「大丈夫か?」
アレックスに問われ、イリアは小さく頷く。
「うん……いつかこうなるって、心のどこかで思ってたのかもしれない……あの人が善人じゃないってことはわかってたから……」
――それなら、どうしてあの男のためにあんな無茶を……?
「先生は、わたしにとって恩人でもあったから……」
そこから、ぽつりぽつりと、彼女は自分の過去を語り始めた。
イリアはとある衛星支部に母親と二人で暮らしていた。
貧しいながらも
それはイリアに関する問題であった。
幼い彼女は……非常に気が短く、たびたび他の子供とケンカをしていた。
それだけならば、わんぱくな子供と片づけることもできた。問題は、彼女が生まれながらに非常に高い身体能力を有していたことだ。
……ケンカをした相手は必ず大怪我を負う。何人もの子供が彼女の手で病院に送られるのだ。母はそのたびに相手の家族から
いくら言っても一向にケンカを止めず、そんな自分をあざ笑うように相手に
娘には、何か悪魔でも
母は
当然イリアに悪魔なんてものが憑り付いているわけはなかったが……幼い彼女にとってそれは衝撃的なことだった。
自分を悪魔と
……どうして、おかあさんは、わたしをまるでバケモノのように見ているの……?
それから。
彼女は、他の子どもとケンカをすることはなくなった。
当然悪魔が
彼女は、自分自身を殺すことにした。
周りの子ども達からの悪気のない言動。神経をいらだたせる発言や態度……今までの彼女であればすぐに手を出していた。しかしその時彼女は唇の
怒りの感情が
自らの感情をほとんど表に出さなくなり、あたかも機械人形のように、冷たく、淡々とふるまい続ける。
性格を180度変えた彼女だったが、しかし全く感情を表に出さない彼女に対し、他の子どもたちからは変わらず距離を置かれていた。
けれど彼女は孤独じゃなかった。
大好きだった母だけは、喜んでくれたのだ。
たとえ周囲の子どもたちからのけ者にされようとも。夕方に仕事から帰ってくるお母さんだけは、満面の笑みで彼女を抱きしめてくれた。
それだけが彼女の希望だった。怒りの感情を押し込み、封じ込め、
心は死のうと生きてはいける。希望があれば生きてはいける。
いびつながらも前へ向かって進もうとする親子。二人が守り続ける小さな希望は。
その日は彼女の誕生日でもあった。イリアはめずらしく
仕事を休み、ごちそうを作って待っているといっていた。早く家に帰りたい――
学校にいる間も授業は上の空でずっとソワソワとしていた。ようやく帰れる。あの玄関を開ければ、大好きなお母さんが笑顔でおかえりと言ってくれる。
イリアは喜びを抑えきれず、元気よく玄関を開けた。
しかし。
彼女の目に飛び込んできたのは母の笑顔ではなく――おびただしい
血。血だ。一体だれの? どうして? どうして家の床にこんなに血が?
グラグラと揺れる視界。急激に現実感が
瞬間——大きな男の手が、彼女を床に組み伏せた。
「クソが! ふざけんじゃねえぞ、ナメやがって!!」
唾を飛ばしながら
「こんなご
イリアは……小さく震えながら、首を
ズタズタに斬り裂かれ
「俺らの仕事はなあ! デカいリスクを負ってんだ!
……何を言っているんだ、この男は?
目を剥いて怒り狂う男を前に、殺したはずのイリアの心が、徐々に熱を帯びる。
何もしていないお母さんをたかが金のために殺して、その上勝手な言い分で勝手に怒り散らして……
「お前らめちゃくちゃにしてやるよ。おまえの全てをめちゃくちゃにしてやる。あの女はぶっ殺した後に犯し尽くした。お前は犯しながら殺してやる。母親の死体見ながら泣き叫べや」
「プッ、お前そんなガキに
もう一人、部屋の奥に
「穴開いてりゃあどうにでもなんだよ! こいつら貧乏人のクセに俺たちの仕事を馬鹿にしやがった! 報いってやつを受けさせなきゃあ腹の虫が収まらねえっ!!」
理不尽。男が抱いていたのは理不尽への怒り。
それは……その怒りは、彼女の方が100倍は強く抱いていたはずだ。
封じていた感情が――最愛の母の死体を前に――彼女の地獄の
「うごあッ!?」
イリアは両肩を押さえつけられている状態で、自由だった両足を男の股間めがけて強烈に突き上げた!
