街は、まだ人の熱を残していた。
車の音、信号の電子音、どこかの店から流れる音楽。
その雑多な喧騒の中を、三人は並んで歩いていた。
赤羽は少し前を歩き、
その後ろを、フードを目深に被った夜見と、御伽原江良がついてくる。
赤羽は、何度も口を開きかけては閉じていた。
「……私」
ようやく絞り出すように言う。
「私……なんで、こんな風になったんだろう……」
足取りが少しだけ遅くなる。
「江良さんみたいに、魔法使いとして生まれたわけでも……」
ちらりと横を見る。
「夜見さんみたいに、特別な何かがあったわけでもない」
自分の胸元をぎゅっと掴む。
「私……本当に人間なのかな……」
声が、ほんの少し震えていた。
人波の中にいるのに、
赤羽だけが孤立しているような、不安。
その空気を、横からさらっと切る声があった。
「神様なんじゃない?」
「……え?」
赤羽が顔を上げる。
夜見は、フードの奥からにこっと笑っている。
軽い調子。
だが目は、冗談だけではない色を含んでいる。
それを聞いた江良が、ぱっと目を輝かせた。
「マジ!? 神様!?」
一歩前に出て、赤羽の顔を覗き込む。
「私の夢、お金に溺れることなんだよね!」
ぐいっと両手を合わせて迫る。
「え……えっと……」
赤羽は完全に戸惑う。
「それは、その……神様って、そんな……」
「えー!? 無理!?」
「いや、そもそも私が神様かどうかも……」
しどろもどろ。
夜見はその様子を見て、くすくす笑いながら赤羽の肩をぽん、と叩いた。
「そうそう! ポジティブにね、赤羽さん」
「ポジティブ……?」
「“私、人間か分からない”よりさ」
夜見は少しだけ顔を近づける。
「“もしかして神様かも?”のほうが、なんかワクワクするでしょ?」
赤羽は、ぽかんとする。
江良は横でまだ目を輝かせている。
赤羽は困り顔のまま、けれどさっきよりほんの少しだけ呼吸が落ち着いていた。
夜見は人混みの向こうを見ながら、さらりと呟く。
「自分が何者かなんてさ、案外どうでもいいんだよ」
その声は、喧騒に紛れそうで紛れない。
「“今ここにいる赤羽さん”が、誰かに願われる存在なら、それで十分じゃない?」
赤羽は、自分の胸に置いた手をゆっくりと離した。
人混みを抜けても、赤羽の胸のざわつきは消えなかった。
夜見と江良の軽口に笑いはした。
けれど、頭の奥では別の問いがぐるぐると回っている。
(もし……)
自分が“本物の自分”じゃなかったら。
力を「授かった」のではなく、
どこか別の“本来あるべき何か”を、
自分が横取りしただけなのではないか。
本来、ここにいるべきだった“赤羽葉子”は?
自分がこうして息をして、歩いて、笑っている間に、
どこか別の場所で、消えてしまったのではないか。
自分は――
その場所を、奪っているのではないか。
赤羽は、無意識に足を止めかけた。
その横顔を、夜見がちらりと見る。
「……昔さ」
ふいに、夜見が口を開いた。
「笹木先輩が言ってたんだけどさ」
「……笹木さんが?」
赤羽は顔を上げる。
夜見はフードの奥で、少しだけ遠い目をする。
「“もし、自分ってものを信じるのをやめてしまったら、その瞬間、自分は自分じゃなくなる”って」
太陽の光が、夜見の横顔を淡く照らす。
「“たとえそれが間違ってても、自分が意志を持って、自分であるって思い続けなきゃいけない”って」
赤羽は、静かに聞いていた。
「それ聞いたときさ」
夜見は小さく笑う。
「なんか、ああ、この人はちゃんと“自分”を掴んでるんだなって思ったんだよね」
足を止めずに続ける。
「だからさ」
夜見は赤羽の方を向く。
「赤羽さんも、自分が自分だって、自信持って良いと思うよ」
「でも……」
「今は」
夜見は言葉を重ねる。
「“赤羽葉子”は、赤羽さんだけなんだから」
それは、理屈ではなかった。
証明も、裏付けもない。
けれど、確かな言葉だった。
江良も、横から大きく頷く。
「そうそう! 本物とかコピーとか知らないけどさ!」
ぱん、と赤羽の背中を軽く叩く。
「今ここで一緒に歩いてるのは、あんただけなんだし!」
赤羽は、しばらく何も言えなかった。
胸の奥にあった“奪っているかもしれない”という罪悪感が、
少しだけ形を変える。
もし本物がどこかにいたとしても。
もし自分が、何かの“続き”だったとしても。
今、ここで考えて、悩んで、選ぼうとしているのは――
間違いなく、自分だ。
「……そっか」
小さく、息を吐く。
昼間の光が、ビル群のガラスに反射して眩しく揺れていた。
三人が並んで歩いていると、やがて大通りから一本外れた、背の高いビルへと続く道に差し掛かる。
夜見はそこで足を止めた。
「それじゃ、私はここで」
くるりと振り返り、いつもの調子で手を振る。
「飛行機の時間あるからね」
「え、もう?」
赤羽が目を丸くする。
「うん。ちょっと遠出」
さらりと答えるその姿に、赤羽はふと、笹木のことを思い出した。
あの露骨に嫌がる様子。
「……そういえば」
赤羽が何かを言いかけた、その瞬間。
夜見は、先回りするようににやっと笑った。
「笹木先輩のこと?」
「……え」
「揶揄ってたら、なんか反応が面白くって」
肩をすくめる。
「それで遊んでたら、嫌われちゃったんだよね〜」
赤羽が微妙な顔をする横で、江良が大きく手を振った。
