こちら、都市伝説研究センターです。   作:えいどら

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おまけ:生命の泉 7章

 ――翌日。

 

 電車の中は、平日の昼間ということもあって比較的空いていた。

 座席に並んで座る三人の前を、窓の外の景色が流れていく。

 

 森中は、横に座る加賀美をじっと見つめていた。数秒、無言で観察したあと、率直に口を開く。

 

「……この人、誰?」

 

 唐突すぎる問いに、加賀美はびくっと肩を震わせる。

 視線を泳がせながら、小さく笑って誤魔化す。

 

「えっ、あ、えっと……」

「やっぱり俺、邪魔じゃないかな……」

 

 声は弱気で、どこか申し訳なさそうだった。

 

 その瞬間――葉加瀬が、遠慮なく加賀美の背中をバン、と叩いた。

 

 

 そして、胸を張って即答する。

「私のご主人様!」

 

 車内の空気が、一瞬で凍る。

 

「……ご、ご主人様……?」

 

 森中は目を見開き、明らかに不安そうな声で聞き返した。

 手がぎゅっとスカートの裾を掴む。

 

「だから私の――」

 

 葉加瀬が続きを言いかけた、その瞬間。

 

「ち、違う!!」

 

 加賀美が慌てて立ち上がりかけ、声を裏返らせた。

「兄です!!」

「えっと、あの、ぎ、義理の……!」

 

 森中は二人を交互に見比べ、困惑した表情のまま小さく呟いた。

「……なんか、よくわからないけど……」

 

 電車は何事もなかったかのように揺れ続け、

 三人の間には、気まずさと妙な緊張感が同時に漂っていく。

 

 ――ガタン、と電車が減速し、扉が開く。

 

「……この駅で良いんだよね」

 

 葉加瀬が確認するように言い、三人はホームに降り立った。

 改札を抜けると、そこは人影の少ない小さな駅前。

 コンビニも見当たらず、遠くで鳥の鳴き声が聞こえるだけだった。

 

 舗装の荒れた田舎道をしばらく歩く。

 風に揺れる雑草、錆びたガードレール。

 目的地が近づくにつれて、空気がどこか重くなっていく。

 

 やがて――

 道の先に、巨大な建物が姿を現した。

 

 高いコンクリートの壁。

 古びた外観の研究所。

 窓の多くは曇り、所々にひびが走っている。

 

 そして、それを囲うように張り巡らされた柵。

 

 森中は足を止め、建物を見上げながら呟いた。

「……ここだと思うんだけど……」

 

 その声の端には、不安と確信が混じっていた。

 

 隣で加賀美が目を凝らし、低い声で言う。

「……これ、内側に柵が張ってある……」

 

 森中はきょとんとして、柵を改めて見る。

「内側……?」

 

 葉加瀬は一歩前に出て、淡々と説明する。

「普通さ、侵入を防ぐなら外側に柵って張るもんなんだよ」

「でも、これが“内側”に張ってあるってことは……」

 

 言葉を切ったその瞬間、

 加賀美の表情がはっと変わった。

 

「あ……」

「そういえば……ヴァルテスも、内側に張ってあったよね……」

 

 ぽつりとした呟き。

 

 森中はその聞き慣れない名前に反応する。

「……ヴァルテス?」

 

 葉加瀬は振り返りもせず、しれっと答えた。

「言ったでしょ。鎖で繋がれてたって」

「そゆこと」

 

 まるで、天気の話でもするような口調だった。

 

 その瞬間、加賀美は慌てて葉加瀬の方を向く。

「は、葉加瀬さん……!」

「そういうの……あんまり人に言わない方が……!」

 

 必死に声を落とす加賀美に対し、葉加瀬は一瞬だけ不思議そうな顔をしてから、肩をすくめた。

 

 森中は二人のやり取りを黙って見ていた。研究所の無機質な壁と、内側に張られた柵。その異様さが、胸の奥にじわりと染み込んでいく。

 

 ――建物の奥へ。

 

 扉の先は、想像以上に荒れ果てていた。

 床一面に散らばる割れたガラス片。

 天井の隙間から落ちた土と枯葉が積もり、そこを虫たちが住処にしている。

 壁際では、羽音が一斉に立ち上がり、三人は思わず足を止めた。

 

「……うわ」

 加賀美が小さく声を漏らす。

 

「踏むなよ」

 葉加瀬は足元を睨みながら、慎重に前へ進む。

 ガラスを避け、雑草を踏み分け、朽ちた床を選ぶように歩く。

 

 中に進むにつれ、研究施設だった名残が見えてきた。

 錆びた配管、壁に固定された計測機器、

 用途のわからない古い制御盤や、ガラス張りの実験室。

 

 葉加瀬はその一つ一つを眺め、ぽつりと呟いた。

「……こんな立派な施設、手放すなんてもったいないな」

 

 その声は、どこか専門家のそれに近かった。

 設備の配置、構造、動線――

 彼女の目は“恐怖”よりも“評価”をしていた。

 

 そのとき、森中が少し遅れて口を開く。

「……ねえ、思ったんだけど」

 

 葉加瀬が足を止め、振り返る。

 

「やっぱり……じいじの秘密は、

 じいじだけのものにしておいた方がいいのかなって思うの」

 

 森中は視線を落とし、指先を握りしめていた。

 

 葉加瀬は一瞬も迷わず答える。

「そりゃそうだ」

 

