こちら、都市伝説研究センターです。   作:えいどら

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第一章 第三話:蛾

 放課後の空は、もう夕方に差しかかっていた。

 赤羽葉子は、人気のない路地裏を一人で歩いていた。

 

 表通りから一本外れただけで、空気ががらりと変わる。

 割れたアスファルト、積み上げられたままの瓦礫、風に転がる空き缶。

 ビルとビルに挟まれた細い裏道は、昼間だというのに薄暗く、どこか湿った匂いがした。

 

 「……ほんと、場所選びセンスないよなぁ……」

 

 ぼそりと愚痴りながら、赤羽は足元を気にしつつ進む。

 制服の靴底が、砕けたガラス片を踏んで小さく鳴った。

 

 路地の奥、さらにビルに囲まれた袋小路のような空間が見えてくる。

 その先に、ぽつんと取り残されたような古い建物――

 色あせた看板と、割れかけたガラス窓。かつては使われていたであろう「待合室」だった。

 

 「……ここ、だよね」

 

 スマホのメッセージをもう一度確認し、赤羽はその建物の前で立ち止まる。

 約束の時間は、少しだけ過ぎていた。

 

 中を覗いてみるが、人影はない。

 椅子は埃をかぶり、蛍光灯は点かず、外の明かりだけがぼんやり差し込んでいる。

 

 「……ちょっと遅かったかな……」

 

 肩を落とし、赤羽は小さくため息をついた。

 やっぱり来るんじゃなかったかもしれない、そんな弱気が胸をよぎった、その時――

 

 とん。

 

 背後から、軽く肩を叩かれた感触。

 

 「えっ……?」

 

 びくっと肩を跳ねさせ、赤羽は慌てて振り返る。

 ――誰もいない。

 

 「……え、ちょ、今……」

 

 心臓が一気に早鐘を打ち始める。

 気のせいだと言い聞かせ、もう一度周囲を見渡すが、裏路地には自分以外の気配がない。

 

 その瞬間。

 

 「――こんなところに、何しに来たの」

 

 耳元ではなく、背後から。

 はっきりとした声。

 

 「ひっ……!」

 

 思わず息を詰め、赤羽は勢いよく振り返る。

 だが、そこにも――誰もいなかった。

 

 「な、なに……!? ちょ、やめてよ……!」

 

 声が少し裏返る。

 背中に冷たい汗が伝い、無意識に一歩後ずさった。

 

 「いるなら、出てきてよ……! 驚かせるの、趣味悪いから……!」

 

 必死に周囲を見回すが、瓦礫も、ビルの影も、沈黙したまま。

 ただ、空気だけが、わずかに重くなったような気がした。

 

 赤羽は唇を噛みしめ、意を決したように古びた待合室の扉に手をかける。

 

 「……もう、いい……。入るからね……?」

 

 軋む音を立てて扉が開く。

 中は外よりもさらに暗く、埃と古い油の匂いが鼻をついた。

 

 それでも赤羽は、一歩、また一歩と中へ進んでいく。

 背後の気配を何度も振り返りながら――

 

 「……誰か、いるんでしょ……」

 

 その声は、自分を奮い立たせるためのものだったのか、

 それとも、聞こえない“何か”に向けたものだったのか。

 

 待合室の奥へと、赤羽葉子は静かに足を踏み入れていった。

 

 待合室の奥へと進むにつれ、床の感触が微妙に変わっていく。

 コンクリートだったはずの足元は、いつの間にか白く、ざらついた素材に覆われていた。

 

 壁に目をやって、赤羽は思わず足を止める。

 

 ――繭。

 

 それも一つや二つではない。

 通路の両側、天井近くまで、不規則な間隔で張り付くように、白く膨らんだ繭のようなものがいくつも連なっている。

 中には、微かに脈打つように見えるものさえあった。

 

 「……うっわ……」

 

 赤羽は顔をしかめ、思わず腕をさする。

 

 「良い趣味してるわ……ほんとに……」

 

 そう呟きながらも、引き返すという選択肢はなかった。

 この奥に“何か”があることだけは、直感的にわかってしまったからだ。

 

 繭に触れないよう、身体を縮めるようにして通路を進む。

 歩くたび、衣擦れの音がやけに大きく響く。

 ――いや、違う。

 

 かさ、かさ、と。

 自分の足音とは別の、何かが擦れるような音が、微かに混じっていた。

 

 「……聞こえない、聞こえない……」

 

 半ば呪文のように言い聞かせながら、赤羽は通路の終わりへと辿り着く。

 

 次の瞬間――

 

 ぱっと、視界が開けた。

 

 柔らかい白光に満たされた、大きめのホール。

 天井は高く、壁も床も、すべてが白を基調とした空間だった。

 

 そして。

 

 空を、舞っている。

 

 白い蝶。

 白い蛾。

 

