こちら、都市伝説研究センターです。   作:えいどら

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第四章 第伍話:人間

 事務所の中。夕方。

 

 照明の白い光だけが、静かに部屋を照らしていた。

 

 ソファには、赤羽葉子が座っている。

 

 制服のまま。

 

 だが、どこか疲れ切ったように身体を沈めていた。

 

「……」

 

 笹木咲は、その向かいで腕を組む。

 

 赤羽の乱れた髪。

 擦り傷。

 不機嫌そうな顔。

 

 見れば分かる。

 

「なんやお前」

 

 呆れたように。

 

「喧嘩したんか」

 

 軽い調子で聞く。

 

 だが。

 

 赤羽は答えない。

 

 黙ったまま、視線を落としている。

 

「……」

 

 笹木は、ふうと息を吐く。

 

 そして、わざと気の抜けた声で続けた。

 

「ボーナス振り込んでやったやろ」

 

 ちらっと赤羽を見る。

 

「それで遊んで忘れてくればええて」

 

 適当な慰め。

 

 だが、その声色は柔らかい。

 

 笹木はそのまま、赤羽の隣へ移動すると――

 

 ぽす、と。

 

 肩を組むように腕をかけた。

 

「そんな風にしてたら、せっかくの少しの幸せも逃げてまうで」

 

 笑いながら。

 

 いつもの調子で。

 

 だが。

 

 赤羽は、ゆっくりと顔を上げる。

 

 その目は、暗かった。

 

「……前言いましたよね」

 

 低い声。

 

「笹木さんなんて、虫みたいなものだって…」

 

 視線が、笹木を捉える。

 

 その瞬間。

 

 空気が、重くなる。

 

 赤羽の瞳の奥。

 

 瘴気のような、濁った気配。

 

 見ているだけで、本能が警鐘を鳴らすような眼。

 

 普通の人間なら、目を逸らす。

 

 あるいは、身体が竦む。

 

 だが――

 

「アホ」

 

 ぱしっ、と。

 

 笹木は普通に赤羽の肩を叩いた。

 

「そんなん効かんて」

 

 流す。

 

 本当に、流す。

 

 怖がる素振りすらない。

 

「……」

 

 赤羽の目が、わずかに揺れる。

 

 笹木は、そのまま肩を組み直す。

 

 少しだけ、真面目な声になる。

 

「何があったんか話せや」

 

 諭すように。

 

 無理やりではなく。

 

 ただ、“聞く気でいる”声だった。

 

 事務所の外。

 

 夕焼けが、街を赤く染めていた。

 

 空の色は、まるで燃え残った火のように濃く、長く伸びた影がアスファルトを覆っている。

 

 笹木と赤羽は、並んで外へ出る。

 

 その瞬間。

 

「……」

 

 前方。

 

 通りの真ん中に――少女が立っていた。

 

 セーラー服姿。

 

 白い髪。

 

 りりむ。

 

 夕焼けの中で、その姿だけが妙に浮いて見える。

 

「……笹木さん、だっけ」

 

 りりむが、先に口を開く。

 

 声音は軽い。

 

 だが、どこか棘がある。

 

「ちょっと卑怯じゃない?」

 

 苦笑い。

 

 焦げた袖先を、ぱたぱたと振る。

 

 焼け跡。

 

 ついさっきまで戦っていたことを思わせる痕。

 

「椎名家の娘仕向けたり、あんな奴と戦わせたりさ…」

 

 笑ってはいる。

 

 だが、額には冷や汗。

 

 完全な余裕ではない。

 

 笹木は、それを見て。

 

「……お前やな…」

 

 一歩、前へ出る。

 

 空気が、少しだけ張る。

 

 だが――

 

 その横。

 

 赤羽が、静かに前へ出た。

 

 すっと、人差し指と中指を立てる。

 

 そして。

 

 横に――

 

 “引き裂く”ように腕を振った。

 

 瞬間。

 

 ズガァンッ!!

