こちら、都市伝説研究センターです。   作:えいどら

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第四章 第参話:白い淫魔

 少女は、ゆっくりと一歩踏み出した。

 

 その視線は、剣持から外れない。

 

 ふと――

 

 路上に、ぽたりと落ちたものに目を向ける。

 

 剣持の血。

 

 ほんのわずか。

 

 だが、それで十分だった。

 

「……」

 

 少女はしゃがみ込む。

 

 指先で、それに触れる。

 

 次の瞬間。

 

 血は――消えた。

 

 吸収されたわけでもない。

 蒸発でもない。

 

 “なかったことにされた”ように、消失した。

 

 そして。

 

 じわり、と。

 

 アスファルトの上に、歪な塊が浮かび上がる。

 

 鉄。

 

 いや――屑鉄。

 

 ねじ曲がった釘、割れた金属片、錆びた破片。

 

 それらが集まり、蠢く。

 

 ぐにゃり、と形を変え――

 

 蛇のように、うねり始めた。

 

 一つではない。

 

 二つ、三つ。

 

 いや、それ以上。

 

 無数の“鉄の蛇”が、地面から這い出る。

 

「……行って」

 

 少女が、軽く指を動かす。

 

 次の瞬間。

 

 ザァッ!!

 

 一斉に、剣持へと襲いかかった。

 

「……っ!」

 

 剣持は、一歩踏み出す。

 

 鉄パイプを握り直す。

 

 構えは、刀。

 

 無駄のない、洗練された動き。

 

 ――来る。

 

 一匹目。

 

 振り下ろす。

 

 ガンッ!!

 

 金属がぶつかる鈍い音。

 

 そのまま弾き、軌道を逸らす。

 

 二匹目。

 

 横から。

 

 身体をひねり、最小限で避ける。

 

 返す動きで――叩き斬る。

 

 バキンッ!!

 

 屑鉄が弾け、ばらばらに砕ける。

 

 だが。

 

 止まらない。

 

 三匹、四匹、五匹。

 

 次々と襲いかかる。

 

 剣持は、一歩も引かない。

 

 踏み込み。

 

 振るい。

 

 捌く。

 

 まるで本物の刀のように、鉄パイプが空を切る。

 

 無駄のない動きで、すべてを“処理”していく。

 

「……!」

 

 そして――

 

 一瞬の隙。

 

 剣持は、地面を蹴った。

 

 一直線に、少女へ。

 

 飛ぶように距離を詰める。

 

 だが、その瞬間。

 

「……あは」

 

 少女が、わずかに笑った。

 

 ばらばらに砕けたはずの蛇たち。

 

 それが――

 

 ぴたりと、動きを止める。

 

 次の瞬間。

 

 バラける。

 

 いや――

 

 “広がる”。

 

 細かい破片一つ一つが、宙に浮く。

 

 そして。

 

 ザァァァァッ!!!

 

 降り注いだ。

 

 鉄の雨。

 

 無数の鋭い破片が、空から一斉に落ちてくる。

 

 剣持のすぐ傍を掠める。

 

「……っ!」

 

 反射的に身をひねる。

 

 だが、すべては避けきれない。

 

 ガンッ!ガガガッ!!

 

 地面に突き刺さる音が、連続する。

 

 アスファルトが抉れ、削れ、傷が刻まれていく。

 

 一本一本が、刃物のように鋭い。

 

 ほんの少しでも触れれば、肉を裂く。

 

 それが――雨のように降り続ける。

 

 剣持は足を止めざるを得ない。

 

 進めば、蜂の巣になる。

 

 止まれば、削られる。

 

「……」

 

 歯を食いしばる。

 

 視線は、少女から外さない。

 

 鉄の雨の向こうで。

 

 少女は、ただ立っていた。

 

 鉄の雨を――斬る。

 

 弾く。

 

 逸らす。

 

「……っ!」

 

 剣持の身体が、最小限の動きで嵐の中を進む。

 

 一歩。

 

 また一歩。

 

 踏み込むたびに、鉄片が弾け、地面に突き刺さる。

 

 そして――

 

「……!」

 

 一瞬の隙。

 

 剣持は、その間を縫うようにして前へ出た。

 

 少女の目前。

 

 間合いに入る。

 

 鉄パイプを振りかぶる――

 

 だが、その瞬間。

 

「……」

 

 直感。

 

 背筋を走る、異様な気配。

 

 “後ろ”。

 

 振り返るまでもない。

 

 理解する。

 

 背後に――

 

 巨大な“針”。

 

 何本も。

 

 空中に浮遊している。

 

「……チッ」

 

 振り下ろす動きを、強引に止める。

 

 即座に後方へ飛ぶ。

 

 次の瞬間。

 

 ドシュッ!!

