ケーセイケーコク!!   作:柴猫侍

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第拾弐話:足音跫然

 

 

 

『おーい、羅鈿』

 

 

 

 頭の中に声が響く。おぼろげな景色の奥で、幼い子供が俺を呼んでいる。

 

──ああ、()()か。

 

 何度この悪夢を見たことか。

 疾うに数えることはやめた。数えたってどうにもならないし、他人に話しても不幸自慢にしかならない。

 

 それに、話せるような友人だって今はもう居ない。

 

 孤児(みなしご)ばかりを掻き集めた寺院。

 寺院に預けられる事情は十人十色だ。ただし、訳アリの奴に限って辛気臭い面ばかり浮かべている。それを見ていると事情も何も知らない俺は、逆に幸せだったかもしれない。

 

 いや──実際、あれは紛れもなく幸福な時期だった。

 

 裕福とは言い難いが、それでも充実していた。

 家族とも友人とも呼べる人間と、笑ったり泣いたり、殴り合ったりする日々の繰り返し。それも、巷の流行なんて知ったこっちゃない隠れ世同然の世界だ。

 時には嫌な兄弟子にイビられることや、師匠の口五月蠅い説教に辟易することもあったが。

 

 それでも楽しかった。

 それでも幸せだった。

 

 家族との記憶はないが、あの日々を過ごした皆が、俺の家族と呼んで間違いなかった。

 

『おい、待てよ羅鈿!』

『やめとけって! お師様に叱られるぞ!』

『本当に……行っちゃうの?』

 

 だが、俺は(あやま)った。

 

 寺院の世話になる孤児の一人が病を患った。薬が必要だった。

 けれど、寺院には必要最低限の備えしかない。薬を手に入れるには、町に降りて買う必要があった。

 

 けど寺は貧乏だ。金はない。

 師匠に内緒で山菜や獣の肉を売りに出掛けたが、子供だからと足元を見られた値段でしか買い取ってもらえず、到底薬代には足らなかった。

 ただ、俺にはいつも兄弟同然に絡んでいた悪友であり親友が居た。顔が似ているからよく双子と揶揄われていた男だ。奴が戸棚から師匠の臍繰(へそく)りを見つけたと言った。

 

 『この金で薬を買ってきてやれ』──親友はそう勧めてくれた。

 『もう夜中になるから駄目だよ』──他の皆はそう窘めてくれた。

 『大丈夫。夕暮れまでには戻る』──俺はそう言って里に下りた。

 

 寺院には夕刻には外から戻ってくるようにと言いつけがあった。

 山深くにある寺院だ。夜になれば獣も出るし、人攫いが目的の山賊も現れる。そうした危険から俺達を守る為の約束だったことは、俺も理解していた。

 

 けれど、俺は嘘を吐いて破った。

 出発してから帰ってくる頃には、夜の帳が降りている。それぐらいの距離があった。

 

 端から約束を守るつもりはなかった。

 だから約束を破って、里に下りて、そして、薬を買って戻る頃には夜になっていた。

 

 怒られる覚悟はしていた。

 折檻される覚悟もあった。

 

 それでも俺は、病の身の兄弟弟子を見捨てられなかった。

 人を助ける為なら盗みをしてもいいし、人の金も使っていい──そうやって自分の行いを正当化してしまっていたんだ。

 

 

 

 

 

 その夜、寺院は燃えていた。

 

 

 

 

 

 寺も、人も、何もかも。

 焼け焦げた()()()()()が誰かさえ、俺にはもう判らなかった。

 

『なあ、聞いたか? あの寺院……』

『あれだろ? 孤児の面倒を看てた』

『風の噂じゃ黒道と揉めてたらしい』

『餓鬼を渡したくなければ金を出せって』

『非道い話だぜ……だからって焼くかね』

 

 知らなかったんだ。黒道と揉めてたなんて。

 認めたくなかった。この金が、黒道に渡すはずだったかもしれないみかじめだったかもしれないって。

 

 もう渡す相手もなくなった薬は、湿気って駄目になった。

 

 それから、俺は歩いていた。

 歩いて、歩いて、歩いて。

 外れた道からなんとか戻ろうと踏ん張っていた。

 

 俺は、金払いが悪い守銭奴が嫌いだ。

 病に伏している大切な家族に薬も買ってやれない。

 

 俺は、嘘を吐く法螺吹きが嫌いだ。

 誰かの期待や希望を踏み躙るなんて外道の所業だ。

 

 俺は、約束を破る裏切り者が嫌いだ。

 約束を破ったから──肝心な時に守ってやれなかった。

 

