こちら、都市伝説研究センターです。   作:えいどら

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おまけ:生命の泉 4章

 ──秋の夕暮れ、小学校から帰宅する時間。椎名家の敷地内には、朱に染まる陽がゆるやかに差し込み、木造の渡り廊下には、どこか懐かしい木の香りが漂っていた。

 

 椎名家本殿の一室。欄間から柔らかく光が差し込む畳の部屋では、椎名菜塚が、静かに一枚の紙を手に目を通していた。艶のある黒髪を一つにまとめ、羽織姿で正座しているその姿は、どこか凛とした気配をまとっている。

 

 紙には、唯奈の中学受験に向けた塾の模試の結果が記されていた。

 

「……ふふっ。もうちょっと社会と国語が伸びれば、黒曜崎だけじゃなくて、少し上の中学も狙えそうねえ……」

 

 柔らかな声でそう呟くと、ふと視線を襖の方へ向け、小さく笑みを浮かべた。

 

「もうちょっとしたら、唯華ちゃんも塾に行く年頃かしらね……」

 

 その瞬間だった。

 

「おか〜ん、これ〜〜〜〜〜!!」

 

 バン! と音を立てて襖が勢いよく開かれる。私服姿の唯華が、靴下のまま畳にずかずかと踏み入り、ランドセルをお腹の前に抱えてズイと差し出してきた。

 

「見て見て、学校のテスト! 今日返ってきたやつな!!」

 

 ランドセルをごそごそと探りながら、満面の笑みでプリントを2枚、菜塚の膝の上に置く。そこには、算数と社会のテスト。どちらも堂々とした「2点」「0点」の赤い丸が踊っていた。

 

「……うん!」

 

 一瞬、眉がぴくりと動いた菜塚だったが――すぐにぱっと顔をほころばせ、少し首をかしげるようにして言った。

 

「唯華ちゃんは、公立の中学の方がのびのびできそうね!」

 

「せやろ! うち、めっちゃのびのびタイプやもん!」

 

 何がどうせやろなのか分からないが、唯華は得意げに胸を張った。

 

 

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 ――夜の加賀美家リビング。

 

 明かりは控えめに灯され、テーブルの上には父親の湯呑みから湯気が静かに立ち上っている。

 その向かい側に、葉加瀬と夜見が並んで座っていた。

 二人とも背筋を伸ばしているが、どこか緊張の色を帯びていた。

 

 加賀美の父親は眼鏡を指で持ち上げ、静かに息をつく。

「――息子が勝手なことをした手前、申し訳ないが」

 低く落ち着いた声が、部屋の空気を引き締める。

「加賀美家の人間になるなら、それ相応の学歴は持ってほしいというのが本音だ」

 

 その言葉に、葉加瀬も夜見もぽかんと顔を見合わせる。

 父親は続ける。

 

「二人には――中学受験をしてもらおうと思う」

 少し間を置いて、まっすぐ二人を見た。

「少なくとも、より優秀な人間となり、やがてこの日の本の未来を背負えるだけの腕をつけてほしいのだ」

 

 静寂が落ちた。

 時計の針の音だけがやけに響く。

 夜見は瞬きを忘れたように黙り込み、葉加瀬は視線をテーブルに落とした。

 

 やがて、小さな声がその沈黙を破る。

「……それは、命令ですか」

 

 葉加瀬の声は淡々としていたが、その奥にはわずかな警戒が潜んでいた。

 父親は一瞬、言葉を失い、困ったように眉を下げた。

「いや……命令というわけではない。だが――」

 

「父さん……」

 リビングの扉の向こうから、小さな声が聞こえる。

 覗き込むようにしてハヤトが立っていた。

 扉の隙間から、父と二人の少女のやりとりを不安そうに見つめている。

 しかし、口を挟むタイミングを掴めず、ただ息を呑んでいた。

 

 そのとき、母親が柔らかい声で口を開いた。

「あなた、二人にはそんな言い方しなくてもいいわ」

 そして、葉加瀬の方に向き直る。

「中学受験をすればね、今の学校よりもっとたくさん勉強できるのよ。

 きっと、あなたの興味のあることもたくさん見つかると思うわ」

 

