電光の魔女 ―ハウンド・ザ・コンダクター―   作:P-PEN

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電磁都市「イズモ」
第一章 鉄の雨、紫の火花――ブラックレイン


 

 

 九龍型電磁都市「イズモ」の最下層。そこは、二十四時間止まることのない重低音の唸りが支配する、最新型の積層都市だ。上層の繁栄を支えるための膨大な電力が、巨大な超伝導ケーブルを伝って血管のように張り巡らされている。その「血管」の傍らに位置する、境界対策課イズモ支部の特別独房。ケリー・F・ハウンドは、磁気浮上式のベッドに寝転び、天井を這う光ファイバーの明滅を数えていた。

 

「四万二千八百一、四万二千八百二……ああ、もう。今日のは点滅の周期がズレてるわ。気持ち悪い」

 

 彼女が指を弾くと指先から鋭い紫の火花が散った。その瞬間、首に嵌められた黒い革の首輪――「リミッター」が鈍い警告音を鳴らし彼女の神経に微弱な、だが不快な電気ショックを与える。

 

 

「……ねえ、見てるんでしょ。この首輪の設計者に伝えておいて。こんな安っぽい刺激、私の苛立ちを増幅させるだけだって」

 

 強化ガラスの向こう、監視カメラのレンズに向かってケリーは嘲笑を投げかける。応答はない。スピーカーからはただ無機質な空調の音だけが返ってくる。

 

 「『失敗』なんて言わせないわよ。あれはただの実験ミス。私はただ、あの界異がどこまで耐えられるか、中身を覗いてみたかっただけなんだから」

 

 ケリーは起き上がり銀紫色の長髪をさらりと流した。彼女の髪は放熱板であり、周囲の磁界を読み取るためのアンテナでもある。独房内の多重に展開されている抑圧術式が、彼女の神経を苛立たせていた。

 

「――実験結果なら、既にデータセンターの肥やしになっている。君の感想は不要だ」

 

 不意に、独房内のスピーカーから声が落ちてきた。 感情の起伏を一切排除した、冬の氷を思わせる低い男の声。上級神祇官、久部幕内である。

 

 ケリーは口角を歪ませ、カメラに向かってわざとらしく肩を竦めて見せた。

 

 「あら、おじ様。起きてたのね。てっきり、自分の作った綺麗な書類の山に埋もれて死んでるのかと思ったわ」

 

 「準備をしろ、ハウンド。外で『不純物』が混じった。掃除が必要だ」

 

 久部の言葉と同時に、独房の重厚な電磁隔壁が重低音を響かせてスライドする。同時に、ケリーの首輪――リミッターの制御権が、監視室の久部へと移譲されたことを示す緑のランプが点灯した。

 

 「不純物? 掃除? ……ふふ、相変わらず言い回しが気取ってるわね」

 

 ケリーは磁気浮上ベッドから飛び降りると、壁に収納されていた重装狩衣を手に取った。 黒を基調としたその装束は、神祇官のそれとは一線を画す、実戦のみを想定した放熱型の特殊仕様だ。 袖を通し、腋部の装甲が排除されていることを確認する。肌に触れる空気が冷たい。だが、これから始まる「作業」を思えば、これくらいの冷却効率では足りないことを彼女は知っていた。

 

 「現場は第六層、『フルミ』の動力中継局だ。新興の呪詛テロ組織〈アイアン・ドグマ〉が、イズモのバイパス回路を物理的に切断しようとしている」

 

 「第六層……あそこ、電気が不味いから嫌いなのよね。油の臭いと、古臭い呪式のノイズが混じってて」

 

 「贅沢を言うな。君には選択権も、拒否権もない。あるのは『戦果』を出す義務だけだ」

 

 久部の通信が途絶える。代わりに、ケリーの脳内へ直接戦域のマップデータと敵の熱源反応が流し込まれた。膨大な情報量による脳への負荷。普通なら嘔吐するほどの視覚情報だが、ケリーはそれを甘露を味わうように受け入れ、瞳の紫色を一層深く輝かせた。

 

 「……いいわよ。中身のない人形遊びよりは、少しはマシな退屈しのぎになりそう」

 

 独房の外へ一歩踏み出した瞬間、背中の空間が歪み、物理法則を無視して鎖型の祭具《グレイプニル》が這い出してきた。 紫電を帯びた鎖が、彼女の意思に呼応して生き物のように空中で輪を描く。

 

 「さあ、おじ様。特等席でしっかり見ててね」

 

