こちら、都市伝説研究センターです。   作:えいどら

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第一章 第陸話:叶

 背中を追って、赤羽葉子は歩き出した。

 

 白いホールを抜けると、空気は一気に現実の重さを取り戻す。

 視界に広がるのは、見慣れたはずの、けれどどこか荒れた街はずれの風景だった。

 

 割れた歩道。

 雑草がコンクリートの隙間から伸び、踏まれても折れずに生き残っている。

 錆びついたフェンスはところどころ歪み、無意味に垂れ下がった針金が風に揺れる。

 色褪せた看板には、もう営業していない店の名前が薄く残り、

 その下に貼られた紙は、雨に溶けて文字を失っていた。

 

 遠くを走る車の音だけが、空間を満たす。

 

 二人は言葉を交わさず、その景色の中を抜けていった。

 

 やがて駅に辿り着く。

 ホームに入ると、荒れた街の匂いは薄れ、

 鉄と油と人の気配が混じった、いつもの公共交通の空気に変わる。

 

 電車が滑り込む音。

 ドアが開き、人の流れに押されるように乗り込む。

 

 車内は無機質で、広告モニターが無表情に映像を流している。

 窓の外には、建物の列が流れ、

 古い低層ビルから、次第に新しいマンションやオフィス街へと変わっていく。

 

 赤羽は座席に座り、膝の上で手を組みながら、

 ガラスに映る自分と、隣に立つリリの姿をぼんやりと見ていた。

 

 やがて電車を降り、

 さらにバスに乗り換える。

 

 バスは住宅街を抜け、緩やかな坂を上っていく。

 道幅は広くなり、街路樹が等間隔に並び、

 電柱や信号機のデザインさえ、どこか新しい。

 

 停留所で降りると、そこからは徒歩だった。

 

 舗装された歩道はひび割れ一つなく、

 植え込みはきちんと剪定され、落ち葉ひとつ放置されていない。

 空気が、明らかに違う。

 

 しばらく歩いた先で、視界が一気に開けた。

 

 ――碧星院高校。

 

 高い塀ではなく、透明度の高いガラスと金属フレームで構成された外周。

 正門と呼ぶにはあまりにも開放的なゲートがあり、

 その奥に、近代的な校舎群が整然と並んでいる。

 

 建物は白と淡い青を基調にしたデザインで、

 直線的で無駄がなく、

 どこか研究施設や企業のラボを思わせる佇まいだった。

 

 敷地内には広い中庭があり、

 人工芝とコンクリートの歩道が幾何学的に配置されている。

 水の流れる音が微かに聞こえ、

 噴水の水面が朝の光を反射していた。

 

 制服姿の生徒たちが、静かに行き交っている。

 誰もが落ち着いた足取りで、

 無駄に騒ぐ者はいない。

 

 リリは立ち止まり、

 首から下げていた生徒手帳を取り出した。

 

 ゲート脇の端末にかざすと、

 短い電子音と共に、ガラスの仕切りが静かにスライドする。

 

 「……行くよ」

 

 振り返らずにそう言い、リリは中へ入る。

 

 赤羽は一瞬、外からその光景を見つめたあと、

 覚悟を決めるように一歩踏み出した。

 

 ゲートをくぐった瞬間、

 外の世界の雑音が、嘘のように遮断される。

 

 整えられた空間。

 管理された静寂。

 

 赤羽葉子は、この時はっきりと感じていた。

 

 ――ここは、

 自分の知っている学校とは、

 まったく別の世界だ、と。

 

 リリが立つその背中は、この異質な空間に、あまりにも自然に溶け込んでいた。

 

 ゲートをくぐってから、しばらく歩いても――

 人の気配は、ほとんど感じられなかった。

 

 広い中庭。

 整えられた通路。

 風に揺れる植え込みの葉擦れの音だけが、やけに大きく聞こえる。

 

 赤羽は思わず、声を潜める。

 

 「……誰もいないんだけど……」

 

 まるで、休日の研究施設に迷い込んだみたいだった。

 

 その言葉に、振り返らずに答える。

 

 「今の時間は、訓練とかもないからね」

 

 歩調は一定。迷いがない。

 

 「みんな……地下にいるんじゃないかな」

 

 さらりと言われたその一言が、

 赤羽の背中に、ぞわりとした感覚を残す。

 

 (……地下……?)

