こちら、都市伝説研究センターです。   作:えいどら

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第二章 第三話:閏時

 大通りの喧騒を背に、二人は少し奥まった細い路地へと足を踏み入れた。

 

 途端に、空気が変わる。

 

 赤羽は、理由の分からない寒気に、無意識に腕を抱いた。

 皮膚の表面をなぞるような冷えではなく、体の内側からじわりと冷えてくる感覚。

 

(……まだ、冬が完全に終わってないからかな……)

 

 そう思おうとしたが、

 吐いた息は白くならない。

 風も、吹いていない。

 

 なのに――寒い。

 

 靴音が、やけに遅れて響く。

 自分の足が地面に触れてから、一拍遅れて音が追いついてくるような、奇妙なズレ。

 

 そのとき。

 

「……来たな」

 

 江良が、低く呟いた。

 

 その声だけが、やけにはっきりと聞こえた。

 

「え……? な、何がですか……?」

 

 赤羽が振り返ると、

 江良は何も答えず、腕を持ち上げる。

 

「時計、見てみ」

 

 促されるまま、赤羽は視線を向ける。

 

 ――腕時計は、そこにあった。

 

 針も、デジタル表示も、確かに視界に入っている。

 なのに。

 

 脳が、それを“時計”として認識しない。

 

 数字が、意味を持たない。

 形は見えているのに、「時間」という概念が、すり抜けていく。

 

(……なに、これ……)

 

 瞬きをしても、状況は変わらない。

 

 ふと気づく。

 

 路地全体が、どこか青みがかっている。

 

 夕方でも、曇りでもない。

 色温度が狂ったような、冷たい青。

 

 コンクリートの壁は、湿っているわけでもないのに、

 まるで水の底に沈んでいるかのように、輪郭が滲んで見える。

 

 遠くで聞こえていたはずの車の音が、いつの間にか消えている。

 代わりに――

 

 低く、一定の音。

 

 ぶうん……

 ぶうん……

 

 何かの機械音のようで、心臓の鼓動のようでもある。

 どこから鳴っているのか、分からない。

 

 赤羽の喉が、ひくりと鳴る。

 

「……え……?」

「……なに、ここ……?」

 

 足元を見ると、影の向きがおかしい。

 光源が定まっていないのに、影だけが勝手に伸び縮みしている。

 

 時間が、歪んでいる。

 

 空間が、噛み合っていない。

 

 理解するより先に、

 本能が「ここはおかしい」と告げていた。

 

 江良は、赤羽を一瞥し、口角を上げる。

 

「ちょっくら、行ってくるわ!」

 

 その手にあった、小さな瓶。

 

 赤い絵の具のようだった液体が、

 ぱち、と光を放った次の瞬間――

 

 消えた。

 

 液体も、瓶も、

 最初から存在しなかったかのように、跡形もなく。

 

「え――!?」

 

 赤羽が声を上げる間もなく、

 江良は路地の奥へと駆け出す。

 

 だが、その走りは、途中でおかしくなった。

 

 地面を蹴ったはずの足が、

 次の瞬間には――

 

 浮いている。

 

 ふわり、という生易しいものではない。

 重力そのものが、そこだけ切り取られたように、

 江良の身体は前へ、上へ、滑るように移動していく。

 

「……っ!」

 

 赤羽の視界の端で、

 江良の姿が、青い空気の向こうへ溶ける。

 

 路地の向こう側が、

 まるで別の層につながっているかのように歪み、

 そこへ吸い込まれるように――

 

 江良は、消えた。

 

 残された赤羽の周囲で、

 低い音が、少しだけ大きくなる。

 

 ぶうん……

 ぶうん……

 

 時計は、まだ見えている。

 けれど、時間は――存在していなかった。

 

 青く歪んだ路地の奥へ消えていった背中を見上げて、赤羽は呆然と呟いた。

 

「……魔法使いだったんだ……」

 

 納得よりも、現実逃避に近い声音。

 

 次の瞬間、我に返って声を張り上げる。

 