 その言葉を聞いた瞬間――

 

 葉加瀬の瞳がぱっと輝いた。

 椅子から立ち上がる勢いで、手を挙げる。

「します!!」

 

 間髪入れずに、迷いもなく。

 その返答に父親は驚いたように目を瞬かせ、母親はふっと笑った。

 夜見は隣で目をぱちぱちと瞬かせながら、「ふゆき、ノリ早いね〜」と小声で呟く。

 

 扉の向こうで見ていたハヤトは、安心したようにほっと息を漏らした。

 葉加瀬の明るい声が、緊張していた空気をやわらかく溶かしていく。

 

 葉加瀬の部屋。

 

 机の上には開かれたノートとシャーペン、そしてその横には光るスマホの画面。

 彼女は布団に半分体を預けたまま、スマホを片手にスクロールしていた。

 表示されているのは、薬学系の論文サイト。

「新規有機化合物の薬理作用」や「神経伝達物質の構造最適化」といったタイトルが並ぶ。

 

 声は小さく、思考の底から漏れ出たような音だった。論文の末尾に大学名が記されているのが目に留まった。

 

 “白京大学薬学部”“国立南都大学理学研究科化学専攻”――

 どれも難関と呼ばれる名ばかり。

 

「受験したら、こういう大学にも……入れたりするのかな」

 

 呟きながら、ぼんやりと天井を見上げる。

 今まで“自分には関係ない世界”だと思っていた大学という場所が、

 ほんの少しだけ近くに感じられた。

 

 思い立ったように葉加瀬はスマホで検索を始める。

 ――“白京大学 化学 過去問”。

 

 表示されたPDFを開くと、そこにはびっしりと書かれた分子式と構造式。

「おお……高校生って、こんなのやるんだ……」

 

 軽い好奇心で解き始める。

 電子の数、反応機構、平衡計算。

 どれも一瞬のうちに理解し、手元のノートにさらさらと式を書いていく。

 

「……ふーん、簡単」

 

 10分もしないうちに数年分を解き終え、画面をスクロールする。

 すると、ページの端に奇妙な問題がひとつ目に入った。

 

 “有機反応における反応速度定数の変動要因について、

 反応場理論の観点から考察せよ(※出題者の私見による参考問題)”

 

「……は?」

 

 葉加瀬は目を瞬かせ、数式を眺めたまま固まる。

 何度読み直しても、問題そのものが実験的すぎて意味が掴みにくい。

 教授の“趣味”が滲み出たような問いだった。

 

「これ……テストっていうより、哲学の領域じゃん……」

 

 口を尖らせながらスマホを机に置き、

「ちょっと、勉強しないとなあ……」と呟く。

 

 数秒の沈黙。

 やがて、軽く息を吐いてスマホを指先でぽんと投げ出した。

 ベッドの上に落ちる小さな音だけが響く。

 

 葉加瀬は机に座り、無心でノートを眺めていた。

 ペンは持っているが、動かない。

 窓の外では虫の声がして、時折、電車の低い音が遠くを通り過ぎる。

 

 その静けさの中で――コン、コン、と小さなノック音がした。

 一度、二度。

 しかし葉加瀬は振り向かない。

 

 しばらくして、またコン、コン。

 少し間をおいて、もう一度。

 

(……そんなに遠慮しなくても、無理にでも入ってくればいいのに)

 

 内心でそう思いながら、ようやく顔を上げた。

「何?」

 

 扉がゆっくりと開き、ハヤトが少しだけ顔を覗かせた。

 制服のまま、片手に問題集を抱えている。

「……あ、えっと」

 少し恥ずかしそうに頬をかきながら言った。

「生物の問題……教えてほしいんだけど」

 

 葉加瀬はため息をひとつついて、手を差し出す。

「見せて」

 

 ハヤトは素直に問題集を差し出し、そっと机の上に置いた。

 葉加瀬はそれをペラペラとめくる。

 細胞分裂、DNAの複製、有糸分裂と減数分裂――基礎的な内容ばかりだ。

 

