こちら、都市伝説研究センターです。   作:えいどら

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第三章 幕引

 翌日。

 

 赤羽葉子は、自室の布団の中で身体を丸めていた。

 

 カーテンの隙間から朝の光が差し込んでいる。

 外では車の音や、遠くの人の話し声がかすかに聞こえる。

 

 いつもの朝。

 

 けれど、赤羽の胸の中は落ち着かなかった。

 

 布団の中で、赤羽は目を閉じた。

 

 もちろん、昨日見たものが本物の記憶かどうかなど、分からない。すべてが海馬の異常で、精神を犯されていると断定した方がはるかに科学的だ。

 

 しかし、もし……

 

 もし、あれが夢じゃなかったなら。

 

 やっぱり……

 

 自分は。

 

 

 

 「本物の赤羽葉子ではない。」

 

 

 

 胸の奥で、静かに結論が浮かぶ。

 

 あの黒髪の少女。

 

 あれこそが、本来ここにいるべき“赤羽葉子”だったのではないか。

 

 赤羽葉子に契約を迫った異形の存在。それは他でもない、自分自身だ。

 

 あの日、あの時。

 

 “星降る夜、仔の落とす落胤は輝石となる”

 

 落胤とは人の子供。そう信じた自分は、空間を超え、あの橋の下で出会った。

 

 黒髪の少女――オリジナルの赤羽葉子。

 

 しかし彼女は既にこの世にいなかった。殺められ、死体を犯され、打ち捨てられていた。

 

 どうあっても、たとえそれが如何に位階の高い存在であったとしても。死者を蘇らせることなど、できるはずもない。

 

 それでも、自分の力を彼女のために自分は惜しげなく振るった。

 

 その結果が「これ」なのだ。

 

 私は……

 

 赤羽は、静かに息を吸う。

 

 そして、耳を澄ませた。

 

 すると――

 

 じわじわと。

 

 音が聞こえてくる。

 

 普通の人間には聞こえない音。

 

 遠くで誰かが泣くような声。

 低く唸るような呻き。

 

 怨霊の叫び。

 

 暗闇の中で何かが蠢く、湿った気配。

 

 それらは、この街のあちこちに存在している。

 

 赤羽には、それが分かる。

 

 そして。

 

 そのすべてが、どこかで――

 

 自分と繋がっているような感覚。

 

「……」

 

 赤羽は目を開けた。

 

 天井をぼんやり見つめる。

 

 どうすればいいのか。

 

 何をすればいいのか。

 

 分からない。

 

 ただ、胸の奥に重たいものが沈んでいる。

 

 そのとき。

 

 ふと、ある言葉を思い出した。

 

 笹木の声。

 

 あのとき、夜見が話していた言葉。

 

 ――“もし、自分ってものを信じるのをやめてしまったら、その瞬間、自分は自分じゃなくなる”

 

「……」

 

 赤羽はゆっくり瞬きをする。

 

 思えば。

 

 あの事務所で出会った、今、自分の周りにいる人たち。

 

 

 

 笹木咲さん。

 

 森中花咲さん。

 

 椎名唯華さん。

 

 夕陽リリさん。

 

 叶くん。

 

 家長むぎさん。

 

 御伽原江良さん。

 

 夜見れなさん。

 

 

 

 あの人たちと出会ったのは、全部――

 

 あの事件の後だ。

 

 今の自分を知っている人たちにとって「赤羽葉子」とは。

 

 紛れもなく――自分のことだ。

 

 赤羽はゆっくり布団から出て、部屋のドアを開けた。

 

 廊下には朝の光が差し込んでいる。

 いつも通りの家の匂い。

 台所からは、朝食の準備をしていた名残のような音がかすかに聞こえる。

 

 その瞬間。

 

「葉子!!」

 

 強い声。

 

 振り向く間もなく、赤羽は誰かに抱きしめられた。

 

「え、あ……」

 

 赤羽葉子の母親だった。

 

 必死な様子で赤羽を抱き寄せ、何度も頭を撫でる。

 

「どうしたの!?」

 

 声が震えている。

 

「最近のあなた、なんだか変よ!?」

 

 赤羽は戸惑って目を瞬かせる。

 

「お母さん……?」

 

 母親はぎゅっと抱きしめたまま続ける。

 

「もう学校もアルバイトも行かなくて良いから!」

 

 必死な声。

 

「ね!? 無理しなくていいのよ!」

 

 その腕は、まるで離したらどこかへ行ってしまうのを恐れているようだった。

 

「……」

 

 赤羽はしばらく何も言えなかった。

 

 けれど、胸の奥で何かが静かにほどけていく。

 

 この人は、自分を葉子と呼ぶ。

 

 迷いもなく。

 疑いもなく。

 

 そして、こんなふうに抱きしめてくれる。

 

(……)

 

 赤羽は、ゆっくりと母親の背中に手を回した。

 

 昨日見たもの。

 

 それらが本物だったとしても。

 

 今、ここで呼ばれている名前は――

 

 自分だけのものだ。

 

 ……もう金輪際、このことについて考えるのはやめよう。赤羽は静かにそう決めた。

 

 母親の手が、また優しく頭を撫でる。

 

 その温かさの中で、赤羽は少しだけ目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 リビングのテーブルの上に、赤い布が広げられていた。

 

 血のように深い紅。

 重厚な生地に、古い紋様が織り込まれている。

 

 赤羽はそれを指でつまみながら、少し困った顔で母親に見せた。

 

「これ……」

 

 言葉を選ぶように一瞬止まる。

 

「もらったんだけど……どうしよう」

 

 できるだけ何でもない風を装って言う。

 

 母親は装束を一目見て、少し目を丸くした。

 

「まぁ、立派なお着物ね」

 

 しかしすぐに、あっさりと言った。

 

「着てみれば良いじゃない」

 

「え?」

 

 赤羽が顔を上げる。

 

「そんな立派なお着物貰ったなら、着なきゃもったいないわ」

 

 母親は本当に何でもないことのように言う。

 

「……」

 

 赤羽は少しだけ黙る。

 

 そして小さく呟いた。

 

「そりゃ、そうか……」

 

 装束をそっと畳み直し、抱える。

 

「じゃ、ちょっと部屋で……」

 

 そう言って立ち上がり、リビングを出ていこうとする。

 

 その背中に、母親が声をかけた。

 

「葉子」

 

「ん?」

 

「それ、お着物だけど自分で着られる?」

 

 心配そうに首を傾ける。

 

「お母さん、手伝ってあげようか?」

 

 赤羽は一瞬足を止めた。

 

 何百年も前の記憶。誰かが自分のために遺したものの記憶。

 

 まるで、ずっと昔から知っているような。

 

 赤羽は振り返らずに答えた。

 

「大丈夫」

 

 その声には、さっきまでになかった確信があった。

 

「自分で着られるから」

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