「ちょ、ちょっと! 置いていかないでくださいよ!」

 

 そう叫び、赤羽は一人、路地の奥へと走り出した。

 

 ――だが。

 

 一歩、二歩と踏み出すごとに、感覚がおかしくなる。

 

 足は確かに前へ出ている。

 息も、鼓動も、走っているそれだ。

 

 なのに――景色が動かない。

 

 進んでいるはずなのに、距離が縮まらない。

 まるで、見えない床の下で何かが逆回転しているような。

 

 ランニングマシン。

 

 その言葉が、唐突に頭に浮かぶ。

 

「……っ、なに、これ……」

 

 力を込めても、体は前へ行かない。

 むしろ、重く、鈍くなっていく。

 

 空気が、さらに冷たくなる。

 肺に吸い込むたび、青い霧のようなものが胸の奥に溜まっていく感覚。

 

 やがて、足がもつれる。

 

「はぁ……っ……はぁ……っ……」

 

 限界だった。

 

 赤羽は路地の途中で膝に手をつき、

 そのまま、ずるりと座り込んだ。

 

「……どうなってんの、ここ……」

 

 声は、驚くほど小さく、頼りない。

 

 冷たい地面の感触が、制服越しに伝わる。

 逃げ場のない寒さが、じわじわと身体を包み込み、

 意識まで薄く削っていくようだった。

 

 ――そのとき。

 

 足音がした。

 

 規則正しく、軽い。

 この青い空間には不釣り合いなほど、自然な歩調。

 

 顔を上げると、

 白いフードを被った少女が、何事もないようにこちらへ歩いてくる。

 

 影の落ち方が、少しだけおかしい。

 輪郭は柔らかく、どこか現実感が薄い。

 

 少女は赤羽の前で立ち止まり、

 穏やかな声で言った。

 

「大丈夫だよ」

 

 それだけ。

 

 慰めるでも、急かすでもない。

 まるで、最初からそうなると知っていたかのような声音。

 

 少女は、赤羽の手を取った。

 

 ひんやりしているはずなのに、

 触れた瞬間、不思議と恐怖が薄れる。

 

 引き上げられると、赤羽の身体は――

 抵抗なく、立ち上がった。

 

 さっきまでの重さが、嘘のように消えている。

 

「……え……?」

 

 自分の足で立っていることが、信じられない。

 

「あ……ありがとうございます……」

 

 赤羽は、戸惑いながら礼を言い、

 改めて、その少女の顔を見つめた。

 

 フードの影に隠れた表情は、よく見えない。

 けれど、どこか落ち着いていて、

 この異質な空間に溶け込むような気配だけが、確かにそこにあった。

 

 少女は、何も言わず、

 ただ静かに、赤羽を見返した。

 

 白いフードの少女は、来た道をそのまま引き返していった。

 

 足取りは相変わらず自然で、

 青く歪んだ空間の中を、まるで普段の路地を歩くかのように進んでいく。

 

 その背中が角を曲がって見えなくなった瞬間――

 空気が、ふっと緩んだ。

 

 青みがかった色調が薄れ、

 壁のコンクリートは本来の灰色を取り戻し、

 遠くで車の走る音や、人の話し声が、じわじわと戻ってくる。

 

 冷たさも、異様な重さも、嘘みたいに消えていた。

 

「……あ……」

 

 赤羽が息を吐いた、その時。

 

 ――ひゅん、と風を切る音。

 

 路地の先、上空から、

 江良がそのまま空を滑るように戻ってきた。

 

 地面に着地するや否や、赤羽の方へ駆け寄る。

 

「大丈夫だった!?」

 

 珍しく、本気で焦った声。

 

「マジでさ、あの空間で動きすぎると――」

「最後、何もできなくなるから……!」

 

 赤羽は、まだ半分ほど放心したまま、

 何度か瞬きをしてから、ようやく頷いた。

 

「え、ええ……」

「なんとか……」

 

 それから、遅れて実感が追いついたように、江良を見る。

 

