「流石に……渋谷辺りまで行くとなるとさ」
むぎはコーヒーを受け取りながら、淡々と続ける。
「着てけって、うるさいから……」
その言葉を聞いた瞬間、
森中は「はいはい」とでも言うように、むぎの隣へどさっと腰を下ろした。
「えっ? マジ!?」
「とうとう怒られた?」
半分冗談、半分興味本位。
完全に距離感ゼロの聞き方だった。
むぎは首を横に振る。
「まだ平気……怒られてない……」
「でも、この間とか……たまに止められる時はある……」
そう言いながら、肩の力が抜けたように、
むぎはじわっと森中にもたれかかる。
「制服、めんどくさい……」
「ネクタイ、したくない……」
ぼやきというより、訴えに近い声音。
森中は一瞬だけ苦笑してから、
軽く、ぽん、とむぎの頭を叩いた。
「みんなそれ着てんの」
「我慢しな」
呆れたようで、けれどどこか慣れた手つき。
むぎが森中にもたれかかる様子を、
少し離れた場所から見ていた赤羽は、思わず声に出してしまった。
「……森中さん、何者なんですか?」
「どうして……碧星院高校の殺し屋さんと、普通に仲良いんですか?」
素朴で、けれど核心を突いた問いだった。
――その瞬間。
「それな!!」
机に突っ伏していた笹木が、勢いよく顔を上げ、
そのまま椅子から半分跳ね上がる。
「こいつマジで何者やねん!!」
珍しく、全力で同意する調子。
視線が森中へ集まる。
森中は、心底ウザったそうに眉をひそめ、
視線をすっと逸らした。
「……別に、二人だけじゃん……」
ぶっきらぼうに続ける。
「碧星院の生徒、全員と仲良いわけじゃないよ……」
言い訳とも弁解ともつかない言い方。
すると、むぎが首を傾げ、
不思議そうな顔で森中を見る。
「……がっくんとも、仲良いじゃん」
その一言に、森中は一瞬だけ黙り込んだ。
「……あと、がっくん……」
渋々、付け足すように呟く。
「い、いやさ!」
森中が、被せるように声を上げた。
「アルバイトしてたんだよ!」
「その……碧星院の生徒達が、よく行ってたゲームセンターでさ!」
やや早口。
明らかに“先に言っておけば何とかなる”タイプの言い訳だった。
笹木は腕を組み、じっと森中を見る。
「ゲームセンター〜?」
「Σの養成所の生徒達って、そんな簡単に外出できるもんなんか〜?」
語尾を伸ばしつつ、探るような視線。
森中は、またしても目を逸らした。
「いや……」
「碧星院って、他と比べて……その辺、緩いんだよ……」
歯切れは悪いが、妙に具体的だ。
「外出届も……適当にポストの中入れとけば良いし」
「なんなら書かなくても……たまに、バレないって言うか……」
説明というより、内部事情の暴露だった。
それを聞いて、むぎは特に驚いた様子もなく頷く。
「まあ……それは、そうだね」
さらっと同意。
だが、すぐに首を傾げて付け足す。
「でも……私も、リリちゃんも」
「そのゲームセンターは、知らないけど」
ぴたり、と空気が止まる。
笹木の口角が、ゆっくりと上がった。
「……おっとぉ〜?」
苦笑いしながら、
疑り深い目で森中をじーっと見つめる。
むぎは、じっと森中を見ていた笹木の方へ、すっと顔を向けた。
「……知りたいですか?」
静かな声。
けれど、どこか悪戯っぽい間があった。
「そんなに気になるなら……」
「後で、こっそり教えますよ」
その一言に――
「あっ……ダメ……!」
森中が、珍しく慌てた声を上げる。
「それは……それだけは……!」
「教えないで……!」
顔はほんのり赤く、視線も定まらない。
だが、むぎはそれを完全に無視した。
ふいっと空気を切り替えるように、話題を変える。
「てか……ここ」
「都市伝説研究センターって名前なんでしょ?」
事務所の看板を思い出すように、軽く首を傾げる。
「なんか……面白い都市伝説とか、ないんですか?」
「私……どっちかと言うと」
視線が、笹木に向く。
「その話、聞きたいんですけど」
笹木は、椅子に深く座ったまま、パソコンの画面から目を離さずに答えた。
「最近だと……閏時の話題しかないな」
どこかつまらなさそうな声音。
「……閏時?」
むぎが首を傾げる。
「閏年じゃなくて?」
すると、赤羽がぱっと顔を上げた。
「あ! 知ってます、それ!」
