こちら、都市伝説研究センターです。 【完結】   作:えいどら

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おまけ:抜錨乙女 7

 目の前に現れた少女が、かつて自分を古い倉庫や学校の地下へ誘っていた存在なのだと気付いた笹木は、驚きこそしたものの、しばらくその顔を見つめているうちに喉が渇いたことを思い出したらしく、ふと机の方へ視線を向けた。

 

 薄暗い部屋の中、昼間から何度眺めても結局正体の掴めなかった古びた木箱がそこに置かれており、アルカナの倉庫から見つかったというその箱と、昔から古い倉庫や学校の地下といった場所に現れていた目の前の幽霊が、どうしても無関係には思えなかった。

 

「じゃあやっぱり、あれお前のもんなんか?」

 

 笹木は布団から片腕だけを出して木箱を指差しながら尋ねたが、少女は机の方へ一度だけ視線を向けると、肯定するでも否定するでもなく、相変わらず楽しそうな笑顔を浮かべた。

 

「どうだろうね〜」

 

 笹木は露骨に眉をひそめたものの、少女は何を聞かれても面白そうに微笑んだままで、その表情を崩そうともしない。

 

 夜中の薄暗い自室で幽霊に枕元を陣取られ、意味深な笑顔を向けられ続けるのは流石に気味が悪い。

 

「何が面白いんや……」

 

 半ば呆れながら笹木が尋ねると、少女は僅かに首を傾けた。

 

「いや別に。ただ、幽霊は笑ってた方が怖いって言うから」

 

「それ、心霊写真の話やろ……」

 

 笹木はすぐに突っ込みを返しながら、布団の中で身体の向きを変えて少女を見上げた。

 

「笑ってるやつが一番アカン、本人の身体が消えてるのはもっとアカンってな」

 

 笹木は大して怖がる様子もなくそう続けたが、その言葉を聞いた少女は、むしろますます楽しそうに目を細めた。

 

「昔からずっと笑って撮ってもらってたよ〜」

 

「……は?」

 

 何気ない一言に笹木の眉が僅かに動く。

 

 少女はその反応を楽しむように笑みを崩さず、どこか歌うような調子で続けた。

 

「笹木さん、ちゃんと撮った写真は一回見た方がいいんじゃないかな〜」

 

 笹木は数秒ほど少女の顔を見つめたものの、やがて怖がるどころか面倒臭そうに鼻を鳴らした。

 

「そんなんで脅しても無駄やで」

 

 そう言いながら布団を押し退け、身体を起こす。眠ることはもう諦めたらしく、乱れた髪を手櫛で適当に整えながらベッドから降りると、少女へ背を向けて部屋の扉へ向かった。

 

「隠キャやからな」

 

 妙なところで胸を張るように言い切る。

 

「自分の写真なんか撮らんし、見たりせえへんのや」

 

 自分自身の写真を見返す習慣などないのだから、心霊写真がどうこうと言われたところで怖がりようもないとでも言いたげに、笹木はそのままドアノブへ手を伸ばし、部屋から出ようとした。

 

 笹木がドアノブを捻って部屋から出ようとしたところで、背後から少女の声が追いかけるように届いた。

 

「そういえば、昔……私の友達がいて、名前はなんて言ったかな……」

 

 何かを思い出そうとしているような、ひどく曖昧な声音だった。

 

 笹木は一応足を止めたものの、振り返ってまで付き合うほど興味を惹かれなかったらしく、半分ほど開いた扉の向こうへ身体を出したまま、「お前の友達なんて知らんわ」と面倒そうに返した。

 

 そもそも何年も前に少し関わった幽霊の交友関係など知るはずもなく、今さら昔話を聞かされたところでどうしろというのかと、そのまま特に気にも留めず扉を閉じた。

 

 廊下へ出た笹木は、

 

「………」

 

「………」

 

 扉を開く。

 

 暗い部屋が広がっている。

 