「……江良さん……」

「魔法使いなんですか?」

 

 一拍置いて。

 

「そっちの方が……驚きなんですけど……」

 

 江良は、あっさりと親指を立てた。

 

「そっ」

 

 何でもないことのように。

 

「かざちゃんと、同じだよん」

 

 軽い口調。

 

 それから、さっきまで歪んでいた路地を振り返りながら、続ける。

 

「今のが――閏時」

 

 短く、しかしはっきりと。

 

「巷では認識されない、時間のずれだよ」

 

 赤羽は、ごくりと喉を鳴らす。

 

「本当はね」

「誰も分からないくらい、あっという間になくなるんだけど……」

 

 江良の声が、少しだけ低くなる。

 

「何故か最近は」

「それを弄って、誰かをその空間に閉じ込めてる奴がいるんだよね」

 

 冗談めかした調子は消え、

 代わりに、確かな警戒が滲んでいた。

 

 昼の路地は、もう完全に元通りだった。

 

 

 

 

 その日の夜。

 

 御伽原と別れた赤羽は、少し息を弾ませながら、ガラス張りのビルの前に立っていた。

 昼間とは違い、ビルの外壁は夜の光を反射して、どこか無機質にきらめいている。

 

「……やっぱり、気になるよね……」

 

 独り言のように呟き、そのまま中へ入る。

 

 ロビーには、仕事を終えたサラリーマンたちが三々五々、

 ネクタイを緩め、スマホを見ながら出口へ向かっていた。

 

 その流れを逆行するように、赤羽は足早にエレベーターへ乗り込む。

 扉が閉まる直前、疲れた表情の男性と目が合い、

 何となく気まずくなって視線を逸らした。

 

 ――ウィン。

 

 目的の階で扉が開く。

 

 赤羽はほとんど小走りで廊下を進み、

 いつもの事務所の前まで来て、ぴたりと足を止めた。

 

 中は暗い。

 

 ガラス越しに見えるはずの照明は点いておらず、

 ドアノブを軽く引くと、鍵がかかっている感触が返ってきた。

 

「……え?」

 

 思わず、もう一度だけ確かめる。

 

 ――やっぱり、閉まっている。

 

 スマホの時計を見る。

 まだ夜遅くと呼ぶほどの時間じゃない。

 

 赤羽は、しばらくその場に立ち尽くしてから、

 小さく肩を落として呟いた。

 

「……本当、この事務所って……」

「やる気、無いよなぁ……」

 

 廊下の静けさが、その言葉を吸い込んでいった。

 

 ガラスの向こうの暗闇を見つめたまま、

 赤羽は、その場から動けずにいた。

 

 ビルを背に、赤羽は夜道を歩き出した。

 

「……こんなんで、本当に儲かってんのかな……」

 

 誰に聞かせるでもない小言を、ぶつぶつと零しながら。

 ガラス張りのビルはすぐ背後に遠ざかり、街灯の間隔も少しずつ広がっていく。

 

 しばらく歩いて、赤羽はふと違和感を覚えた。

 

 ――人が、いない。

 

 夜遅くというほどの時間じゃない。

 本来なら、仕事帰りの人や、飲みに向かうグループがぽつぽついるはずなのに、

 通りには足音も、話し声も、車の走る音すらほとんどない。

 

 静かすぎる。

 

 その事実が、じわじわと不安を煽る。

 

「……私も、はやく帰ろ……」

 

 無意識に歩幅を速める。

 その瞬間――

 

 ぞくり、と。

 

 背中を撫でるような寒気。

 

 赤羽は肩をすくめ、腕を抱いた。

 

「……さむ……」

 

 言葉にした瞬間、はっとする。

 

(……あれ?)

