こちら、都市伝説研究センターです。   作:えいどら

39 / 44
第四章 還不のセキュア
第四章 第壱話:赫い死神


 薄く差し込む昼の光が、カーテンの隙間から部屋の中へと滑り込んでいた。

 

 机に突っ伏していた身体が、ぴくりとわずかに動く。

 

 「……ん……」

 

 鈍く重たい意識がゆっくりと浮上し、彼女は顔を上げた。頬に残る机の跡を気にする様子もなく、ぼんやりとした目で前を見つめる。乾いた喉に小さく息を通しながら、状況を把握しようとするように周囲を見渡した。

 

 部屋は静かで――いや、正確には静かではなかった。

 

 小さく、電子音が流れている。

 

 「……あ」

 

 視線の先。開きっぱなしのパソコン画面。配信ソフトのウィンドウがそのまま表示されており、コメント欄がゆっくりと流れていた。

 

 そこでようやく、彼女は思い出す。

 

 「……配信、つけっぱなしで寝てたの……?」

 

 呟きはどこか他人事のようだった。

 

 椅子に座り直し、少しだけ背筋を伸ばして画面を覗き込む。そこに流れていたコメントは――

 

 『いつもと違ったけど面白かった!』

 『喋り方、凄くカッコいい!』

 『今日の美兎、なんか雰囲気違うね』

 

 「……は?」

 

 一瞬、目が止まる。

 

 スクロールしていくコメントの中に、同じような言葉が何度も混ざっている。

 

 “いつもと違う”

 “カッコいい”

 “雰囲気が違う”

 

 その意味を理解した瞬間――

 

 「……あー……」

 

 小さく息を吐いた。

 

 何かに気づいたように、額に手を当てる。次の瞬間、指先でがしがしと頭を掻いた。

 

 「……やっっば……」

 

 低く、抑えた声。

 

 そのまま椅子の背にもたれかかり、大きくため息をひとつ。

 

 そして――

 

 「んんっ……」

 

 ぐっと腕を伸ばして、背筋を反らすように伸びをする。関節が軽く鳴り、眠気の残滓がようやく身体から抜けていく。

 

 「……ま、いいか」

 

 どこか開き直ったように呟くと、マウスに手を伸ばし、迷いなく配信を終了させた。

 

 画面が静かに切り替わる。

 

 ふと、視線が机の上に落ちる。

 

 そこには、一冊のノート。

 

 ページは開きっぱなしで、中央に乱暴な字でこう書かれていた。

 

 ――「出演料」

 

 「……」

 

 数秒、それを無言で見つめた。

 

 そして――

 

 「偉そうになったもんですね…」

 

 ふっ、と。

 

 小さく、しかしどこか悪戯っぽい笑みを浮かべる。

 

 ペンを手に取り、その文字のすぐ近くに、勢いよく書き連ねた。

 

 ――「誰が渡すか!」

 

 インクが少し滲むほどの筆圧。

 

 満足げにそれを眺めると、ペンを放り出すように机に置いた。

 

 「よし」

 

 短く一言。

 

 椅子を引き、立ち上がる。

 

 私服のまま、特に身だしなみを整えることもなく、そのまま部屋の扉へと向かう。

 

 「……外、出るか」

 

 軽い足取りでドアノブを回し、部屋を後にした。

 

 さっきまでの眠気も、妙な違和感も、全部ひっくるめて――どこか、面白がるように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕暮れは、すでに街の輪郭を曖昧にし始めていた。

 

 ビルの隙間に沈みきらない赤が、空と地上の境界を濁らせるように広がり、

 ガラスに反射した光は、どこか血のように粘ついて見える。

 人々はそれをただの夕焼けとして受け取り、気にも留めず、日常の延長を歩いている。

 

 その流れの中に――

 

 ただひとり、明らかに異質な“何か”が混じっていた。

 

 赤羽葉子は、歩いていた。

 

 ゆっくりと。

 周囲の人間の歩調とも、信号のリズムとも合わない、

 どこか“別の時間”に属しているような歩き方で。

 

 彼女の視界は、もはや人間のものではなかった。

 

 緑と赤のオッドアイが、街の表層を剥がすように見通している。

 

 すれ違うサラリーマンの胸の奥。

 肋骨の内側で、規則正しく動く心臓。

 血液が押し出されるたびに、わずかに変わる圧。

 その流れが、音として――確かに“聞こえる”。

 

 どくん。

 

 どくん。

 

 どくん。

 

 それは街の喧騒とは別の、

 もっと生々しく、逃れようのないリズムだった。

 