 ベッドも、机も、クローゼットも、そして机の上に置いた木箱も先ほどと変わらない。しかし、枕元に座っていたはずのグレーの髪の少女だけが、綺麗さっぱり姿を消していた。

 

 笹木は部屋へ入り、左右を見回した。ベッドの陰を覗き込むような真似までしたものの、当然ながら誰もいない。

 

 ――昔からずっと笑って撮ってもらってたよ。

 

 ――ちゃんと撮った写真は一回見た方がいいんじゃないかな。

 

 笹木は慌てて壁のスイッチを押した。

 

 ぱっと室内が明るくなる。

 

 先ほどまで暗闇に沈んでいた家具の輪郭が一斉に浮かび上がり、見慣れた自室へ戻ったことに僅かな安心を覚えたものの、それでも額には薄く冷や汗が浮かんでいた。

 

「……写真、写真……」

 

 笹木は昔の物をしまっている棚へ向かい、奥からアルバムを引っ張り出すと、その場で床へ座り込んで勢いよくページを開いた。

 

 家族と一緒に撮った写真、子供の頃の写真、学校行事で撮られた集合写真、友人たちと並んだ写真と、普段ならわざわざ見返そうとも思わない過去の自分が次々と現れる。

 

 笹木は一枚ずつ目を凝らし、自分の後ろに知らない顔がないか、窓や鏡に妙な影が映っていないか、端に不自然な手や顔が覗いていないかまで確認していった。

 

 途中からは自分でも何を本気になっているのかと思い始めたものの、一度気になってしまえば途中で止める方が怖く、ページを捲る手だけは止まらない。

 

 しかし、何冊か確認してみても、あの少女の姿はどこにもなかった。

 

 笑顔でこちらを見ている幽霊もいなければ、自分の身体の一部が消えているような写真もない。どれも普通の写真ばかりで、強いて気になるところを挙げるなら、写真に写る自分が今見ると少し恥ずかしいという程度だった。

 

「…………はぁぁ……」

 

 笹木はようやく大きく息を吐き、全身から力が抜けたようにその場へ座り込んだ。いつの間にか本気で身構えていたことに気付き、額の汗を手の甲で拭いながらアルバムを閉じる。

 

 何もない。

 

 少なくとも、目につく限りでは何もなかった。

 

 その事実に安堵した途端、今度は別の感情がじわじわと込み上げてきた。

 

「あいつ……!」

 

 わざと意味深なことを言い残して消えたのではないかと思えば思うほど腹が立ち、笹木は閉じたアルバムを膝の上へ置いたまま眉間に皺を寄せた。

 

 幽霊相手にまんまと乗せられて、夜中に冷や汗をかきながら昔の写真を片っ端から確認していた自分の姿まで思い返すと、先ほどまで感じていた恐怖はほとんど苛立ちへ変わっていた。

 

 

 

 

 夜の住宅街を歩きながら、森中は電話越しに夜見へ木箱について分かったことを一通り伝え終えると、しばらく考えるように黙り込んだ。

 

自分たちなりに調べた結果、箱の内側には過去に何かを入れたり出したりしていたらしい痕跡が残っていることまでは分かったものの、肝心の「何が入っていたのか」については依然として見当もつかない。

 

昼間に笹木が語っていた呪いについての仮説も興味深くはあったが、結局それだけで木箱の正体へ辿り着けるわけでもなく、考えれば考えるほど分からないことばかりが増えているような気がしていた。

 

 森中は街灯の下を通り過ぎながら、ふと電話の向こうにいる夜見なら何か別の可能性を考えているのではないかと思い、「夜見さんは何か考えたの?」と尋ねた。

 

「何を?」

 

「木箱のこと」

 

 森中が念を押すように付け加えると、夜見は少し考えるような間すら置かず、いつもの掴みどころのない調子であっさり答えた。

 

「全然」

 

「……あのねぇ」

 