さっきまでの空気など忘れたかのように、前のめりになる。
「止まった時間に迷い込むってやつですよね!」
「時計を見ると、61秒だったり、25時になってたり、32日になってたりするやつ!」
完全にスイッチが入っていた。
だが笹木は、眉をひそめて首をかしげる。
「……そんなおもろいか?」
「単なる時計の見間違いやろ」
画面をスクロールしながら、淡々と切り捨てる。
その瞬間。
「いや!」
――まるで逃げ道を見つけたかのように、森中が勢いよく口を挟んだ。
「一人、真面目に追ってる子いるよ!」
笹木の方を見ず、早口で続ける。
「なんでも、閏時に迷い込んだ人から――」
「『死神』を見たっていう目撃情報も、あるみたいで!」
赤羽とむぎが同時に目を見開く。
「それで、それがね……」
「とっても美しい、長髪の女の子だったって話もあって……!」
必要以上に熱がこもっていた。
説明しながら、森中の視線は微妙に泳いでいる。
笹木は、その様子をじっと見つめ――
少し引いたように、ぽつりと呟いた。
「……なんか、やけに食いつきええな……」
椅子の背にもたれ、半目になる。
「どんだけ昔のこと、聞かれたくないんや……」
むぎは一拍置いてから、思い出したように口を開いた。
「……てか」
「私、勉強教えに来たんだけど」
その一言に――
「……っ!?」
赤羽の肩が、目に見えて跳ねた。
空気が、ほんの一瞬だけ固まる。
「あ……そうだったの?」
森中が、少し意外そうにむぎを見る。
「てっきり、叶さんのおつかいだと思ってた」
そう言いながら、ふと何かに気づいたように、
今度は赤羽の方を指差した。
「……あー、でも」
「ばねちゃんのことだと思うよ」
軽い調子で続ける。
「最近、受験するんだって勉強に熱心だし……」
――そこまでだった。
「わ、私……!」
赤羽が、被せるように声を上げる。
「閏時の調査してきますね!」
椅子ががたっと鳴り、
赤羽は立ち上がると、そのまま振り返りもせず――
そそくさと、
というより、ほとんど逃げるように出口まで駆けていった。
「えっ、ちょ……!」
残された空気を見て、森中も一瞬きょとんとするが、
すぐに何かを察したように立ち上がる。
「わ、私も行ってきます!」
「今日は直帰するんで!」
慌てた調子でそう言うと、
むぎの手をぎゅっと掴む。
「ほら、むぎちゃんも、そろそろ帰らなきゃ!」
有無を言わせない勢いで、
二人はそのまま事務所を駆け抜けていった。
公園のベンチに、金髪の女性がだらっと腰掛けていた。
短めの金髪が風に揺れ、脚を組んだままスマホも見ず、ただ前を睨んでいる。
目の前では、子供たちが鬼ごっこをしながら騒ぎ回っていたが、そんな光景は完全に視界の外らしい。
「……マジで、あの古本屋ぶっ潰す……」
低く、しかしやけにハッキリした声。
「せっかく取り置きしてっつったのにさぁ……」
「売る!? 普通売る!? 意味わかんなくない!?」
苛立ちをごまかすように、ベンチの背もたれを軽く蹴る。
一方その少し先――
公園の横を通る歩道を、赤羽葉子がとぼとぼと歩いていた。
「はぁ……」
深いため息。
「あ〜……本当に三日坊主……」
「勉強とか、マジでモチベ上がらない……」
鞄の紐を指でいじりながら、地面ばかり見て歩く。
その背後で、ベンチの金髪の女性は、もう一度ぼやく。
「……また一から出直しか……」
観念したように立ち上がり、
公園の出口へ向かって歩き出す。
ちょうどその出口から、赤羽の前に出る形になる。
特に気にする様子もなく、
金髪の女性はそのまま赤羽の前を横切り、同じ方向へ歩いていった。
(……そんなに欲しいなら、通販使えばいいのに……)
赤羽は心の中で、ぼんやりと思う。
自然と、その少し後ろを歩く形になる。
(それより……)
(勉強嫌すぎて……)
眉を寄せながら、別のことを考え始める。
(笹木さんに、閏時の目撃情報とか……聞き忘れた……)
(あー……)
そのまま考えが口まで上ってきてしまい――
「……明日、森中さんに聞くか……」
ぽろっと、声に出た。
――次の瞬間。
「はぁ!?」
金髪の女性が、ぴたりと足を止める。
くるん、と勢いよく振り返り、赤羽を睨みつけた。
「……森中!?」
