こちら、都市伝説研究センターです。   作:えいどら

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第一章 第捌話:寝間着

 翌日。

 

 碧星院高校の女子更衣室は、やけに無機質だった。

 

 白を基調とした壁、金属製のロッカー、曇りひとつない大きな鏡。

 学校というより、研究施設の付属設備のような空間。

 

 その鏡の前に、赤羽葉子は立っていた。

 

 身にまとっているのは、

 黒を基調に、赤いラインが走るミリタリー系の服。

 

 ネクタイを締めて、しっかりとした軍事的な装束に、どこか大人びた女子らしさを感じるワンピース状のスカート。

 

 リリの着ている制服と比べると少しだけカジュアルに見えるが、それでも女子高生のブレザーよりは「それらしさ」を感じる服である。

 

 赤羽は袖を引っ張ったり、肩を回したりしながら、生地を指先で確かめた。

 

 「……おお……」

 

 思わず、感嘆の声が漏れる。

 

 布は硬そうに見えるのに、触るとしなやかで、

 表面はさらりとしているのに、芯のある重さがあった。

 

 「なにこれ……めっちゃ高そう……」

 

 その様子を、壁にもたれて見ていた夕陽リリが口を開く。

 

 「それね」

 

 淡々とした声で説明する。

 

 「ちょっと前、例のドラッグの件でΣを手伝ってた子がいて」

 

 赤羽は鏡越しにリリを見る。

 

 「その時に特注で作ってた、防弾制服なんだけど」

 

 「結局その子、普通の制服で毎回特攻するもんだから」

 

 「使わず仕舞いだったらしいんだよ」

 

 赤羽は目を丸くした。

 

 「……え」

 

 「そんな理由で……?」

 

 もう一度、自分の格好を見下ろす。

 

 「……じゃあさ」

 

 少し考えてから、素朴に言う。

 

 「私も、普段着で行けば良いじゃないですか」

 

 リリは即座に首を振った。

 

 「無理」

 

 即答。

 

 「世怜音女学院の子で、見た目だけは…同じ制服だったから」

 

 「それでも、まあ良かったんだよ」

 

 そう言ってから、赤羽を見る。

 

 上から下まで、一度だけ。

 

 「……葉子先輩は、無理」

 

 赤羽が「えっ」と声を出す前に、

 リリは近づいて、その肩をぽん、と叩いた。

 

 「その制服、着てな」

 

 数十分後。

 ワゴン車は、一定の速度で走り続けていた。

 窓の外には、整備された道路と、無機質な建物の列が流れていく。

 

 赤羽葉子は後部座席で、シートに深く座り、隣のリリをちらりと見る。

 

 特に話題もなく、エンジン音とタイヤの走行音だけが車内を満たしていた。

 

 しばらくしてから――

 赤羽は、思いついたように口を開く。

 

 「……私さ」

 

 一瞬間を置いて、

 

 「大学、行こうと思ってて」

 

 リリは前を向いたまま、軽く頷く。

 

 「ふーん」

 

 赤羽は続ける。

 

 「でもさ……」

 

 少し困ったように笑って、

 

 「勉強って、やっぱり――めんどくさいもんじゃないですか」

 

 率直すぎる問いだった。

 

 リリは、即答する。

 

 「別に、めんどくさくない」

 

 淡々と。

 

 すると、運転席に座っていた女性教官が、バックミラー越しにちらりと赤羽を見て言った。

 

 「碧星院の生徒たちは、みんな勉強できんのよ」

 

 追い打ちだった。

 

 赤羽は、むっとした表情で顔を背ける。

 

 「悪かったですね。勉強嫌いで……」

 

 ふてくされた声。

 

 車内に、少しだけ気まずい空気が流れる。

 

 教官はハンドルを握ったまま、少し考えるように黙り込んだあと、ぽつりと呟いた。

 

 「うちに、めちゃくちゃ勉強好きな子、いるのよね」

 

 赤羽が、ちらっとミラーを見る。

 

 教官は、記憶を辿るように続ける。

 

