こちら、都市伝説研究センターです。   作:えいどら

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おまけ:生命の泉 3章

 ――ヴァルテスC区教育棟。

 冷たい金属の壁、微かに響く蛍光灯の低い唸り。

 

 C-21。

 灰色の囚人服を着せられ、重い足枷をつけたまま、椅子に固定されていた。

 

 肌には冷たい鎖の感触が残り、呼吸のたびに胸が軋む。

 

「21番」

 

 前に立つのは、白衣を着た女性教官。

 その瞳は氷のように透き通っているが、感情の色はない。

 机の上には記録端末とガラス製の注射器。

 

「……信じられない。あなた、薬をいじっていたのね」

 

 肩がびくりと震える。

 声を出そうとしても喉が詰まり、うまく言葉が出ない。

 

「更生教育用の薬を“中和”していた。あなたが作った調合物で、でしょ?」

 

 教官の声は、静かでありながら確実に刺すような冷たさを帯びていた。

 

「ち、違……私は……ただ……少しだけ……」

 

 声が震える。呼吸が乱れる。頬を伝う汗が滝のように流れ、囚人服を濡らしていく。

 

 教官は歩み寄り、C-21の顎を掴んで強引に顔を上げさせた。

「少しだけ、何を?」

 

 C-21は目を逸らしながら、早口で言葉を重ねる。

「ごめんなさい……もうしません……もうしません!」

 

 その声に、教官の表情は変わらない。

 ただ冷ややかに見下ろし、ひとこと。

 

「――黙りなさい」

 

 命令。

 その一語に、C-21の喉がぴたりと止まる。

 息の音すら消え、ただ汗の滴る音だけが部屋に残る。

 

 教官はゆっくりと注射器を持ち上げた。

 金属の光が蛍光灯を反射する。

 

 ゆっくりとロープで固定された二の腕を綿で丁寧になぞって消毒していく。それはどこか腕を撫でるように優しいが、その意図を知る彼女からは一気に血の気が抜ける。

 

「うっ………そ、それだけは御勘弁…」

 

 針が皮膚を貫く。

 

 ―――プスッ。

 

 冷たい薬液が体内に流れ込む感覚――一瞬で全身が硬直し、

 C-21の瞳から光が引いていく。

 

 時間がどれほど経ったのか分からない。

 教官は記録端末に視線を落とし、数値を確認したのち、静かに息をつく。

 

「……大人しくなったわね」

 

 そう言って、椅子の拘束具を外す。

 

「…21番を懲罰房に」

 

 力なく項垂れていたC-21の腕を取り、立たせる。

 

「歩きなさい」

 

 命令。

 

 C-21の足枷が、重く音を立てる。

 機械的な一歩。

 感情の欠けた瞳で、指示された方向へと歩き出す。

 

 ――金属の鎖が擦れる音が、規則的に響く。

 

 C-21は無言のまま、命令通りに歩かされていた。

 鎖が床を擦る音が、冷たい廊下にこだまする。

 壁は灰色の金属で覆われ、空気は無機質な自然の空気を放っている。

 

 やがて、鉄扉の前で足が止まった。

 

 扉の標識には

 

 ――「懲罰房」。

 

 その字面を目にした瞬間、C-21の背中を冷たい汗が伝う。

 けれど、抗う気力はもう残っていなかった。

 教官に腕を掴まれ、静かにその部屋へと押し込まれる。

 

 中は、以前の独房よりもさらに狭く、何もなかった。

 壁も床も鉄で、光をほとんど反射しない鈍い灰色。

 小さな換気口があるだけで、家具も寝具もない。

 空気は重く、息を吸うたびに金属の味がする。

 

 教官が背後で言う。

「正座しなさい」

 

 C-21は機械的に頷き、冷たい床の上に膝を折って座る。

 両手を膝の上に置き、視線を下げたまま微動だにしない。

 

「これからしばらく、ここで薬の経過を観察します」

 

 女性教官の声は淡々としていた。

 

「部屋の薬品はすべて没収。職員の身体で実験しようとするような真似は、二度と許されません。今度こそ、あなたを“正しい状態”に戻すために、より厳しく躾けます」

 

 C-21の唇がかすかに動いた。

「……はい」

 

