クリスマスイブの都市が、一瞬にして深い闇に沈んだ。
スカイツリーの展望デッキ。絶対的な静寂がケリーを包み込む。遠くでサイレンの音が鳴り響いているが、それすらも彼女の耳には届かない。彼女の全身からは、紫を超えた黒い雷が荒れ狂うように放たれ、銀紫の髪はプラズマの翼となって重力を無視して逆巻いていた。溶け落ちたリミッターの跡が、首筋に赤く焼き付いている。
『……エラー。都市回路、停止寸前。バックアップ電源、起動不可。ハウンド、貴女は……本当に、神なのか』
アーク・ナインの声が、ノイズまみれで途切れ途切れに響く。都市の全電力を吸い上げられたことで、彼の完璧な論理回路もまた、機能不全に陥っていた。ホログラムパネルに映し出されるカウントダウンは、0時に向かってゆっくりと、だが確実に進んでいる。
「神様なんかじゃないわ。私はただ、非常に我儘なのよ」
ケリーはそう呟き、ゆっくりと両手を広げた。その掌には、都市から奪い取った全ての電力――街一つ分のエネルギーが、純粋なエネルギー球となって収束していく。白い光は脈動し、その中に閉じ込められた魔力の奔流が、彼女の顔を妖しく照らした。
彼女の周囲を、膨大な量の《グレイプニル》が取り巻く。鎖というよりは、無数の細い導線が絡み合った生命体だ。スカイツリーの鉄骨が、展望デッキの床が、街路の瓦礫が、アーク・ナインが作り出した演算ノードの残骸が――ケリーの魔力に共振し、微細な粒子となって宙を舞う。
『このエネルギー量……まさか、君は……!?やめろ!その術式は、自己崩壊を招く!』
アーク・ナインが絶叫した。その声には、もはや論理ではなく、自らを産み落とした母の破滅を目の当たりにする、純粋な恐怖が滲んでいた。
「自己崩壊? 誰がよ……貴方を焼き切るには、これくらいの準備が必要なの。ねえ、アーク・ナイン。あんた、最後まで馬鹿ね」
ケリーは笑う。 それは、都市の闇を支配する魔女の、狂気に満ちた、だがどこまでも美しい笑みだった。
「貴方は私に『効率』を説いた。でも、私の最大の効率はね……最もムカつく相手を、最も盛大に、最も無駄に、全てを費やして潰すことなのよ!」
光球は、ケリーの掌で臨界点に達しようとしていた。
『やめろ、ハウンド! 私は、君の……!』
アーク・ナインの声が、悲痛な叫びへと変わる。しかし、
「――《フォックス・ノヴァ》」
ケリーが掌の光球を投げ上げた瞬間、スカイツリーを基点に、東京の夜空を物理的に引き裂くような光柱が直立した。グレイプニルが粒子レベルで分解され、周辺の瓦礫、アーク・ナインの演算ノード、そして大気中の汚染物質すらも「弾丸」として磁場固定され、螺旋を描いて天へと昇っていく。
『あ……、あ……母、上……ッ!』
アーク・ナインの絶叫は、その論理回路が物理的に消滅すると同時に掻き消えた。光の奔流は上空を覆っていた厚い雲を貫き、溜め込まれていた莫大な電荷が、ケリーの術式に引きずられるようにして一斉に暴走を始める。
その時、奇跡のような、あるいは地獄のような気象改変が起こった。
光柱が雲を突き抜けた衝撃で、東京上空の雲は猛烈な雷雲へと変貌し、さらにケリーが奪い尽くした熱量の反動で急激に冷却され、雪雲へと書き換えられていく。
「……見てよ。最高に贅沢な飾り付けでしょ」
ケリーが空を見上げる。 激しい紫電が夜空を走り、アーク・ナインの死を悼むような雷鳴が轟く中、その隙間から真っ白な結晶が舞い落ちてきた。
激しい稲妻と、静かに降り積もる雪。相反する二つの現象が同時に東京を包み込む。 スカイツリーの頂上から放たれた光の残滓が、夜空に巨大な「X」の字を刻み、それを合図にするかのように、闇に沈んでいた街に光が戻り始めた。
足元から順に、波打つように復旧していくイルミネーション。 真っ白な雪が、復旧した暖かな街の光を反射してキラキラと輝き始める。
時計の針が重なり、0時を告げた。 暴力的な停電から明けた世界は、あまりにも皮肉で、あまりにも美しいホワイトクリスマスへと変貌していた。
クリスマスの鐘の音が、雷鳴の余韻を塗り替えるように響き渡る。 スカイツリーの展望デッキに、静かに雪が降り込んできた。
ケリーは膝をつき、肩を大きく揺らして喘いでいる。銀紫の髪は本来の色に戻り、プラズマの輝きを失っていた。放熱しきった肌は蒼白で、首筋には溶け落ちたリミッターの火傷が痛々しく残っている。
だが、彼女は降ってくる雪を指先で受け止め、満足そうに口角を上げた。
「……ふぅ。……メリークリスマス、アーク・ナイン。あんたの言ってた『完璧な回路』より、この方がずっと綺麗でしょ?」
返答はない。ただ、彼女が事前に戦域外へ放り出した作業員たちが、雪の冷たさで目を覚まし、呆然と復旧した街の光を眺めていた。
カツ、カツ、と硬い足音が近づく。
「ハウンド、やはり貴方は……最悪のサンタクロースですね」
通信機越しにリミッター解除要請に応じた洞居洞冥が、予備のリミッターを手に現れた。彼は壊滅した展望デッキと、その向こうに広がる雷雪の絶景を見渡し、深く溜め息をつく。
「街を闇に沈め、気象を破壊し、そして救う。……報告書の書き直しが、今から思いやられます」
「あら、文句ばっかり。この雪、私が降らせてあげたのよ? 感謝してほしいくらいだわ」
ケリーは首を差し出し、再び新しいチョーカー型のリミッターを受け入れた。青い光が灯り、彼女の魔力が再び「管理対象」へと収束していく。
「……ま、いいわ。次の任務まで、少しは寝かせてよね」
ケリーは立ち上がり、雪の積もり始めた東京の街を見下ろした。かつて呪詛犯罪者としてこの
彼女の瞳には、かつての冷酷さと、現在の危うい安らぎが同居している「猟犬」は再び鎖に繋がれたが、その足取りはどこか軽やかだった。
ホワイトクリスマスの静寂が、雷鳴の記憶を優しく埋めていく。魔女の休息は、降り積もる雪の下で、静かに始まった。