 「なんだっけ……」

 

 「勉強が自分の人生に本当に大事だと思ってないから、勉強が嫌になる」

 

 「飯食ったり、寝たりするのは、生きる上で必要だから、みんな欠かさないのと同じで……」

 

 そこまで言って、少し間を置く。

 

 赤羽は、完全に説教モードだと思ったのか、

 

 「はいはい……」

 

 肩をすくめて、少し縮こまる。

 

 だが、教官はすぐに言い添えた。

 

 「別に、先生として言ってるんじゃないからな」

 

 ミラー越しに目が合う。

 

 「生徒で、そう言ってる奴がいるって話」

 

 それだけ言って、再び前を向いた。

 

 車は変わらぬ速度で走り続ける。

 赤羽は黙ったまま、窓の外を眺めながら、さっきの言葉を頭の中で転がしていた。

 

 赤羽は窓の外から目を離さないまま、眉をひそめてぼそっと呟いた。

 

 「……そんな、何でもかんでも先生の言いなりで」

 

 一拍置いて、

 

 「楽しいですか?」

 

 機嫌の悪さを隠す気もない声だった。

 

 すると、運転席の教官は苦笑混じりに返す。

 

 「言いなりなら、むしろ嬉しいんだけどな……」

 

 その言い方が妙に現実的で、

 後部座席のリリが思わず吹き出した。

 

 「ふっ……」

 

 肩を揺らしながら、面白がるように続ける。

 

 「でも、そいつさ」

 

 「パジャマで、学校の中うろついたりするんだよね」

 

 赤羽の顔が、ゆっくりとこちらを向く。

 

 「……え?」

 

 目を見開いて聞き返す。

 

 「パジャマ……?」

 

 「パジャマって、あの……?」

 

 信じられない、という顔。

 

 教官はため息混じりに頷いた。

 

 「そう、寝間着だよ」

 

 「学内は、まあ……百歩譲っていいとして」

 

 ハンドルを握り直しながら続ける。

 

 「それで、たまに外もほっつき歩くから困るんだよ」

 

 赤羽は言葉を失う。

 

 「……」

 

 教官はふと思い出したように、顔をしかめた。

 

 「……世怜女の研修。流石に、着替えて行ったよな……?」

 

 その問いに、リリは即答だった。

 

 「それ、叶さんからも言われた」

 

 面倒くさそうに、窓の外へ視線を流す。

 

 「行きましたよ……ちゃんと」

 

 車内に、なんとも言えない沈黙が落ちる。

 

 ワゴン車の窓越しに、遠くの景色がゆっくりと流れていく。

 コンクリートとガラスでできた、ひときわ大きな施設が視界に入ったところで、リリがふと口を開いた。

 

 「……ねえ」

 

 フロントガラスの向こうを見つめたまま、

 

 「みんな、むぎちゃんのこと……妖怪か何かだと思ってない?」

 

 少し冗談めいた調子だったが、どこか本気も混じっている。

 

 「先生も……叶さんも」

 

 運転席の教官は、首を横に振りながら苦笑した。

 

 「いやあ……」

 

 「勉強はできてもさ」

 

 ハンドルを切りつつ、

 

 「あれで歩かれちゃなあ……」

 

 ため息まじりに、ぼそっと続ける。

 

 「……今度、ビジネスマナー研修にでも行かせるか」

 

 完全に独り言だった。

 

 それを聞いて、リリは小さく笑う。

 

 「大丈夫ですよ」

 

 少し楽しそうに、

 

 「この前は、ちゃんと制服着て行きましたから」

 

 車内の空気が、ほんの少し和らぐ。

 

 ――が。

 

 後部座席でそれを聞いていた赤羽が、ぴくりと反応した。

 

 「……この前、は?」

 

 声は穏やかだが、

 やけに引っかかる言い方だった。

 

 赤羽は、ゆっくりとシートに背中を預けながら、

 心の中で思った。

 

 ……碧星院、自由すぎない?