目を見開き、一歩詰め寄る。
「おい高坊!」
「お前、今……森中って言ったか!?」
勢いそのまま、赤羽の襟元を掴み上げる。
「なぁ!? 言ったよな!?」
「ちょっと待て待て待て! 何でお前がその名前知ってんだよ!!」
「ひ、ひぇっ!?」
赤羽は目を白黒させたまま、完全に硬直していた。
公園の向こうでは、子供たちの笑い声が、
何事もなかったかのように響いていた。
金髪の女性は、いつの間にか赤羽の隣を歩く形になっていた。
さっきまでの剣幕が嘘みたいに、今はすっかり雑談モードだ。
「へぇ〜、かざちゃんが働いてるとこのバイトなんだ〜」
うんうん、と大きく頷きながら、妙に納得した顔をする。
「なるほどねぇ。そりゃ名前出るわけだわ」
「てかさ、あのビルの地下行った?」
赤羽が首を振るより早く、女性は身を乗り出す。
「マジで美味い寿司屋あるから、今度行ってみ」
「ランチでも普通に強いし、夜は夜でヤバいから。値段もギリ人間」
やけに具体的だった。
空は雲一つなく、日差しが容赦なく照りつけている。
時計を見なくても、昼時だと分かるくらい、通りには人が増えていた。
会社員、学生、観光客――街はいつも通り、賑やかだ。
赤羽はしばらく、相槌を打ちながらその雑談に付き合っていたが、
ふと、さっきから引っかかっていた疑問が口をついて出た。
「……あの」
「森中さんって、何者なんですか……?」
少し慎重な聞き方。
金髪の女性は、間髪入れずに答えた。
「魔法使い」
あまりにも即答。
「いや……それは、知ってるんですけど……」
赤羽は苦笑いで流す。
「なんか……人脈が広いって言うか……」
「普通に生きてたら、そんな繋がり方しない人達と仲良いなって……」
遠回しな言い方だったが、言いたいことは伝わったらしい。
「あ〜……」
金髪の女性は、少しだけ歩く速度を落とした。
「碧星院のこと?」
赤羽が頷くと、彼女は肩をすくめる。
「まあ……色々あったんよ」
「あの子も」
それ以上は踏み込まず、
ただ、何かを思い出すように、空を見上げた。
女性は大きく背伸びをして、肩の力を抜いた。
「まっ……後は小学校の時の友達くらいじゃない?」
あっけらかんとした口調。
「他は普通だと思うよ」
「中学も高校も、ふっつーのところ出てるし」
本当にどうでもよさそうに言い切る。
赤羽は少し考えるように歩きながら、ぽつりとこぼした。
「でも……なんだか……」
「やっぱり最近、私の周りの大人って……」
ちらっと、女性の横顔を見る。
「みんな……普通じゃない感じがするんですよね……」
言葉を選びながら、視線を向けたまま――
ふと、呼び方に迷って口ごもる。
「えっと……その……」
すると女性は、わざとらしく立ち止まり、
急に声色を変えた。
「あ、はじめまして……」
「御伽原……江良です……」
妙に丁寧で、棒読み気味。
一瞬の沈黙。
赤羽は目を瞬かせてから、にこりともせず、さらっと返す。
「あっ……」
「なんか、そういう人じゃないことは、一発で分かりました」
即答だった。
江良は、ぴたりと動きを止め、
次の瞬間、ぷいっとそっぽを向く。
「……チッ」
つまらなさそうに舌打ち一つ。
昼の街の喧騒の中、
二人の足音だけが、妙に揃って響いていく。
赤羽は、少しだけ歩く速度を落とし、改めて江良の横顔を見る。
「……御伽原さんの周りは、どうですか……?」
昼の光の中で、言葉を選びながら続ける。
「なんて言うか……」
「私のバイト先の職業柄なのかもしれないですけど……」
一度、息を吸って。
「色々……規格外なんですよね」
正直な実感だった。
江良は、前を向いたまま、ふっと鼻で笑う。
「普通の人間なんて、そうそういないって」
断言するような口調。
「みんなさ、何かしら――」
「普通じゃないこと、抱えてんのよ」
そう言いながら、彼女はいつの間にか手にしていた小さな瓶を指先で弄ぶ。
手のひらに収まるくらいのサイズ。
中には、まるで赤い絵の具みたいな液体が入っている。
くるくる、と。
陽の光を反射させながら、瓶が回る。
「見えてないだけでさ」
「表に出てないだけ」
赤い液体が、瓶の中でゆっくりと揺れた。
赤羽は、その色に一瞬だけ視線を奪われ――
けれど、何も言わず、黙って歩き続けた。