「いやいや、違うでしょ」
夜見の言葉をばっさり否定する。
「それ……嫌いなんじゃなくて、あの店長なりのスキンシップなんじゃないかな」
「スキンシップ?」
「もし、本当に嫌いだったらさ」
江良は、ひょいと顎を上げる。
「こんな変な奴ばっかりに囲まれてないって」
そう言って、夜見に向かって手招きする。昼の風が、三人の間を通り抜けた。
ガラス張りの事務所に、午後の光が斜めに差し込んでいる。
ひまわりは一息つくと、鞄からクリアファイルを取り出した。
「……これね」
中から出てきたのは、何枚かのコピー用紙。
そこには、鉛筆で描かれた――深い森林の奥に埋もれるような、滅びた街のスケッチ。
建物は半ば崩れ、蔦が絡み、道路はひび割れている。
けれど、どこか現実の風景のような、妙な具体性があった。
「この間……さくちゃん、変なコピー用紙の依頼受けたって言ってたでしょ?」
「……ああ」
咲は腕を組みながら頷く。
「あの、橋の下のやつやな…」
「それでね」
ひまわりはイラストを机に広げる。
「似たような依頼が、うちの事務所にもあって」
「は?」
「依頼人が、このイラストの場所で似たようなものを見たんだって」
ひまわりはそのうちの一枚を、咲に手渡した。
紙を受け取った咲は、じっと見つめる。
森の奥。
崩れた街。
見覚えがあるような、ないような。
その横から、椎名がぬっと顔を出す。
「お、笹木がサボっとった時のやつやん」
「サボっとった言うな!」
即座にツッコミを入れつつも、咲の眉はひそめられたままだ。
「……ほんまかいな……」
イラストをもう一度見下ろす。
「これ……どこで描いたん?」
ひまわりは、少し間を置いてから答えた。
「寿駅の近くだって」
「寿……?」
「JRの」
その瞬間、咲の表情が変わる。
「……なんか聞き覚えある名前やな……」
視線を上に向け、記憶を探る。
椎名が横から、ちょん、と咲の肩を突いた。
「祓室があったとこやん」
「……あ」
一瞬、目が見開かれる。
「ああ!!」
イラストを持ったまま、椅子から半分立ち上がる。
「美兎さんの時の場所やん!」
咲はイラストを見つめたまま、首をかしげた。
「でも……あの駅に、こんな場所あったかいな……?」
寿駅周辺の風景を思い浮かべる。
住宅地と線路、遠くに山。だが、紙に描かれているのは――森の奥に沈んだ廃墟の街だ。
ひまわりは小さく首を振る。
「駅の“近く”って言ったでしょ?」
「ん?」
「別にそこにあるわけじゃないよ」
机の上のイラストを指でとん、と叩く。
「その場所があったのが、その辺なんだって」
「その辺、って……」
「日野駅から特快で寝ぼけて乗り過ごした人がね」
ひまわりは淡々と続ける。
「電車に乗ってたら、こんなとこにいたらしいよ」
「は?」
「どうせ信じてもらえないし、今は偽物くらいたくさん作れるからって、ネットには出さなかったんだって」
咲の眉間にしわが寄る。
「寝ぼけて乗り過ごしたら、森の中の滅びた街に着くって? 無茶苦茶やろ……」
「だから“近く”」
ひまわりは肩をすくめる。
「三つ峠とか、他の富士吉田市の駅かもって話」
咲は頭を掻いた。
「はあ……それでうちらに行けと…」
「無茶言うなや……」
椅子にどさっと座り直す。
「ここからでも5000円くらいかかるで……?」
交通費と時間を思い浮かべて、露骨に困った顔になる。
ひまわりは、にやっと笑った。
「あの50万どうしたの?」
「……は?」
「天下無双の時の報酬」
咲は即座に顔をしかめる。
「それ、もう3年前やぞ……」
事務所の天井を指差す。
「ここ借りるのに消えてもうたわ」
「夢がないなぁ〜」
「現実や現実!」
咲は机に突っ伏しながら呻く。
イラストの森は、静かにそこにある。
遠い山の匂いと、かつて祓室があった土地の記憶が、じわりと、事務所の空気に滲みはじめていた。
山奥の、苔むした石畳の奥にひっそりと建つ古寺。その一角、他の建物からも少し離れた裏手に、重々しい雰囲気を纏った木造の部屋があった。
その部屋の扉を、黒い和服に身を包んだ青年がじっと見つめている。扉には頑丈な錠前がかけられ、かすかに霊気のようなものが漂っていた。指先には、その鍵が握られている。
後ろに立つ金髪の――碧星院高校の制服の男が、退屈そうに首をかしげながら口を開いた。
「……どうだ? 何かわかったか?」
答えはない。沈黙を保ったまま、鍵を見つめ続けている。
「……相変わらず、旦那は何考えてるか分からねえな」
そう言って青年は、ふうっと息を吐き、頭の後ろで手を組んでしゃがみ込む。片膝を立て、気だるげに背中を見上げる。
やがて、和服の男はゆっくりと口を開いた。
「……白竜の里の人間が作った祓室……だそうだ」
「椎名家の娘が言っていた。三年前に、一度だけ使われたと」
青年が感心した様子で答える。
「白竜の里なんて遠方の人間が、山梨の山奥にこんなもん作ったのか。……何のために?」
和服の男は、ようやく振り返る。
「そこに根差す、『凶つ者』を封じるためだ」
風が吹く。竹林の葉が擦れる音が、遠くから静かに聞こえた。
「異形の身体、刃物で構築されたその骸」
「赤に満ちた恐ろしき顎」
「そいつを恐れた者どもの末路だよ」
少しだけ笑みが消える。
「……冗談じゃなさそうだな」