 

 だが、問い返す前に、リリは校舎の自動扉をくぐっていた。

 

 ――校舎内。

 

 外観と同じく、内部も無駄がない。

 白と紺を基調にした廊下は広く、

 天井の照明は影を作らないよう均一に配置されている。

 

 足音が、妙に響く。

 

 しばらく歩いたところで――

 前方から、一人の女子生徒が現れた。

 

 夕陽リリと同じ、紺の制服。

 

 見た目は、ごく普通の女子高生だ。

 長さの揃った髪、整えられた身なり。

 だが――

 

 歩き方。

 姿勢。

 視線の運び。

 

 一つ一つが、異様なほど規則正しい。

 無意識に、無駄な動作が削ぎ落とされている。

 

 それが、逆に不気味だった。

 

 すれ違いざま、女子生徒は一瞬だけ赤羽に目を向け、

 首を傾げる。

 

 「……夕陽さんにしては、少し若くない?」

 

 素朴な疑問。

 だが、その言い方は、完全に“確認”だった。

 

 赤羽が答える前に、リリが即座に突っ込む。

 

 「いや、別にナンパしてきたわけじゃないから」

 

 ぴしっとした返し。

 

 女子生徒は一瞬きょとんとしたあと、

 ふっと表情を緩めた。

 

 「ああ、良かった……」

 

 肩の力を抜き、軽く笑う。

 

 「ついに、やってきちまったのかと思ったわ……」

 

 そして、思い出したように続ける。

 

 「環崎教官のこと、ナンパして振られたの」

 

 「いつだったっけ?」

 

 冗談めいた口調。

 だが、出てくる名前が、まったく軽くない。

 

 その瞬間、リリの視線が泳いだ。

 

 「……そんなの」

 

 一拍置いて、

 

 「覚えてないし……」

 

 間が悪そうに、目を逸らす。

 

 女子生徒は、その反応を見て、楽しそうに笑った。

 

 「はいはい。

 その顔は覚えてるやつだわ」

 

 軽く手を振り、

 何事もなかったかのように歩き去っていく。

 

 廊下に、再び静寂が戻る。

 

 当の本人は何事もなかったように前を向いたまま、歩き続けている。

 

 (ナンパ…?)

 

 (ナンパってあのナンパ…?)

 

 疑問には思うが、特に言及はしない。

 

 まだ緊張が取れないからか、彼女らの砕けた雰囲気には中々同調できなかったからだ。

 

 教官。

 訓練。

 地下施設。

 

 どれも、“普通の高校”には当てはまらない。

 

 赤羽は、その背中を見つめながら思った。

 

 ――ここは、

 学生が“守られる場所”じゃない。

 

 学生が“使われることを前提にした場所”だ。

 

 そして、自分は今、

 その最奥へ向かって歩いている。

 

 そう理解した瞬間、

 胸の奥で、覚悟がもう一段、深く沈んでいく。

 

廊下の最奥にある大きめの扉の前で足を止めた。

 他の教室とは違い、扉は重厚で、木目と金属が組み合わされた造りをしている。

 

 短く、控えめにノック。

 

 「……失礼します」

 

 そう言って扉を開け、中へ入る。

 赤羽も一拍遅れて、その後に続いた。

 

 天井は高く、壁一面には書籍が並ぶ棚。

 専門書、洋書、古そうな背表紙まで混ざっており、

 装飾というより、実際に使われている場所だということが一目でわかる。

 

