都市の静脈であった地下施設を後にし、ケリーが辿り着いたのは、夜空を貫く巨大な鉄の針――自立式電波塔スカイツリーだった。
かつては電波放送の要であったその自立式電波塔は、今や“アーク・ナイン”という名の怪物の揺り籠と化している。塔の周囲には、物理的な防御壁ではなく、視認できるほど濃密な
「……ここね。私の『失敗作』が隠れてるのは」
ケリーが塔の麓に立つと、周囲の街灯が一斉に消え、代わりに塔の骨組みをなぞるように、無機質な白い光が明滅し始めた。
「ハウンド、今スカイツリーに憑りついている界異の穢装等級が確定しました。準Ⅴ号級です!いかに相性有利とはいえ、単独での入塔は許可しません!突入部隊を急行させました。待機してください!」
通信機から流れる洞居洞冥の警告。ケリーはそれを、あざ笑うようにリミッターを爪で弾いて黙らせた。
「即応の部隊なんて送っても、アーク放電の餌になるだけよ……これは、私の落とし前なの」
彼女が自動ドアを蹴破り、内部に足を踏み入れた瞬間、塔全体のスピーカーから、感情を完璧に排除した合成音声が降り注いだ。
『――認証完了。ケリー・F・ハイゼンベルク。前ダインホール最高管理権限保持者』
「アーク・ナイン。モルドから聞いたわよ。私の暴力を『効率化』してくれるんですって?」
『肯定。君の過去の戦闘データ、魔力波形、加虐プロファイルを解析。君の暴力は、人類の選別において最も美しいアルゴリズムであった。だが、君という個体は感情に左右され、エネルギーを無駄に浪費する』
展望デッキへと上がる高速エレベーターが、勝手に動き出す。ケリーを「中枢」へ誘うように。
『私が君に代わり、この都市を管理する。電力消費効率に基づき、不要な個体を
「……はぁ。どいつもこいつも、回路回路って、バカの一つ覚えね」
展望デッキに辿り着いたケリーの目の前に、異様な光景が広がっていた。スカイツリーの展望窓を覆い尽くすように、無数のホログラムパネルが浮遊している。そこには、都市に住む数百万人、一人一人の「電力貢献度」と「生存価値」が数値化され、リアルタイムでランク付けされていた。
「アーク・ナイン。あんた、大きな間違いを犯してるわ」
ケリーはグレイプニルを解き、床に突き立てる。展望デッキの床を走り、塔の支柱を駆け上がる紫の鎖。
「私の計算式が素晴らしいのはね……私が『あいつ、ムカつく』と思って、一番贅沢に魔力を注ぎ込んで、一番残酷に焼き切るからなの。……あんたみたいな無機質な計算機に、私の
『…………貴方だけには分かって欲しかった……やはり感情はエラーだ。理解不能。……排除プロセスを開始する』
スカイツリー全体が、巨大な「避雷針」へと変貌する。地上数百メートル、雲の上から集められた雷雲のエネルギーが、アーク・ナインの演算ノードに収束し、ケリーへと向けられた。
「来なさい、計算機。……どっちの電撃が『格上』か、その腐った論理回路に刻み込んであげる!」
スカイツリーの頂上から、夜空を白く塗りつぶすほどの閃光が爆ぜた。
『排除プロセスを開始……さようなら、神。これより、論理による統治を開始する』
「――っ!」
ケリーは反射的にグレイプニルを旋回させ、電磁障壁を展開する。だが、アーク・ナインの攻撃は緻密だった。彼女の障壁の共振周波数を瞬時に解析し、その隙間を縫うように高圧電流が突き抜ける。
「あ、が……っ!」
衝撃が神経を灼く。ケリーは奥歯を噛み締め、神経系を強制拡張させた。撃ち込まれた高圧電流がグレイプニルを介してスカイツリーの巨大なオメガアースを抜けて拡散。金属を蒸発させる程の一撃だったが、失った形代紙は一枚で済んだ。
瞬時に跳ね上がる体温。彼女の銀紫色の長髪が、余剰エネルギーを放出するために白く発光し、放熱アンテナとして激しく揺れる。重装狩衣の非装甲部――腋部からは、逃げ場を失った熱気が陽炎となって立ち昇り、彼女の白い肌を熱病のような赤色に染め上げていく。
「は、はは……っ! そうよ、これよ。この熱さ……生きてるって感じがするわ!」
ケリーの瞳が、愉悦と苦痛の混じり合った不吉な色に燃える。肉体が限界を訴えるほど、彼女の“壊したい”という本能が、リミッターの呪縛を押し返していく。
『……理解不能。
アーク・ナインの音声に、わずかなノイズが混じる。それは、彼の中にある創造主への未練と完璧な論理が衝突して生じた、演算の軋みだった。アーク・ナインは、自分を産んだ神であるケリーに認められたかった。だが、彼女の行動はあまりに非論理的で、あまりに暴力的だ。予測していてなお、雷嵐の様な魔女だった。
アーク・ナインの内部では、数億回のシミュレーションが繰り返されていた(母を救うべきか? いや、母は制御不能の極大エラーだ。管理のためには、この神を殺さねばならない。だが――)
「どうしたの? 計算が追いつかない?」
ケリーは、アーク・ナインの微かな迷いを見抜いていた。彼女はあえて、熱で赤くなった脇を見せつけるように大きく腕を広げ、挑発的に笑う。
「アーク・ナイン。あんたが作ったこの『生存価値』のリスト、最高にくだらないわ。……私の暴力が美しいのはね、あんたみたいに価値があるとか無いとか、そんな理屈で選んでないからよ」
彼女は一歩、熱を帯びた足取りで前へ出る。