 俺は屑だ、塵同然だ。

 金がなくて、嘘を吐き、約束を破った。

 そして、全部失った。

 

 俺だけが罰せられるのなら耐えられた。

 けれど、現実は違う。

 俺自身ではない、大切な人達に天罰が下った。

 

 

 

 俺が──()()()()()

 

 

 

 ***

 

 

 

「なんで……生きてんだろうな」

 

 

 

 開口一番、羅鈿はそう漏らしていた。

 今見た悪夢か、はたまた今の状況か。

 

(どこだ? ここは……)

 

 全身の激痛に苛まれながらも身を起こす羅鈿。

 周囲を見渡す限り、ここが造りの建物であることだけは判明した。同時に耳を澄ませると水の音が聞こえてくる為、川か水源の近くにあると窺える。

 もっと状況を精査しようと立ち上がろうとする。

 が、直後に心臓の激痛を()()()()()

 キーン、と玻璃を叩いたような甲高い耳鳴りの音もやって来て、羅鈿の世界は途端に騒がしくなる。

 

「っ……!」

「──無理に体を起こすな」

「……アンタ」

 

 聞き覚えのある声に、痛みに歪んだ凄絶な顔面を向ける。

 そこには場に似つかわしくない美女と、どこかで見覚えのある偉丈夫が腕を組んで立っているではないか。

 

「死ぬぞ」

「たしか……黒蝶の」

愛渦(ラブカ)だ。〈滄鮫會〉の頭とでも覚えておけ」

「そして儂が頭の右腕!」

「和仁。小判鮫のお前が右腕とは、随分出世したな」

 

 凄味のある声を発する美女に、一回りも二回りも巨大な偉丈夫・和仁が固まる。

 

「どうして手前ェらが……?」

「その様子だと、案の定黒蝶は〈栄螺〉の手中に収まったか」

「『案の定』……だ?」

 

 言っている意味が分からず眉を顰める羅鈿。

 それではまるで最初から彼女が奪われると知っていたようではないか。

 

「どういう意味だ……!? 説明しやがれ!!」

「落ち着け兄弟。傷口が開く」

「落ち着いてられるかっ!! アイツは、黒蝶は……!!」

 

 

 

 

 

「──利用されるだろうな」

 

 

 

 

 

 また新たな声が。

 それも忌々しさを大いに掻き立てる者の登場に、羅鈿の眉はみるみるうちに吊り上がっていく。

 人を射殺さんばかりの眼光を閃かせる羅鈿は、部屋の奥──通路の陰に潜んでいた人影に目を遣った。

 

「晒しに来たのはどの面だ……金 頼我」

「生憎、生まれてこの方晒して恥じるような顔は持ち合わせていない」

「……黒蝶は?」

「無事だろう。“まだ”な」

「……どういう意味だ」

 

 やけに含みを持った言い草に、羅鈿の頭に血が上る感覚を覚えた。

 幸いだったのは傷を負い、血を失っていたことか。でなければ、今頃激情に駆られるがまま殴りかかっていたことだろう。

 

 それを差し引いても、相手は黒蝶を暗殺しに赴いた刺客。

 彼女を守る為、手を出さぬ理由など──ない。

 

「そこの女が言ったように胡 黒蝶は〈栄螺〉の手中だ。ゆくゆくは組織の為、人柱となるだろう」

「人柱だ? あそこは黒蝶の古巣だろ。守られこそすれ、人柱になる道理なんざねェだろ」

「……君はとことん理解していないな」

 

 呆れるような声音に、今度こそ羅鈿の腰が持ち上がる。

 が、寸前で和仁が手で制することで、この場が血に濡れる事態だけは避けられた。それでも一触即発であるには違いないが──。

 

「先にも話しただろう。彼女には君が理解していない()()がある」

「……面の良さだけなら知ってる」

「それだけでは上っ面ばかり見る連中と変わりないな」

「あ゛?」

「彼女の才は多岐に渡る。人を誑かす人心掌握術。人を呪い殺す道術。どれも魑魅魍魎が跋扈する政治の場において、これほど使える女は居ない」

 

 ギチリ、と。

 鳴り響いたのは、掌の分厚く硬い皮が擦れ合う音。その音の出所は他ならぬ羅鈿の拳であったが、意に介さぬ頼我は言葉を続ける。

 

「つまりだ。中央を取り巻くありとあらゆる派閥が彼女を欲している今、あの女は交渉の切り札としてこの上なく価値がある。〈栄螺〉としても、むざむざ流刑地に送られるのを見過ごすはずもない。争奪戦が本格化する前に、機を見て身柄を確保しに来るとは予想していたが……」

 

