こちら、都市伝説研究センターです。   作:えいどら

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第二章 第亖話:キャンパス

 都内にある一角。

 

 昼どきの学生食堂は、ざわざわとした音で満ちていた。

 

 トレーがぶつかる音。

 椅子を引く音。

 どこかのテーブルから聞こえてくる笑い声。

 

 赤羽は、少し湯気の立つラーメンを啜りながら、向かいの席に座る江良に話しかけた。

 

「大学って……」

「良いもんですね」

 

 ぽつりとした感想だった。

 

 江良は頬杖をつき、視線を宙に投げたまま鼻で笑う。

 

「まあな」

「でも、自由な分――」

 

 一瞬、言葉を選ぶように間を置く。

 

「自分でやんなきゃいかんことも、多いぞ」

 

 赤羽が「へぇ……」と相槌を打つと、

 江良は視線をずらし、どこか苦い表情で続けた。

 

「……適当に過ごしてるとさ」

「マジで、置いてかれるしな」

 

 妙に実感のこもった口調だった。

 

 そのとき、背後のテーブルから、ひそひそとした声が聞こえてくる。

 

「なあ、聞いた?」

「行動生理学、持ち込み禁止になるらしいぜ」

 

 江良は、その会話にぴくっと反応し、

 箸を止めて小声で呟いた。

 

「……マジかよ……」

 

 一瞬だけ遠い目をしたあと、

 すぐに咳払いして、赤羽に向き直る。

 

「……で」

 

 声のトーンが、少しだけ変わる。

 

「見つけたのか」

「閏時を、引き延ばしてるやつ」

 

 赤羽は、ラーメンの丼をそっとテーブルに置き、江良をまっすぐ見た。

 

「あの夜……」

「駅の方に、いました」

 

 食堂の喧騒の中で、その声だけが少し低くなる。

 

「あの空間だけ……」

「気配が、明らかに違ったんです」

 

 江良は黙って聞いている。

 

「わかるんです」

 

 赤羽は、少しだけ息を吸い――

 目を開いた。

 

 右が緑。

 左が赤。

 

 ほんの一瞬で変わるオッドアイに、

 江良は思わず目を見開いた。

 

「私が、赤い左目で見ると……」

「空間にいる人間の動きとか」

「血の巡りとか……感情の波が、分かるんです」

 

 怖がらせるつもりはない。

 事実を、そのまま言葉にしているだけだった。

 

 江良は、無意識に唾を飲み込み、

 こめかみにじんわりと汗を滲ませる。

 

「……お前のそれは……」

 

 視線を逸らし、低く呟く。

 

「……ちょっと、普通じゃないな」

 

 少し間を置いてから、真剣な目で赤羽を見る。

 

「魔法使い、なのか?」

「それとも……」

 

「お前のそれは、対価とか供物を必要としないのか?」

 

 問いは、探るようでいて、

 どこか警戒も含んでいた。

 

 赤羽は、首を横に振る。

 

「違います」

 

 はっきりと。

 

「霊能力者なんです」

 

 江良の眉が、わずかに動く。

 

「最初は……」

「使い方も、何も分からなくて」

 

 赤羽は、両手を軽く握りしめる。

 

「でも最近……」

「段々と、できることを“思い出してきて”……」

 

 自分でも不思議そうに、言葉を選びながら。

 

「話すと……ちょっと、長くなるんですけど……」

 

 そこで言葉を切り、

 赤羽は小さく笑った。

 

 昼休みの時間帯が終わり、

 学生食堂のざわめきは、潮が引くみたいに静まっていった。

 

 空いたテーブル。

 片付け途中の食器。

 さっきまでの雑音が嘘のようだ。

 

 赤羽は、少し俯いたまま、ぽつりと続けた。

 

「……ただ、それだけじゃないんです」

 

 江良の視線が向く。

 

「白いパーカーの人が……助けてくれたんです」

 

 言葉を確かめるように、ゆっくり。

 

「御伽原さんと二人でいた時に……」

「手を取って、私を引っ張り上げてくれて」

 

 昼間の青い空間。

 あの冷たさと、ぬくもり。

 

「夜の時も……」

「私を、励ましてくれて……」

 

 言い終わると、赤羽は顔を上げた。

 

 江良は、箸を持ったまま動かない。

 眉を寄せ、じっと赤羽を見つめる。

 

「……ひょっとして」

 

 声が低くなる。

 

「そいつが、犯人なんじゃね?」

 

 疑い。

 魔法使いとしての、直感。

 

 だが、赤羽はすぐに首を横に振った。

 

「……それは、違うと思います」

 

 迷いはなかった。

 

「駅にいた人とは……」

「感じが、全然違いました」

 

 言葉を探しながら、続ける。

 

「なんというか……」

「誰も寄せ付けないような……歪な雰囲気で……」

 

 江良は黙って聞いている。

 

 少しの沈黙の後、赤羽は考え込むように言った。

 

「……駅にいた人は……」

 

 一度、息を吸う。

 

「寄せ付けない、というより……」

「罠を張ってる蜘蛛、みたいな……」

 

 甘くて、逃げ道のない感じ。

 

「優しそうで……」

「でも、近づいたら終わり、みたいな……」

 

 そして、赤羽は言葉を選ぶように、しばらく黙った。

 