激痛に男がもんどり打ち彼女から腕を放す。イリアは
「お前っ!!」
ヒョロ長男が懐から銃を抜き発砲! しかし弾丸はイリアにかすりもせず、彼女は部屋の奥から目当てのものを見つけた。
そこは台所だった。手に入れたのは――2本の包丁。
「お前、何して――」
ヒョロ長男の言葉は続かなかった。
イリアが
「く、クソガキ――ハッ!?」
机に手を付き、ようやく立ち上がる丸刈り男が息を飲んだ。
男の視界に映るのは、超人的な身体能力で
刃は男の首の動脈を断ち切った。絶叫と血の噴水を上げ、男はほどなく絶命する。
その間、わずか15秒。信じがたいことに、
……2日後、異変に気付いた自警団が見たもの。
それは、折れて刃もボロボロになった包丁を手に、男たちの死体を無心で解体しつづける幼いイリアの姿だった。
未だ収まらぬ怒りと憎悪を晴らすかのように、臓器を、筋繊維を、骨を、細胞のひとかけらすら殺し
その後女子少年院へと入れられ、出所した彼女の前に現れたのは――才能ある子供をスカウトするロースクールのエージェント。
傍らには――カウンセラーを名乗る、あのオオグルマ・ダイゴもいた――
◆◆◆
……以上が、彼女の語る
あまりの内容に僕もアレックスも沈黙するしかなかった。
「わたしは……自分自身が怖かった。お母さんが殺されたのは……自分のせいだと思った。わたしが誰かを傷つけて、そのせいでお母さんは治療費を支払って、それで貧しくなったから殺されることになった。
少しでもお金があれば殺されることもなかったかもしれない……お母さんが死んだのはわたしのせいかもしれない……
そんなわたしを救ってくれたのが、オオグルマ先生。生きる意味を失いかけていたわたしに話してくれた。わたしの力が……他の誰かのためになるんだって、そのためにわたしは生まれたはずなんだって……ずっと」
僕は、やはり何も言えず、悲痛な面持ちで話す彼女を見つめることしかできなかった。
イリアが初めに出会ったオオグルマは果たして例の女性に狂う前の彼だったのだろうか? ……いや、どちらにしろあの男は自らの私利私欲のためにイリアを利用しようとした。イリアにとっては憎むべき相手のはずだ。
それなのに、イリアはどこか懐かしむように、視線を遠くに向けている。
「わかってる。あの人がわたしを利用しようとしていたってことは。でも、先生はわたしにわたし自身と向き合うきっかけをくれた人だから。わたしはわたしが怖くて、ずっと部屋の中に閉じこもっていて……先生がいたから、わたしはこうして皆の前にいれるから……」
自分自身への恐れ。隊長との訓練初日、現れたオウガテイル相手に彼女は震えてその場にうずくまることしかできなかった。
……あれはアラガミを恐れたわけではなく、アラガミを目にし自身の胸の内で膨れ上がる殺意を恐れていたのか……
彼女が部屋に閉じこもった時、再びオオグルマは彼女の前に現れた。彼女の言う通り、結果だけ見ればオオグルマは彼女を再び戦場へ立たせる勇気を与えてくれたのかもしれない……
「……なあ、一ついいか?」
アレックスが重い口を開く。
「お前自身は、そのオオグルマって奴のこと全面的に信頼してたり
確かに。あそこまで過激な行動をしているのに、いざあの男が死んだとなっても彼女は驚くほど落ち着いている。あの男への評価と行動が
イリアはしばらく考え、やがて静かに首を振る。
「……わからない。本当に。あの時は本当に助けなきゃって気持ちになっていて、とにかく必死で……」
「ああ、それってもしかして、
声に振り返る。ディノが、
「催眠術が解かれた後も、何らかの指示や合図を目にすると、再び催眠状態に
オオグルマからメール受け取ったんだろ? ならそいつがトリガーだ。アイツから
そう言い、ディノはうまそうに配給ビールの最後の一滴まで飲み干した。というか、僕たちの会話をこっそり聞いていたことも気になるんだけど……
