ゴッドイーター/レッドストーム   作:アガラちゃん

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【黒いスフィンクス】2

 太陽はほとんど沈みかけており、空の一部が暗い紺色(こんいろ)に染まりつつあった。夜の到来を告げる冷たい風が首筋を撫でるが……それ以上に足下の脅威が(きも)を冷やす。

 

 高さや配管のボロさが問題ではない。落ちればたちまちあの化け物の餌食になるという恐怖が僕の足をすくませるのだ。

 

「下見るなよ。落ち着いて行こうぜ……アイツはまだ俺達に気づいてねえはずだ」

 

 先頭のアレックスは自分に言い聞かせるようにそう呟き、片手で大型の神機(じんき)をもったまま、配管の上をすり足で移動。途中でL字に登る配管に突き当たり、留め具部分を足場に登って見せた。

 

 彼が登り切った後、僕も続いて配管を登る。しかし、途中で気が付いた。

 

 イリアだ。階下にいる化け物のことを思い出したのか、恐怖に青ざめて配管の上で固まってしまっている。

 

 ――イリア! 早く来るんだ!

 

「馬鹿野郎! そんなとこにいたら本当に食われるぞ!」

 

 食われる。その言葉にイリアの肩がびくりと震えた。

 

 ――大丈夫だ。落ち着いて。深呼吸して、少しずつ進もう。

 

 イリアは僕の言葉に従い、ゆっくりと、少しずつ足を動かし始めた。僕とアレックスは同時にホッと胸をなで下ろした。

 

 再び僕達は窓や配管を伝って移動し、屋上を目指して登り続けた。

 

 そして……見えてきた。屋上の縁が。

 

「もう足場になりそうなものはねえな。こっから跳んで上に行くしかねえぞ」

 

 僕が頷くと、アレックスは神機を担いだまま力強く跳んだ!

 

 足場にした窓を蹴り、二メートル近い高さの屋上の縁に手を掛け、登り切って見せた。

 

 僕も続いて窓から屋上へジャンプする。高さが足りなかったらどうしよう、という不安はもはやなかった。驚異的に上昇した身体能力に僕の体自体も慣れてきたのだろう。

 

 問題なく縁に手を掛け、アレックスから差し出された手を取り、屋上に上がる。

 

 後は……イリアだ。

 

 階下を覗くと、不安げな彼女の瞳が僕を見上げていた。

 

 ――大丈夫だ! 君ならきっと跳べる! 焦らず、落ち着いて行こう!

 

 イリアは小さく頷き、深呼吸を2、3回繰り返す。

 

 決意したように目を開き――跳んだ!

 

「ッッ……!」

 

 僕は素早くイリアの手を取り、引き上げようとした。

 

 そして、彼女が喉の奥から小さい悲鳴を上げた理由に気が付く。

 

 血だ。

 

 足のふくらはぎから足先へ、ポタポタと血が滴っている。跳んだ瞬間に、窓に残っていたガラスで切ってしまったようだ。

 

 これは――まずい!

 

 キュルイイイイイイオオオッ!!

 

 例の化け物の邪悪な咆哮(ほうこう)だった。ゾッと背筋が凍りつく。地面に落ちた彼女の血に反応したようだ。

 

 恐怖におののくイリアの顔。その遙か下に、光学迷彩を解き狂喜するようにイリアの血へ飛びつく漆黒の化け物の姿が見えた。

 

 急いでイリアを引き上げたが、時すでに遅し。何度も建物の中と外を往復する化け物が、ついに僕達が上にいることに気づいたようだ。

 

 うなり声を上げながら、顔を僕達のいる方角へとゆっくりと向ける。

 

 クソ、ここまで来たのに、もう……!

 

 その時だった。

 

「ヘリだ! ヘリが来たぞ!!」

 

 アレックスの声に振り返る。太陽の没した薄いオレンジ色の空から、黒いヘリの影が徐々にこちらへ近づいている。

 

 助かった――そう思った次の瞬間。

 

 キュイイイルルル!!

 

 全身が総毛立つおぞましい声。建物全体を揺らす振動と轟音(ごうおん)。崩れて下に落ちる瓦礫(がれき)の音。

 

 ……登ってきている! ヤツが、僕達を喰らうべく屋上へ向かって壁を登っている!!

 

「クソっ! ヘリはまだかよ!? 来い、早く来い!!」

 

 アレックスは焦りからヘリと化け物の方角を何度も見返す。イリアは再び恐怖で固まり浅い呼吸を繰り返すのみ。

 

 僕の両膝が、恐ろしさのあまりガタガタと震えている。このまま力を抜けば地面に倒れ動けなくなってしまうだろう。

 

 けれど、それだけはだめだ。両手を痛いほど握り、震える両足を叱咤(しった)し立ち続ける。恐怖に屈してはならない。

 

助かるためには、なけなしの勇気すら振り絞って、恐怖に立ち向かわなければならない……!