 羽は陶器のように滑らかで、光を反射しながら、静かに羽ばたいている。

 よく見れば、羽の付け根や胴体には、金属質の関節や極細の配線が覗いていた。

 

 「……なに、ここ……」

 

 あまりの光景に、赤羽は言葉を失ったまま立ち尽くす。

 

 無音ではない。

 微かな駆動音。

 羽が空気を切る、ほとんど聞き取れない振動。

 

 その幻想的で異様な光景に、ただ唖然としていると――

 

 「もしかして、迷子の人?」

 

 不意に、耳元で囁かれた。

 

 「っ……!!」

 

 全身が跳ねる。

 赤羽は反射的に振り返った。

 

 そこに立っていたのは、一人の少女だった。

 

 柔らかな桃色の髪。

 穏やかな笑み。

 けれど、その目は、どこか人形めいて感情の読めない光を湛えている。

 

 「そこ……結構、繊細な場所だから」

 

 彼女は困ったように微笑みながら言う。

 

 「あんまり入ってほしくないかも」

 

 そう告げると、赤羽の横をすり抜け、ホールの中へと歩いていく。

 白い蝶たちは、彼女を避けるように、あるいは導くように、ゆっくりと道を空けた。

 

 赤羽は一瞬呆けたまま、その背中を見つめ――慌てて後を追う。

 

 「ちょ、ちょっと待って!」

 

 ホールに足を踏み入れながら、改めて周囲を見渡す。

 

 「これ……全部、あなたの蛾なの?」

 

 白い蝶が頭上をかすめる。

 羽ばたきは滑らかで、まるで生き物のようだった。

 

 「機械っぽいのに……ちゃんと動くのね」

 

 思わず、少し感心したような声が漏れる。

 

 少女は歩みを止めず、軽く振り返って答えた。

 

 「うん。本物も混ざってるけどね」

 

 その一言。

 

 「……ひっ」

 

 赤羽の背筋を、ぞわりとした悪寒が走った。

 思わず鳥肌が立ち、肩をすくめる。

 

 「ま、混ざってるって……え、どれが……?」

 

 問いかけようとした瞬間。

 

 白い蛾の一匹が、赤羽のすぐ目の前を、音もなく横切った。

 

 その羽ばたきは――

 あまりにも、自然だった。

 

 赤羽は、白い蝶と蛾が舞う光景を見上げたまま、ふと何かを思い出したように目を見開いた。

 

 「……ていうか、そうだ!」

 

 突然、腹の底から声を張り上げる。

 

 「ねえ!!」

 

 勢いよく少女の方を向き、身振りまでつけて叫んだ。

 

 「私さ、ここに来てくれってバイト先の人に言われて!」

 

 一拍置いて、さらに声が大きくなる。

 

 「そう……騎士様! 騎士様に会わないといけないんだよ!!」

 

 ほとんど独り言に近い大声だった。

 

 その瞬間――

 

 ホール内に静かに漂っていた蝶と蛾が、一斉にざわめいた。

 

 ばさっ、ばさばさっ、と羽音が重なり、

 まるで驚いた鳥の群れのように、白い影が四方へ散っていく。

 天井近くへ、壁際へ、奥の暗がりへ――機械音と羽音が入り混じり、ホールは一瞬だけ騒がしくなった。

 

 「……あ」

 

 赤羽が口を閉じたときには、すでに遅かった。

 

 逃げていく蝶たちを目で追いながら、小さくため息をつく。

 半目になり、少し困ったような表情で赤羽を見た。

 

 「それ……かざちゃんが言ってたの?」

 

 その言い方は、責めるというより、どこか諦めに近い。

 

 続けて、声のトーンを落として言う。

 

 「あと……あんまり大声出さないでくれる?」

 

 「この子達も、驚くから……」

 

 少女の足元をかすめるように、数匹の蛾が遠巻きに旋回している。

 まるで様子をうかがっているかのようだった。

 

 その様子を見て、赤羽ははっと我に返る。

 

 「あ……ご、ごめん」

 

 ばつが悪そうに肩をすくめ、声を落とす。

 

 「なんか……テンション上がっちゃって……」

 

 少し間を置いてから、今度は首を傾げる。

 

 「え、でも……かざちゃんって……」

 

 赤羽は目を瞬かせ、思い当たった名前を口にする。

 

 「……森中さんのこと?」

 

 一気に点と点が繋がったように、顔を上げる。

 

 「じゃあ……あなたが、騎士様!?」

 

 驚きと半信半疑が混じった声。少女は、その問いにすぐには答えず、ホールの奥へ視線を向けた。

 

 白い蝶たちが、少しずつ戻ってきているのが見える。

 

 そして、ぽつりと。

 

 「……かざちゃんが、そう言ってる人なら」

 

 ほんの少し考えるような間を挟み、

 

 「多分……そうだと思う」

 

 そう答えた。

 