 誰かが嘘をつけば、血の巡りがわずかに乱れる。

 苛立てば、脈は早まり、温度が上がる。

 恐怖を抱けば、収縮するように震える。

 

 すべてが、隠しようもなく――“音”として流れ込んでくる。

 

「……あは」

 

 赤羽は、わずかに笑った。

 

 それはいつもの軽い笑いではない。

 意味もなく漏れたような、乾いた音だった。

 

 彼女の身体に纏われているのは、

 血をそのまま染み込ませたかのような赤い装束。

 

 布のはずなのに、どこか液体めいて見える。

 夕焼けの赤と混ざり合い、境界が曖昧になっていた。

 

 通り過ぎる人々は、無意識に彼女を避ける。

 

 理由は分からない。

 ただ、視界の端に入った瞬間、

 “近づいてはいけないもの”だと本能が告げる。

 

 視線を向ける者は少ない。

 

 だが、見てしまった者は――

 ほんの一瞬だけ、理解できない違和感に息を詰める。

 

(……なんだ、今の)

 

 振り返ろうとするが、もうそこにはいない。

 

 いや、確かに歩いている。

 同じ空間にいるはずなのに、

 存在が“ずれている”。

 

 赤羽の髪は、いつものように無造作に下ろされてはいなかった。

 

 短く、結い上げられたその形は、

 どこか処刑人のようで、

 あるいは儀式のための装束の一部のようにも見える。

 

 風が吹く。

 

 だが、その髪はほとんど揺れない。

 

 まるで重さを持っているかのように、

 あるいは――重力とは別の何かに従っているかのように。

 

 足音は、ほとんどしない。

 

 代わりに聞こえるのは――

 

 他人の“内側”の音。

 

 血が巡る音。

 心臓が軋む音。

 微かな骨のきしみ。

 神経が伝える電気のざらつき。

 

 街全体が、巨大な“生き物”のように感じられる。

 

 その中心を、赤羽は歩いている。

 

 ただ、歩いているだけなのに――

 

 その姿は、

 まるで“狩る側”だった。

 

 信号が変わる。

 

 人の流れが一斉に動き出す中、

 赤羽だけが、ほんの一拍遅れて歩き出す。

 

 その遅れが、決定的な違和感を生む。

 

 時間に属していない存在。

 

 生きているはずなのに、

 どこか“終わっている”もの。

 

 ――夕暮れは、完全に夜へ沈みきってはいない。

 

 だが、その中に紛れる彼女の赤は、

 空よりも濃く、

 街のどの色よりも、深く、鮮やかだった。

 

 誰も気づかない。

 

 けれど確かに――

 

 この街のどこかに、“死”に近いものが歩いている。

 

 静かに。

 確実に。

 

 事務所の扉が、がちゃりと音を立てて開いた。

 

 外の夕暮れの光が、細く室内に差し込む。

 

 その入り口に――立っていた。

 

 赤い。

 

 まず、それだけが目に入る。

 

 血のように濃い装束。

 空気に馴染まず、まるでそこだけ“別の層”から切り取られて貼り付けられたような違和感。

 

「……」

 

 笹木咲は、一歩踏み出しかけた足を止めた。

 

 視線が固まる。

 

 目の前の存在を、理解するまでに――一拍、遅れる。

 

「……うっわ……」

 

 思わず、声が漏れた。

 

 そのまま、目を見開いたまま固まる。

 

 呼吸すら一瞬忘れたように。

 

 けれど、数秒後。

 

 その顔、その輪郭、その“見覚え”が、ようやく繋がる。

 

「……お、おぉ……なんだ、ばねさんかいな……」

 

 ぎこちなく、安堵とも困惑ともつかない声。

 

 だが視線はまだ外せない。

 

「ど、どうしたん……?」

 

 赤羽は、少しだけ首を傾げる。

 

 そして――

 

「ああ……いや」

 

 いつもの調子。

 けれど、その声だけが妙に浮いている。

 

「ちょっとこれ、着てみようと思いまして」

 

 そう言って、くるり、とその場で一回転した。

 

 赤い装束が、遅れてふわりと揺れる。

 

 その動きすら、どこか人間らしくない。

 

「……」

 

 笹木の額に、じわりと汗が滲む。

 

 視線を泳がせながら、必死に“現実的なポイント”を探す。

 

 そして――見つけた。

 

「それ……」

 

 指を差す。

 

「襟、逆やで……」

 

 一瞬だけ、得意げな顔になる。

 

「あんな、その着方はな……」

 