 

 りりむの目の前。

 

 道路が、深く抉れる。

 

 アスファルトが裂け、破片が跳ね上がる。

 

 まるで巨大な爪で切り裂かれたような傷跡。

 

「……」

 

 りりむの目が、一瞬だけ揺れる。

 

 赤羽は、そのまま睨みつける。

 

「りりむもだよ」

 

 低い声。

 

「私が本気出したら、りりむ瞬殺だからね」

 

 淡々としている。

 

 だからこそ、怖い。

 

「……」

 

 りりむは、数秒黙ったあと。

 

 口元を歪めた。

 

 喧嘩腰。

 

「…知ってるよ」

 

 吐き捨てるように。

 

「だってばねき、悪魔だもんね!」

 

「まだ言うか!」

 

 赤羽が即座に怒鳴り返す。

 

 空気が、一気に険悪になる。

 

 また始まる。

 

 そう思った、その時。

 

「やめや」

 

 笹木が、間に入った。

 

 ぴしゃり、と。

 

 低い声。

 

 二人の間に立つ。

 

 張り詰めた空気の中。

 

「……はぁ」

 

 笹木が、小さく息を吐いた。

 

 そして。

 

 羽織っていたパーカーを、ばさっと脱ぐ。

 

 露わになるのは、フリルのついた黒のノースリーブ。

 

 細い肩と腕。

 

 だが、その立ち姿には妙な迫力があった。

 

「高坊の喧嘩に首突っ込むのも変な話やけどな…」

 

 ぼやきながら、ポケットへ手を入れる。

 

 取り出したのは――呪符。

 

 黒と白の札が、指の間で揺れる。

 

 そのまま、りりむの前へ出る。

 

「お望み通り」

 

 口元を少しだけ吊り上げる。

 

「ウチが相手したる」

 

「……」

 

 りりむは、その姿を見て首を傾げた。

 

 本当に、不思議そうに。

 

「魔法使いでもない、普通の人間に何ができるの?」

 

 言いながら。

 

 片手を上げる。

 

 ぼっ、と。

 

 紫色の火球が、手のひらに灯る。

 

 不吉な色。

 

 周囲の空気が、じわりと熱を帯びる。

 

 そして――

 

 何気ない動作で。

 

 放る。

 

 シュッ!!

 

 火球が一直線に飛ぶ。

 

 だが。

 

「っと」

 

 笹木は、ひらりと身を捻る。

 

 紙一重。

 

 火球が横を掠め、背後で爆ぜる。

 

 ドンッ!!

 

 熱風。

 

 アスファルトが焼け焦げる。

 

 その瞬間には、もう。

 

 笹木は地を蹴っていた。

 

「……っ!」

 

 一気に加速。

 

 跳ぶ。

 

 身体が宙を舞う。

 

「な――」

 

 りりむの目が見開かれる。

 

 その目の前。

 

 笹木の指先から、黒い呪符が放たれる。

 

 ひらり、と舞うそれは――

 

 ただの紙ではない。

 

「っ!?」

 

 空気が、乱れる。

 

 りりむの周囲を流れていた流れが、一瞬だけ“詰まる”。流れが阻害される。

 

 違和感。

 

 そして、笹木の狙いはその先。りりむの身に着けている――携帯魔法陣。

 

「うわっ!危な!」

 

 りりむは、とっさに後ろへ飛ぶ。

 

「……何それ」

 

 警戒。

 

 さっきまでとは違う。笹木は、にやっと笑う。

 

「昔、森中に教えてもらったで!」

 

「それ壊したら、長い時間かけて床に魔法陣書かなあかんのやろ!」

 

 その間にも夕焼けの下で、空気はさらに張り詰めていく。

 

 りりむは、後ろへ跳びながら距離を取る。

 

 靴底がアスファルトを擦る。

 

「……っ」

 

 目の前では、笹木が止まらない。

 

 呪符を指に挟んだまま、一直線に迫ってくる。

 

 りりむは舌打ちを飲み込んだ。

 

(自分の傷口だと威力こんなもんか…)

 

 ちらり、と自分の腕を見る。

 

 先ほど、外人の少女に撃たれた魔弾の傷。

 

 そこから得た血では、やはり出力が足りない。

 

(やっぱ池の水とか汲んできた方が良かったかな…)

 

 内心でぼやく。

 

 だが、顔には出さない。

 

「……で?」

 

 わざと余裕そうに首を傾げる。

 

「それがどうかしたの?」

 

 挑発。

 

 だが。

 

 笹木は止まらない。

 

「自分がどうとか、人がどうとか関係ないやろ!」

 

 再び地を蹴る。

 

 一気に距離を詰める。

 

「っ!」

 