 

 針が、一斉に空間を貫いた。

 

 ついさっきまで剣持がいた場所を――

 

 高速で、すり抜けていく。

 

 一瞬でも遅れていれば、貫かれていた。

 

 着地。

 

 体勢を立て直す。

 

 少女は、それを見ていた。

 

「……へぇ」

 

 見下すような視線。

 

 ほんの少しだけ、つまらなそうに。

 

 そして――

 

 すっと、指を動かす。

 

 空気が、歪む。

 

 次の瞬間。

 

 シュンッ――!!

 

 赤い線。

 

 極細の水流。

 

 だが、それは“水”ではない。

 

 圧縮された何か。

 

 刃のような流れ。

 

 一直線に、剣持へ。

 

「……!」

 

 横へ跳ぶ。

 

 わずかに遅れる。

 

 ズッ――

 

 装束の端を掠める。

 

 布が裂ける。

 

 そのまま。

 

 背後の建物へ。

 

 ドンッ!!

 

 壁が、抉れる。

 

 まるで巨大な刃で削られたかのように、深く、鋭く。

 

「……」

 

 剣持は、息を整える。

 

 その時。

 

「……アホやな、こんなとこで」

 

 横から、声。

 

「……」

 

 剣持が視線を向ける。

 

 そこに――

 

 椎名唯華が立っていた。

 

 霊符を指に挟み、気だるげな顔。

 

 だが、目だけは鋭い。

 

「なにしとんねん、ほんま」

 

 軽く肩をすくめながら。

 

 そして。

 

 腰の刀に手をかける。

 

「ほら」

 

 抜く。

 

 すっと、差し出す。

 

「使えや」

 

 剣持へ。

 

 だが。

 

「必要ない」

 

 即答。

 

 一切の迷いもなく、断る。

 

 そのまま、視線は少女へ戻る。

 

「……」

 

 椎名の動きが止まる。

 

「なっ…!」

 

 一瞬の沈黙。

 

「なんでや!」

 

 声が一段上がる。

 

「もちもちの絆やん!!」

 

 完全に、わざとらしい。

 

 だが、妙に必死。

 

「……」

 

 剣持は、完全に無視。

 

 少女だけを見ている。

 

 その光景を見て。

 

「……うわ…マジか…」

 

 少女が、顔をしかめた。

 

 さっきまでの余裕とは違う。

 

 少しだけ、面倒くさそうな表情。

 

 そして。

 

 自分の親指に、歯を立てる。

 

 ぷつり、と。

 

 血が滲む。

 

「……」

 

 それを、軽く掲げる。

 

「パス!」

 

 次の瞬間。

 

 血が――消える。

 

 同時に。

 

 少女の姿も、消えた。

 

 

 

 

 事務所の外。

 

 夜が、静かに降りていた。

 

 街灯の光が、アスファルトに淡く滲む中――

 赤羽葉子は、あの赤い装束のまま立っている。

 

 夕暮れよりも濃い赤。

 

 そこだけ、世界から浮いているような色。

 

「……」

 

 笹木は、少しだけ距離を置いたまま、その姿を見ていた。

 

 喉が、わずかに詰まる。

 

 それでも。

 

「さっきは…すまんかったな」

 

 引きつった顔で、無理やり言葉を出す。

 

 視線は逸らさない。

 

 逸らせば、何かが壊れる気がした。

 

「本当は…」

 

 少し、言葉を選ぶ。

 

「変なやつとか、全部ウチが抱え込んだるって決めて」

 

 苦笑い。

 

 自嘲にも近い。

 

「こんな場所にこんなもん作ったんや」

 

 その“こんなもん”が何を指すのか。

 

