ケーセイケーコク!!   作:柴猫侍

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第拾漆話:蛟竜雲雨

 

 

 

「妙だな」

 

 

 

 紅い龍気が疾走する。

 矢より早く、矢よりも鋭きそれは嘴だった。疾風の如く突き進んだ後、幾人もの喉笛を食い千切り、命を散らしてみせた。

 

 だが、斃れた人間も全体から見れば極僅か。

 それどころか広間に押し寄せる人数は、際限なく膨れ上がる。既に複数勢力が血みどろの争いをしており、三人が辛うじて上り階段前を死守している状態だった。

 

「……()()()()()()

「何を今更! こうなることは分かり切っていた筈だ!」

 

 怪訝な声色の鳳鸞へ、頼我が吼える。

 龍気で形成した鉄爪(バグ・ナク)で敵を切り裂く彼の目は、ありありと義憤の炎に燃えていた。

 

「“大義(エサ)”をぶら下げられれば黒道共が食いつくと! ましてや胡 黒蝶が〈栄螺〉に居るなど……この惨状は、君の軽挙の産物だ!」

「無礼ですね。誤解なきよう説明致しますが、黒蝶様の居所は元より後宮でも風の噂となる程度には割れていた情報。私には一切の咎はありません」

「だが、それに乗じるなど……() ()()()()()()()()()()()()()()()()!!」

 

 救わなければならない人間が居るとして。

 救わなければならない人間に家族が居るとして。

 

 果たして、その人間の家族を犠牲にするやり口が“正義”と呼べるのだろうか?

 

 だからこそ頼我は憤る。

 状況を利用する、この()()に。

 

「──それがなんです?」

「なんだとッ!?」

「実の家族に血を流させる家族を……貴方を家族と呼べますか? 〈栄螺〉は最早斜陽。黒蝶様にはもっとお幸せになれる舞台があります」

 

 断言する鳳鸞。

 その余りにも冷徹な物言いに、頼我も一周回って冷静さを取り戻した。

 

「貴様……()()()() ()()()?」

「無論」

 

 “彼”は即答だった。

 この期に及んで外されぬ仮面の奥の顔も、表情も確かめることはできない。

 

「…………………………くっ!」

 

 だが、今考えている暇はなかった。

 

「おぉい! 喧嘩しとるとこ悪いがご来店じゃあ!」

 

 顎をしゃくり上げ、和仁は広間に通ずる階段を示した。

 

「この先だァ!! 胡 黒蝶を探せ!!」

「〈栄螺〉の奴らを皆殺しにしろ!!」

「玄甲最強の座を奪るのはおれ達だァ!!」

 

 いきり立つ黒道の雄叫びが大気を通じて鼓膜を揺らす。

 血気盛んな殺気立った彼らの目からすれば、三人と〈栄螺〉の区別など付いていないことだろう。散々龍気使いとそれ以外を相手してきた三人にとっては厳しい状況となってきた。

 

 が、しかし。

 

「……上で踏ん張る兄弟の為じゃ。もう一踏ん張りしちゃおうか(のう)

 

 上層階より腹の底に響く震動に、和仁はニィと白い歯を覗かせて笑った。

 

──今、羅鈿は戦っている。

 

 その事実があるからこそ、和仁は己が身を肉壁にせんと、全身に龍気を纏ってみせた。しかも刻一刻と龍気は膨れ上がり、輪郭が定まっていく。

 ()()を見た黒道は瞠目し、龍気使いも喉を鳴らす。

 近くで見ていた鳳鸞と頼我も似たような反応だ。

 

「ほお、そこまで……」

「……やはり〈滄鮫會〉。侮れんな」

「おい、御両人。こいつらを“上”に行かす訳にはいかん。ここは出し惜しみなしじゃ」

 

 和仁の提案に、目配せした二人は頷く。

 

「それなら」

「ボクも」

「やるか──()ォ!!」

 

 

 

 

 

『──“(ショウ)”!!』

 

 

 

 

 

 そして、“龍”気は三体の“獣”と化した。

 黒の道を突き進む者達に立ちはだかる“番人”として──。

 

 

 

 ***

 

 

 

 世界が流れと化した。

 

「ぐっ!?」

 

 直後、背中を叩きつけられる激烈な衝撃。

 羅鈿は、そこでようやく自分が吹き飛ばされたと知った。迫る床を前に受け身を取ろうとするも、予想以上に痺れるような余韻は長続きした。気付けば冷えた床面と熱い接吻を交わすような体勢でうつ伏せになってしまう。

 

(押し負けた!? 野郎、一体どんな真似を……!?)