 ケリーはそのまま、垂直移動用の高速リフトへと身を投げた。

 

 

 第六層:旧市街「フルミ」

 

 イズモの栄華から見捨てられたこの階層は、常に錆びた鉄の臭いが充満している。剥き出しの配線から漏れ出す火花が、雨のように降り注ぐ薄暗い路地。 そこに、鈍い銀光を放つ重装甲兵の一団――〈アイアン・ドグマ〉の呪装兵(シェルズ)が展開していた。

 

彼らは一糸乱れぬ動きで、巨大な配電盤に呪式爆弾をセットしていく。その精密さは人間というより、冷徹な歯車の集合体のようだった。

 

 「――ターゲット確認。ハウンド、掃討を開始せよ。周囲の被害は最小限に留めろ。ただし、敵の『中身』については問わない」

 

 通信機越しに、久部の冷徹な命令が飛ぶ。

 

 「了解……。ああ、でも『最小限』なんて無理よ。だって、私の鎖はちょっと――空腹みたいだから」

 

 上空、配管の影から銀紫色の影が舞い降りた。着地と同時にケリーの周囲の磁界が急激に反転し、降り注ぐ雨が円形に弾け飛ぶ。

 

 「こんにちは、鉄屑さんたち。剥き甲斐のありそうな服を着てるじゃない?」

 

 シェルズの一体が、即座に反応してガトリング式呪装銃の銃口を向けた。だが、引き金が引かれるよりも早く、ケリーの指先が虚空をなぞる。

 

《スキン・リコール》――剥皮回収

 

 シュルリ、と。 金属の擦れる甘い音と共に、紫電を纏ったグレイプニルが、獲物を見つけた蛇のごとき速度で兵士の首元へと絡みついた。

 

 紫電が爆ぜ、第六層の湿った空気が焦熱に震える。絡みついた《グレイプニル》の節々から、無数の微細なスパイクが逆鱗のようにせり出した。 装甲の継ぎ目、人工筋肉の隙間、そして——兵士の皮膚そのものへ。

 

 「ああ、いい音……。あなたの神経、今すごく『驚いてる』わよ」

 

 ケリーが指先を小さく撥ねる。次の瞬間、超高圧の電流がグレイプニルを介して兵士の体内へ叩き込まれた。「ギャッ」という悲鳴すら、喉が焼ける音に掻き消される。電気信号で強制的に最大収縮した筋肉が、骨を軋ませ、兵士の肉体を内側から固定する。

 

——引き剥がす。

 

 ケリーが腕を引くと、返し付きの鎖が兵士の「外層」を根こそぎ奪い去った。鈍い銀色の装甲板とそれに癒着していた人工皮膚、そして本物の表皮が、濡れた雑巾を絞るような嫌な音を立ててまとめて剥ぎ取られる。床に落ちた「それ」は、ピクピクと電気的な余韻で痙攣していた。

 

 「……ハウンド。余興が過ぎるぞ。周辺の電波強度が乱れている。制圧を急げ」

 

通 信機から届く久部の声は、血の臭いなど微塵も感じさせないほど冷ややかだ。モニター越しに「解体」の惨状を見ているはずの彼は、コーヒーの温度を確かめるような平坦さで、ただ業務の効率のみを指摘する。

 

 「おじ様は相変わらず情緒がないわね。せっかく綺麗に剥けたのに」

 

 ケリーは剥き出しの「中身」になった兵士を一瞥もせず、次の一体へと視線を向けた。 装甲を失い、痛覚神経だけが剥き出しになった兵士が、絶叫すら上げられずに膝を突く。彼の視界に映るのは、返り血一滴浴びず、紫色の瞳を悦びに細める美しき怪物(魔女)の姿だった。

 

 「次は、どれを脱がせてほしい?」

 

 ケリーの背後で、放熱板である銀紫色の髪がイオン風に煽られて激しくなびく。過負荷(オーバーロード)寸前の熱が、彼女の腋部や露出した太腿から陽炎となって立ち上り、イズモの腐った空気を焼き払っていた。

 

 

 

 無菌室のように静まり返った監視ルームで、久部 幕内は革張りの椅子に深く腰掛け、数十の浮遊モニターを眺めていた。網膜に映し出されているのは、第六層の薄汚れた路地で繰り広げられる「屠殺」の光景だ。 ケリー・F・ハウンドが振るう鎖が、一人の男を文字通り挽肉に変える瞬間。

 

 久部は、手元のタブレットに無機質な記号を書き込んだ。

 

