こちら、都市伝説研究センターです。   作:えいどら

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おまけ:生命の泉 5章

 そう言われりゃ、確かにそうかもしれないけど。心のどこかで、まだ釈然としない。

 

「普通」っていう曖昧な基準が、どうにも掴めないままだ。

 

 そんなことを考えながら角を曲がろうとしたとき――

 視界の端に、人の影が動いた。

 

 ……見つけた。

 

 廊下の端、掲示板の裏に身を隠すようにして立っているのは、

 あの緑髪の少女――森中花咲だった。

 前よりもほんの少しだけ、こちらを見ている時間が長い。

 

 葉加瀬はため息をひとつついて、歩み寄る。

「そっちから来てくれて良かったよ」

 

 声をかけると、花咲は小さく肩をすくめ、申し訳なさそうに目を伏せた。

「ごめんなさい……」

 

 その声は震えていて、まるで告白の前置きのようだった。

 

「私、この前……“吸血鬼なの?”って言ったこと、気にしてるんですよね」

 

 葉加瀬は少しだけ目を丸くし、眉を寄せる。

「いや、別に。驚いただけ」

 

 花咲はそれでも胸に手を当てたまま、ぽつりぽつりと話し出した。

「その……うちの“じいじ”が、昔から言ってたんです。

 “自分には父親も母親もいない”って。

 でもね、その“じいじ”は、私のお父さんで……」

 

 声が少し詰まる。

 

「最近、体調が悪くて。ご飯もあんまり食べなくなって、夜は良いんですけど、昼は顔色がすごく悪くなるんです」

 

 葉加瀬は黙って聞いていた。

 花咲は俯いたまま、絞り出すように続ける。

 

「じいじは“吸血鬼”なんです。

 本当にそう思ってて……。

 もしかしたら、あなたなら……何かわかるかも、って思って」

 

 その言葉を聞いた瞬間、

 葉加瀬の表情に、わずかに困惑と戸惑いが入り混じる。

 

「いや……」

 彼女は額に手を当て、小さくため息をついた。

 

「生物学上、いない訳じゃないから」

 

「え……?」

 

 花咲が顔を上げると、葉加瀬は淡々と、少し冷めた調子で続けた。

 

「“親がいない”ってのは比喩よ――本当に“いない”ってわけじゃない。私を産んだ女と、そいつと交尾した男なら、ちゃんといるよ」

 

 その現実的で乾いた言葉に、花咲の瞳が一瞬だけ揺れる。

 彼女は何かを言いかけて口を閉じ、視線を落とした。

 

 まだ校庭には朝露の残る風が通り抜けていて、

 登校してきた児童たちのざわめきが遠くに聞こえる。

 

 その中で、階段をゆっくりと降りていく二人の少女。

 葉加瀬冬雪と、緑髪の森中花咲。

 

 静かな階段の上で、森中がぽつりと口を開いた。

 

「でも、じいじは……本当に“いない”の」

 

 葉加瀬が眉をひそめ、横目でちらりと見る。

 森中の声は淡く、どこか遠くの世界を見ているようだった。

 

「知らない誰かが、自分を“作った”って言ってた。

 昔はね、いろいろ教えてくれたんだけど……最近は、ほとんど話してくれなくなって」

 

 葉加瀬は足を止めずに、手すりに軽く触れながら階段を降りる。

 

「つまり――“クローン”ってこと?」

 

 淡々とした声。

 

「もしその“じいじ”が本当にクローンなら、科学の歴史がめちゃくちゃになるけど」

 

 森中は少し首を傾げて、申し訳なさそうに首を振る。

 

「それは……よくわからない。じいじも、自分が“誰かを元に作られた”のか、“誰かの術式でゼロから作られた”のかは知らないって。ただ、知り合いのおじさんが言ってたの。あの人は、私たちとは身体ごと違う存在だから、わからないって……」

 

 その言葉を聞いて、葉加瀬は小さくため息をついた。

 

 ……完全に非科学的。“術式でゼロから作る”とか、そんなのもうSFどころか日朝のアニメかよ。

 

 けれど、森中は至って真剣な表情をしている。

 それがかえって、葉加瀬にはどう扱っていいのかわからなかった。

 

「……ふーん」

 それだけ言って、彼女は階段を降り続ける。

 

 やがて二人は古い校舎の方へ出た。

 新校舎とは違い、木の床はところどころ軋み、

 壁の掲示板には色褪せたお知らせが残っている。

 

 下駄箱の近くまで来ると、森中は一度立ち止まり、

 ぼんやりと曇りガラス越しの校庭を眺めた。

 