 

 視界が揺れる。燃え盛る炎に立ち尽くした時と同じ世界が蘇っていた。

 

「畜生……がァ!!」

 

 しかし、羅鈿もまた燃え上がっていた。憤怒と義憤。消せぬ過去と命すらも焚べて、残る命を全て燃やすように力を振り絞る。

 震える脚で立ち上がり、真正面に顔を向く。

 

 敵を見据えねばならなかった。

 許せぬ(てき)を。

 許してはならぬ(かたき)を。

 

「っ!!」

「言っただろう、羅鈿。君が僕に敵う筈がないと」

「な……」

 

 異様だった。異常だった。

 そこには薄っぺらい笑みを張り付けた男が立っている筈だった。しかしながら、羅鈿が目撃したのは人智を越えた存在。

 

「なんだ──()()姿()!?」

 

 一言で言えば獣人。

 もっと詳細に語るならば蛇のような人間が、其処に立っていた。大きく裂けた頬。血濡れの手を舐める長い舌。爬虫類染みた瞳と体表の鱗。

 

 今日までに羅鈿は人智を越えた力を散々目にした。

 だが、流石に()()は人間の枠に入れることすら憚られるという感想を抱かざるを得なかった。

 

()()()()()()()()()

「段階……だと?」

「一段階目、“()”」

 

 鱗の生え揃った腕を掲げる魔蟲。

 次の瞬間、嫌に細長い爪の生えた指先から五条の黒い線──龍気が羅鈿目掛けて解き放たれる。

 

 (はや)い。

 避け切れぬと悟った羅鈿は、すかさず黒蝶より分け与えられた龍気を発し、迫りくる五つの弾丸を受け流すことに注力する。

 だが、受け流し損ねた一発が肩に直撃。羅鈿の顔は痛みに壮絶に歪んだ。

 

「くッ!?」

「これは龍気の初歩も初歩。体内で練り上げた龍気を体外に放出されている状態だ」

「っ……消えねェ!?」

 

 羅鈿の肩に命中した龍気だったが、一向に消える気配がない。

 それどころか龍気はみるみるうちに形を変えていく。数秒もすれば龍気は一匹の蛇と化し、より牙が深く突き刺さるよう、力強く肩の肉に噛みついてくる。

 

「二段階目、“(ショウ)”。体外に放出された龍気が形象化され、獣の姿を象る」

「糞!」

 

 このままでは不味い。

 本能的に察した羅鈿は、己が身を打つ覚悟で肩に噛みついた蛇を叩き潰した。肉が潰れる音は蛇か己か……痛覚が麻痺してきた羅鈿には判別できなかった。

 

「ハァ、ハァッ……!!」

「そして、三段階目“(テン)”」

 

 刹那。

 

()()()()()()()()()()()()()()

 

 眼前に立つ魔蟲が、羅鈿目掛けて旋風脚を放った。

 避けられたのは奇跡に等しかった。本能の警告に培った反射神経が辛うじて追いついたのだ。それでも胸を薄皮一枚切り裂かれ、羅鈿の胸からは血の華が咲いた。

 

「ッ、めんなァ!!」

 

 宙から舞い降りる魔蟲へ、羅鈿は姿勢を低く落とした。

 深く、深く、水底に身を沈める勢いの体勢から放たれしは水面蹴りだ。要は足払い。どんな人間だろうと着地の際には一瞬の硬直が生じる。

 

 その間隙を、衝く。

 

「残念」

 

 筈だった。

 遠くで何かが破裂するような音が鼓膜を揺らした。

 

「羅鈿ッ!!」

 

 否。

 横っ面を叩く衝撃に、羅鈿の鼓膜が破れていたのだ。気付いた時にはもう遅い。勢いよく吹っ飛び、転がり、そして無様に壁に激突した。

 

「ゔ、っぐゥ……!?」

()()と言った」

「……いよいよ人間を辞めやがったな」

 

 悠々と着地してみせた魔蟲の()()()()()()()()を見て、今度は羅鈿が毒づく番だった。

 