 断言でも否定でもない、曖昧な言葉。

 けれどその一言は、赤羽の胸に、妙な重みを残した。

 

 白いホールの中、再び静かに舞い始める蝶と蛾の影が、二人の足元をゆっくりと横切っていた。

 

 

 

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 白いホールを抜け、再び荒れた街はずれの道へ出る。

 瓦礫の残る路地、ひび割れたアスファルト、遠くで鳴る車の音。

 さっきまでの異様な空間が嘘のように、現実の匂いが戻ってきた。

 

 赤羽は前を歩きながら、小さく肩を落とす。

 

 「……まさか、騎士様が子供だったなんて……」

 

 ぼそりと呟き、ため息をひとつ。

 

 「もっとこう……なんかこう……」

 

 「守ってくれそうで頼れそう、みたいなの想像してたんだけどな……」

 

 ちらりと横目で見る。

 

 「年齢とか……近かったりするんですかね」

 「私、赤羽葉子って言います。17歳なんですけど…」

 

 探るような問いかけだった。足元を見ながら歩きつつ、少し考える素振りを見せてから答える。

 

 「私は……16歳かな」

 

 その一言。

 

 赤羽は立ち止まりかけ、露骨に肩を落とした。

 

 「しかも年下なんて……」

 

 「騎士様って肩書き、どこ行ったの……」

 

 失望を隠そうともせず、がっくりした声で続ける。

 

 「私、今日一日で理想ってものを全部壊された気がする……」

 

 少女は何も言わず、ただ静かに歩調を合わせていた。

 

 やがて、荒れた道は少しずつ様子を変えていく。

 割れた路面は整備されたアスファルトに変わり、街灯も増え、人の気配が濃くなっていく。

 コンビニの看板、バス停、ビルの外壁――都会の輪郭が戻ってきた。

 

 赤羽は、ふと少女の服装に目を留める。

 

 「……というか」

 

 制服をじっと見ながら言う。

 

 「見ない制服ですけど」

 

 首を傾げ、素直な疑問を口にした。

 

 「どこの高校ですか?」

 

 一瞬きょとんとした顔をしてから、自分を指差す。

 

 「私?」

 

 そして、何でもないことのように答えた。

 

 「碧星院高校」

 

 その名前を聞いた瞬間、赤羽の表情がすっと冷める。

 

 「……見たことも……」

 

 半目になり、ぼそり。

 

 「聞いたこともない……」

 

 都会のざわめきの中、

 

 赤羽葉子は改めて、“騎士様”という存在が、自分の想像とはまったく違う場所にいるのだと実感していた。

 

 都会の通りから少し外れた雑居ビルの一角。

 赤羽は慣れた手つきで古い扉の前に立つと、軽くノックもせずに取っ手を引いた。

 

 「こちらです〜」

 

 ぎぃ、と気の抜けた音を立てて扉が開く。

 中は、見慣れたはずの事務所だった。

 

 簡素な机、積まれた書類、壁際のロッカー。

 けれど――人の気配は、どこにもない。

 

 赤羽は靴を脱ぎながら、少しだけ声を張って言った。

 

 「今日は、店長いないですけど……」

 

 言い切る前に、背後から控えめな声が返ってくる。

 

 「今日も……じゃないの?」

 

 少女は、きょろきょろと事務所を見回しながら、困ったように眉を下げていた。

 

 「私……ここの店長と、逢ったことないけど……」

 

 その一言に、赤羽は一瞬だけ固まる。

 

 ――が、次の瞬間。

 

 「あ、今日も、ですね!」

 

 ぱっと表情を切り替え、吹っ切れたように笑顔で言い直した。

 

 「そっかそっか! 今日“も”いない、でした!」

 

 ははは、と乾いた笑いを添えてみせる。

 だが、少女の反応は薄い。

 

 「……」

 

 視線だけが、静かに事務所の奥をなぞっている。

 

 その空気に耐えきれなくなったのか、赤羽は慌てて付け足す。

 

 「……さ、さっきまで、いたんですけどね……」

 

 言いながら、誰もいない机の横を通り、

 引きつった笑顔のまま、事務所の中を案内する。

 

 「ほら、ここが作業スペースで……」

 

 「こっちは資料置き場で……」

 

 声が、ほんの少しだけ上ずっていた。

 

 奥にある簡易的な仕切りを引き、区切られた小部屋に入る。

 古びたソファが一つ置かれた、打ち合わせ用のスペースだ。

 

 「どうぞ、ここ……座ってください」

 

 赤羽はソファを指し示し、少女――いや、“騎士様”を促す。

 少女は一瞬だけ周囲を見渡し、それから素直に腰を下ろした。

 

 柔らかく沈むクッション。

 その仕切り越しに、事務所の静けさがじわりと伝わってくる。

 

 赤羽は一度、軽く咳払いをした。




※追記(1月1日):物語の展開に必要な要素を微調整をしました。
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