バリアを失い、剥き出しになった《バスティオン・フレーム》。その白磁の装甲表面には、ケリーが放つ超高圧の熱気と電磁乱流によって、蜘蛛の巣のような無数の微細亀裂が走り始めていた。ひび割れは表層に留まらない。内部応力の逃げ場を失ったセラミックが、悲鳴にも似た微振動を発し、ドーム空間全体に低い共鳴音を撒き散らしている。
それは崩壊の前兆であり、同時に“魔女の釜”の密閉が完成した合図だった。
「計算外だ……だが、この装甲は完全絶縁体だ!物理的な破壊がなければ、私には触れることすら――」
ヴァイスの声は、もはや外に向けた演説ではなかった。自らの設計思想に縋りつく、内部独白に近い。
「まだ言ってる」
ケリーは呆れたように、しかしどこか優しい声色で言った。
「おじさん、本当に頭がいいのに……想像力が足りないのね」
震える右手を伸ばし、彼女は《バスティオン・フレーム》の胸部装甲に、そっと指先を触れた。白磁の冷たさ。確かに完全絶縁。電気は通さない。呪詛も弾く――外からならば。
だが、ケリーの視界はすでに外装を見ていなかった。彼女の電磁視覚は、装甲の内部構造を透過する。関節可動域。応力集中点。熱膨張率の差異。そして――見つける。腕部可動を支える、流体呪石エンジンの充填ポート。設計上「外部からの干渉は想定されていない」、完全密閉思想が生んだ、唯一の内部接続点。
「……ねえ、知ってる?」
ケリーは囁く。
「絶縁体っていうのはね、同時に“熱を逃がさない断熱材”でもあるんだよ」
その瞬間、彼女の瞳が白銀の輝きを増した。
ケリーは自身の神経系を導線として、城塞地下全域から吸い上げた膨大な電力を制御する。拡散しない。逃がさない。ただ一本の経路に、意味を持たせて流し込む。
――《ネクロ・コンダクター》
「熱い……っ、あ、ああ、あがぁぁぁぁぁ!!」
初めて、ヴァイスの声が“悲鳴”になる。それは音声合成の破綻ではない。内部にいる人間が、確かに焼かれている証拠だった。
ケリーが流し込んだのは、単なる電流ではない。流体呪石エンジン――本来は出力制御と安定稼働のための液体導体を媒体に、熱と電磁と呪的位相を重ねた灼熱の波動。それは装甲の内側で反射し、逃げ場を失い、指数関数的に増幅していく。
内部温度、数百度。数千度。生体限界を越え、素材限界をも踏み越えてなお、上昇を続ける。人類が製造する通常金属として最も融点の高いタングステンの融点すら超えていく。
完全密閉の《バスティオン・フレーム》は、今や防護装備ではなかった。それは、逃げ道を一切持たない棺。あるいは、精密に設計された処刑具――
魔女の釜
「パージしろ……パージ……装甲を……っ!」
ヴァイスは叫ぶ。だが、熱によって制御系は融解し、緊急脱出用ボルトは溶接されたかのように固着している。安全装置はすべて“正常に作動しない”なぜならそれらは、想定された現象の中でしか動作しないからだ。
ミシミシ……ミシ……。
耐荷重。耐熱温度。設計値という名の神話が、物理音を立てて崩れていく。ケリーはその音を、恍惚とした表情で聴いていた。顔を近づけ、白磁の装甲越しに囁く。
「聴こえる? おじさんの自慢の設計が、泣き叫んでるわよ……『こんな熱、想定してない』って」
内部破壊が急速に進み絶縁装甲や結界が崩壊。欠落を見つけた瞬間に紫電の光が、白い装甲を内側から焼き、磁器のような表面を黒く汚していく。ヴァイスの悲鳴は次第に掠れ、やがて喉そのものが焼き切れたような、湿った空気音へと変わった。
「安心して。これは事故じゃない」
ケリーは睦言の様に囁く。
「おじさんの設計どおりよ……死ぬのは、装備が足りない奴だけなんでしょ?」
掌を握りしめる。
「――おじさんには『私に壊されない心』が足りなかったのよ」
その瞬間、装甲内部で小規模な電磁爆発が連鎖的に発生した。生命維持装置が最後の火花を散らし、白磁の卵は中からドロリとした黒い液体を噴き出して、完全に沈黙する。
ケリーが手を離すと、数トンの鋼鉄の塊が、ゴミのように床へ転がった。そこにあるのは、もはや思想の残骸。中身を腐らせた缶詰のような、無残なスクラップだった。
「……はぁ、はぁ……っ」
彼女の肉体から光が引いていく。酷使された神経系が痙攣し、針で刺されるような痛みとともに反動が押し寄せる。ケリーは崩れるように座り込んだ。背後では、城塞各所で磁界崩壊が始まり、爆発音と瓦礫の雨が連鎖していく。〈鉄律〉は、設計者を失い、意味を失い、自壊を始めていた。
震える指で、耳元のデバイスを叩く。
「……ハウンドより、最終報告。……目標、完全に沈黙」
それでもケリーは力を振り絞って、再び立ち上がった。
「これより帰還するわ。……迎え、遅れたら、その辺の変電所、全部壊すから」
応答はない。だが通信の向こう側で、誰かが彼女のバイタルデータを監視し、作戦成功を無機質に記録している気配だけが、微かに――それでも確かに、繋がっていた。
数十分後。 崩壊したアイゼン・ネストの入り口。 ケリーは、迎えに来た黒塗りの車両の前に立っていた。当たり前だが上級神祇官の久部が直接やってくることはない。
彼女の重装狩衣はボロボロに裂け、銀紫色の髪は煤で薄汚れている 車両から降りてきた境対職員は、歩み寄ると無言で、彼女の首筋に新しい「リミッター」を押し当てた。
カチリ。
冷たい金属音が響き、ケリーの体内を巡っていた残余の電力が、強制的に封印される。 その瞬間、彼女は崩れ落ちそうになるのを、男の肩を掴んで耐えた。
「……ふぅ。ねえ、モノ扱いするの、やめてくれない? 気分が悪いわ」
この危険極まりない魔女との会話が禁止されているのだろう。男は答えない。ただ彼女を車内へと促し、冷徹にドアを閉めた。
「あは……。いいわよ、別に。……でもね」
ケリーは閉まる窓の向こうで、壊れた人形のような不敵な笑みを浮かべた。
「次の中身は……もっとマシなのを、期待してるわ」
車両に乗り込むケリー・F・ハウンド。 彼女を乗せた車は夜のイズモの喧騒へと溶けていく。 紫の瞳に宿る飢えは、まだ、一滴も癒えてはいなかった。