 誰もが欲する傾国の美女。

 政府の重役どころか、皇帝でさえ手に入れることの叶わなかった至高の珠玉。

 

 それをあの日、誰よりも早く手にした男が居た。

 

 事情も知らず、目論見もなく。

 ただただ己の義に従い、刺客の手より救い出した人間が。

 

「だが、何の因果かあの女は君の手に収まった」

「……」

「事情を知らない君は実に扱いやすかったろう。だから報酬(エサ)をぶら下げ、古巣に戻る道を選んだ……」

 

──今回の顛末が、そうだ。

 

 そう締め括り、頼我は深い溜め息を吐いた。

 悪女に利用され、あまつさえ背中から撃たれた男を同情するように。

 

「……あの(アマ)

「怒りを鎮めろ。傷に障る」

「手前ェが利用されるって分かって、家に帰ったのか……!?」

「……」

 

 それは。

 それは、頼我にとって余りにも眩しい光だった。

 

 裏の世界を知らない、表に生きる住民の感性からしか発さぬ義憤の炎は──冥い闇に慣れてしまった目には耐えがたいものがあった。

 

 まるで、それこそがこの世界を生きる罰と言わんばかりに。

 

「……少なくとも()()()()()はそうだ。構成員の子も組織にとっての財産(どうぐ)の一つ。それは組織の頭を張る人間の子でも……いや、だからこそ価値がある。組織と組織を繋ぐ、強力な楔として」

「そんな道理、ある筈がねェ!!」

「そんな道理が通じる世界だ、黒道は」

「っ……巫山戯んな!!」

 

 辛抱堪らない形相の羅鈿が立ち上がる。

 掛布団代わりに傷だらけの体を覆っていた上衣を手に取った。そのまま向かう先は外へと通じる出口だ。

 

 だが、矢張りと言うべきか立ちはだかる人物が一人。

 

「何処へ」

「退け」

「何処へ、と訊いている」

「……黒蝶に、直接訊く」

「無駄だ。あの女は──」

「手前ェには無駄でも、俺には価値があんだよ」

 

 意趣返しのようなやり取りを交わす羅鈿と頼我。

 竜の逆鱗に触れる、あるいは虎の尾を踏む寸前の空気が場を支配する。きっと今外に出れば、天は分厚い暗雲に覆われていることだろう。

 

「白熱しているところ悪いが」

 

 が、そこに強引に割って入る美女が一人。

 

「羅鈿とやら」

「……あ゛?」

「この石、見覚えはないか?」

 

 掌を広げる愛渦。

 そこには砕けた石の破片のような物体が乗っていた。一見ただの石ころであるが、やけに艶がある磨かれた表面には見覚えがある。

 

 結局、出会ったあの日から返品することが叶わなかった“宝物”だ。

 

「たしか、黒蝶の……」

「そうだ、あいつの龍気が注がれていた」

「龍気が? ……一体なんで」

「これは道術を用いて作られた霊石の一種──“身代わり石”と呼ばれる霊宝だ。所有者が致命の禍に見舞われた時、代わりに砕け散って所有者の命を守る……黒蝶からはそう聞いた」

「身代わり? ……。──ッ!?」

 

 何かを悟り、羅鈿は自身に巻かれていた包帯を剥ぎ取る。

 そして、撃たれた脇腹を弄った。

 

──無い。

 

 銃で撃たれた筈の傷が。

 霸尾に付けられた生傷はあるのに、最も致命傷に近かった弾痕だけが綺麗さっぱりなくなっている。

 

「ここからは俺の推論だが」

 

 察するに余りある感情の渦に立ち尽くす羅鈿。

 そこへ、愛渦が畳みかける。

 

「あいつ──黒蝶が〈栄螺〉に戻った理由は、お前に礼をする為だ」

「…………………………は?」

「同志だと思っていた人間に裏切られ、あらぬ罪で流刑に処された。道中、どんな刺客が来て攫われるか殺されるかも分かったものじゃない……だが、現れたのは馬鹿正直(りちぎ)に命を張って守ってくれる男と来た」

 

 愛渦の鋭い眼光を向けられた時、ようやく羅鈿は黒蝶の心の一端に触れたような気がした。

 

 裏切りと謀略。

 数多の悪意に晒されて、常人ならば人間不信になってもおかしくはない窮地に流れてきた一本の藁。

 

 縋りたくなるはずだ。喩え、どれだけか細かろうと。

 

 あまつさえ、命を救ったのなら──。

 