 言葉にしなくても、分かる。

 

 赤羽は、何も言わずに見つめていた。

 

 その視線の先。

 

 笹木の表情。

 

 恐れている。

 

 明らかに。

 

 目の前の“赤羽”を。

 

 だが、それを押し込めている。

 

 無理やり、笑おうとしている。

 

 崩れそうな何かを、必死に繋ぎ止めている顔。

 

「……」

 

 赤羽は、ゆっくりと一歩近づいた。

 

 そして――

 

 そっと、手を伸ばす。

 

 笹木の頬に触れる。

 

 ひやり、とした感触。

 

「江良さんが言ってました」

 

 静かな声。

 

「笹木さんがもし、そういってくれる人じゃなかったら」

 

 指先が、わずかに動く。

 

「こんなに変な人ばっかり周りに集まらないって…」

 

 笹木は、一瞬だけ目を見開く。

 

 だが、すぐに――

 

 にやり、と笑う。

 

 無理やりの、作り笑い。

 

「せやで」

 

 軽く言い切る。

 

「ばねさんは子供で…うちはもう大人やからな」

 

 いつもの調子を、必死に取り戻す。

 

 だが。

 

 赤羽は、じっとその目を見たまま。

 

 胸に手を当てる。

 

「私、もう何万年も生きてるのかもしれませんよ」

 

 淡々と。

 

 現実とも冗談ともつかない声音。

 

「もし記憶が真実なら…」

 

 一拍。

 

「笹木さん達なんて、虫みたいなもんです」

 

 笹木は、笑ったまま。

 

 表情を崩さない。

 

「それでもや」

 

 短く。

 

 はっきりと。

 

 そして――

 

 赤羽の手を、ぎゅっと握る。

 

 温かい。

 

 生きている人間の温度。

 

「……」

 

 赤羽は、ほんの少しだけ目を細めた。

 

 そのまま、手を引かない。

 

「今度…教えてくださいね」

 

 ぽつりと。

 

「笹木さん達に何があったか…」

 

 風が、静かに二人の間を通り抜ける。

 

 思っているより静かだった。

 

 街灯の間隔が広い通り。

 人の気配はほとんどなく、遠くでカラスが鳴く声だけが、やけに響いている。

 

 かぁ、かぁ――

 

 風が吹くたびに、どこかの看板がかすかに軋む。

 

 赤羽葉子は、その中を歩いていた。

 

 ゆっくりと。

 

 足音は、ほとんどしない。

 

 赤い装束が、夜の中で異様に浮いている。

 だが、それを気にする者は、ここにはいない。

 

 人がいない代わりに――

 

 “音”だけはある。

 

 羽ばたき。

 爪がコンクリートを引っ掻く音。

 どこかで餌を漁る、小さな命の気配。

 

 それらすべてが、赤羽には“聞こえている”。

 

「……」

 

 表情は変わらない。

 

 ただ、歩く。

 

 開けた通りに出る。

 

 視界が一気に広がる。

 

 その、真ん中で。

 

 ――すれ違った。

 

 少女。

 

 カジュアルなセーラー服。

 

 小柄な体。

 

 ほんの一瞬。

 

 互いに、視線は交わらない。

 

 そのまま、通り過ぎる。

 

 赤羽は、止まらない。

 

 少女も、止まらない。

 

 だが。

 

 数歩、進んだところで――

 

 少女の足が、ぴたりと止まった。

 

「……」

 

 ゆっくりと。

 

 振り返る。

 

 赤羽の背中。

 

 赤い装束。

 

 その輪郭。

 

 その“存在”。

 

「……っ」

 

 目が見開かれる。明らかな驚き。

 

 その表情が、変わっていく。

 

 驚きが、歪む。

 

 理解が、追いつく。

 

 そして――

 

 苦い顔。

 

 嫌悪とも、警戒ともつかない。

 

「……」

 

 少女は、じっとその背中を睨みつける。

 

 赤羽は、気づいている。

 

 だが、振り返らない。

 

 そのまま、歩き続ける。

 

 静かな通り。

 

 カラスの声が、また一つ響く。

 

 その中で――

 

 少女の声が、低く漏れた。

 

「……ばねき……!」

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