()()()()()()()()()()()()()

「負け惜しみかい?」

「いーや。無駄に立派な一物ぶら下げてるみてェで笑えるぜ」

「それに叩かれたクチで、よくもまあ」

「……蜥蜴、いや、蛇か? 蛇の癖に手足生やしてんじゃねェよ、蛇足野郎。ま、それ以上にてめェは蝙蝠野郎みてェだが……」

 

 頭が前後に揺れる。

 足元も覚束ないし、握る拳にも力が入らない。

 

 それでも羅鈿は立ち上がる。

 そして、意を決した面持ちで彼女の方を向いた。

 

「御母様!! 御母様ァ!!」

 

 羅鈿と魔蟲が拳を交わす間、倒れた珠媽の下に駆け寄っていた黒蝶。

 その美貌が台無しになるほどに泣き惑いながらも、必死に両手を義母の胸にあてがい、出血を止めようと試みている。

 

 だが、血の海は広がるばかりどころか、黒蝶の手から体温を奪っていく。

 

「……女だぞ」

 

 カチカチと。

 まるで鱗が震えるような音が、羅鈿の口元より奏でられる。

 

「それが?」

()()()ッ!! ()()()()ッ!!」

「だから?」

「……外道が」

「言っただろう」

 

 頬まで裂けた口を開き、魔蟲は告げる。

 

 

 

 

 

「これが──黒道だと」

 

 

 

 

 

「……“親”を殺して何が黒道だッ!!」

「前提が違うよ。僕ほど“忠義”の士も居なければ、僕の主は胡 珠媽でもない」

 

 淡々と告げられた真実に、羅鈿のみならず黒蝶すらも瞠目していた。

 

「魔蟲……? 貴方、一体……?」

「僕の主上はこう仰られた。『〈栄螺〉の実権を握れ』、と」

「……うそ」

「嘘って! 誰が何年も掛けて組織の中で地位と信頼を築き上げたと思っているんだい? 〈栄螺〉の盤石を揺るがす為に、大黒柱たる君の御父上を排除する。御母上も傀儡とし、盤面を操作する。楽な仕事じゃあなかったよ」

「御父様を……!?」

 

 今は亡き黒蝶の義父。

 彼が死没してからの〈栄螺〉は斜陽そのもの。当時から辣腕を振るっていた義母・珠媽によって辛うじて組織は維持してきたが、仕事に忙殺された所為か、優しかった義母からぎこちない笑顔は失われた。

 

 優しかった義母は、義父と共に死んだ。

 黒蝶は、そう自分に言い聞かせて生きてきた──今、この瞬間までは。

 

 二人は殺されたのだ。

 この男の手によって。

 

「御前が、御父様と御母様を──!!」

「そうそう。宮廷や後宮のあちこちに君の所在を流して、君を欲しがる連中を焚きに焚き付けて煽動したんだ。此処を攻め落とすのには戦力が多い方がいいからね。そしたら上も下も始末して総取っ替え。それが我が主上の絵図さ」

「なんてことを!!」

「あとは……君だけだ。我が主上は君を欲しているようでね」

「っ!?」

 

 今、全てが繋がった。

 

 義父の変死。

 義母の変心。

 

「そう……()()()()()()()()()()()

 

 皇帝の暗殺。

 自分の冤罪。

 

 一見関係ない事象だが、黒蝶には理解できた。理解できてしまった。

 

「貴方の主上とやらは、皇帝の血を引く──」

「おっと。その先は口にしない方がいい。……実際に顔を合わせるまではさ、ね?」

「冗談じゃない!」

 

 一体誰が自分を陥れ、その上両親を殺めた人間と会いたがるのだろうか。

 

「そんな人の手に渡るくらいなら、今ここで死んだ方がマシよ!」

「──莫迦言うんじゃねェ!」

 

 激情に駆られるがまま吼えた黒蝶。

 だが、それを制する声に彼女はハッと顔を向けた。

 

「……羅鈿?」

「黒蝶……お前は逃げろ」

「な、何言ってるの? 私が逃げたら、貴方……」

「早く! こいつの相手は俺がしておく!」

 