 その声は、命令に従う以外の意味を失っていた。

 瞳の光は薄れ、まるで魂ごと閉じ込められたように虚ろ。

 

 教官はしばらく無言でその様子を見つめ、

 何かを確認するように小さく頷くと、無表情のまま鉄扉を閉めた。

 

 ――ガシャリ。

 

 重たい鍵の閉まる音が、鉄格子に反響して部屋の空気を震わせる。

 

 そして、静寂。

 C-21の額から、再び滝のように汗が流れ落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……っ!」

 

 葉加瀬は飛び起きた。息が荒く、胸の奥で心臓が早鐘を打っている。

 

 狭い独房の代わりに、温かみのある部屋。

 

 壁際のハンガーには、今日着ていた小学校の制服。

 

 その隣に、真新しいランドセルが掛けられている。

 

 机の上には、並べられた薬学雑誌。

 

 葉加瀬は額の汗を拭い、深く息を吐いた。

 

「……はぁ…はぁ…はぁ………」

 

 だが、胸の奥に残る冷たさは、まだ消えない。

 

 暗闇の中、彼女は突然息を荒くしながら目を見開いた。

 恐怖の残滓がまだ胸の奥で暴れている。

「っ……」

 そのまま布団を頭までかぶり、膝を抱え込むようにして小さく丸まった。

 

 震える指先で、枕元の古い携帯を掴む。

 ずっと隠し持って、こっそり充電していたものだ。

 充電器から引き抜くと、画面にぼんやりと光が灯る。

 

「……ついた……!」

 その声は震え、泣き出す寸前のようにかすれていた。

 

 葉加瀬は必死に宛先を選び、発信ボタンを押す。

 耳に当てて、何度も何度も繰り返し呼び出し音を聞くが、誰も出ない。

 

「お願い、お願いだから……」

 握る手に力が入り、関節が白くなる。

 時間の感覚が曖昧になり、ただ呼び出し音だけが永遠に続くように思えた。

 

 やがて、心臓の鼓動が少しずつ落ち着いてくる。

 それでも布団の中で、暗闇をじっと見つめるしかなかった。

 

 ――ピピッ。

 

 突然、携帯のブザー音が鳴り響く。

 反射的に飛び起き、通話ボタンを押した。

 

「……っ、もしもし!」

 

 スピーカーから懐かしい声が弾けた。

『久しぶり! よく充電できたね! こんな時間にかけて大丈夫!?

 教官に見つかったら怒られるどころじゃ済まないよ!』

 

 荒木――かつてヴァルテスで指導をしていた教官の声だ。

 

 ただの子供を調教する教官じゃない。自分に優しかった、一緒に盗聴器について調べてくれた先生だ。

 

 葉加瀬はその声に一瞬、胸を締めつけられるような安堵を覚えた。

 涙が浮かび、言葉が出るまでに少し時間がかかる。

 

「……先生……今は、ヴァルテスにはいないの。別のところにいる……」

 

「詳しいことは言えないけど、今日……夢を見たの」

 

 声が震える。

 

「自分で調合した薬で洗脳を中和してたのがバレて……

 薬を打ち直されて……再教育される夢……」

 

 無言で聞いている荒木と、見てしまった悪夢の内容を生々しく語る葉加瀬。その姿は年相応の子供が母親に泣きつく光景そのものであった。涙混じりの言葉を、荒木はしばらく黙って聞いていた。

 

 そして、突然、電話の向こうから大きな笑い声が響いた。

 

『ははははっ!! お前そんなことやってたの!?思ってたより肝据わったやつだなぁ!』

 

 笑いながらも、その声には驚きと呆れが混じっていた。

 

『――“懲罰房”なんて、あの施設にそんな場所ねえよ。商品を懲罰してダメにするわけにいかねえだろ。』

 

『全部お前の妄想だよ。だから安心して寝ろ。』

 

 その一言が、葉加瀬の胸の奥で凍りついていたものを少しだけ崩した。

 まだ手は震えているが、その震えはさっきよりも小さかった。

 

『――賢いお前のことだからさ』

 

 荒木の声が、少し柔らかくなる。

 

『きっと、バカなことを考えて、バカみたいに悩むこともあるだろ。

 だからそんな夢、見るんだよ』

 