 ――古い校舎の下駄箱前。

 

 朝のざわめきが遠くに聞こえ、

 ここだけ別の空気が流れているようだった。

 

 葉加瀬は腕を組み、森中の話を聞きながら、

 ついに堪えきれずに呆れたような声を漏らす。

 

「……あ〜、つまり私はガキ共の遊びに付き合わされてるってこと?」

 

 その口調には明らかな倦怠と皮肉が混じっていた。

 森中は少し困ったように笑い、視線を逸らした。

 

「……そう思っても仕方ないかもね」

 

 二人は靴を履き替えて、そのまま校舎裏へ出る。

 裏庭はまだ朝露に濡れ、土の匂いが残っていた。

 誰もいない場所――そこに、森中は立ち止まる。

 

「……話、聞いてほしいだけなんだ」

 森中の声は静かで、さっきまでの曖昧な調子とは違っていた。

「葉加瀬さんだって、“普通では信じられないような生き方”してきたって聞いてたから」

 

 葉加瀬は一瞬だけ表情を引き締めた。

 だが、それもすぐに半信半疑の視線に戻る。

 

 森中は答えず、制服のポケットから小さなカプセルを取り出した。

 中には、乾いた虫の死骸のようなものが入っている。

 

 次の瞬間――

 

 カプセルが、ふっと消えた。

 

 音もなく、

 

 跡形もなく。

 

 ただ、その空間が一瞬だけ、熱を帯びたように歪む。

 

 葉加瀬は思わず息を呑む。

 森中はその反応を確かめるように見つめ、

 今度はブロック塀の方へ片手を向けた。

 

 彼女の掌の前に、薄い緑色の光が集まり、

 やがて炎の塊へと変わっていく。

 

「……え?」

 

 緑の炎弾が放たれた。

 

 ブロック塀に当たると、ボウッと音を立てて黒く焦げ跡が残る。

 煙の匂いが風に乗って広がった。

 

 森中はゆっくりと手を下ろし、

 真剣な表情で葉加瀬の方を見つめた。

 

「……私は、魔法使いだから」

 

 その声音には、冗談の影は一切なかった。

 

 葉加瀬は、ただその場で立ち尽くす。

 焦げた壁、漂う熱気、まだ空気に残る緑の光――

 目の前の出来事が、現実として処理できない。

 

「……マジか」

 

 それだけを、呆然とした声で零した。

 科学でも、理屈でもなく――ただ「見た」事実として。

 

 森中は静かに頷いた。

 その瞳の奥には、どこか寂しげな光があった。

 

 ――焦げた匂いが、まだ空気に残っていた。

 

 ブロック塀には黒い痕。

 葉加瀬はその前に立ち尽くしたまま、唖然とした表情で森中を見ている。

 科学的な説明の通らない光景を前に、思考が追いつかない。

 

「……ほんとに、燃えた……」

 声に出しても、信じきれない響きが混じっていた。

 

 その時――

 

「ふゆき〜?」

 

 背後から、明るい声。

 振り返ると、制服姿の夜見れながが廊下の影からひょっこり現れた。

 相変わらずの笑顔を浮かべて、焦げた匂いの漂う空気をくんくんと嗅ぐ。

 

「こんなとこでどうしたの?」

 首を傾げて、鼻をひくひく。

「花火ならもう大分季節外れになっちゃったけど……」

 

 軽口を叩くその調子に、葉加瀬は反応できずにまばたきを繰り返す。

 しかし森中は違った。

 

 彼女は夜見をじっと見つめ、わずかに身を引く。

 その表情は警戒そのもの。

「……あなた、誰?」

 

 夜見はその問いに答えず、代わりににやりと笑った。

「やっぱり、ふゆきと一緒にいたら退屈しないなぁ」

 

 一瞬、空気が変わった。

 森中の肩がピクリと動く。

 まるで本能的に感じ取ったように――“何かが普通じゃない”。

 

 夜見は楽しそうに、ポケットから小さなサイコロを取り出した。

「ふゆきは――夜見のものなんですけど!」

 

 指で弾いた瞬間、

 サイコロは空気を裂くような鋭い音を立てて飛んだ。

 

 ――ヒュッ!!