 

 僕達の元へ向かうヘリと化け物。先に辿(たど)り付いたのは――ヘリだ!

 

 ヘリは頭上でホバリングしながら、ロープラダーを下に垂らした。

 

 ――先に行くんだ、イリア!

 

 イリアは僕の声にハッとし、弾かれたようにラダーへと向かい、素早く登っていく。

 

「よし、行くぞ!」

 

 アレックスも続いた。神機を担いだまま片手で順調にラダーを登る。頑丈なラダーは神機の重量も問題なく支えられるようだ。

 

「お前も来い、カイ!」

 

 アレックスに頷き、僕がラダーに手を掛けようとした、その時。

 

 ズシン!

 

 思わずふらつくほどの地響き。振動。

 

 まさか……

 

 振り返ると――そこにはあの漆黒の化け物が、鋭利な牙をカチカチと鳴らしながら僕の背後に(たたず)んでいた。

 

 

◆◆◆

 

 

 屋上まで上ってきた化け物を前に、僕の思考が恐怖と焦りで一瞬混線する。

 

 逃げたい。逃げたい。逃げたい。早くロープラダーに掴まりたい。すぐにこの場から逃げ延びたい。

 

 逃げられない。だめだ。背中を見せた瞬間に襲われる。僕が食われるだけじゃない。ラダーに食いつかれたらヘリごと落とされて全員喰い殺されてしまう。

 

 逃げたい……けど、ここは逃げない……!

 

 あの黒い化け物と対峙(たいじ)しているだけで気が遠くなりかける。

 

 けれど、逃げないという決意が、僕の体に少しだけ活力を与えてくれた。僕はラダーから手を離し、一歩、また一歩と円を描くように右へ回り込む

 

 化け物もまた僕の姿を追うように、体勢をゆっくりとこちらへ向ける。よし、ヘリのラダーから順調にヤツの注意を引けている……!

 

「カイ! お前……! なんでそんなこと出来るんだよ、お前っ!!」

 

 頭上からアレックスの声。しかし気にしていられない。少しでも気を抜けば……食われる。

 

 口内がカラカラに乾き、その代わりこめかみからは無数の冷や汗が流れる。握った両手がべっとりと汗ばんでいた。

 

 キュルルイイイイ……

 

 化け物はうなり声を上げ、二つの顎から鋭い牙と白い呼気を荒々しく吐いている。今にも飛び掛かってきそうだ。

 

 どうにかして、ヤツを出し抜いてラダーに掴まらなければならない。何か、なにかヤツの気を引くものはないのか?

 

 スタングレネードはもうない。その辺の瓦礫を投げても意に介さないだろう。何か姿を隠せそうな遮蔽物(しゃへいぶつ)もない……どうする?

 

 その瞬間。

 

 化け物が大きく体を沈めた。攻撃の、予備動作。

 

 相手とはまだ距離がある――前進ではない――ここまで一気に飛び掛かる気だ!

 

 理解した瞬間、僕も跳んだ。

 

 あえて化け物に向かって、化け物の足下目掛けて跳ぶ!

 

 ボッ!!

 

 恐ろしい風圧が頭上を、背中を交差した。化け物と入れ違いで攻撃をかわした!

 

 ズズン!

 

 僕は地面を転がり、素早く立ち上がって背後を見た。化け物は着地と同時に屋上の一部を陥没させていた。よし! そのまま下に落ちてしまえ!

 

 だが、僕の希望はすぐさま打ち消される。

 

 ヤツは二本の後ろ足だけで体を支え、体をひねって強引に穴からこちらへ向き直ってみせた。

 

 くっ……まずい、どうする? 恐らくヤツはさっきの事を学習している。無闇に飛び掛かるようなマネはしなくなるだろう。

 

 先ほどよりも慎重に、僕の動きを読んで行動するようになるはずだ。つまりさっきより格段に隙も油断もなくなったということ。これではヤツを出し抜くなんて出来そうにない……!

 

 キュギキキギギィ……

 

 ズシリ、ズシリと重い足音を響かせながら、化け物が慎重にこちらの距離を詰めてくる。

 

 僕は後退しながら、自分が徐々にヘリのラダーから遠ざかり、屋上のコーナーへ追い詰められているのを感じた。

 

 いっそ屋上から下に下りるか? いや、足場となる窓や配管があるか確認できない。万が一地面に落ちたら、さすがにこの体でも大怪我を負う。怪我を負って動けなくなれば食われるだけだ。

 

 だめだ。考えろ。焦って一か八かの行動に賭けるな。必ずどこかに活路がある。諦めるな。考えろ――

 

 その時だった。

 

「オオオアアぁぁっ!!」

 

 雄叫び。同時に、上から大剣を振りかぶって落下する影――アレックス!

 

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