 りりむはさらに後退。

 

 その目は、笹木だけを見ていない。

 

(なんかあんだろ…)

 

 視線を走らせる。

 

 周囲。

 

 建物。

 

 道路。

 

 “生きているもの”の気配を探る。だが、笹木はそんなことお構いなしに踏み込んでくる。

 

 黒い呪符が翻る。

 

 狙いは、やはり携帯魔法陣。

 

「ただの人間にだってな!」

 

 笹木の声が響く。

 

「できることはたくさんあるんや!」

 

 呪符が、空を裂く。

 

 りりむが身をひねる。

 

 紙一重で避ける。

 

「魔法使い、超能力者!ばねさんは……良く分からんけどな!」

 

「自分なんか虫みたいに思える奴なんて大勢会ってきた!」

 

 それは、赤羽が笹木に呟いた本音の一言を得ての発言でもあった。

 

 また一歩。また一歩。

 

 りりむを押し込むように。

 

「でも、みんなそんなに変わらへんのや!」

 

 その言葉はりりむへ向けているようで、どこか、自分自身へも向けているようだった。

 

 そして――目前まで迫る。

 

 真正面。逃げ場を削るように。

 

「お前はどうなんや!」

 

 問いかけ。真っ直ぐ。

 

 りりむの目を見据えて。

 

 その時。

 

 ぷすっ。

 

「……あ?」

 りりむは、後ろへ下がりながら辺りを見回していた。

 

 視線が、細かく動く。

 

 道路脇。

 排水溝。

 街灯。

 フェンス。

 

(なんかあんだろ…)

 

 腕に、違和感。

 

 見る。

 

 小さな蚊。

 

 血を吸っている。

 

「……」

 

 りりむの目が、開く。

 

(見っけ!)

 

 瞬間。

 

 ぱちんっ!!

 

 蚊を叩き潰す。

 

 掌に、わずかな血。

 

 それを――消す。

 

 次の瞬間。

 

 ドンッ!!

 

 りりむの身体が、一気に加速した。

 

「っ!?」

 

 笹木の目が見開かれる。

 

 避ける暇はない。

 

 そのまま、真正面から――

 

 体当たり。

 

「がっ!?」

 

 鈍い音。

 

 笹木の身体が吹き飛ぶ。

 

 地面を滑り、そのままフェンスへ叩きつけられる。

 

 ガシャンッ!!

 

 金網が大きく軋む。

 

 りりむは、息を荒げながら叫ぶ。

 

「私は悪魔に身を売って生きてきた!」

 

 夕焼けの中、声が響く。

 

「許されないことをして生きてきた!」

 

 拳を握る。

 

「お前と私は違う!」

 

 その叫びは、怒鳴り声というより。

 

 どこか――自分へ言い聞かせるようでもあった。

 

 だが。

 

「……」

 

 フェンスにぶつかった笹木は。

 

 倒れない。

 

「……っ!」

 

 金網の弾力を使うように、足をかける。

 

 そのまま。

 

 走る。

 

 フェンスの上を蹴って、一気に加速。

 

「な――」

 

 りりむが反応するより先に。

 

 笹木の手から、何かが放られた。

 

 緑色に輝く、小さな石。

 

「……?」

 

 次の瞬間。

 

 パァァァンッ!!!

 

 閃光。

 

 凄まじい白光が、辺り一面を包み込む。

 

「っぁ!?」

 

 りりむが反射的に目を閉じる。

 

 視界が、真っ白になる。

 

 数秒。

 

 何も見えない。

 

 耳鳴り。

 

 残光。

 

 ようやく光が薄れた頃には――

 

「……っ」

 

 りりむは顔をしかめていた。

 

「魔具なんて持ってんのか!」

 

 嫌そうな顔。

 

 本気で嫌そう。

 

「誰だよお前…!」

 

 笹木は、少し離れた場所に立っていた。

 

 肩で息をしながらも、表情は崩さない。

 

「……それ」

 

 静かに言う。

 

「本当に身を売ったって確証あるんか?」

 

 りりむの目が揺れる。

 

 笹木は続ける。

 

「お前がたまたま助かったかもしれんやろ」

 

 淡々と。

 

 真っ直ぐに。

 

「……」

 

 りりむは、言葉を失う。

 

 夕焼けの光が、三人を赤く照らしていた。

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