲は財布から小銭を取り出して、テーブルに置く。

 ほんの少し多め。葉子の方にスライドさせながら、

 

「これ、ドーナツ代ね」

 

「え……もう帰ったの?なんか早くね?」

 

 小銭を手に取り、長財布を開いてコインポケットに落としながら、葉子は訝しむように目を細めた。

 

「てかさ……店長って魔法使いより年下だよね?なんか素直に帰るとかさぁ、年寄り臭くて面白くなくない?」

 

 その言葉に、花咲はふっと笑いながら、ドーナツをかじった。

 ひと口、もぐもぐと咀嚼したあと、ぬるい声で答える。

 

「んー、あの人、引きこもりだからね〜。

 外で遊ぶくらいなら、家帰ってゲームってタイプだし。」

 

「それもう年寄りって言ってんじゃん……」

 

 葉子がぼそっと突っ込む。

 

 それを聞くと、無言でまたスマホを手に取ってソファに横になり直す。

 

 葉子もつられてソファの反対側にどさっと座り込み、コンビニのドーナツを取り出す。

 

 部屋の中は、ネオンの明かりがうっすらと床を照らし、外の冷たい世界とはまるで隔絶されたような、妙に心地よい時間が流れていた。

 

 玄関の鍵を回し、重たい音とともに扉を開けた。

 

「……ただいま……」

 

 疲れ切った声で赤羽葉子が呟く。

 薄暗い玄関には誰の姿もなく、廊下の奥からは湯気を含んだ空気と、風呂場の換気扇の音が微かに響いていた。

 

 リュックを肩からずり落とし、スニーカーをつま先で脱ぐと、足音を響かせずに廊下を進む。

 彼女の家は、郊外にある1階建てのごく普通の一軒家。広くも狭くもなく、白いクロスと木目調のフローリングが清潔感を演出している。

 

 リビングに入ると、テーブルの上にはラップがかけられた夕食がひとつ。

 湯気はすっかり消えていて、冷たくなった肉じゃがとご飯が並んでいた。

 横のメモには丸い字で「レンジでチンしてね」とだけ書かれている。

 

 葉子はそのまま電子レンジに料理を入れ、加熱ボタンを押す。

 チンという機械音が鳴り響く中、視線が自然とリビングの隅――仏壇に向いた。

 

 新しい、つやつやした黒塗りの仏壇。

 位牌も写真もなく、閉じられたままの扉には何も貼られていない。

 まるで中に誰もいない仏壇。それは、ここに住む者たちの日常の一部として、当たり前のようにそこにある。

 

 けれど――

 

 ……やっぱり、変だよな……

 

 そう思いながらも言葉にしなかった疑問を、今夜、葉子はようやく口に出すことにした。

 

 風呂場からパタパタとスリッパの足音が聞こえてきて、母親がバスタオルを肩にかけたままリビングに現れる。

 髪はまだ濡れていて、顔はすっきりとした様子。年齢より少し若く見えるその母親に、葉子は声をかけた。

 

「ねぇ、前から気になってたんだけどさ……」

 

「ん?」

 

「……あの仏壇、どうにかならないの……?」

 

 母親は一瞬、視線を仏壇に向ける。

 そして、何かを思い出すように首をかしげた。

 

「……でも、なんでかね。あそこに置いとかないといけない気がするのよ」

 

「え?」

 

「変よね……まだお爺ちゃんもお婆ちゃんも元気なのに」

 

 不思議そうに、しかしどこか他人事のように、母親はそう語った。

 

 レンジがチンと鳴り、葉子は無言で料理を取り出す。

 仏壇に背を向けてテーブルに座ると、ふと背中にわずかな寒気が走る。

 風呂上がりの母親がいるというのに、部屋の空気が妙に冷たい。

 

 仏壇は、何も言わず、何も開かず、ただそこに在る。

 それだけで、何かを待っているように感じられた。

 

 葉子は湯気の上がる肉じゃがを箸でつつきながら、心の奥に引っかかったままの違和感を、喉の奥に押し込むように口をつけた。

 

「……はぁ、やっぱこのバイト、やめよっかな……」

 

 母親は苦笑して、「それ毎回言ってない?」と返したが、葉子は笑わなかった。

 

 窓の外では、風がガラスを擦るように吹いている。

 

 その夜――

 

 静かな空気が部屋を満たしていた。

 机の上のスタンドは消され、カーテンの隙間からは街灯の橙がわずかに差し込んでいる。

 壁掛け時計の針が静かに動く音だけが、部屋の中に響いていた。

 

 ふと、葉子は目を覚ました。

 

 視線の先には天井。

 特に何があるわけでもない、普通の白い天井だった。

 けれど、何かに突き動かされるように、まばたきもせずじっと見つめてしまう。

 

 ……なんか……寝れねー……

 

 頭が、ぼんやりしている。

 けれど、妙にはっきりとした記憶が、じわじわと意識の奥から浮かんでくる。

 

 ……ウチ、いつから……こんな力持ってたんだっけ。

 

 高校に入ったばかりの頃――

 ただのゲームとアニメが好きな、どこにでもいるちょっと元気な女子高生だった。

 

 怪異も呪詛も、ましてや霊能力なんて、遠い世界の話だった。

 

 あん時は、幽霊とか、そーいうの、ぜんっぜん見えなかったし……霊力?とかオーラ?とか、そんなん言われても……「は?」って感じだったのに。

 

 ――なのに、気づけば見えるようになっていて。

 気づけば触れるようになっていて。

 気づけば「仕事」として使えるようになっていた。

 

 ……いや、使えるって言ってもさぁ……

 

 思わず、布団の中で自分の両腕を見下ろす。

 

 黒い斧を握った時、両腕を走ったあの痛み――

 筋肉が引き裂かれるような、骨を直接釘で打ち込まれるような激痛。

 

 マジで、死ぬかと思ったし。

 

 この力があるから、他のバイトよりもずっと時給は高い。

 交通費も出るし、あの事務所は結構居心地がいい。

「便利な力」だと、仕事先の大人達からはそう言われる。

 

 けれど――

 

 こんな不気味な力、いつ、どこで、どうやって、ウチについたんだろ。

 

 まるで、誰かに植えつけられたかのように。

 ある日突然、目を覚ましたら異常な世界が“見える”ようになっていた。

 

 今夜も、葉子は目を閉じても、眠気がなかなか戻ってこない。

 薄暗い部屋の天井を、ただひとり、じっと見つめ続けていた。

 

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