こちら、都市伝説研究センターです。   作:えいどら

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おまけ:抜錨乙女 3

 古びた木の椅子がぎしりと音を立て、窓の外では相変わらず烏が騒がしく鳴いている。差し込む昼の光は少し傾き始めており、部屋の床に伸びる影も先ほどより長くなっていた。

 

 笹木は頬杖をつきながら面倒そうに視線を向ける。

 

「それで……」

 

 少し間を置く。

 

「何のようや、黒曜崎女学園の魔使さん」

 

 その声音には警戒と諦めが半分ずつ混ざっていた。

 

 対するマオは特に気にした様子もなく、「んー」と気の抜けた声を漏らしながら近くの椅子へ腰掛け直す。どこか猫のような気まぐれさを感じさせる仕草だった。

 

「僕、魔使マオ」

 

 改めて名乗る。

 

「夜見先輩とはそこそこ知り合いで、この辺のことも暇な時にやってるんだ」

 

 さらりとした口調だった。

 

「それで、夜見先輩から宿題預かってきたんだよ」

 

 その言葉に笹木の眉がぴくりと動く。

 

「宿題?」

 

「うん」

 

 マオは頷く。

 

「多分笹木さんに渡せば、何かわかるんじゃないかってさ」

 

 そう言いながら足元に置いていた鞄へ手を伸ばし、中からひとつの木箱を取り出した。

 

 古い。

 

 かなり古い。

 

 大きさは両手で抱えられる程度だったが、表面には無数の細かな傷が刻まれており、長い年月を経てきたことが一目で分かる。

 

 マオはそれを机の上へ置く。

 

 木と木がぶつかる鈍い音が響いた。

 

 ただ、それを見た瞬間に部屋の空気がほんの僅かに重くなったような気がした。

 

 少なくとも森中は無意識に視線を細めていた。

 

 マオは木箱を見下ろしながら話を続ける。

 

「この辺は昔、アルカナの頃からある倉庫らしくて」

 

 その言葉に笹木が顔をしかめる。

 

「ほう」

 

「前の店主はこの辺に呪物とか管理してたらしいんだよね……」

 

 さらりと言われたその内容に、笹木は盛大に顔をしかめた。

 

「あいつ……そんなことやってたんか……」

 

 呆れと疲労が混ざった声だった。額を押さえて深くため息を吐く。

 

 一方で、マオはそんな笹木の反応にはあまり興味がないらしく、木箱をじっと見つめたまま小さく首を傾げていた。

 

「呪物って……」

 

 ぽつりと呟く。

 

「僕には理解できない」

 

 その声は不思議なほど静かだった。

 

 先ほどまでの気の抜けた雰囲気とは少し違う。

 

 窓の外で鳴いていた猫の声が遠く聞こえる。

 

 部屋の中には一瞬だけ静寂が落ちた。

 

 マオは視線を落としたまま続ける。

 

「だって……」

 

 その褐色の指先が木箱の縁をなぞる。

 

「それだけ物に魂を込められるのなら」

 

 どこか遠くを見るような目だった。

 

「手放す理由なんて無いはずじゃん」

 

 その言葉には奇妙な実感が滲んでいた。

 

 まるで理屈ではなく、本心からそう思っている人間の声だった。

 

 誰かが大切にした物。

 

 想いを注いだ物。

 

 時間を費やした物。

 

 それを捨てるという感覚そのものが理解できない。

 

 そんな考え方がその一言には滲んでいた。

 

 笹木はその横顔を見ながら一瞬だけ何かを考えるように黙り込んだが、結局何も言わずに視線を落とした。それは、窓から差し込む光を受けながら静かにそこに横たわっていた。

 

 マオの言葉を聞いた笹木は、机の上のお守りを眺めながら小さく鼻を鳴らした。

 

「解らんもんやで」

 

 その声には、どこか自嘲めいた響きが混じっていた。

 

 今朝、自分が制服を着て鏡の前で浮かれていたことを思い出したのだろう。ほんの数時間前のことなのに、思い返せば思い返すほど居たたまれなくなり、自然と眉間に皺が寄る。

 

「自分の思い出が詰まった高校の制服だって、卒業したらそそくさ売っちまうやつもおる」

 

 椅子にもたれながら続ける。

 

「捨てちまうやつもおる」

 

 それは別に否定でも肯定でもなかった。

 

 事実としてそういう人間がいる。

 

 どれだけ思い出が詰まっていようが、ある日突然どうでもよくなることもある。

 

 そんな話だった。

 