「後催眠……カウンセリングの間、気づかないうちに掛けられてたのかも……先生は、いつからわたしを……」
「ところでよ……その、お前っていわゆる二重人格とか、そういうやつじゃねえのか?」
「二重人格……?」
「いや、ほら、キレると意識失って暴れ回るみたいな、そういう感じなのかなってよ」
イリアはしばし視線を宙に向けて考えたあと、ぽつりと回答。
「……違うと思う。確かに記憶がおぼろげになることはあるけど、完全に意識を失ったりってこともないし」
「え……!?」
「わたしとしては、なんというか……すごくテンションが上がってる状態っていうか……それでついうっかり暴れすぎる、っていうか……」
ええ……
聞いた話だけど、二重人格者の中にも、性格が切り替わった間の記憶を失わない人もいるらしい。
彼女の場合、テンションが上がりすぎた結果、というにはあまりにも普段の様子とかけ離れすぎている。二重人格といっても差し
「なんていうか……今こうしてみんなと話しているわたしも、キレて暴れまわってるわたしも……どっちもわたし。別々の人格って感じもないし、どっちが本当の人格か、っていうのもない……かな」
「いや、でもお前自分で自分が怖いとか言ってなかったか?」
「うん、それは違う人格に乗っ取られるのが怖いんじゃなくて、自分で抑えきれないくらいの感情が高ぶってくるのが怖い、っていう感じで……」
「……つまり、こういうことか? 二重人格っていうか、キレるときは自分でも抑えきれないくらい死ぬほどキレる奴ってことか……?」
イリアはこくりと小さく頷き、アレックスはドン引きしたように顔を青くして後ずさった。
そしてイリアは、そんなアレックスの様子を見て再び顔を
それじゃダメなんだ。相手を遠ざけたり、心を封じたりしてちゃダメなんだ。
それじゃあ外に出ていても部屋に閉じこもっているのと結局同じなんだ……!
だから、僕は言った。
――話してくれてありがとう。君のことがよくわかったよ。
「……リーダー?」
きょとんとした顔で僕を見返すイリアに、僕は笑みを返す。
――単純に、感情のコントロールが苦手ってだけじゃないか。苦手なことがわかったんなら、後は改善していくだけさ。少しずつ直していこう。
「でも……」
目を
――前も言ったじゃないか。僕たちは仲間だ。悩みや問題はみんなで解決しようって。
「あ……」
イリアのグリーンの瞳が、大きく見開かれる。
「これからも一緒に、いていいの……?」
――もちろんさ。共に、戦い抜こう。
「……うんっ」
イリアは僕の手を握り返し、はにかむように小さく笑って見せた。
その表情としぐさが――すさまじく可愛くて――僕は思わず顔をそむけてしまった。
「……リーダー? どうしたの……?」
「まあ……そこ突っ込んでやるなよ。
可哀想ってなんだよ! とアレックスに反論したくなったがやめた。なんか必死になればなるほどドツボにはまりそうだ。
「あ、そうだ」
イリアは椅子に座ったまま、上目づかいでおずおずと僕たちに
「わたしのことを話したんだから、今度はみんなの事も話して欲しい……その、仲間ってそういうの言い合うものだと思うし……」
「……あーやべ、そろそろ飯食う時間も無くなってきたな。さっさと飯食わねーと」
――まあ、仲間なら絶対こうあるべき、みたいなのって違うと思うし。必ずお互いの過去を話し合うこともないと……
「……」
ややむくれたような表情を見せるイリア。自分で感情を抑えていただけで、やはり全くの無感情というわけじゃないらしい。
しかし、僕は彼女の抗議するような視線に耐えかね、「また今度話すよ」と思わず口約束をしてしまった。
「……絶対だよ?」
うわあ、これ約束破ったらめちゃくちゃ怖いな……
ともかく、この事件をきっかけに、なんだかチームとしての
生き残るためには、強くならなければならない。それは個人の力だけじゃない。チームとしての力も高めていかなければ……!
『また成長されましたね』
僕はなんだか