 森中は思わず深いため息を吐き、スマートフォンを耳に当てたまま肩を落とした。そもそも自分たちへ調査を回したのは夜見なのだから、少しくらいは向こうでも何か考えているものだと思っていたのだが、その期待は綺麗に裏切られたらしい。

 

「夜見さんが持ってきた話でしょ。少しくらい考えてよ」

 

「だって分からないものは分からないし」

 

 電話の向こうから返ってくる声には悪びれた様子もなく、森中はもう一度何か言い返そうとしたものの、その直後、夜見がまるで今思い出したことを口にするような気軽さで続けた。

 

「でも、マオちゃんのお母さんのことなら知ってる」

 

 森中の足が僅かに緩んだ。

 

 木箱の話をしていたはずなのに、突然出てきた「母親」という言葉がどう繋がるのか分からず、森中は街灯の光が途切れる場所で眉を寄せた。

 

「誰?」

 

 短く聞き返しながら、森中は電話の向こうにいる夜見の返答を待った。

 

 

 

 

 

 翌日の昼、森中は住宅街の一角に建つ一軒家の門前に立っていた。周囲の家々と比べれば敷地はやや広く、門の向こうには丁寧に手入れされながらも長い年月を感じさせる庭が広がっており、伸びた枝葉が夏の日差しを遮ることで、家へ続く石畳にはまだらな木陰が落ちている。

 

 建物そのものも決して新しくはなかったが、荒れているという印象はなく、むしろ何十年ものあいだ誰かが大切に住み続けてきた家だけが持つ落ち着いた佇まいがあり、森中は門柱に設置されたチャイムへ指を伸ばすと、一度だけ押してその場で待った。

 

 しばらくすると玄関の方から人の動く気配が伝わり、やがて扉が開くと、穏やかな雰囲気を纏った老婆がゆっくりと姿を現した。最初は訪問者を確かめるように目を細めていたものの、門の前に立つ森中の顔を認めた途端、その表情がぱっと柔らかくなる。

 

「あら、かざちゃん……!」

 

 まるで遠い親戚か、昔から知る近所の子供を迎えるような親しげな声に、森中も自然と表情を和らげて軽く頭を下げた。

 

「お久しぶりです」

 

「まあまあ、本当に久しぶりねぇ。こんな暑いところに立ってないで、入って入って」

 

 老婆に促されるまま門を抜け、庭を通って玄関へ向かうと、森中は靴を脱いで家の中へ上がった。外から見た印象以上に内部には年月の積み重なりが色濃く残されており、廊下に置かれた飾り棚や脚の細いテーブル、壁際の椅子などは洋風の意匠で統一されているものの、どれも新品のような華やかさとは無縁だった。

 

 木製の家具には細かな擦り傷が刻まれ、取っ手の金属は手で触れられてきた部分だけ色合いが変わり、古い時計や照明器具にも長年使い込まれてきた風合いが滲んでいる。それでも埃を被って放置されているものはなく、この家に住む人間が今でも一つ一つを日用品として大切に扱っていることが分かった。

 

 森中はその懐かしい室内を見回したあと、案内してくれた老婆へ向き直った。

 

「お参りだけしてきますね」

 

「ええ、ゆっくりしていって」

 

 老婆の穏やかな返事を受け、森中は家の奥へ進んでいった。やがて吹き抜けの傍に設けられた螺旋階段へ辿り着くと、手摺へ軽く手を添えながら一段ずつ上っていく。踏み板には歩くたび僅かな軋みが返り、下の階から届いていた生活音も高さを増すにつれて遠ざかっていった。

 

 上の階へ到着した森中は、そのまま奥の部屋へ続く廊下へ入った。階下よりも静かな空間には窓から柔らかな昼の光が差し込み、古びた床板の上へ細長く伸びている。森中がその光の中を歩き始めた、その時だった。

 

 傍にあった部屋の扉が勢いよく開き、中から白い髪と褐色の肌をした少女が飛び出してきた。

 

