その日の夢の中、赤羽は金のシャンデリアが輝く広間に足を踏み入れていた。壁には繊細な装飾が施され、窓の外には満天の星空が広がっている。広間の中央では、仮面をつけた貴族たちが優雅に踊っており、そこへ一際目を引く美青年が赤羽の前に歩み寄ってくる。
その青年は、深い青のタキシードに身を包み、腰には宝石の散りばめられた剣を帯びていた。瞳は澄んだ湖のように静かで、しかしどこか赤羽の心を見透かすような深みを持っていた。
青年は微笑みながらひざまずき、手を差し出して言う。
「ずっと前からお慕いしておりました。」
赤羽は一瞬、ぽかんとした顔をしたが、すぐに顔を赤らめて頬を押さえる。
少女漫画のヒロインのようにとろけた笑顔で、青年の手を取っていた。
青年はさらに優雅な声で、
「私と一緒に踊っていただけませんか?」
と問いかける。
赤羽は夢見心地のまま、うっとりとした表情で「はい……」と応じ、そのまま二人は大理石の床の上を、音楽も鳴っていないはずの空間で、まるで舞踏会の主人公のように踊り始めていた。
赤羽はぼんやりとした眠気を抱えながら、ベッドの上に起き上がる。カーテンの隙間からは都会の街灯がちらちらと入り込み、ほのかに部屋の輪郭を照らしていた。
「……ここ、森中さんちか……」と小さく呟きながら、身体を伸ばす。掛け布団の感触も少しよくて、名残惜しそうに撫でてから立ち上がる。
赤羽の視線の先では、森中が机に突っ伏して、少し寝息を立てていた。赤羽はその後ろ姿を見てふっと笑いながらも、ぽつりと、
「女なんだもんなぁ……騎士様……」と呟く。
その声には、夢の続きを引きずっているような、ほんの少しの寂しさが混じっていた。
真夜中、赤羽はぼんやりとした眠気を抱えながら、ベッドの上に起き上がる。カーテンの隙間からは都会の街灯がちらちらと入り込み、ほのかに部屋の輪郭を照らしていた。
「……ここ、森中さんちか……」と小さく呟きながら、身体を伸ばす。掛け布団の感触も少しよくて、名残惜しそうに撫でてから立ち上がる。
赤羽の視線の先では、森中が机に突っ伏して、少し寝息を立てていた。
トイレへと向かおうとした赤羽は、ふと視界の端にある棚の上に目を止める。そこには一枚の古びた写真立てが置かれていた。近づいてそっと手に取り、眺めてみる。
それは、古い私立小学校の制服を着た二人の少女が写った写真だった。
一人は、明らかに森中花咲。まだ小学生の姿ながら、緑の髪は短く整えられ、表情はあどけないながらもどこか今と似た雰囲気をまとっている。
そして、もう一人――銀髪で赤い瞳の少女。
並んで笑ってはいるが、その笑顔にはどこか影があり、異質な存在感を放っていた。
赤羽は目を細めてその銀髪の少女に視線を留める。
「うわ……森中さん、小学校から私立だったのかよ……」
「むちゃくちゃ良いとこのお嬢じゃん……」とため息混じりに呟いた後で、写真の銀髪の子を指差しながら首を傾げる。
「この人が夜見さんなのかな……?」
その口調は軽いが、どこか胸の奥に引っかかるものを覚えるような気がした。
夢の中、赤羽はふわふわとカフェオレの海を漂っていた。
ミルクとコーヒーが混じった優しい色の波がゆらゆらと揺れ、香ばしい甘い香りが空気を包んでいる。波の音ではなく、どこかでカップにスプーンを入れて混ぜる音がリズムのように響いていた。
「カフェオレ…」
「カフェオレ……」
赤羽はまるで小舟のように、液体の上をたゆたっていた。頬には心地よい風が当たり、目を閉じればそのまま眠ってしまいそうな安堵感すらある。
と、不意に頭上から声がかかる。
「そろそろ起きろ〜」
「もう9時だぞ〜」
ふと見上げると、カフェオレの波間に浮かぶ小さな白い船の上から、パジャマ姿の森中が顔を出していた。
その声が夢の空間を揺らした瞬間――
赤羽のまぶたがぴくりと動き、現実のベッドの上で目を開ける。
薄明かりの差し込む部屋の中、目覚まし時計の針は確かに9時を指していた。
天井をぼんやり見つめながら、赤羽は小さく、
「……カフェオレ……」と呟いて、ようやく身体を起こした。
夢と現実の間にある心地よい余韻を、少しだけ名残惜しそうに抱えながら。
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洗面所には朝の光が柔らかく射し込み、歯磨き粉のミントの香りが淡く漂っている。
赤羽は、森中の家にあらかじめ置いてあった自分の歯ブラシを口にくわえたまま、鏡越しに背後に立つ森中の姿をちらりと見る。
森中はすでに白のジャケットと黒いワンピース姿に着替えており、前髪を整えながら軽く髪を指先で梳いている。