 窓から差し込む光は柔らかいが、

 部屋全体には、張りつめたような静けさがあった。

 

 その奥――

 大きなデスクの向こうに、一人の青年が座っている。

 

 栗色の髪。

 整った顔立ちに、どこか力の抜けた表情。

 椅子に深く腰掛け、足を組み、肘をついたままこちらを見ていた。

 

 雰囲気は、驚くほど緩い。

 

 だが。

 

 視線が合った瞬間、赤羽は無意識に背筋を伸ばしていた。

 理由はわからない。

 ただ、目を逸らしてはいけないと、本能が告げてくる。

 

 青年は、軽く眉を上げて、彼女を見る。

 

 「……ん?」

 

 声音は柔らかく、どこか気だるげ。

 

 「ちょっと、若くない?」

 

 冗談めいた調子だった。

 

 その言葉に、リリはため息混じりに即答する。

 

 「だから……」

 

 「ナンパじゃないって」

 

 どこか親しげで、

 先ほどまで赤羽に見せていた警戒とは違う距離感。

 

 青年はその返しに、ふっと小さく笑った。

 

 「はいはい」

 

 軽く受け流すような態度。

 けれど、その視線はすでに赤羽の方へと向いている。

 

 部屋の空気が、わずかに変わる。

 

 緩やかで、穏やかで――それでいて、底が見えない。

 

 「お客様だよ」

 

 リリは、少しだけ間を置いてから、室内を指し示すように言った。それから、赤羽の方を軽く見て付け加える。

 

 「……例の研究センターの、アルバイトさん」

 

 青年は一度だけ赤羽に視線を向け、

 それから大きくもたれかかったまま、ゆるく頷いた。

 

 「そうかそうか」

 

 どこか気の抜けた声。

 だが、目は確かに状況を捉えている。

 

 「で」

 

 肘をついたまま、首を傾げる。

 

 「そのアルバイトさんが、何のようかな?」

 

 問いかけは柔らかいが、

 場を仕切る人間の余裕があった。

 

 リリは一歩前に出て、簡潔に説明する。

 

 「彼女……何らかの犯罪被害者である可能性がある」

 

 赤羽の様子を思い出すように、少し言葉を選びながら。

 

 「いくらアルバイトとはいえ……」

 

 「その状態のまま、私たちの仕事に関わらせるのは」

 

 「メンタル的に、正直……心配」

 

 青年はそれを聞き、即座に否定も肯定もしなかった。

 

 代わりに、リリを見る。

 

 「……確証はあるの?」

 

 あくまで冷静な確認。

 

 リリは首を横に振る。

 

 「確証、まではない」

 

 だが、続けて言葉を重ねる。

 

 「でも……」

 

 「あの時、彼女が私の話を詳しく聞こうとした時」

 

 「椎名さんとセンター長さんが、必死に彼女を止めてた」

 

 一瞬、沈黙。

 

 「たとえ……私の読みが外れてたとしても」

 

 「少なくとも、彼女は彼女に頼まれた仕事をさせるべきじゃないと思う」

 

 言い切りだった。

 

 青年は「ふーん」と小さく相槌を打ち、

 天井を見上げるように視線を逸らす。

 

 「……ま」

 

 少し間を置いて、

 

 「夕陽さんがそう思うんなら、そうかもね」

 

 軽く納得したように笑う。

 

 それから、今度は真正面から赤羽を見る。

 

 視線は柔らかい。

 けれど、逃げ場はない。

 

 「で」

 

 声音は変わらないまま、

 はっきりと問いを投げた。

 

 「本当のところは、どうなの?」

 

 ほんの少しだけ口角を上げて、

 

 「――アルバイト君」

 

 その一言で、

 部屋の空気は完全に、赤羽に向けられた。

 

 校長室の静けさが、さらに一段深くなる。

 赤羽は、青年の視線を正面から受け止めたまま、喉を鳴らした。

 

 逃げ場はない。

 だからこそ――逃げない。

 