 電話越しの声は笑っているようで、それでいてどこか優しかった。

 葉加瀬は口を開きかけたが、言葉が出てこない。

 ただ、スマホを握る手の中で、鼓動の音だけが静かに鳴っていた。

 

『結局な、大人なんてのはさ――子供と関わる以上、

 今みたいに“子供に相談される相手”になりたいもんなんだよ』

 

 その言葉に、葉加瀬は眉を寄せた。

 

 荒木は続ける。

 

『もしお前が迷うようなことがあったら、それを導ける存在になりたい――って、みんな思ってるだけなんだ。

 

 今の私がやってるみたいにな……それだけなんだよ。難しいことじゃない』

 

 しばらく沈黙が流れる。

 受話器越しのわずかな呼吸音が、静かな夜に溶けていく。

 

 やがて、荒木が小さく笑って言った。

 

『……もう私も寝るから、切るぞ。おやすみ、21番』

 

 プツッ。

 通話が切れた。

 

 耳の中に残るのは、無音。

 電波の余韻すら消えていく。

 

 葉加瀬はしばらくそのまま携帯を見つめていた。

 

 液晶の光が彼女の瞳に映り、やがてゆっくりとその光が消えると、部屋の中は完全な闇に包まれた。

 

(……そう言われても、難しいよ)

 

 誰に聞かせるでもなく、ぽつりと呟く。そのまま布団を引き寄せ、顔をうずめる。

 

 ようやく落ち着いてきた心臓の鼓動が、再びゆっくりと、眠りのリズムへと戻っていった。

 

 ――夜は、静かに更けていく。

 

 木々のざわめきが風に呑まれている。

 濃い霧が地面に絡みつき、足音を吸い込んでいく。

 月明かりはほとんど届かず、光の代わりに息だけが白く瞬いていた。

 

「はっ……はぁっ……はぁっ……!」

 

 誰かが走っている。

 枝を掻き分け、ぬかるんだ土を踏みしめ、何かから逃げている――

 いや、違う。

 その動きは、追いかけているようにも見える。

 逃げるのか、追うのか、自分でもわからない。

 ただ胸の奥が焼けるように痛く、息が、空気に混じらず喉を裂いて出ていく。

 

 風の中に、何かの声が混じった。

「――返せ……」

 

 どこからともなく響く声。

 それは木々の奥から、あるいは自分の中から聞こえるようでもあった。

「返せ……返せ……!」

 

 走る。

 草が擦れる音。枝が頬を裂く。

 足がもつれ、体が傾き、重たい息を吐きながら泥に膝をつく。

 冷たい地面が肌に貼りつき、胸の奥から、嗚咽とも叫びともつかぬ声が漏れる。

 

「……かえせ……っ」

「……私の……身体……!」

 

 その言葉が掠れ、夜の森に溶けていく。

 喉は乾き、呼吸が音にならない。

 肩が上下し、視界は暗闇に飲み込まれる。

 どこまでも続く闇の中、何も見えず、ただ心臓の鼓動だけが森を震わせていた。

 

 ――そして。

 

 

 

「っ……!」

 

 

 

 その鼓動がふっと止まった瞬間、世界の色が一変した。

 

 緑髪の少女が、滝のような汗を流して跳ね起きた。瞳孔は開ききり、肩で荒く息をしている。

 その髪は乱れ、頬には涙の跡のような光が残っていた。

 

 しばらくの間、動けなかった。白いカーテンの隙間から朝の光が差し込み、部屋の中を柔らかく照らしている。目の前の景色は現実のはずなのに、まだ森の闇が視界の端で揺れていた。

 

 何も言わず、ただ瞳を見開いたまま、しばらくそのまま――静かに、呼吸が落ち着くのを待っていた。

 

 

 

 

 ――朝の加賀美家。

 

 階段を軽やかに上がっていく小さな足音が響く。

 制服姿の夜見れなが、リボンを整えながら声を張った。

 

「ふゆき〜! ごはんだよ〜!」

 

 二階の廊下に、彼女の甘ったるい声が伸びる。

 しかし、返事はない。

 静まり返った空気だけが返ってきた。

 

「……ん〜?」

 夜見は首を傾げながら、葉加瀬の部屋の前に立つ。

 扉の向こうは、やけに静かだった。

 