寝癖も一切ない、完璧に仕上げられたその姿を見て、赤羽は歯を磨きながらなんとなく口を開いた。
「森中さんって……魔法使いなんですよね」
「モンスター召喚したりとか、できないんですか?」
森中は櫛を置きながら、鏡越しに赤羽を見返して小さくため息をつく。
「……できるわけないでしょ」
あっさりと返されて、赤羽は口をゆすいでから、
「MP足りないんですか?」と悪びれもせずに続ける。
森中は目を細めて、少し呆れたように肩をすくめる。
「ばねちゃん、霊能力者なんでしょ?」
「まー……一応……」
と、赤羽は小さな声で頷く。
「じゃあ、死者を蘇らせたり、人から魂抜いたりできんの?」
森中がすっと冷静な調子で聞いてきて、赤羽は少し口を尖らせながら、
「……できませんけど」と拗ねた声で答える。
タオルで口元をぬぐいながら、ぽつりと自分に言い聞かせるように続けた。
「蘇るのは……自分だけで十分ですよ……」
赤羽は小さく息をついて、使い終わった歯ブラシをゆっくり戻すと、まるで何事もなかったかのように背筋を伸ばして洗面所を出ていく。
その背中を見ながら、森中は静かに髪をまとめ直した。
赤羽はテーブルに肘をついて、トーストの端をもそもそと噛みながら、羨望とも妬みともつかない目で森中をじっと見つめていた。
「森中さんってさぁ……美人ですよね」
森中は朝食の片付けに集中しながらも、「何、急に」と素っ気なく返す。
「読モもやってるんでしたっけ? センターと両立して、魔法も使えて、お受験もした上級国民なんて……」
と並べ立てながら、赤羽は自分の服のシワをいじりつつ、うっすら不貞腐れたようにぼやく。
「……世の中、理不尽じゃありませんか」
その言葉に、森中は小さく鼻で笑って、手にした皿を静かに水に浸けながら答えた。
「バカなこと言ってないで、さっさとご飯食べて帰れ。こっちも支度あるんだから」
その態度にも赤羽は納得できない様子で、パンを口いっぱいに頬張りながら、
「あーあ……私も読モなんてオシャレな仕事してみたいなぁ……」とため息交じりに呟く。
森中はそれを聞いて顔も見せずにきっぱり言い放つ。
「やめときな」
「えっ、なんでですか? そりゃ……森中さんと比べたらアレですけど」
「顔の話じゃない」
森中は食器の水を切ってタオルで拭きながら、やや真面目な口調で続けた。
「マジで身体が自分のものじゃなくなるから。撮影のたびに髪も肌も弄られるし、本気で稼ごうと思ったら、ケーキとか、ほとんど食べられなくなるぞ」
その言葉を聞いた赤羽は、トーストのバターが塗られた部分を見下ろして、しばらく沈黙したのち、小さく「それは嫌だ……」と顔を曇らせる。
森中はそれを見て、ふっと小さく笑う。
「でしょ」
赤羽は口を尖らせて椅子に背を預けながら、残りのパンを少しずつちぎって食べ続けた。
その姿は、なんだかんだで居心地の良い朝の風景の一部になっていた。
朝の光はすでに柔らかく、町の空気は静かに日常の始まりを告げていた。
赤羽は森中のアパートの前で両手を高く伸ばし、心地よさそうに背中を鳴らした。
朝の光はすでに柔らかく、町の空気は静かに日常の始まりを告げていた。
赤羽は森中のアパートの前で両手を高く伸ばし、心地よさそうに背中を鳴らした。
「いやぁ〜……朝からちゃんとご飯食べると違いますね……ふぅ〜」
ストン、と軽く背筋を伸ばしながら、後ろの森中に無邪気に問いかける。
「じゃあ、その“騎士様”もモデルさんなんですか? いや〜森中さん良いなぁ……美人は友達も美人でさぁ……」
そう言って、肩を落としながら項垂れるようにして歩き出す赤羽。その呑気さは、まるでこの世に危険など存在しないかのようだ。
だが──
「……殺し屋」
背後から、森中の低い声が届いた。
その瞬間、まるで空気が一変したような気がした。
柔らかかった朝の空気が、ぐっと硬質なものに変わり、風の流れすら止まったかのような静寂が訪れる。
赤羽は一瞬、聞き間違いだと思っていた。
そのまま数歩、駅に向かって歩き続け、頭の中で「殺し屋?」という言葉をゆっくりと反芻する。
それが何を意味するのか、ようやく認識できた時──
「……え?」
背中に冷たいものが走る。
急激に全身から血の気が引いていくような、あの独特な悪寒。
赤羽はぎこちなく振り返る。
だが──そこには、もう誰もいなかった。
ほんの数秒前まで立っていたはずの森中の姿はなく、まるで最初からそこにいなかったかのように、道だけが静かに続いていた。
周囲は相変わらず平和な朝の景色で、遠くで自転車のブレーキ音が響いている。