 しかしその言葉を聞いた森中は、少しだけ不満そうな顔をした。

 

 先ほどまで木箱を覗いていた視線を上げ、じっと笹木を見る。

 

「高校の思い出が、楽しかったとは限らない…」

 

 静かな声だった。

 

 笹木は思わずそちらを見る。

 

「なんやお前」

 

 少し意外そうな顔になる。

 

「高校楽しくなかったんか」

 

 すると横からすぐに別の声が飛んできた。

 

「え〜」

 

 マオだった。

 

 先ほどまで呪物について語っていた人間とは思えないほど目を輝かせている。

 

「聞きたい森中花咲の青春」

 

 身を乗り出す。

 

「絶対男食い放題じゃん」

 

「どういうイメージなのよ」

 

 森中は即座に呆れた顔になった。

 

「え、違うの?」

 

「違う」

 

「一人くらい校庭で泣かせてるでしょ」

 

「泣かせてない」

 

「三人くらい」

 

「増やすな」

 

 真顔で返しながらも、森中は露骨に話題を逸らしたそうな顔をしていた。

 

 そして実際に逸らした。

 

 窓の外へ視線を向けながら、小さく息を吐く。

 

「……要は」

 

 声色が少し落ち着く。

 

「昔は楽しかったけど、後になって嫌になったこともあるってことでしょ」

 

 その言葉に笹木は一瞬黙る。

 

 マオも口を閉じた。

 

 森中は続ける。

 

「子供の頃大事だったぬいぐるみも、大人になったら重い綿の塊になるし」

 

 木箱の中のお守りへ視線を落とした。

 

「子供じみて、自分には似つかないものにもなっていく」

 

 どこか淡々とした説明だった。

 

 感情を込めているわけではない。

 

 ただ事実を並べているような口調だった。

 

「それで捨ててく人なら、割といるでしょって話よ」

 

 部屋に少しだけ静寂が落ちる。

 

 外では烏が鳴いていた。

 

 風に揺れた木々の葉音が遠くから聞こえてくる。

 

 マオは顎に指を当てながら考え込むように首を傾げた。

 

「ん〜……」

 

 納得したような、していないような微妙な声だった。

 

「僕にはまだ分かんないかも」

 

 素直な感想だった。

 

「大事だったなら大事なままじゃない?」

 

 その問いに森中は苦笑する。

 

「そう思えるなら、それは良いことなんじゃない?」

 

 優しく返す。

 

 しかしマオはまだ腑に落ちない様子で木箱を見つめ続けていた。

 

 一方で笹木は、そんな二人のやり取りを聞きながら複雑そうな顔をしている。

 

 森中の言っていることは理解できた。むしろ理解できすぎるくらいだった。

 

 だが同時に、今朝クローゼットの中で見た制服や、鏡の前で馬鹿みたいにはしゃいでいた自分を思い出すと、それだけでは割り切れない感情も残っている。

 

 だからこそ、しばらく何も言わずに窓から差し込む陽光を眺めたあと、小さく肩を竦めた。

 

「まあ……」

 

 視線を木箱へ戻す。

 

「人間、そんな綺麗に割り切れへんから面倒なんやろな」

 

 しばらく木箱を眺めていたマオだったが、自分の役目はこれで終わったとでも言うように軽く手を叩くと、椅子から立ち上がりながら鞄を肩に掛け直した。

 

 先ほどまで魂や思い出についてどこか遠い目をしていたのが嘘のように、もう表情にはいつもの気楽さが戻っており、机の上の木箱を笹木の方へ押しやりながら、

 

 「じゃ、僕からはこれだけ。その呪物がどんなものか、アルカナの店主とどう関係あるか調べてよ」

 

 と、まるで学校の課題でも押し付けるような軽い調子で言い残すと、そのまま踵を返して古びた扉の方へ向かおうとした。

 

 いきなり現れて妙な物を置いていき、説明らしい説明もそこそこに帰ろうとするその背中を、笹木は「自由なやっちゃなぁ……」と言いたげな半眼で眺めていた。

 

 その隣にいた森中はそう簡単に帰すつもりがなかったらしく、椅子から身体を起こすと、扉へ向かうマオの背中へ「ちょっと待ちなさいよ」と声を掛けた。

 

「ん?」

 

 マオが振り返ると、森中は当然のことを確認するような顔で片手を差し出しながら、「あなたの連絡先教えなさいよ」と言った。

 

 マオは一瞬だけ目を瞬かせたあと、あまり乗り気ではなさそうに視線を逸らし、「え〜、別にいいじゃん。仕事はインダストリアルの方からだから、そこ使って」と軽く手を振った。