「こんなの簡単じゃん。どこがわからないの?」

 

 ハヤトは少し肩をすくめて苦笑する。

「……全般的に、かな。

 なんかさ、生物って“生き物の話”だと思ってたのに、

 いきなり“細胞分裂”とか、“染色体”とか出てきて……

 急に別の言語になったみたいでさ」

 

 その言葉に、葉加瀬は思わず口の端を上げた。

「まぁ、確かに“生き物”の中にこんな小さい工場があるなんて、普通は想像しないよね」

 

 そう言ってノートを引き寄せ、ペンでさらさらと描き始める。

 丸い細胞の図、その中に核と染色体の簡略図。

 

「いい? 生き物の体って、ぜんぶ“細胞”でできてる。

 その細胞が増えるときにやるのが“分裂”。

 でもね、ただ割れるだけじゃダメなの。

 設計図――つまりDNAを、ちゃんとコピーしてから分けなきゃいけない」

 

 ハヤトは真剣な顔で頷く。

 

「たとえば、コピー機でレポートを複製するときに、

 途中で紙が詰まったら困るでしょ?

 それと同じ。細胞も“間違いのないコピー”を作るために、

 いくつかの段階を踏むんだよ」

 

 葉加瀬は指でノートの図を指しながら説明を続ける。

 

「まず“間期”って言って、DNAをコピーして準備する。

 そのあと“分裂期”に入って――

 核の中の染色体がギュッと縮まって、

 細胞の真ん中に並んで、左右に引っ張られる。

 それで最後に、真ん中でぱかって割れるの。

 それが“有糸分裂”。」

 

「……なんか、思ってたより機械的なんだな」

 ハヤトは感心したように呟く。

 

「でしょ?」

 葉加瀬は少し誇らしげに頷く。

「“生物”って名前だけど、こうして見るとまるで精密機械。

 人間の体も、その集合体にすぎないんだよ」

 

 ハヤトは黙って図を眺め、しばらくして小さく笑った。

「……冬雪が先生だったら、たぶん俺、生物好きになれたかも」

 

 ハヤトが笑うと、葉加瀬は視線を逸らして咳払いした。

 

「とにかく、これくらいの内容は覚えといて。私の勉強なんて、ここから先はもっと面倒なことだらけなんだから」

 

「うん、わかった」

 

 

 

 

 

 

 ――朝の小学校。

 

 まだ始業前の校舎は、子どもたちの話し声がまばらに響いているだけで、どこか静かだった。

 葉加瀬は、ランドセルを背負ったまま早足で廊下を歩き、自分の教室の前で立ち止まる。

 

(……いない)

 

 扉のガラス越しに中を覗いてみても、あの緑髪の少女――森中花咲の姿はなかった。

 昨日から気になって仕方がなかったのだ。

 

 近くで雑談していた女子児童のグループに歩み寄る。

「ねぇ、あの……緑の髪の子、知らない?」

 

 最初、女子たちは顔を見合わせて首を傾げた。

「緑の髪……?」

「え、誰それ?」

 

 葉加瀬は困ったように、少し考えながら補足する。

 

「背が私くらいで、なんか幸が薄そうな見た目いうか……

 この間、廊下のあたりにいたんだけど」

 

 その説明でようやく一人の女子が「あー!」と手を打った。

「もしかして、森中さんのこと?」

 

「森中……?」

 

「うん、森中花咲さん。6年生の教室だよ、上の階の。

 いつもあっちの廊下歩いてるよ」

 

「……6年生」

 思ったより年上だったことに、葉加瀬は小さく呟く。

(なるほど……上か)

 

 お礼を言って歩き出そうとしたその時――

 

「……ねぇ」

 背後から、ひそひそ声が聞こえてきた。

 どうやらさっきの女子たちが何か話している。

 

「ねぇ、葉加瀬さんの歩き方、なんか変じゃない?」

「うん、なんか……ロボットみたいっていうか……」

「まっすぐすぎて、ちょっと怖い」

 