 その即答に、森中の顔がわずかに曇る。

 罪悪感と、迷いが滲む。

 

 だが、葉加瀬は続けた。

「……それでも」

「なんとかしたくて、ここに来たんだろ」

 

 森中は顔を上げる。

 

「お前はいいやつだよ」

 

「自分の育ててくれた人の心配して、子供だけでこんなところまで来てさ」

 

「私なんて……自分のことばっかりだった」

 

「自分が良くなりたいからって周りの大人のことを巻き込んでさ」

 

 思い出すように、葉加瀬はそう呟く。その顔はどこか儚い。

 

 しかし、不意に俯いていた顔をまっすぐ上げて、

 

「でもな、これだけは忘れちゃいけない」

 

「私たちがいくら不合理だ、とか、意味わかんない、とか思うことをされたとしても――」

 

「もし迷うようなことがあったら――」

 

 葉加瀬は、歩きながら淡々と語る。

「それを導ける存在になりたいって、大人はみんな思ってるんだ」

 

「……こないだ、先生が言ってた」

 

 少しだけ声の調子が柔らぐ。

 

「私が……大好きな先生」

 

 その言葉に、森中は首を傾げた。

 

「へえ……」

「そんな先生、いたかなぁ……」

 

 研究所の奥へ奥へと進むにつれ、空気が変わっていった。

 埃と湿気、金属の古い匂いが混じり合い、音はやけに吸い込まれるように小さくなる。

 

 葉加瀬は、廊下の突き当たりで足を止めた。

 

「……この部屋」

 扉に手を当て、眉をひそめる。

「すごい分厚い扉だな……」

 

 鉄製で、取っ手も無骨。

 力を込めて押すが、びくともしない。

 

「俺もやるよ」

 加賀美が横に並び、二人で体重をかける。

 

 ぎ……ぎぃ……っ、と、長年閉ざされていた音を立てて、

 ようやく扉が開いた。

 

 だが――中にあったのは、さらに同じような扉。

 

「……二重?」

 葉加瀬は一瞬だけ目を細め、考える。

「放射線の実験でもやってたのかな……遮蔽目的かも」

 

 今度は言葉もなく、加賀美と息を合わせて再び扉を押し開ける。

 

 重たい音とともに、最後の扉が開いた瞬間、

 光が、そこで途切れた。

 

 中は真っ暗だった。

 外の明かりが一切差し込まない、防音された空間。

 音が異様なほど吸い込まれ、三人の呼吸だけが妙に大きく聞こえる。

 

 目を凝らすと、輪郭が浮かび上がってくる。

 

 部屋は――ガラスの壁で、手前と奥に分かれていた。

 

 奥側の空間は、床や壁が液体の跡で汚れている。

 乾いて固まった染み、何度も洗われた痕跡。

 ただの埃とは明らかに違う。

 

 葉加瀬はガラスに近づき、しゃがみ込んで観察する。

 

「……奥が実験室で、手前が観察室かな」

「鏡像認知のテストとか……」

 指で空中に図を描くようにしながら続ける。

「動物がガラスに体当たりしてできた汚れ……かも」

 

 理屈を積み上げるように、言葉を並べる。

 怖さよりも、理解しようとする癖が先に出ていた。

 

 だが――

 

 その背後で。

 

 森中は、一歩も動けずにいた。

 

 ガラス越しの奥を見つめたまま、瞳が揺れ、

 呼吸が浅くなっていく。

 

「……ぁ……」

 

 声にならない音が漏れた瞬間、

 膝から力が抜ける。

 

「森中!?」

 

 加賀美が振り返った時には、

 森中はその場に崩れ落ちるように倒れ込んでいた。

 

 床に手をつき、肩を震わせ、

 視線はなおも、ガラスの向こうの暗闇から離れない。

 

 

 

 

 

 

「……っ」

 

 駆け寄るのに迷いはない。

 床に膝をつき、森中の肩を支えながら意識と呼吸を確認する。

 脈はある。だが速く、浅い。顔色は悪く、冷や汗が滲んでいる。

 

「過換気……違うな、ショック反応に近い……」

 低く、独り言のように呟きながら、顎を軽く持ち上げて気道を確保する。

 

 加賀美が固まっているのを、鋭い声で現実に引き戻す。

「社長!」

 

 びくっと肩を震わせた加賀美に向かって、即座に指示を飛ばす。

「AED……は流石にないか」

 一瞬で判断を切り替え、声を張る。

「外出て! 救急車呼んで!!」

 

「わ、わかった!」

 加賀美は弾かれたように走り出した。

 

 葉加瀬は森中の体を慎重に抱え上げ、自分の背に回す。

 小柄だが、力が抜けた体は思った以上に重い。

 それでも歯を食いしばり、立ち上がる。

 

「……行くよ」

 

 防音室を出て、二重扉を押し開け、崩れた廊下を駆ける。

 ガラス片を避け、雑草を踏み越え、息を切らしながら外を目指す。

 

 その途中、背中からかすれた声が聞こえた。

 

「……あ……の……」

 

 森中が何かを言おうとしている。

 葉加瀬は走る速度を落とさず、短く言い切った。

 

「今はしゃべるな」

 

 それだけ。

 声は冷静で、強かった。

 

 研究所の出口が見える。

 外の光が、やけに眩しく感じられる。

 

 葉加瀬はただ前を見据え、

 森中を背負ったまま、全力で外へと走り続けた。

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