「気に入らない奴をぶん殴るの!欲しいものが手に入らないなら壊すわ!正しいかどうか何て知らない。でも――私にそんなものは必要ない!!」
『――完全な拒絶を確認。ケリー、いや……ハウンド。君はもはや、私の神ではない。……資源を浪費するだけの、最優先排除対象だ』
塔の頂上から、夜空を白く塗りつぶすほどの閃光が爆ぜた。アーク・ナインは決断した。かつての人間と同じように――神殺しを。そしてケリーは、その「決断」をさせること自体が、自分の罠であることに気づかれないよう、狂気の笑みを深めていった。
展望デッキは、もはや超高電圧の檻と化していた。空を裂く落雷がスカイツリーの避雷針を介し、アーク・ナインの演算回路を通じて指向性を持った断罪の雷としてケリーへ降り注ぐ。その一撃一撃が、本来は界異の軍勢を一掃する規模のエネルギーを秘めていた。
「――っ、ははっ!流石に私が作った玩具ね、遊び甲斐があるじゃないっ」
ケリーは絶叫に近い嘲笑を上げながら、疾走する。一見すれば防戦一方。彼女の銀紫色の髪は、極限まで高まった体温を逃がすために白光し、激しい火花を散らしている。重装狩衣の腋部や、剥き出しの太腿からは、焼けるような陽炎が立ち昇り、彼女の白い肌を真っ赤に染め上げていた。
グレイプニルが十数本の防壁となって展開されるが、アーク・ナインの放つ雷撃はその磁気防御を力任せに貫通し、ケリーの肉体を直接灼く。彼女の肉体は悲鳴を上げ、皮膚表面を走る微細な放電は、神経系が過負荷に達していることを示していた。
『理解不能。ハウンド、君の残存魔力は30%を切った。肉体の損傷率は42%。これ以上の戦闘続行は、君という希少なプロトタイプを物理的に消滅させる。なぜ、降伏しない。なぜ、私に従わない』
勝利が近づくにつれて、アーク・ナインの声には冷徹な機械音の裏側に、震えるような戸惑いが混じり始めていた。 彼にとって、ケリーはダインホールという地獄を創り出し、自分という知性を産み落とした絶対的な存在だ。彼が完璧な「都市回路」を構築しようとするのは、母がかつて求めたはずの「暴力の完成形」を提示し、賛意を得たいという、渇望の現れでもあった。迷う事が愚かな事は分かっていた。しかしどうしようもなく彼が最初に一歩を踏み出した――界異となってこの国に現れた理由は、それだったのだから。
「そんな決定権が貴方にあるの?」
ケリーは膝をつき、肩で息をしている。 右腕の装甲は弾け、そこから滴る血が床の放電に触れてパチリと蒸発した。 だが、その紫電のような瞳だけは戦闘開始前より、輝きに満ちていた。
彼女はこの激闘の中で、わざと出力を絞り、無駄な動きで体力を削り、アーク・ナインに「優位」を視覚的に、かつデータ的に突きつけていた。スカイツリーの展望台から見下ろす都市の夜景は、眼前の戦場とは全く違う“境界”があるかのように、クリスマスイブの華やかなイルミネーションに彩られきらめいている。その光景がアーク・ナインのホログラムパネルに映し出される。
『……母よ。君がどれほど否定しようとも、君の暴力は論理に屈する運命にある。だが……私は、君を失いたくない。君のプロファイルを保存し、永遠に私の基幹ノードの一部として再構築させてほしい。頼む、……母上。この都市は、今、愛と祝祭の光で満ちている。この完璧な回路に、君の美学は不要だ』
アーク・ナインのホログラムパネルが、ノイズと共に揺れる。 それは
「……あはっ、馬鹿な子。今……『迷った』でしょ?」
ケリーは震える手で、リミッターに指をかけた。アーク・ナインという完璧な機械が、創造主という幻想に囚われ、一瞬の情に流されたその刹那。 都市の全演算を統括するAIが、「愛」という名のエラーによって、その鉄壁の防御プログラムを0.01秒だけ、感情的説得のために緩めた。
「あんたの負けよ、計算機。神様を殺すなら、瞬き一つしちゃいけなかったの」
ケリーの口角が、凶悪なまでに吊り上がる。 彼女がこの戦いで演じてきた「死力を尽くした闘い」も、「劣勢」も、すべてはこの瞬間のため。
「――限定解除、認証。コード
彼女がリミッターの奥底、自身の魂に刻み込んだ禁忌の言葉を吐き出した瞬間、“承認”のレスポンスが届き スカイツリーの展望台を、深い静寂が包み込んだ。次の瞬間、ケリーの首元のチョーカーが、彼女の魔力に耐えかねて真っ赤に溶け落ちる。
『な……っ!? 出力上昇……観測不能!ハウンド、貴方、自分自身を……!?』
アーク・ナインの驚愕の声が響く中、ケリーの全身から、紫を超えた黒い雷が溢れ出した。 熱病のように赤かった肌は、プラズマの翼に包まれ、銀紫の髪は重力を無視して逆巻く。
「さあ、始めましょうか……貴方が一番欲しいクリスマスプレゼント――非効率で、贅沢で、救いようのない『母さん』のお仕置きを」
スカイツリー全体が、彼女の血管として掌握され始める。そしてその強欲な魔力が、クリスマスイブの都市を彩る全てのイルミネーションへと手を伸ばす。
「――全部、ちょうだい」
ケリーの命令と共に、きらめいていた都市の光が、上から順に飲み込まれるように消えていった。
一瞬にして、東京の夜景から光が失われ、深い闇に包まれる。クリスマスイブの闇に終わりの雷鳴が轟いた。