 「……一回」

 

 声が、わずかに震える。

 

 「一回……殺されました」

 

 言葉を吐き出した瞬間、

 胸の奥に押し込めていた記憶が、ざらりと擦れる。

 

 「なんで……生きてるのかは、分かりません」

 

 指先が、自然と強く握りしめられる。

 

 「でも……確かに、あの時……」

 

 それ以上の描写は、口にできなかった。

 それでも“事実”だけは、はっきりとそこにあった。

 

 青年は、口を挟まない。

 足を組んだ姿勢のまま、ただ赤羽を見ている。

 

 軽い相槌も、冗談もない。

 その目は、逃げも誤魔化しも許さず、

 同時に――拒絶もしなかった。

 

 赤羽は、息を吸い直す。

 

 「でも……」

 

 今度は、少しだけ声がはっきりした。

 

 「リリさんは……悪い人じゃない」

 

 横に立つ存在を、言葉でなぞる。

 

 「私を殺した人とは……関係ない」

 

 震えながらも、言い切る。

 

 「だから……」

 

 赤羽は、青年を見る。

 

 「私は……この仕事を、やり遂げたいんです」

 

 恐怖がないわけじゃない。

 傷が癒えているわけでもない。

 

 それでも――

 目の前にある“関わってしまった現実”から、

 目を逸らしたくなかった。

 

 沈黙。

 

 書棚の奥で、空調が微かに音を立てる。

 

 青年は、赤羽をじっと見つめたまま、

 ゆっくりと息を吐いた。

 

 その視線には、軽さも油断も、そして――侮りもなかった。

 

 青年は、ゆっくりと椅子から身体を起こし、足を組み替えた。

 先ほどまでの緩さは残したまま――けれど、声には確かな重みが乗る。

 

 「まあ……」

 

 赤羽に向き直り、肩をすくめる。

 

 「そういう子を扱うのも、僕たちの仕事だけどね」

 

 軽い言い方だったが、冗談ではないことは誰にでも分かる。

 

 「リリさんの気持ちも、分かるし」

 

 視線を赤羽に戻す。

 

 「アルバイト君が言ってることも……分かる」

 

 どちらかを切り捨てることなく、

 どちらの覚悟も、同じ重さで受け止めている声音だった。

 

 それから青年は、数歩だけ移動し、隣に立つ。

 

 視線を落とし、少しだけ声の調子を変える。

 

 「リリさんもさ……お姉さんを亡くしてるんだ」

 

 空気が、きし、と軋んだ。

 

 その言葉に、リリはぴくりと肩を揺らす。

 すぐに何もなかったように視線を逸らし、窓の方を見る。

 

 「……」

 

 何も言わない。

 否定もしない。

 

 青年は、そんな彼女を責めるでもなく、静かに続けた。

 

 「だからこそだと思うよ」

 

 「君が、アルバイト君のことを心配するのは」

 

 「敢えて誰かを傷つける光景を見せたくないって思うのも……無理ない」

 

 リリは唇を噛み、わずかに俯いたまま、何も答えない。

 その沈黙が、十分すぎるほどの肯定だった。

 

 赤羽は、その様子に目を見開いた。

 

 驚き。

 そして――理解。

 

 数秒、迷うように視線を彷徨わせたあと、

 赤羽は一歩、前に出る。

 

 「……なら」

 

 声は震えていたが、逃げていない。

 

 「尚更です」

 

 二人を見る。

 

 リリを。

 そして青年を。

 

 「私は……私ができることを、したい」

 

 それは、自己犠牲の宣言ではなかった。

 救ってほしい、という願いでもない。

 

 「全部、分かったふりはできません」

 

 「怖いですし、簡単じゃないってことも……分かってます」

 

 それでも。

 

 「でも」

 

 赤羽は、はっきりと言った。

 

 「それでも、ここで何もしないで帰る方が……嫌なんです」

 

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