 葉加瀬は足を止め、ちらりと振り返った。

 女子たちは目が合うと慌てて口を閉じ、ぎこちなく笑って誤魔化す。

 

「……私、何か変?」

 小首をかしげて尋ねる。

 

「い、いや! そういうわけじゃないけど……」

 一人が笑いながら言葉を濁す。

「なんか、歩くときすごい……リズムがきっちりしてるっていうか。

 まっすぐで、ぶれないのが逆に不安になるの」

 

「……?」

 

 葉加瀬は自分の足元を見下ろした。

 別に普通に歩いているつもりだった。

 いつもどおり、体のバランスを崩さず、一定のリズムで足を運ぶ――

 それだけのこと。

 

「いや……別に普通だと思うけど……」

 

 言いながらも、内心では少しだけ引っかかる。

 

 女子たちが困ったように笑い合う中、葉加瀬は何も言わず、

 そのまま廊下をまっすぐに歩き出した。

 

 ――一定の歩幅で、まるで測ったように。

 それが、かえって周囲の子たちを静かにざわつかせていた。

 

 上の階へ向かおうとしていた葉加瀬は、階段の踊り場でふと立ち止まった。

 さっき女子たちに言われた言葉が、どうにも頭から離れない。

 

 気になって仕方なくなった葉加瀬は、足を止めて考えた末に、

 今度は階段を下りはじめた。

 軽い靴音が、規則正しく響く。

 

 辿り着いたのは、6年…ではなく、3年生の教室。

 中からは笑い声と、紙の擦れる音が聞こえてくる。

 

 そっと覗き込むと――

 子どもたちが教室を飾りつけていた。

 壁には輪飾り、黒板には色とりどりのチョークで描かれた星やリボン。

 そしてその中心に、夜見がいた。

 

「はいはい、そこの箱、もうちょい右〜! あと照明の向きも気をつけてね〜!」

 

 夜見は指揮者のように腕を振り回しながら、元気いっぱいに指示を出していた。

 葉加瀬はその光景を数秒眺め、呆れたように眉を寄せる。

 

「……何しとんねん」

 

 声をかけると、夜見はぱっとこちらを振り向き、にへらっと笑った。

「あっ、ふゆき〜! 夜見のマジックショーの準備だよ〜!」

 

「マジックショー……?」

 

「うん! 師匠もね、“マジックは人前で見てもらってこそ意味がある”って言ってたからさ〜」

 と、夜見は何でもないように言いながら、紙袋を抱えた生徒に「ありがと〜」と声をかける。

 

 そのまま軽やかに葉加瀬の方へ近づいてきた。

「で、夜見に何か用〜?」

 

 夜見のいつもののんびりした声。

 葉加瀬は言葉を探すように視線を泳がせ、やがて渋々口を開いた。

 

「……あのさ、私の歩き方って……変?」

 

 夜見は一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐにくすっと笑って、

 葉加瀬の耳元に顔を寄せる。

 

「えぁ〜……まぁ、施設の歩き方だからじゃない?」

「……施設の?」

 

 夜見は悪びれた様子もなく、ひそひそ声で続けた。

「うん。どーせ、行進の練習とか整列とか厳しかったんでしょ~? あれ、体に染み込んでるからね〜。こればっかりは、どうしようもないよ〜」

 

「私だって、ご飯の前にお祈りしたら、みんなにドン引きされるし〜。

 習慣って、怖いよね〜」

 

 葉加瀬は目を瞬かせ、思い出すように呟いた。

「あぁ……あれかぁ……」

 

 夜見が食事前、手を組んでぼそぼそと何かを唱えている姿。

 その小さな儀式のような仕草を思い出す。

 

「そうそう〜」

 夜見は笑いながらチョークを指先で回し、

「まぁ、そういうのも含めて“らしさ”なんじゃない?」と軽く言って、

 再び子どもたちの方へ戻っていった。

 

 夜見の教室を出て、葉加瀬は廊下を歩いていた。

 足取りはどこか中途半端で、顔には“半分だけ納得した”ような表情が浮かんでいる。

 

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