「黒蝶は人としての道義を重んじる女だ。己に許された最後の自由……そいつを恩人の為に費やしても不思議じゃあない」

「それは君の推論だ、梅 香羅。いや、愛渦」

「推論なのはお互い様だ、金 頼我。黒蝶は一面だけ見て語れる女じゃないさ」

「事実に基づけと言っている」

「事実さ。あいつの義理堅さはな」

 

 

 

「五月蠅ェ」

 

 

 

 口論になりかけていた愛渦と頼我。

 そんな二人に冷や水のような声を浴びせかけ、羅鈿は出口を目指して歩き出す。

 

「俺は……もう、行く」

「胡 黒蝶の下に? ……踊らされるな、君は」

「五月蠅ェっつってんだよッッッ!!」

 

 裂帛の叫びが部屋全体を揺らす。

 余りの音圧に、古い穴蔵である一室には天井から誇りがパラパラと舞い降り、背の高い和仁が一番にくしゃみをした。

 

「アイツが悪女とか、実は義理堅いとか関係ねェ!! 金の問題でもねェ!! それでも俺は行かなきゃならねェんだよ……!!」

「……何が君をそこまで」

()()を!! まだ守れてねェ!!」

 

 激しい動悸に苛まれる胸を押さえる羅鈿。

 額には多量の脂汗が滲み、顔色も悪い。まかり間違っても万全とは言い難い状態だ。

 

 それでも。

 

「約束したんだよ……死ぬまで守るって……!!」

 

 それでも彼は震える脚で先を目指す。

 約束を守る。ただ、それだけの為に。

 

 

 

「よォ言った、兄弟」

 

 

 

 弱弱しい足取りの羅鈿に、偉丈夫が肩を貸す。

 

「それでこそ儂の見込んだ(おとこ)じゃ」

「……和仁……」

「御嬢を救いに行くなら儂も行くぞ!」

 

 ニィ! と白く尖った歯を剥き出しにする。

 凶暴な笑みを湛える和仁の前に、羅鈿はほんの僅か、口角を釣り上げた。

 

「いいのか? 手前ェの頭に許可取らなくて」

「おっと!?」

「そうだぞ、和仁。俺の許可も得ずに首を突っ込むつもりか?」

 

──それも〈栄螺〉に。

 

 全盛期に比べれば斜陽とは言え、〈栄螺〉が玄甲屈指の黒道組織である事実に変わりはない。迂闊に手を出せば火傷を負うどころでは済まなくなる。

 何より、手を出したのが末端の構成員でも、それは組織全体を巻き込む抗争に発展するには十分な火種となり得る。滄鮫會は青鱗連合傘下とは言え、一組織としてはそこまで大きい集まりではない。

 

「お前は個人の感情で戦争を起こす気か?」

「止めんでくれィ、お頭」

 

 しかし、この侠は。

 

「この貸した肩に、儂の“仁義”が掛かっておるで(のう)

「……俺の命令が聞けないと?」

「ああ」

 

 迷いない返答に、愛渦の嘆息が紡がれる。

 

「そうか……そうだな。なら、罰を与えるしかないな」

「応」

「──『黒蝶を救い出すまで戻ってくるな』、だ」

 

 いいな? と形のいい眉尻が上がる。

 同時に、和仁の口角もさらに上がる。

 

「……応ッ!!」

「正気の沙汰じゃない……!」

「お? なんじゃ、まだ居ったのか」

 

 何時の間にやら蚊帳の外に追いやられていた頼我は、和仁のおちょくるような言い草に、とうとう肩を震わせ始める。

 

「たった二人で胡 黒蝶を救い出せるとでも……本気でそう思っているのか!?」

 

 

 

「いいえ、()()ですよ」

 

 

 

「!」

「失礼。……私も黒蝶様の救出に同行いたします」

「雲 鳳鸞──〈紅鸞(クラン)〉も加わるつもりか!?」

 

 唯一の通路の奥。

 天から舞い降りるようにして現れた鳥面の男は、音も埃も経てず床に着地した。

 

「無論、正面突破は得策ではない。策を弄する必要はありますが……今し方、解決しました」

「……まさか、〈紅鸞〉は既に噛んでいるのか!?」

 

 殺気立つ頼我が鳳鸞を睨みつける。

 ここまで感情を露わにすれ、手を出そうとしなかった頼我の明確的な敵意である。

 

「君も胡 黒蝶を狙うクチならやることは一つ──排除する」

「分が悪いのでは? こちらは三人だ」

「形勢が不利だから。それが理由で退くなら〈白幇〉は存在していない」

「これはこれは無礼を……覚悟の上、と」

「当然」

 

 

 

「おい」

 

 

 

 底冷えする声が、舌刃を交えていた頼我と鳳鸞の腹を殴りつける。

 

