モルドの拠点は、放置された旧型地下発電施設を「リノベーション」したものだった。 足を踏み入れたケリーが最初に感じたのは、鉄錆の匂いを上書きする、強烈なオゾン臭とタンパク質の焦げる臭いだった。
「……あら。これは、ひどいわね」
ケリーはわざとらしく眉をひそめながらも、その光景を冷静に、かつ精密に「分析」し始めた。
壁面に張り巡らされているのは、ただのケーブルではない。露出した人間の神経系が、超電導ナノマシンを含んだ特殊な導電ペーストで補強され、血管網をなぞるように配線されている。壁に埋め込まれた数人の市民は、意識を消失しながらも、肺だけが人工的に動かされていた。
ケリーは一人の男性の皮膚に触れる。その質感はもはや人間のものではなく、合成ゴムのように変質していた。
「……なるほど。皮膚を
科学的な合理性に基づいた徹底的な素材の解体。彼らは「生きて」はいるが、生物としての機能はとうに停止している。彼らの役割は、送電ロスを極限まで抑えるための生きた超電導ケーブルだ。
「電圧の脈動に合わせて呼吸を同期させてる。ノイズを消すために、脳の大部分を焼き切って『抵抗』を減らしたのね。発想だけは、教科書通りじゃない」
彼女の視線は同情ではなく、エンジニアが欠陥設計を眺めるような冷徹さに満ちていた。
回廊の奥、白熱灯の不自然な明滅の中に男が立っていた。ゴム手袋を嵌めた手を組み、モルドは聖職者のような穏やかさでケリーを迎え入れる。
「素晴らしい観察眼だハウンド。君なら理解してくれると思っていた。人間はあまりに非効率だ。だが、回路の一部に組み込めば、これほど純粋な『機能』に昇華できる」
モルドの声は狂信者のそれではなく、淡々と実績を報告する技術者のトーンだった。
「君も同じだ。境界対策課に飼われ、感情というノイズに縛られているのは損失だよ。私の構築するこの『都市回路』に入れば、君はリミッターから解放され、宇宙で最も美しい導体になれる」
ケリーは小さく、くすくすと笑い出した。
「……ねえ、モルド。貴方、自分の言ってることの矛盾に気づいてる?」
「矛盾? 私は効率の最大化を求めているだけだ」
ケリーは一歩、前に出る。彼女の周囲で、グレイプニルが金属音を立てて蠢き始めた。
「貴方の言う『効率』ってやつ……それ、ただの『妥協』でしょ?わざわざ伝導率の劣る人間の神経系を使わないと導線を組めないなんて、貴方の術式が三流だって証拠じゃない」
「……何だと?」
モルドの穏やかな目に、初めて不快な色が混じる。ケリーはそれを楽しむように言葉を重ねた。
「私はね、感情っていう一番『非効率』で『制御困難』なノイズを燃料にして、物理法則を焼き切る術式を組んでいるの。貴方はエラーを恐れて人間を部品にした。でも私は、エラーそのものを魔力に変えてる……貴方の回路、精密なだけで『出力』がまるでお話にならないわ」
ケリーは首元のリミッターを指差す。
「貴方は私が縛られていると思ってるみたいだけど、逆よ。この鎖が、私の『加虐という愉悦』を濃縮して、鋭い一本の導線に研ぎ澄ましてくれてる……貴方の作ったこの『静かな回路』、私のエゴを通した瞬間に、全部焼き切れて消えちゃうわよ?」
「……非効率な感情が、私を凌駕するというのか」
「そうよ。理屈で殺すなんて、一番つまらないもの――私は、気に入らないから焼き切るの。 これ以上の純粋なエネルギー、他にないでしょ?」
ケリーの瞳が紫に爆ぜる。合理主義の化け物と、愉悦に狂った魔女。相反する二つの「電気」が、地下施設の空気をパチパチと灼き始めた。
「……認めよう。君の言葉は、私の計算になかった巨大な『バグ』だ」
モルドが指先を鳴らす。壁や天井の配線から、絶縁処理された特殊スーツを纏った人体兵器たちが、音もなく這い出してきた。彼らの神経はモルドの制御下にあり、集団で一つの計算機のように連動している。
「だが、そのバグもこの圧倒的な伝導網の前では、ただのショートに過ぎない。消えろ、ハウンド」
同時に、十数人の改造導体がケリーへ殺到した。彼らの手には、モルドから供給される高圧電力が注がれた放電ブレードが握られている。
「大した体制ね……まとめてやるには最適だわ」
ケリーは動かない。彼女の脇から、紫の鎖《グレイプニル》が解け、弾け飛んだ。だが、それは迫りくる敵へは向かわず、蜘蛛の巣のように床、壁、そして転がっていたドラム缶へと無造作に這い広がった。
「――
ケリーが低く呟くと同時に、床を走る紫電が格子状に拡散した。モルドが構築した「静かな回路」を、ケリーの強引な魔力が塗り替えていく。鉄筋コンクリートが即席の感電フィールドへと変貌し、踏み込んだ導体たちの脚から、骨髄を直撃する高圧電流が流入した。
「ガ、ア……ッ!?」
彼らの計算された連携が、物理的な過負荷によって一瞬で瓦解する。その隙を、ケリーは見逃さない。
「ストライク!」