 迷い。

 躊躇。

 

 それでも、口を開く。

 

「……何というか……むしろ……」

 

 視線が、江良に向く。

 

「江良さんや……」

「森中さんの方が……」

 

 小さく、しかしはっきり。

 

「駅にいた人と……」

「似た感じが、したんです」

 

 その瞬間。

 

「……お前、それってどういう――」

 

 江良の目が鋭くなる。

 一瞬、苛立ちが表に出た。

 

 だが。

 

 次の瞬間、江良の表情が変わる。

 

 ――はっとしたように。

 

「……あ」

 

 箸を置き、低く呟く。

 

「……そうか」

 

 視線が、テーブルの一点に落ちる。

 

「犯人も……」

「魔法使い、ってことか」

 

 学生食堂の静けさの中で、その言葉だけが、重く残った。

 

 赤羽は、少し迷うように視線を泳がせてから、江良に声をかけた。

 

「……御伽原さん……」

「なんか……ゲームで見たことある気がするんですけど……」

 

 言い終わる前に――

 

「待ちな」

 

 江良が、ぴしっと手を上げて制した。

 

 その表情は、さっきまでの軽さが抜け落ちている。

 

「作戦会議するんならさ」

「まず、そのパーカーの女を探さない?」

 

 赤羽が瞬きをする。

 

「お前の読みじゃ――」

「そいつ、魔法使いじゃないんだろ?」

 

 確認するような口調。

 

「霊能力者か、他の何かかは知らんけど……」

 

 一拍置いて、続ける。

 

「多分な」

「そいつが敵じゃないなら――」

 

 江良の視線が、まっすぐ赤羽に向く。

 

「閏時を攻略するための、手掛かりになる」

 

 それは提案というより、ほとんど結論だった。

 

 江良は、トレーを片付けるでもなく、そのまま立ち上がる。

 

「私も行くよ」

 

 迷いはない。

 

「だからさ――」

「一旦、あんたのバイト先に戻ろっか」

 

 軽く顎で示す。

 

「情報は多い方がいいし」

「……何より、あそこなら“変な話”しても浮かないだろ」

 

 赤羽は一瞬きょとんとしたあと、

 小さく笑って頷いた。

 

「……確かに……」

 

 学生食堂には、もう人影はまばらだった。

 

 

 

 

 ガラス張りのビルの自動ドアが、静かに開く。

 

 中へ足を踏み入れた瞬間、外の空気とは切り離されたような、ひんやりとした空調の気配が肌を撫でた。

 床に反射する照明は均一で、磨かれすぎたロビーは生活感がなく、音が吸い込まれていく。

 

 通勤時間帯はとうに過ぎているのだろう。

 広いロビーに人の姿はなく、聞こえるのは靴底が床を叩く音だけだ。

 

 受付の脇では、制服姿の警備員が一人、モニターを眺めながら巡回している。

 視線が一瞬こちらに向くが、すぐに興味を失ったように戻される。

 

 それ以外には、誰もいない。

 

 ロビーの奥に並ぶエレベーターの前に立ち、呼び出しボタンを押す。

 電子音が一つ鳴り、表示が静かに変わった。

 

 扉が開く。

 

 中に入り、無機質な操作盤へ指を伸ばす。

 上の階――目的の階のボタンを押すと、低く鈍い音と共に扉が閉まった。

 

 次の瞬間、身体がふっと浮く。

 

 足元から重力が抜けるような感覚。

 エレベーターは滑るように、しかし確かな速度で上昇していく。

 

 耳が、きん、と鳴る。

 数字が次々と切り替わり、階数はあっという間に跳ね上がっていく。

 

 時間の感覚が、少しだけ曖昧になる。

 

 ――チン。

 

 短い到着音。

 

 体感では、ほんの一瞬だった。

 だが表示は、すでに目的の階を示している。

 

 扉が左右に開き、

 静まり返った廊下が、その向こうに姿を現した。

 

 廊下を進んでいくと、やがてガラス張りの扉が視界に入る。

 

 白い文字で記された看板。

 

 ――都市伝説研究センター。

 

 中の様子は、ガラス越しにはよく見えない。

 照明は点いているが、人影はぼんやりとした輪郭しか分からなかった。

 

 その扉に、誰かの手がかかる。

 

 ガチャ、と小さな音。

 続いて、扉が開いた瞬間――

 

 カラン、カラン。

 

 ドアベルの軽い音が、センター内に響いた。

 

 誰かが、そのまま中へ足を踏み入れる。

 

 その姿を認識した瞬間だった。

 

「……お……」

 

 中にいた笹木咲が、目を見開く。

 

「お……おま……」

 

 声が喉で引っかかり、

 次の言葉が出てこない。

 

「お前ぇ!!」

 

 露骨な驚愕と、

 反射的な拒絶が混じった表情。

 

「あっ……」

 

 一歩、後ずさる。

 

「ああっ……!!」

 

 指を突き出したまま、

 驚きが身体のバランスを奪い――

 

 どさっ、と。

 

 笹木はその場で尻もちをついてしまった。

 

 床に座り込んだまま、

 震える指で“それ”を指し示し、

 目だけは逸らせずにいる。

 

 センター内には、

 ドアベルの余韻だけが、

 ちりん……と、遅れて消えていった。

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