 「——攻撃の指向性、概ね良好。加虐性に起因する動作の冗長性が一点。修正が必要だな」

 

 彼の声には、恐怖も、嫌悪も、興奮すらもない。モニターの中では、血飛沫がカメラのレンズを汚しているが、久部が見ているのはその色ではなく、ケリーの背中から立ち上る熱のグラフであり、神経伝達速度の波形だった。

 

 「久部上級神祇官。……流石に、少々やりすぎでは。人道的見地からすれば、あの個体はもはや―——」

 

 背後に控えていた若いオペレーターが、顔を青くして進言する。 久部は画面から目を離さず、わずかに口角を上げた。それは含み笑いというより、相手の無知を憐れむような、冷淡な筋肉の動きだった。

 

 「人道的、か。君はあそこで死んでいる呪詛犯罪者が、今朝まで誰かの父親であった可能性を憂いているのかね?」

 

 「それは……」

 

 「無意味だ。戦場において、個人の背景はノイズでしかない。あれはイズモの秩序を乱す『エラー』であり、ハウンドはそれを消去する『プログラム』だ。エラーを消す際に、プログラムがいかに残虐な計算式(アルゴリズム)を用いようと、結果がクリーンであれば、それは『美しい秩序』と言える」

 

 久部は、ケリーのバイタルデータの一部を拡大した。心拍数は上昇しているが、精神的な動揺はない。あるのは純粋な快楽に伴う脳波のスパイクのみ。

 

 (……期待以上だ。これほどまでに『道具』に徹しきれる狂気。旧第六班が持っていた“高潔な倫理”とは正反対の、血と闇の中に咲く猛毒の華だな)

 

 彼は自身の内側にある戦場への憎しみを、冷徹な査定というフィルターで強引に抑え込んだ。 ケリーを特葬班に組み込むためのシミュレーションを頭の中で走らせる。 彼女なら、自分がかつて失ってしまった希望の代わりに、最悪の現実を突破する矛になるかもしれない。

 

 「ハウンド、聞こえるか。……遊びは終わりだ。指揮官個体が逃走を開始した。逃がせば、君の夕食の質を50%カットする」

 

 久部はそう言い放ち、手元のスイッチでケリーのリミッター出力を、ほんの数%だけ「解放」した。

 

 

 

 「――ッ、あははっ! 最高……っ!」

 

 首輪のリミッターが僅かに緩んだ瞬間、ケリーの全身を、暴力的なまでの全能感が突き抜けた。 神経信号の伝達速度が、物理限界を置き去りにして加速する。周囲の時間が、スローモーションへと引き伸ばされた。

 

 「おじ様、物分りがいいじゃない……!だったら、とびきりのを見せてあげるわ」

 

 ケリーの背中から、紫の火花が翼のように噴き上がる。彼女は歩くことをやめた。電磁反発を利用した超高速の滑走。鉄の雨を切り裂き、逃走する指揮官の背後へ、稲妻そのものとなって肉薄する。

 

 「な、なんだ、この速さは……!貴様、人では――」

 

 逃げる指揮官個体が振り返り、呪式銃を乱射する。だが、ケリーはその銃弾の軌跡すら、空中の磁界の歪みとして視えていた。 彼女は空中で身を翻し、最小限の動きですべてを回避。そのまま、両手のグレイプニルを直線状に射出した。

 

《レールガン・アクセラレイター》

 

 鎖の節々が完璧な磁気加速路を形成し、その中心に周囲のガレキが吸い込まれる。 次の瞬間、超音速まで加速された瓦礫の礫が、指揮官の盾を、腕を、そして逃げ道を物理的に粉砕した。

 

 「あぐっ……ぁ……」

 

 崩壊した壁の下敷きになり、絶望に顔を歪める指揮官。 その胸元に、ケリーの白い足先が静かに置かれた。

 

 「ねえ、聞いていい? あなたたちの『ドグマ』とやらは、中身が焼けても成立するのかしら」

 

 ケリーは、加虐の期待に濡れた瞳で彼を見下ろした。 指先から這い出した鎖が、慈悲もなく指揮官の口内、鼻腔、そして耳へと潜り込んでいく。

 

 「《ネクロ・コンダクター》……導通、確認」

 

 刹那、紫電が内側から炸裂した。表面の装甲は無傷。だが、指揮官の身体は内側から白く灼かれ、血管は沸騰し、最後には神経系が反転する。彼の指が、意思に反して空を掴むように何度も跳ねる。

 

 「ほら、もっと、もっとよ!……あ、もう終わっちゃった。案外、脆いのね」

 