「ごはんですよ〜」

 軽く語尾を伸ばして呼びかけたが、それでも反応がない。

 

「……まぁ、いっか」

 

 ノックもせず、夜見はそのままドアノブをひねった。

 扉が静かに開くと、部屋の中はまだ夜のように暗い。

 カーテンは閉め切られ、電気もついていない。

 

 ベッドの上では――葉加瀬冬雪が、寝巻き姿のまま布団にくるまっていた。

 髪は少し乱れ、口元には涎の筋がきらりと光っている。

「……すぅ……すぅ……」

 子供らしい寝息が小さく響いていた。

 

 夜見はドアの前で「ぇあ〜……」と気の抜けた声を漏らし、

 しばらく腕を組んで無言のまま眺める。

 

「……よく寝てるなぁ」

 ぽつりと呟くと、いたずらっぽい笑みを浮かべ、そっとベッドに近づいた。

 

 そして――勢いよく布団をひっぺがす。

 

「ふゆき、起きろ〜!」

 同時に両手を葉加瀬の脇に突っ込み、ぐにぐにといじくる。

 

「――ひゃっ!? な、なにっ!?」

 

 葉加瀬はびくっと跳ね起き、寝癖のまま目を白黒させる。

「えっ……!? えっ!? 今、何時!?」

 

 慌てて枕元のスマホを手に取り、画面を見た瞬間――

「……うそ、寝坊してるじゃん!!」

 

 そのまま布団を蹴り飛ばし、髪をかき上げながら飛び起きる。

 カバンを掴み、鏡の前で寝癖を直そうとしても手が追いつかない。

 

 夜見はベッドの端に腰かけ、涼しい顔でそれを見ている。

「やっと起きた〜。あはは、寝顔かわいかったよ〜」

 

 葉加瀬はランドセルを背負ったまま、ほとんど転がるような勢いで校門をくぐり抜けた。

 顔は真っ青で、息も絶え絶え。

「やばいやばいやばいやばいっ!」

 額の汗をぬぐう余裕もなく、上履きの音をカツカツと鳴らしながら廊下を駆け抜ける。

 

 小学校の朝はすでに始まっており、廊下の向こうからは教室のざわめきと先生の声が聞こえてくる。

 それを耳にしながら、葉加瀬の脳裏に昨日の出来事がよぎった。

 

 ――算数の授業に遅れて入ったとき。

 教室の空気が一瞬止まり、先生は微笑んで言った。

 

 

 

《遅れても、きちんと理由だけ話してくれればいいの》

 

 

 

 怒鳴られなかった。

 罰も、報告書も、鎮静の注射も――何もなかった。

 

 その記憶が、今になってふと蘇る。

 

「……あ」

 階段を上がる途中で、葉加瀬は足を止めた。

 

 そういえば、遅れても……折檻されたりしないんだっけ

 

 ぽつりと呟く。

 息を荒げたまま、視線を落とす。

 

 ヴァルテスでは、遅れた瞬間に“処罰”が待っていた。

 反省室、記録、報告――

 小さな失敗は即座に矯正の対象だった。

 

 だけど、ここでは。

 先生は、ただ「次から気をつけてね」と言うだけ。

 誰も監視していない。

 誰も罰しない。

 

 ……そうか

 

 小さく息を吐いて、葉加瀬は目を細めた。

 胸の奥に、ほんの少しだけ暖かい空気が入り込む。

 

 その瞬間、足の動きが変わった。

 さっきまでの焦った足音が静まり、代わりに一定のリズムで「コツ、コツ」と響く。

 

「……急がなくてもいいか」

 

 ぼそりと呟いて、今度はゆっくりと歩き出す。

 廊下の窓から差し込む朝の光が、制服の肩を柔らかく照らした。

 

 教室に向かうその背中は、ほんの少しだけ――昨日よりも軽かった。

 

 ――教室のドアをそっと開けると、まだ朝礼前のざわめきが広がっていた。

 

 ほっと胸をなでおろしながら、葉加瀬は静かに席へ向かう。

 机にランドセルを置き、丁寧に肩のリボンを直して、椅子に腰かけた。

 

(……間に合った)

 