「勝手に人のこと括ってんじゃねェ。誰に何言われようと俺は黒蝶のとこに行くんだ。殺そうとする奴も攫おうとする奴も、俺の邪魔すんなら──潰す」

 

 和仁が肩を貸す男。

 羅鈿の凄絶な威圧感は、睨み合っていた頼我と鳳鸞、二人の拳を収めるに十分過ぎた。さらに鳳鸞は両手を上げる。

 

「失礼。私は元より貴方を邪魔するつもりはない。黒蝶様をお救いする、ただそれだけが目的です」

「……本当か?」

「礼には礼を。それが私の“義”です。命を救っていただいた恩には、命をお救いする礼で返させていただきます」

 

 鳥面から覗く双眸は真っすぐだった。

 しばし、羅鈿と鳳鸞は見つめ合い。極々短い間であったが、それ以上に濃密な体感時間を経た羅鈿はようやく決断を下す。

 

「……邪魔だけはするなよ」

「ええ。黒蝶様の努力と献身を踏み躙る礼儀知らず共が、私の敵です」

 

 お互い、一度拳を交えた相手だ。

 故に味方になればどれほど心強いかは嫌でも分かる。味方になると言っているのだから利用しない手はない。

 

 何よりあの瞳に嘘はない。

 羅鈿はそう直感していた。

 

 が、しかし。

 

「僕は認めない」

 

 金 頼我。

 正義の道を歩む彼だけは、徒党を組んだ三人との道とは交わらなかった。

 

「勝手に話がまとめようとしているが……僕はやはり胡 黒蝶を始末する。あの女は本来、流刑地に居る筈の身。甘んじて刑を受け入れていれば、僕も直接手を出すことはなかった」

「……それが手前ェの言う“正義”って奴か」

「ああ」

「なら、俺が説得する」

「なに?」

 

 羅鈿の提案が呑み込めず、頼我は瞠目する。

 

「……まさか、彼女を流刑地に行くよう説得するとでも? 馬鹿も休み休み言ってくれ。仮に君たちが胡 黒蝶を救い出したとして、あの女が素直に従うとでも?」

「だから説得する」

「根拠は?」

「ねェよ」

「……話にならないな」

 

 結局、羅鈿が結ぼうとしているのは口約束。

 黒蝶が羅鈿に課した道術とは違い強制力がない。故に、約束をするだけして破られてもおかしくはなかった。

 

 交渉は決裂。

 頼我は踵を翻し、三人よりも先に黒蝶へ手をかけるべく動き出した。

 

「──なら、こいつはどうだ」

 

 チャリン、と。

 何かが鳴り響く音に、警戒した頼我は振り返る。

 

「……それは?」

「黒蝶から貰った簪だ。売れば銀が百とんで千らしいぜ?」

 

 見せつけられたのは黒蝶の私物。

 黒真珠をあつらえた簪だった。

 

「……僕が金で買われるとでも?」

「『雇う』って言えよ。金、あるに越したことはねェだろ?」

「莫迦にする……! 僕は──」

 

 数拍。

 時間にすればたったの数秒。

 

 それだけの間、時が止まったように固まっていた頼我であったが、羅鈿が訝しんだところで意識は、刹那の熟考より舞い戻ってきた。

 

「いや──気が変わった。引き受けよう」

「本当かっ!?」

「ただし条件がある。胡 黒蝶を救出した後、必ず彼女を流刑地に移送する。これが絶対だ」

「十分だ。……ほら、受け取れよ」

「いいや」

 

 差し出された簪だったが、頼我は断固として受け取りを拒否する。

 

「受け取るのは彼女を取り戻してからだ」

「? ……まあ、そう言うなら」

「それは彼女が生きていなければ意味がない代物だからな」

 

 いまいち真意を汲み取れない発言だが、羅鈿は深く考えず、黒蝶の簪を懐に仕舞う。

 而して、準備は整った。

 

(これで、やっと)

 

 戦力はたった四人。

 頑強にして堅牢。強固なる守りに固められた〈栄螺〉の手中にある黒蝶を救い出すには、余りにも心許ない数だ。

 

 だが、そんなことは元より覚悟の上。

 その上に、四人の拳士は立っていた。

 

 一人は“仁義”の下。

 一人は“礼義”の下。

 一人は“正義”の下。

 

 各々の義を掲げ、彼らは進む。

 

 

 

(待ってろ、黒蝶)

 

 

 

 そして、羅鈿は。

 

 

 

(今──約束を守りに行く)

 

 

 

 “信義”の下、一歩を踏み出した。

 

 

 

──この胸の痛まぬ方角が、俺の歩むべき道だ。

 

 

 

 

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