 知識でこの違和感を押し返そうとするように、言葉を続けかける。

 

 だが。

 

 赤羽は、表情を変えないまま。

 

 すっと、一歩近づいた。

 

「ううん?」

 

 顔を覗き込む。

 

 距離が、近い。

 

 近すぎる。

 

「これで良いんですよ?」

 

 声は柔らかい。

 

 けれど、その目。

 

 緑と赤のオッドアイが、まっすぐに笹木を捉える。

 

 ――覗き込まれているのに。

 

 まるで、“中を見られている”感覚。

 

 どくん、と。

 

 笹木の心臓が、大きく跳ねた。

 

 背筋に、冷たいものが走る。

 

「……っ」

 

 言葉が、一瞬詰まる。

 

 目を逸らしたくなるのに、逸らせない。

 

 “これが赤羽だ”と分かっているのに、

 “それだけじゃない何か”が混ざっていると、本能が理解してしまう。

 

 ぞわり、と。

 

 遅れて恐怖が追いつく。

 

「……」

 

 数秒。

 

 固まったまま、見つめ合う形になる。

 

 やがて。

 

「……っ、あーもう!!」

 

 笹木が、勢いよく手を伸ばした。

 

 赤羽の腕を掴む。

 

「アホ!冗談キツいわ!!」

 

 半ば無理やり、ぐいっと引き寄せる。

 

「はよ着替えて来んかい!!」

 

 そのまま背中を押して、事務所の中へ。

 

 赤羽の身体は、抵抗もなくするりと動く。

 

 押されるまま、奥へと進んでいく。

 

「ほら!さっさと行けや!!」

 

 背中をぐいぐい押しながら、半ば追い込むように。

 

 ようやく、距離ができる。

 

 赤い装束が視界から外れた瞬間――

 

「……はぁ……」

 

 笹木は、その場で深く息を吐いた。

 

 心臓の音が、まだうるさい。

 

 

 

 

 

 事務所の奥。

 

 いつもの雑然とした空間に、どこか生活感のある緩い空気が漂っていた。

 

 ソファの上には、パジャマ姿の家長むぎ。

 その隣で――

 

 赤羽葉子が、ちんまりと座っている。

 

 ピンクのパーカーを借りて、サイズの少し大きい袖に手を埋めながら、

 髪はツインテールに結ばれていた。

 

 さっきまでの“赤”は、どこにもない。

 

 その代わりに――

 

 ばりばり。

 

 遠慮のない音を立てて、お菓子を貪っている。

 

「……別にそこまで怒らなくても良いじゃないですか…」

 

 口を動かしながら、むすっとした声。

 

 頬は少し膨れていて、完全に拗ねている。

 

 その少し離れた机では、笹木がパソコンに向かっていた。

 

 カタカタとキーを叩きながら、顔はどこか引きつっている。

 

「心臓止まるかと思ったわ……」

 

 視線は画面に向けたまま。

 

「お前、最近あのサイコ女に似てきたんちゃうか……」

 

 ぼそり、と本音が漏れる。

 

 赤羽は、ぴたりと手を止めた。

 

 ゆっくりと、半目で横を見る。

 

「それ、夜見さんのことですか…?」

 

 温度の低い声。

 

 空気が、ほんの少しだけ冷える。

 

「……」

 

 笹木は無言で、机の端に置いてあったポテチをつまむ。

 

 ぱり、と一枚。

 

「名前出すなや……」

 

 ぼそっと、不機嫌そうに。

 

 それ以上触れたくない、という意思がはっきりと滲んでいた。

 

 赤羽は、その様子を見ながら、

 

「悪い人に見えませんけどね〜…」

 

 と、軽く言う。

 

 また一口、お菓子を放り込む。

 

 むぎは、その横で静かに本を読んでいた。

 

 ページをめくる音だけが、一定のリズムで続いている。

 

 そして、視線を本に落としたまま――

 

「面倒なら、適当に流しとけば大丈夫ですよ」

 

 穏やかな声。

 

 まるで世間話の延長のように、さらっと言う。

 

「いや……でもまあ、それはちょっとな……」

 

 笹木は、苦い顔で返す。

 

 キーボードを叩く手が、少しだけ止まる。

 

 少し考えてから、ちらりとむぎを見る。

 

「会ったことあるんか?」

 

 問いかけ。

 

 むぎはページをめくりながら、

 

「いや……その人は知りませんけど」

 

 と、あっさり答える。

 

 そして、ほんの一瞬だけ視線を上げて――

 

「まあ……サイコ女なら身近にいるので…」

 

 静かに言った。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。