 周りの生徒たちは思い思いに話していて、特に誰も彼女の遅刻を気にしている様子はない。

 けれど、ふと――昨日の、あの「報告口調」を思い出す。

 

 理科準備室に行ったこと、男子児童の揉め事を鎮静化したことを、まるで兵士のように報告したあの瞬間。

 教室全体が、息を呑んだように静まり返っていた。

 

 これは流石に友達なくしたかな。

 

 小さくため息をつきながら、ランドセルの中身を整理する。

 教科書を取り出して机に並べ、筆箱を開ける。

 落ち着こうと自分に言い聞かせていたその時――

 

「なぁ、葉加瀬!」

 

 突然、後ろから声が飛んできた。

 振り向くと、男子児童が数人こちらを見ている。

 

「葉加瀬ん家って、お父さん警察なの!?」

 

「……え?」

 予想外の質問に、思わず目を丸くする。

 

「だってさ!」

 別の男子が勢いよく身を乗り出した。

「あの昨日の! 先生に報告してた時のやつ! カッコよかったよな!」

「うん! “理科準備室にて確認!”とか! なんか秘密組織みたいだった!」

 

 口々に興奮した声が飛び交い、男子たちの目はきらきらと輝いている。

 

 葉加瀬は一瞬、返す言葉を失った。

 

 ……そういうふうに見えたのか。頬を引きつらせながら、視線を逸らして小さく呟く。

 

「いや……あれは、その……いつものクセで……」

 

「クセ!? すげぇ!」

「やっぱ訓練とか受けてんの!?」

「絶対どっかの特務機関だよな!」

 

 男子たちはさらに盛り上がり、机の周りではしゃぎ出す。

 それを見て、他の女子たちもくすくすと笑い、教室はすっかり明るい空気に包まれた。

 

 葉加瀬は、思わず口元を手で押さえながら小さくため息をつく。

 

 ……なんか、違う方向に誤解されてる気がする

 

 それでも――昨日よりは、少しだけ居心地が良く感じられた。

 

 

 

 

 

 ――午前の教室。

 

 朝礼が終わり、教科書を開いたままの葉加瀬は、机に頬をのせていた。

 昨日までの緊張感が抜け、気が緩んだのか、まぶたがゆっくりと落ちていく。

 

(……あー、眠い……)

 

 窓の外では柔らかい日差しが揺れていて、教室全体が心地よい静けさに包まれていた。

 そんなとき――

 

 ふと、視線を感じた。

 

 葉加瀬はゆるりと目を開ける。

 教室のドアの外、廊下の隅。

 そこに、あの 緑髪の少女 が立っていた。

 

 昨日、帰り際にトイレの影から覗いていたあの子だ。

 今日もまた、無言のまま、じっとこちらを見ている。

 何の表情もなく、ただ――観察しているような視線。

 

(……また、こいつか)

 

 仕方なさそうに葉加瀬は体を起こし、机から手をつく。

「……はぁ」

 短く息を吐いて立ち上がると、椅子の音に気づいた周囲の生徒がちらりと視線を向けた。

 

 だが葉加瀬は何も言わず、教室の外へ向かう。

 

 廊下に出た瞬間、少女ははっとして目を見開いた。

 次の瞬間には、逃げるように背を向けて歩き出す。

 

「……待て」

 

 葉加瀬は軽く駆け寄り、その肩に手を置いた。

 小さな肩がびくっと跳ねる。

 

「なんか用があるなら言え」

 

 その言葉に、少女はしばらく黙ったまま、視線を泳がせた。

 やがて、か細い声で――

 

「……あなたも……吸血鬼なの?」

 

 葉加瀬の眉がぴくりと動く。

「……は?」

 

 唐突すぎる問いに、返す言葉を失う。

 少女はそのまま俯き、口をぱくぱくと動かすが、何も言えない。

 

「なにそれ……意味わかん――」

 

 言いかけた瞬間、少女は顔を赤くして、

「ご、ごめんなさいっ!」

 と小さく叫び、葉加瀬の手をすり抜けて走り出した。

 

 足音が廊下の向こうへ遠ざかる。

 

 残された葉加瀬は、ぽかんとしたまま、呆れたようにため息をついた。

「……朝から変なのばっかりだな」

 

 そのまま教室へ戻る途中、窓の外の空がやけに明るく見えた。

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