 

 だが同時に――そんな人間が、当たり前のように、この“危険な場所”で生きているという事実が、妙に引っかかってもいた。

 

 ワゴン車は、変わらぬ速度で走り続ける。

 赤羽の中で、Σという組織の輪郭は、

 少しずつ、しかし確実に――

 “異常な日常”として形を持ち始めていた。

 

 

 

 

 同じ日の昼過ぎ。

 

 コンビニの店内は、昼休みのピークを少し過ぎた時間帯で、

 客足もまばらだった。

 

 雑誌コーナーの前に、ひとり――

 栗色の髪をしたパジャマ姿の少女が立っている。

 

 ゆるいシルエットのパジャマ。

 寝癖を軽く整えただけのような髪。

 その姿はどう見ても「外出用」ではないが、

 本人はまるで気にしていない様子だった。

 

 紐で縛られている雑誌を、じっと眺めながら、

 小さく口を尖らせる。

 

 「……最近さぁ」

 

 気の抜けた、どこかぼそぼそした声。

 

 「立ち読みも、させてくれないもんなぁ……」

 

 表紙をぺし、と軽く指で叩き、

 興味と諦めが半々の視線を落とす。

 

 しばらくそのまま動かず、

 悩むようにポケットに手を突っ込み、財布を取り出す。

 

 中身を確認して――

 ほんの一瞬、考え。

 

 「……やめとこ」

 

 あっさり結論を出し、

 雑誌コーナーから離れた。

 

 その頃、コンビニの外は少し騒がしい。

 

 ガラス越しに見えるのは、

 服装がやたら派手で、社交的そうな金髪の男性。

 

 どうやら、

 大人しそうな女性に声をかけては、

 あの手この手で外へ連れ出そうとしているらしい。

 

 身振り手振りが大きく、距離も近い。

 

 少女はその光景をちらっと見て、

 目を細める。

 

 「……うわぁ……」

 

 感情の乗らない、正直すぎる反応。

 

 レジでコーヒーをひとつ買い、

 イートインコーナーへ。

 

 椅子に座ると、

 目の前の机にコーヒーを置き、

 そのまま――

 

 ぱたんと突っ伏した。

 

 頬を腕に押し付けたまま、

 視線だけを横にずらして、外の様子を見る。

 

 「……めんど……」

 

 小さく、心底煩わしそうに呟く。

 

 大人しそうな女性は、金髪の男性から距離を取ろうとしていた。

 一歩下がり、視線を逸らし、曖昧に笑ってはいるが――

 相手はそれを「脈あり」とでも思っているのか、距離を詰めるのをやめない。

 

 「いや、その……今日は……」

 

 女性が身を引こうとした、その瞬間。

 

 「……はぁ」

 

 間の抜けた、やる気のない溜め息。

 

 コンビニの自動ドアが開き、

 パジャマ姿の栗色の髪の少女が、のそのそと外へ出てきた。

 

 状況を一瞥するなり、

 面倒くさそうに首を傾ける。

 

 「……なにやってんの、これ」

 

 そして、何の躊躇もなく女性の横に並び、

 やけに親しげな声で話しかけた。

 

 「お姉ちゃんさ」

 

 きょとんとする女性を見上げて、

 

 「このお兄さん、誰?」

 

 質問の形ではあるが、

 返答を待つ気は最初からない。

 

 間髪入れず、男性の方を見ずに続ける。

 

 「今日、一緒にお出かけだって言ったじゃん」

 

 女性の手首を軽く取って、

 

 「ほら、早く行こ」

 

 そのまま、自然な動作で男性との間に割り込み、

 女性を引き剥がす。

 

 「え、ちょっ――」

 

 金髪の男性が慌てて声を上げるが、

 少女は一切振り返らない。

 

 女性を連れて、

 そのまま歩き去る。

 

 男性は一瞬、追おうとしたものの、

 パジャマ姿で堂々と人を連れ去る少女を見て、

 何かを察したのか、それ以上は動かなかった。

 

 少し離れたところで、

 女性は足を緩め、少女の方を見る。

 

 「あの……」

 