 

 さっきまで、寒さなんて感じていなかった。ただ歩いていたはずなのに。

 

 空を見上げる。

 

 ――月が、赤い。

 

 見間違いではない。

 白でも、橙でもない。

 血を薄めたような、不自然な赤。

 

 雲がかかっているわけでもなく、

 街のネオンが反射しているわけでもない。

 

 月そのものが、赤い。

 

「……っ」

 

 喉が鳴る。

 

 その瞬間、気づく。

 

 この寒さ――

 昼間、あの路地で感じたものと、同じだ。

 

 皮膚の表面ではなく、

 身体の内側から締め付けてくる、あの冷え。

 

 足元を見ると、黒ではなくどこか赤みを帯び、濡れてもいないのに、光を吸い込むように沈んで見える。

 

 街灯の光が、妙に弱い。

 照らされているはずの場所が、

 一歩先で、すっと闇に溶けていく。

 

 遠くの建物が、歪む。

 

 直線だったはずの輪郭が、

 ゆっくりと呼吸するように、膨らんだり縮んだりしている。

 

 音が、消える。

 

 自分の足音が、途中で途切れる。

 コツ、……、……。

 

 最後まで返ってこない。

 

 赤羽の心臓が、嫌に大きく脈打つ。

 

(……まさか……)

 

 脳裏に、昼間の言葉が蘇る。

 

 ――閏時。

 

 夜の街のはずなのに、

 ここはもう「夜」ではない。

 

 赤い月が照らす空間は、

 時間から切り離された、薄暗い箱の中みたいだった。

 

 赤羽は立ち尽くす。

 

 寒さに、ではない。

 この場に閉じ込められたという確信に。

 

 影が、足元で不自然に伸びる。

 光源の位置を無視して、

 赤羽の影だけが、じりじりと後ろへ這っていく。

 

 逃げなきゃ、と思うのに、

 足に力が入らない。

 

 昼間よりも、ずっと深い。

 

 誰の気配もない夜の街で――意図せず、再び閏時の中に、迷い込んでいた。

 

 赤い月に照らされた街の中で、赤羽は荒く息をついた。

 

 ――逃げる?

 ――隠れる?

 

 そのどちらでもない、と気づいた瞬間、胸の奥がひやりと冷えた。

 

(……そういえば)

 

 思えば――

 まだ試していない。

 

 赤羽は、静かに目を閉じる。

 

 恐怖ではなく、集中。

 意識を、自分の“内側”へと沈めていく。

 

 そして、目を開いた。

 

 右目が、鈍い緑。

 左目が、深い赤。

 

 夜の闇の中で、そのオッドアイが微かに光を宿す。

 

 ――世界が、裏返った。

 

 視界はもはや、形や色だけではない。

 空間そのものが、情報として流れ込んでくる。

 

 建物の中に残った人の気配。

 遠くの路地を歩く誰かの足取り。

 さらにその奥――

 

 血の巡り。

 

 心拍の速さ。

 肺の膨らみ。

 不安、苛立ち、安堵、虚無。

 

 感情が、温度や重さを持って伝わってくる。

 

 数百メートル――

 いや、数キロ先まで。

 

 赤羽の感覚は、街全体に薄く広がっていった。

 

(……いる)

 

 駅の方角。

 

 人間の形をしている。

 だが、どこか歪んだ存在感。

 

 感情が、妙に平坦で、

 血の流れが、滑らかすぎる。

 

 生きているのに、

 生き物らしくない。

 

 赤羽の口元が、わずかに引きつった。

 

「……見つけた」

 

 声は低く、確信に満ちていた。

 

 次の瞬間――地面を蹴る。

 

 音は、遅れてやってきた。

 

 赤羽の身体は、

 もはや“走る”という動作を超えている。

 

 街灯が、線になる。

 建物が、壁のように流れ去る。

 

 重力の感覚が曖昧になり、

 足が地面についているのかさえ分からない。

 

 それでも、方向は完璧だった。

 

 血の匂い。

 感情のざらつき。

 異物のような存在感。

 

 それらを“第六感”として掴み取りながら、

 

 赤羽葉子は――赤い月の下、人並み外れた速度で獲物へ向かって、飛ぶように駆けていった。

 

 赤い月の下を裂くように駆けていた、その最中。

 

 ――前方から、声がした。

 