 無理だ。勝てない。

 彼の状態もそうだが、“契約”のこともある。自分が彼から離れれば離れるほど、彼は心臓には痛みが走るような契約を結んでいるのだ。冤罪の一件からくる人間不信故の内容。一時は彼と自分を再び巡り合わせた道しるべであったが、今はそれがただただ忌々しい。

 では、契約を無効にすればいいかと問われたら、そうでもない。

 

「逃げるんですか? 別に構いませんよ。彼を殺した後に追いかけるだけですので」

 

 “纏”まで至った魔蟲、奴は悪魔だ。

 外見も内面だけの話ではない。今の彼は悪魔と呼ぶに相応しい力をその身に宿している。一度自分が分け与えた龍気だけでは、とても対抗できる次元ではないのだ。

 

(なんでもいいから羅鈿に龍気を!!)

 

 それしか羅鈿が生き残る道はない。

 黒蝶が──自分が自分として生き残る道もだ。

 

「そこでジッとしていた方が賢明ですよ。……すぐ、終わりますので」

「往け、黒蝶!!」

「よく吼える!!」

「ああそうだ!! せめて死ぬまで……!!」

 

 互いに向き直す羅鈿と魔蟲。

 最早激突まで一刻の猶予もない。

 

(どうすれば──!?)

 

 

 

『……黒蝶』

 

 

 

 突如、脳内に声が響いた。

 

(……御母様?)

 

 視線を、倒れた義母に戻す。

 変わらず義母は微動だにしない。けれども、やはり声だけははっきりと聞こえてくる。しかも全身に謎の活力が満ち満ちていく。

 

 出所の知れぬ力に黒蝶は困惑する。

 しかし、声は鳴り止まなかった。

 

敬如神明(神妙の如く敬い)……』

(! この“教え”……)

愛如父母(父母の如く愛せ)……』

 

 黒蝶は、己が満たされる感覚を覚えた。

 

『さすれば──届く筈よ』

 

 あるいは“龍気”と。

 またの名を“愛”と呼ぶべき代物を。

 

「……有難う、御座います」

 

 道は、義母が示してくれた。

 死の淵に瀕しても尚、自分に教えを説いてくれた彼女に、黒蝶は静かに涙を流した。

 

 思えば、最初からずっとそうだ。

 父が死ぬ前も、死んだ後も。程度に差はあれ、母は自分に教養を身に着けるよう差配してくれた。

 

 決して全てが楽しい思い出とは言えない。

 出来ないことを叱られたり、仕置として閉じ込められたりしたことは、今でも震え上がるほどに恐ろしい。

 

 それでも、幼い自分が何かをできた時、あの冷たい母の浮かべた笑みを忘れたことはない。

 

 たったそれだけの思い出。

 それっぽっちの喜びが、今の自分を形作る努力の根底を成していたのだから。

 

(羅鈿)

 

 母の教えを刻むよう、胸に両手を当てる。

 次に花開いた時、そこには一匹の蝶が佇んでいた。覚束ない足取りで黒蝶の指を歩み往く蝶だったが、彩られた爪紅に辿り着いた時、大きく翅を広げて飛び立った。

 

 向かう先は、唯一つ。

 

()()()()()──私の“訣”を!)

 

 

 

──この心が痛まぬ、彼と居る未来へ。

 

 

 

大尾(たいび)にしようか」

 

 ゆらりと構えを取った魔蟲。

 

「龍気の最終段階──“(ケツ)”を教えてあげよう」

 

 闇よりも昏い黒鱗を生やした彼の背後では、立ち昇る龍気が蜷局を巻いた蛇を象る。脱げた皮が重なった尾を瓦落瓦落(ガラガラ)と鳴らせば、実際に大気が震え上がった。同時に、羅鈿も身震いした。

 

「……んだよ、まだあんのか?」

「“纏”まで体得した龍気使いの秘訣、いわば奥義さ。人龍一体と化し、正真正銘、人の域を超えた力を発揮する。……これがどういう意味か分かるかい?」

「『先に奥の手晒す馬鹿野郎』だ。師匠の教えを忘れたか?」

「半死人の君と違って、死人の言葉は聞こえないんだ」

 

 嘲笑る魔蟲の糸目は全開となる。夜行性の蛇の如く縦長の瞳孔が露わとなり、獲物である羅鈿を目一杯に捉えた。

 