 控えめな声。

 

 「……ありがとうございます……」

 

 少女は、歩きながらちらっと横目で女性を見る。

 

 「んー?」

 

 気の抜けた声。

 

 「別に」

 

 コーヒーの紙カップを揺らしながら、

 

 「なんか、見ててめんどかっただけだよ」

 

 そう言ってから、

 少しだけ間を置き、付け加える。

 

 「……ああいうの、放っとくと長引くし」

 

 女性は、その言葉に小さく笑って、

 改めて頭を下げた。

 

 少女はそれを見て、ほんの少しだけ眉を動かす。

 

 「……まあ」

 

 「無事なら、それでいーんじゃない」

 

 人通りの少ない住宅地へ入ると、周囲は一気に静かになった。

 整然と並ぶ家々、低い塀、剪定された生垣。遠くで犬の鳴き声が一度だけ響く。

 

 女性は、何度か後ろを振り返りながら歩き、やがて足を止めた。

 

 「あの……」

 

 様子を窺うように、控えめに声をかける。

 

 「もう……大丈夫なので……」

 

 その言葉に、少女は立ち止まる。

 振り返らない。間も、躊躇もない。

 

 次の瞬間――服の内から、隠し持っていた拳銃が滑るように現れた。

 

 乾いた音が、住宅地に短く弾ける。

 

 女性は何も言えず、その場に崩れ落ちた。

 

 少女は一歩も近づかず、倒れたのを確認すると、

 何事もなかったかのように拳銃を収める。

 

 代わりに、スマホを取り出す。

 

 画面を見ながら、気の抜けた声で通話を繋ぐ。

 

 「お疲れ様〜」

 

 軽い調子のまま、

 

 「終わったから、清掃班出しといて〜」

 

 通話を切ると、スマホをポケットに戻す。

 

 倒れた女性を振り返ることもなく、

 少女はそのまま踵を返し、住宅地の奥へ歩いていった。

 

 碧星院高校――叶の部屋。

 

 外の光を抑えた室内は静かで、

 整然とした机と、最低限の家具だけが置かれている。

 

 ソファにだらりと腰掛けているのは、パジャマ姿の栗色の髪の少女――家長むぎ。

 

 手元には、数枚の書類。

 先ほどまで“街にいた”人物の経歴が、無機質な文字で並んでいる。

 

 むぎはそれをぱらぱらとめくりながら、

 のんびりした声で叶に話しかけた。

 

 「にしても……」

 

 興味半分、退屈半分。

 

 「この人、本当にまだいたんですね〜」

 

 ページを一枚めくり、

 

 「さっさと海外に逃げれば良かったのに」

 

 まるで、

 「期限切れの食品を見つけた」くらいの温度感だった。

 

 机の前に座る叶は、

 パソコンの画面から目を離さずに応じる。

 

 「これで……」

 

 独り言のように、

 

 「アゾートの関係者は、だいぶ処分できたか」

 

 キーボードを数回叩き、

 

 「……あとは市場に流通していなければ」

 

 「大体、片付いたことになるけど……」

 

 言葉を切り、ふと視線を上げる。

 

 そして、ソファのむぎを見る。

 

 「……家長さん」

 

 少し間を置いてから、

 

 「前から思ってるんだけどさ……」

 

 眉間に、はっきりと皺が寄る。

 

 「その服で行くの…仕事、ちょっとナメすぎじゃないかな……」

 

 パジャマ姿のまま、

 平然と“現場”に行くことへの、率直な苦言。

 

 むぎは、それを聞いて顔をしかめた。

 

 「……めんどくさい……」

 

 心底嫌そうに、ぽつり。

 

 その反応に、叶は溜め息をつき、

 今度は完全に彼女の方を見る。

 

 「お前……」

 

 声が少し低くなる。

 

 「そのうち、マジで死ぬぞ……」

 

 冗談ではない、

 けれど怒鳴りもしない、

 本気の心配。

 

 むぎはソファの背もたれに頭を預け、

 天井を見上げたまま、特に返事はしなかった。

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