「ヤベ……見つかっちゃった!」

 

 軽い。

 切迫感があるはずなのに、どこか冗談めいた響き。

 

 次の瞬間。

 

 赤羽の第六感に引っかかっていた異物のような気配が、

 ぶつりと途切れた。

 

 感情のざらつきも、

 不自然な血の流れも、

 まるで最初から存在しなかったかのように――消える。

 

「……っ」

 

 同時に、世界が軋み始める。

 

 空気の青みが薄れ、

 歪んでいた建物の輪郭が、ゆっくりと正しい形に戻っていく。

 

 飛ぶような疾走が、

 走りに変わり、

 やがて、ただの足取りになる。

 

 最後に一歩踏み出したところで、赤羽は立ち止まった。

 

 ――音が、戻る。

 

 車のエンジン音。

 遠くの踏切。

 誰かの笑い声。

 

 夜の街の喧騒が、

 何事もなかったかのように、耳へ流れ込んでくる。

 

 赤羽は、しばらくその場で息を整えた。

 

 心臓の鼓動が、ようやく普通の速さに戻る。

 

「……」

 

 ゆっくりと、自分の手を見る。

 指を開き、閉じ、確かめるように動かす。

 

 足元。

 靴。

 制服。

 

 全部、いつも通りなのに――身体の奥だけが、まだ熱を帯びていた。

 

「……おお……」

 

 思わず、声が漏れる。

 

「……こんなことも、できるんだ……」

 

 赤と緑だった視界は、いつの間にか元の色に戻っている。

 だが、感覚の残滓だけが、まだ消えない。

 

 遠くを見れば、さっきまで追っていた“何か”が、確かにそこにいたという確信だけが残っていた。

 

 夜の街が完全に日常の顔を取り戻した、その少し後。

 

 人の流れの隙間を縫うようにして、

 遅れて――白いパーカーの少女が、こちらへ歩いてきた。

 

 昼間と同じ、何事もなかったかのような足取り。

 まるで最初から、この場所に“来る予定だった”みたいに。

 

「……今度は、大丈夫そうだね」

 

 柔らかく、けれど断定的な声。

 

 赤羽のすぐそばまで来ると、

 少女は夜の街を一度だけ見回し、続ける。

 

「そう」

「力がある子が、空間に呑まれずに向かっていけば――」

 

 少しだけ、声を落とす。

 

「たとえ閏時でも、そんなに怖くないの」

 

 その言葉には、慰めよりも事実の説明に近い響きがあった。

 

 赤羽は、まだ高鳴りの残る胸を押さえながら、少女を見る。

 

「……御伽原さんが言ってた人……」

「見つけました」

 

 夜風に紛れそうな声で、けれど確かに。

 

「あれが……例の『死神』なんですかね……」

 

 すぐには答えない。ただ、赤羽の言葉を否定も肯定もせず、静かに聞いている。

 

 赤羽は、言葉を続けた。

 

「でも……」

「なんで、こんなことするんだろ……」

 

 昼間の青い空間。

 赤い月。

 

 それらを思い返すたび、胸の奥がざわつく。

 

「……早く止めないと」

「大変なことになりそうです」

 

 少女は、少しだけ首を傾げる。フードの影に隠れた表情は、やはりよく分からない。

 

 けれど、その雰囲気だけが、どこか――

 

 柔らかさと、得体の知れなさを同時に帯びていた。

 

 少女は、赤羽に近い距離で立ち止まり、

 静かに、しかし確かな調子で告げる。

 

「理由はね……」

「たいていの場合、そんなに立派なものじゃないよ」

 

 夜の喧騒の中で、その声だけが、不思議と澄んで聞こえた。

 

「でも――」

 

 そこで、ほんの一瞬だけ、少女の口元が緩む。

 

「止めたいって思えたなら」

「もう、君は“巻き込まれる側”じゃない」

 

 その言葉が、

 赤羽の胸の奥に、静かに沈んでいった。

 

 夜の街は、何も知らないまま、いつも通りに動き続けている。

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