けれど赤羽の胸には、凍りついたままの言葉と、そこから染み出す冷たい汗だけが確かに残っていた。
思わず呟いたその声すら、誰にも届かないように、風にさらわれていった。
夕方、事務所には橙色の陽がガラス窓から差し込んでおり、その光がフローリングの床に長く伸びている。
部屋の隅では、椎名が和装のままソファに沈み込み、顔を半分枕に埋めて惰眠を貪っていた。かすかに寝息が聞こえ、時折身体がピクッと動くが、起きる気配はない。
その穏やかな静けさの中、机の前には赤羽がいて、頬杖をつきながらパソコンの画面を覗き込んでいる。その背後では、笹木が背もたれに寄りかかりながら、やや気だるげにキーボードを叩いていた。
「『Clione.exe』っていうアプリを調べてほしい、かぁ……」
笹木は届いた依頼メールを読み上げ、内容を声に出して確認する。画面には、簡素な文体で書かれた依頼の本文が映っており、送り主の署名欄は空白のままだ。
赤羽は首を傾げながら、
「何かマズいアプリなんですか?」
と呑気な調子で尋ねる。画面に映る情報を読み取ろうと、身を乗り出して近づいてくる赤羽の髪が、わずかに笹木の手元にかかる。
「『Clione.exe』ってのはなぁ……」
と、笹木は調べた内容をスクロールしながら話し始める。目元は鋭く、しかし声はいつも通りどこか脱力している。
「どこからでもダークウェブに繋がれるって話題のアプリや。パソコンでもスマホでも関係なく、ネットワークを勝手に迂回して、特殊なルートで裏サイトに接続するんやと」
「うわっ、なんかヤバそうですねそれ」
赤羽は目を丸くして画面を覗き込むが、笹木は苦笑しながら続ける。
「問題はな、そのアプリ……普通の検索じゃヒットせえへん。アップされた形跡もなけりゃ、配布元も不明や。『存在する』って話題だけが独り歩きしとる感じやな」
笹木は画面を見つめながら、少し肩をすくめるようにしてため息をつく。
「前にな、ahmiaってサイトが流行ったことがあってな……」
パチパチとキーボードを叩きながら、淡々と語るその声はやや低めで、まるで授業中に先生の雑談を聞いているようだった。
「…あっちは検索エンジンやったが、今回のはアプリケーションと来たか。しかも身元不明で、実物が確認できへん」
画面には英語の掲示板ログや解析系のツール画面がいくつも開かれており、その中には「Clione.exeを入れたらOSが壊れた」という書き込みまである。
そんな中、赤羽はいたずらっぽい笑みを浮かべながら、
「えへへ…裏のサイトなら、ちょっと悪いことできたりするんですかね?」
と、好奇心たっぷりに聞く。その顔はまるで放課後に友達と肝試しに行こうとしている中学生のようだ。
しかし、笹木はぴたりとタイピングの手を止め、こちらを一瞥して真面目な声で、
「やめとき。クレカ番号だけ抜かれて終わりやで」
と、ばっさり突っ込んだ。
「えっ……」
赤羽は一瞬で顔をこわばらせ、眉尻を下げてしょんぼりと口を閉じる。
「……夢がないですよね、こういう話って……」
「夢は寝て見るもんや。現実はセキュリティとウイルス対策の話やで」
そう言って、笹木はまたキーボードに目を戻し、画面のスクロールを再開した。背後では椎名がうっすら寝言を呟いており、事務所の空気はゆるくも、どこか情報の闇に触れているような、微妙な緊張感を孕んでいた。
笹木はタイピングの手を止め、ちらりと横目で赤羽を見やる。
その視線は何かを試すような、あるいはちょっとした悪戯の気配を含んでいた。
「……やってみっか?」
不意を突かれて、赤羽は「へ?」と間抜けな声を漏らす。
笹木はそのまま淡々と語る。
「言っとくけどな、こういう系はうちらで動くのはマズいねん。正式な調査じゃなくて、“調べもの”扱いにせな、うちの事務所まで飛び火しかねん」
カチカチとマウスを弄りながら、笹木は口の端を上げて続ける。
「違法系は、あの“騎士様”の専売特許みたいなもんやからな。
なあ、ばねちゃん。逢ってみたいんやろ、“騎士様”に?」
その言葉に赤羽は一瞬だけ目を輝かせかけたが、思い出したように視線を逸らし、どこか気まずそうに呟く。
「……まあ、逢ってみたいですけど」
その声はテンション低めで、明らかに期待とは裏腹の響きを帯びていた。
赤羽は椅子にもたれながら、(女なんだもんなぁ…)と心の中でぼやき、天井の蛍光灯をぼんやりと見上げる。
その肩越しには、ちょうど椎名がソファでうつ伏せに寝返りを打ち、意味のわからない寝言を漏らしていた。事務所の空気は妙に静かで、しかしその裏側には、何かとんでもないものが少しずつ動き出しているような、そんな予感が漂っていた。