「えっ……何!?」

 

 森中も一瞬だけ足を止めたが、それ以上に驚いていたのはマオの方だった。まさか自宅の二階で昨日まで一緒に呪物を調べていた相手と鉢合わせするとは思っていなかったらしく、大きく目を見開いたまま森中を指差す。

 

「なんでいるの!? ここ、ウチなんだけど……!」

 

 その狼狽ぶりとは対照的に、森中はようやく色々な話が一本に繋がったというようにマオを眺めていた。昨日、夜見から聞かされた話を頼りにここへ来た時点で可能性は考えていたものの、本人を目の前にすると改めて納得したらしい。

 

「私のおじいちゃんと、おばさんの娘さんが親しかったんだよ」

 

「……え?」

 

 マオはまだ状況を理解できない様子で瞬きを繰り返す。

 

「その人、私の先生でもあったからね」

 

 森中はそう説明しながら、改めてマオの顔を見た。これまで別々の場所にあった記憶と、目の前の少女の存在を重ね合わせるようにしばらく見つめたあと、ようやく確信を得たように小さく頷く。

 

「そうか……あんた、潮留先生の娘さんだったんだ」

 

 その言葉を聞いたマオは、先ほどまでの驚いた表情を残したまま、廊下に立つ森中を見つめ返していた。

 

 そのまま当初の目的だった部屋へ入り、壁際に設けられた祭壇の前へ静かに腰を下ろす。それは長い年月の中で少しずつ増えていったらしい小物や花、写真などが丁寧に並べられている。森中は持ってきた供え物を空いている場所へ置き、少し位置を整えてから静かに手を合わせ、しばらく目を閉じていた。

 

 その傍らではマオが特に祈る様子もなく立っており、祭壇に飾られたいくつかの写真へ何となく視線を向けていたが、やがてその中の一枚に目を留めると、露骨に眉を寄せた。

 

「……その写真の人、全然知らないんだよね」

 

 マオの視線の先には、二人の少女が並んで写っている古い写真が飾られていた。自分の家に長いあいだ置かれている写真でありながら、そこに写っている人間に何の思い出もないということが気味悪いのか、マオは少しだけ顔を近付けて眺めたあと、今度はますます嫌そうに口元を歪める。

 

「なんか夜見が死んでるみたいで、気持ち悪い」

 

 お参りを終えて顔を上げた森中は、その言葉に咎めるような反応をするでもなく、マオと同じ写真へ視線を向けた。

 

 確かに、言われてみれば片方の少女には夜見を連想させるところがあり、森中は記憶を確かめるように「確かに、ちょっと似てるよね。服も二人ともセーラーだしなぁ……」と呟いた。

 

 森中は祭壇へ少し身を寄せ、写真の左右を確かめるように指先を動かしながら、昔聞いた名前を記憶の底から拾い上げていく。

 

「確か右側の人が語部さんで、左側の夜見さん似の子が近藤さんだったかな」

 

 断言するというより、古い記憶を一つずつ確認するような声音だった。写真の中では二人とも今のマオと同じように学生服を身につけており、その姿だけを見れば、何か特別な事情を抱えていたようには見えない。

 

「二人とも家族関係がちょっと複雑で、中々お参りに行けないからって、先生がここに祭壇作ってあるんだけど……」

 

 森中はそう話しながら、少し傾いていた写真立てを真っ直ぐに戻した。かつては潮留自身が、ここへ来ることのできない誰かの代わりに花を替え、供え物を置き、二人を忘れないための場所として守っていたのだろう。

 

 しかし、その役目を引き受けていた本人がいなくなってしまえば、残された祭壇はどうしても時間から取り残されたようなものになってしまう。

 

「本人が来なくなったら訳ないよね」

 

 森中は少し寂しそうにそう言うと、供え物の位置を直し、周囲に置かれた小物も一つずつ整えていった。

 

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