 

 「夜見から来た仕事なら、夜見先輩かインダストリアル通せば僕に来るし、それでよくない?」

 

 どうやら個人的な連絡先まで渡す気はないらしく、そのまま話を終わらせようとするマオを見て、森中も特に食い下がることはしない。

 

 「あ、そう」とあっさり引き下がった。

 

 あまりにも素直な反応だったため、むしろマオの方が拍子抜けしたように森中を見る中、彼女はポケットからスマートフォンを取り出し、画面を操作しながら何でもないことのように続けた。

 

「まあいいや。じゃあ夜見さんに聞くね」

 

 その名前が出た途端、今まさに扉へ向かおうとしていたマオの身体がぴたりと止まり、次の瞬間には先ほどまでの気怠そうな態度が嘘のような勢いで森中へ飛びついていた。

 

「待って待って待って!」

 

 森中がスマートフォンを操作しようとしていた手を、マオが両手で慌てて押さえ込む。マオはそんな二人の視線など気にしていられないらしく、森中が夜見へ連絡することだけは何としてでも阻止しようと、その手元を必死に覗き込んでいた。

 

「なんでよ。インダストリアル経由でいいんでしょ?」

 

「それはそうだけど! そういう意味じゃなくて!」

 

「じゃあ夜見さんに『魔使さんの連絡先教えて』って聞けば早いじゃん」

 

「だからそれやめてって!」

 

 森中がわざとらしくスマートフォンを持ち上げると、マオもそれを追いかけるように手を伸ばし、とうとう観念したように声を張り上げた。

 

「わかったよ!」

 

 そのまま森中の手首を掴んで操作を止めながら、いかにも不本意そうに頬を膨らませる。

 

「教えれば良いんでしょ!?」

 

 連絡先の交換を終えると、森中は新しく追加されたマオの名前がきちんと表示されていることを確認し、満足そうにスマートフォンを眺めていた。

 

 一方のマオは、どうしてこんな流れで個人的な連絡先まで渡す羽目になったのだろうと言いたげな顔で自分の端末を鞄へ押し込み、今度こそ帰ろうと古びた扉へ身体を向ける。

 

 その様子を笹木は椅子に座ったまま眺めていたが、森中はふと何かを思いついたらしく、スマートフォンをしまおうとしていた手を止めると、「あ……」と小さく声を漏らした。

 

 その声にマオが嫌な予感でも覚えたのか、扉へ向けていた顔だけをゆっくり森中の方へ戻すと、森中は先ほどまでとは打って変わって妙に親しげな笑みを浮かべながら、「魔使さんも付き合わない?」と誘った。

 

「無理!」

 

 考える時間すらほとんどなく返された拒絶に、森中は目を丸くするどころか、むしろ面白そうに笑いながらマオとの距離を詰めていく。

 

「なんでよ、面白そうじゃん。せっかくこういう変なのまで出てきたんだし、一緒に調べた方が絶対楽しいって」

 

「やだよ。僕もう仕事終わったもん」

 

「そんなこと言わないでさぁ」

 

 森中は逃げようとするマオへすり寄るように一歩近付き、木箱の中のお守りをちらりと示してから、からかうような調子で続けた。

 

「こういう呪物とか、行方不明の喫茶店主とか、なんかいかにもじゃん。そういうの好きなお年頃じゃない?」

 

 その直後には少しだけ黙り込み、顎を引きながら本当に考えるような顔になった。

 

 呪物そのものには先ほどから興味を示していたうえ、アルカナの跡地に残されていた物が何なのか気にならないわけでもないらしく、森中はその僅かな迷いを見逃さず期待するような目を向ける。

 

 しかし数秒ほど悩んだ末、マオは何か大切な予定を思い出したように顔を上げると、「今日は無理!」と改めてはっきり断った。

 

「なんでやねん。ちょっと考えとったやろ」

 

 横から笹木が呆れたように口を挟むと、マオはそちらへ顔を向けながら、今度は妙に堂々と胸を張った。

 

「その夜見とゲームするから!」

 

「だから今日は付き合えません。ごめんなさーい」

 

 言葉だけなら丁重に断っているものの、声にはどこか楽しそうな響きがあり、マオは森中に捕まる前に逃げてしまおうとするような軽い足取りで扉へ向かう。

 

 そのまま古びた扉を開けると、最後に二人の方を振り返って軽く手を振り、今度こそ引き留められないうちにその場から帰っていった。

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