 

 森中の頬を掠め、後方の空気が一瞬だけ焦げたように熱を帯びる。

 視線を動かす間もなく、サイコロは空中でパッと燃え上がり、

 光の粒となって消えた。

 

 静寂。

 

 森中は目をぱちぱちと瞬かせ、震える声で呟いた。

「ちょ、超能力者……!?」

 

 夜見はその焼け跡を見て、軽く頬を膨らませた。

「あー……やっぱり、アニメみたいにはできないなぁ」

 

 燃えたサイコロの灰が、ゆっくりと風に溶けていく。焦げ跡の残るブロック塀を背に、空気はまだ少しだけピリッと熱を帯びていた。

 

 森中は驚きの余韻を引きずったまま、距離を取って夜見を見ている。

 一方で葉加瀬は、もう驚く気力も尽きたように静かに夜見へ近づき、

 軽くその肩をぽんと叩いた。

 

「……どこでそんなん覚えたの」

 

 夜見は振り向いて、満面の笑み。

「学校の図書館〜! 施設の本棚よりも、たっくさん本読めるからさ!」

 

 妙に誇らしげに胸を張る夜見。

 その顔には“褒められるのを待ってる”オーラがありありと浮かんでいた。

 

 だが葉加瀬は、冷静そのもの。

「……それ、危ないからやめな」

 

「えぇ〜〜!?」

 夜見はほっぺを膨らませ、目を丸くする。

「夜見、レベル5になりたいのにぃ……」

 

 その発言に、葉加瀬は目を細めた。

「……お前、それ、なんかの小説に影響されてるだろ」

 

 葉加瀬はひとつため息を吐いて、夜見の方に顔を戻す。

「……わかった、手伝うよ。夜見さんが“キレない範囲”でなら」

 

 その言葉に夜見は一瞬ピタリと動きを止め、

 次の瞬間、じとっと森中の方を睨むように視線を滑らせる。

 

「……夜見、キレそう」

 

 葉加瀬は即座にツッコミを入れた。

「ヤキモチだろそれ」

 

「違うもん〜〜!」と夜見は頬を膨らませるが、

 葉加瀬は半分呆れたように口の端を上げる。

 

「……あんな服着てたくせに、施設で人助けしろって教わらなかったのか」

 

 夜見は一瞬だけ視線を逸らして、サラッと答えた。

「言われた。

 

 耳にタコできてた」

 

 葉加瀬は肩をすくめ、静かに締めくくる。

「なら我慢しろ」

 

 夜見は不満げに唇を尖らせつつも、結局は何も言い返さない。

 森中はまだ、二人のやり取りを見つめていた。

 

 ――夕方。

 

 加賀美家のダイニングは、照明の柔らかな光に包まれていた。

 この日は両親もハヤトも出かけていて、

 広い食卓を囲んでいるのは、葉加瀬と夜見の二人だけ。

 

 テーブルの上には、ハウスキーパーが用意していった夕食が整然と並んでいる。

 白い皿に唐揚げとサラダ、味噌汁に冷ややっこ。

 湯気が静かに立ち上るたびに、油と出汁の香りがふわりと漂った。

 

 夜見は椅子に腰掛け、姿勢を正すと、手を組み、目を閉じた。

 

「過ちを犯した、罪深い私に施しをくださったことに感謝して、食事をいただきます……」

 

 静かな声が、リビングの天井に反響する。

 

「償いの日々を送るために、私の心と身体を支える糧となってください……」

 

 その祈りの言葉は、いつもの夜見の呑気な声とは違って、

 どこか宗教的で、儀式のような厳かさを帯びている。

 

 隣で見ていた葉加瀬は、箸を持ったまま、これだぁ……と小さく呟いた。

 

 昼間、夜見に言われた言葉――施設の歩き方だから――が頭をよぎる。

 あの場所で身につけた、身体の癖。

 夜見が祈りをやめられないように、自分もまた、あの歩き方から抜け出せていない。

 

 今さら直せるわけでもないけど、

 急に意識してしまって、落ち着かない。

 姿勢を少し崩そうとしてみるが、結局どこが「普通」なのか分からず、

 中途半端な体勢で箸をいじるだけになってしまう。

 

 その横で、夜見はもういつもの調子に戻っていた。

「ふゆき〜、食欲ないの〜?」

 

「……別に」

 

「じゃあさ、この唐揚げもらっていい〜?」

 夜見が目を輝かせて、葉加瀬の皿の上の唐揚げを狙う。

 

 その手が伸びるよりも早く、

 葉加瀬は唐揚げを一個つまんで、口に放り込んだ。

 

「ダメ」

 

 もぐもぐと噛みながら、淡々とそう言う。

 夜見は一瞬きょとんとしたが、すぐに笑って箸を振る。

「けち〜! じゃあ夜見、サラダいっぱいもらうもん!」

 

「どうぞ」

 

 淡々としたやり取り。

 けれどその空気には、奇妙な静けさと安心が同居していた。

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