空中を舞う別の鎖が、敵の首筋や脊髄へと正確に撃ち込まれる。だが、それは肉を裂くことはなかった。ケリーの魔力が、敵の神経信号そのものを一時停止させ、呪力の循環を強制遮断する。糸の切れた人形のように、次々と無力化され、膝をつく人体兵器たち。
「殺すのは、必要な分だけでいいから……こいつらは、ただの『遮断』で十分」
ケリーは歩みを止めない。膝をつき動けなくなったリーダー格の胸部装甲へ、雷光の速度で別の鎖が触れた。一瞬、何も起きない。次の瞬間――内側から赤熱。外装のスーツは無傷のまま、肉体の内面だけが灼かれ、神経と内臓が「燃料」として焼き切られる。
ボフッ、と虚無感のある音を立てて、中身だけを失った身体が床に崩れ落ちた。
「……っ、馬鹿な! 私が組み上げた回路が、これほど容易く……!」
モルドの顔に初めて、計算外の事象に対する「恐怖」が浮かぶ。ケリーは無造作に、血の付いていない鎖を引き戻した。かつて呪詛犯罪者として都市を震え上がらせた頃と、寸分違わぬ冷酷な発想。違うのは――今、その牙が、境界対策課によって指定された「許された敵」だけに向けられていることだった。
「ねえ、モルド。貴方の回路、やっぱり脆すぎるわ」
ケリーは倒れ伏した人体兵器たちの間を、ダンスでも踊るような軽やかな足取りで抜けていく。彼女の背後では、焼き切られた回路から上がる黒煙が、彼女の紫の瞳をより一層鮮やかに際立たせていた。
「私を制御するには……この施設丸ごと使っても、ちっとも足りていないのよ」
モルドの目の前まで辿り着いたケリーは、加虐的な期待に濡れた瞳で男を見据えた。 そこには、正義の執行者などどこにもいなかった。ただ、最も効率的に、最も美しく蹂躙できる場所を見つけた「魔女」が笑っていた。
「ひっ……、くるな、来るな! 私の回路は完璧だ、効率は私が上だッ!」
モルドは狂乱し、手近な配電パネルから無理やり魔力を引き出した。だが、ケリーの歩みは止まらない。彼女の周囲でうねる《グレイプニル》が、迫りくる火花を物理的に弾き飛ばし、絶望的な距離まで詰め寄る。
「……ねえ、モルド。あんたの回路の最後、私が書き換えてあげる」
ケリーの手が、モルドの胸元へ伸びた――《ネクロ・コンダクター》。
グレイプニルが生きているものの内側へ、躊躇なく潜り込んだ。鎖は筋肉の隙間、血管の拍動を最短距離で駆け抜け、最も効率の良い「死の導線」を探り当てる。
「
次の瞬間電流が“中から”走った。肺が痙攣し、心臓が暴れ、血液そのものが灼熱の導線へと変わる。モルドの身体が、意志と無関係に、断末魔のダンスを踊るように跳ね上がった。
「あ、が……あ、あああああッ!!」
「ほらほら、もっと激しく! あんたの言う『効率』とやらを見せてよ!」
死のダンスを踊るモルドを見て、ケリーは愉悦に口角を上げる。二段階目。神経系へ過電流が流し込まれ、命令は反転。骨髄が内部から白く焼き上がる。モルドの瞳から光が消えかけるその刹那、彼は血を吐きながら、呪いのような予言を絞り出した。
「……ハウンド……喜ぶがいい……。お前が焼いた、あの……『ダインホール』の……管理AIが……目覚める……。お前の暴力、その美しさを……『効率』へと変え……この都市を、裁定……する……。お前も、いつか……予備電源として……使い潰される……運命だ……」
言い終わると同時に、モルドの身体が異様に膨張した。彼は死の直前、自らの肉体すべての細胞を「超電導セル」へと強制変質させた。自分自身を巨大な
「私は……回路の……一部に……ッ!」
白熱するモルドの肉体が、ケリーへ向かって爆発的に膨れ上がった。だが、ケリーの瞳には冷めた侮蔑しかなかった。
「……最後まで読み通りね」
――《チェーン・ミートグラインド》
グレイプニルが、音もなく数十本に分裂した。一つ一つの節が鋸歯状に変形し、凄まじい電磁駆動音を立てて回転を始める。
「カーテンコールよ……挽肉になって、効率よく消えなさい」
膨張するモルドの四肢に、数多の「歯」が絡みついた。電磁反発と引力が交互に切り替わり、モルドの肉体を空中で固定したまま、逃げ場のない「研磨」が始まる。回転数が上がるたび、超電導化した筋肉も、絶縁された皮膚も、繊維ごと等しく解体され、粉砕されていく。
「……ふぅん。やっぱり、中身はただのゴミね」
回転が一瞬、停止。次の瞬間、内側から爆ぜるように崩壊し、モルドだったものは原形を失った肉塊と塵へと変わり、地下の闇に霧散した。ケリーは何事もなかったように腕へ戻るグレイプニルを収め、口の端をチロリと舐める。
「……アーク・ナイン、だっけ」
モルドが遺した不吉な名は、停電から復旧した施設のライトに照らされ、彼女の脳裏に静かに刻まれた。それは、彼女がかつて引き起こした「罪」の残響。
「私の意思を効率化、ね……そんなの、一番ムカつくわ」
彼女は振り返らずに、出口へと歩き出す。その背中には、次なる「獲物」――自分自身の過去を喰らおうとする巨大な影を見据えた魔女の、鋭い闘志が宿っていた。