 中身だけを失い、人形のように崩れ落ちる遺体。ケリーは鎖を引き抜き、熱で上気した顔を手の甲で拭った。 腋部から、濃密な蒸気と熱気が陽炎となって揺らめいている。

 

 「――清掃完了。……予定より2分40秒早い。褒めてはやらんと言ったが、計算違いは認めておこう」

 

 通信機から届く久部の声は、どこまでも平坦だった。だが、その言葉の裏で、彼は確信していた。 この「猟犬」こそが、イズモの深層に眠る最悪の事態に対処するための、唯一の解であることを。

 

 「おじ様、今夜は美味しいディナーが食べられそうね。……あ、でも、リミッターを戻すのは、もう少し後にして?」

 

 ケリーはカメラに向かって、血の色の混じらない、純粋で残酷な微笑みを投げかけた。

 

 

 

 「イズモ」の深層、旧工業区に築かれた〈鉄律城塞〉アイゼン・ネスト。そこは地上階層の喧騒が嘘のように静まり返り、ただ巨大な換気ファンの低周波だけが、心臓の鼓動のように鳴り響いていた。

 

 城塞の最奥。モニターの青白い光に照らされた司令室で、アイアンドグマ総帥たるグラーフ・ヴァイスは沈黙していた。 彼の周囲には、巨大な卵のような白い装甲——《バスティオン・フレーム》が、起動を待つ巨獣のごとく鎮座している。

 

 「……第六層、動力中継局の分隊が全滅。所要時間は、わずか五分十四秒ですか」

 

 報告を読み上げるヴァイスの声は、加工された合成音声のように抑揚がない。画面には、四肢を磨り潰され、あるいは中身だけを焼かれて物言わぬ肉塊となった部下たちの残骸が映し出されている。

 

 「驚異的ですね。境界対策課の『猟犬』。電磁系魔女ケリー・F・ハウンド。彼女の暴力は、もはや戦術の範疇を超え、自然災害に近い―——ですが」

 

 ヴァイスは、白い装甲の掌をゆっくりと握り込んだ。

 

 「所詮は、野放しの雷だ。指向性も、効率も、設計思想も介在しない、ただのエネルギーの無駄遣い。……統計的に見れば、彼女の勝利は単なる不確定要素の集積に過ぎません」

 

 彼の背後に並ぶ工兵呪術師たちが、忙しなくキーを叩く。彼らにとって、失われた分隊は「悲劇」ではなく「データの損失」に過ぎない。

 

 「バリアの周波数を微調整しろ。絶縁層の出力を一五%引き上げる。彼女がこの城塞に辿り着く頃には、その紫の火花も、ただの静電気に変わっているはずだ」

 

 ヴァイスは、モニターの向こう側でカメラを嘲笑う少女を見つめた。 彼にとって、ケリーは憎むべき敵ですらない。 自分の「完璧な設計」が、どれほどの外圧に耐えうるかを証明するための、極めて良質な「検証機」だった。

 

 「来なさい、ハウンド。君が積み上げる死体の山は、私の城壁をより強固にするための礎になる―——設計どおりにね」

 

 

 

 一方、その「検証機」は――

 

 

 

 第六層を後にするケリーは、血と鉄の混じった雨の中で、自身の指先を見つめていた。

 

 「ねえ、おじ様。今度の相手、すごく『固そう』な音がするわ」

 

 通信機越しに、久部 幕内の静かな呼吸が聞こえる。

 

 「……アイゼン・ネストの設計者、グラーフ・ヴァイスか。彼は君とは対極の男だ。感情を排し、すべてを計算で埋め尽くそうとする。君のような設計図からはみ出した存在を最も嫌うだろうな」

 

 「ふふ、そう。だったら楽しみ。……計算ずくで固めた『安全な箱』を壊す時、どんな音がするのかしら。中身がぐちゃぐちゃになるまで、ゆっくり加熱してあげなきゃ」

 

 ケリーは、リミッターによって強制的に戻された体温の低下を感じながら、独房へ戻るリフトの中で瞳を爛々と輝かせた。 彼女にとって、ヴァイスの「完璧な絶縁」は、自分を閉じ込めて焼き上げるための、この上なく贅沢な玩具にしか見えていなかった。

 

 久部は、モニターに表示される彼女の異常な興奮状態を冷徹に記録しながら、誰にともなく呟いた。

 

 「……計算どおりにいかないのが、戦場だ。ヴァイス、貴様も。そして彼女もな」

 

 

 

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