「安心するといいよ。もうすぐ皆に会わせてやるから」

「……叱られるのは、御免だな」

 

 対する羅鈿も構えを取った。

 気分は蛇に睨まれた蛙と同じだ。逃げねば死ぬと理解しながらも身動きが取れない。

 

 それでも、羅鈿はその場で強く踏み込んだ。

 

「愚劣」

 

 龍気を全開にして踏ん張る態勢を取った羅鈿を見て、魔蟲は鼻で笑った。

 

「この期に及んでっ!!」

「……来い!!」

「夢見心地の気分は終わりだ!! 黒蟒流(こくぼうりゅう)──〈劉刀蛇尾(りゅうとうだび)〉!!」

 

 魔蟲の雄叫びと時を同じくし、毒蛇が羅鈿に飛び掛かった。

 殺意を滾らせた眼光を迸らせ、奔らせたのは尻尾の一閃だ。喰らえば死は免れない。しかし避ける暇もなかった羅鈿はと言えば。

 

「う、ぉおおおおッ!!」

「!! 反応した……!?」

 

 龍気を全開にした両手で毒蛇の尾を挟み込む。白刃取りだ。本来『見せる技』のそれを、羅鈿はありったけの龍気を放出することにより、斬撃の勢いを受け止められるまでに減衰させたのである。

 

 だが。

 

「それじゃあ受け流せねェだろうが……よぉぉおおおお!!」

「ぐぅううう──!?」

「さっさとくたばりなァ!! 羅鈿ェーーーンッ!!」

 

 足りない。血が。

 足りない。龍気が。

 足りない。何もかもが。

 

 死に体の体が全身全霊を賭したところで、振り絞れる力なぞたかが知れている。ましてや唯一の生命線(龍気)は借り物だ。このザマで受け止めようなぞ、考えること自体が烏滸がましい。

 

(黒蝶は!?)

 

 けれども、羅鈿はそれで良かった。

 今の自分に出来ることと言えば精々時間稼ぎ。

 

 ──()()()()()()()()()()()()()()()

 

「なっ……!?」

 

 しかし、自身の淡い期待を裏切る光景に羅鈿は絶句した。

 

(なんで逃げねェんだ、黒蝶!?)

 

 

 

『──羅鈿』

 

 

 

(声……!?)

 

 突如、脳内に黒蝶の声が響き渡る。

 反射的に振り返ろうとした羅鈿は、何故か自身の肩に目を遣った。

 

(黒い──蝶!?)

「なんだ、急に……!?」

(っ……龍気が!)

 

 視線の先には、一匹の黒い蝶。

 季節外れの蝶が、ひらひらと羅鈿の肩へと止まった。次の瞬間だ。羅鈿の全身より解き放たれる龍気が勢いを増した。

 

 まるで堰を切った水のように、轟々と。無尽蔵と錯覚させられる量の龍気は、魔蟲の凶刃を押し留めた。

 

「ば、莫迦な!? 一体何処から──いや!!」

『この声は貴方にだけ届いている筈。私の……ありったけの龍気も』

「胡 黒蝶!! 御前の仕業かっ!!」

 

 血走った双眸の魔蟲が吼える。

 しかしながら、黒蝶は依然、悠然と微笑みを湛えながら手を組んでいた。

 

 まるで、祈りを捧げるように──。

 

『結局、貴方には何も与えられなかったわね』

(黒蝶? お前、何言って……)

()()()()()()()()()()()って約束を守ろうとしてくれた貴方に』

 

 龍気が、加速する。

 さながら天に向かって落ちていく瀑布の如し。その余りの勢いに、とうとう龍気は魔蟲の凶刃を押し返し始めた。

 

「ば、莫迦な。唯の龍気で……!?」

『だからね──()()()()()()()()()()()()

「なっ……やめろ胡 黒蝶!! それだけは!!」

 

 頭に響く言葉を怪訝に思う羅鈿。

 そんな彼よりも先に悟ったのは敵である筈の魔蟲だった。

 

「それ以上龍気を注ぐな!!  ()()()()()()()!?」

 

 

 

「──は?」

 

 

 

「ふふっ」

 

 ここにて漸く、黒蝶が声に出して笑った。

 微笑む彼女の貌は、余りにも美しかった。美しくて、妖しくて。天から舞い降りた女神が佇むように、彼女の周りだけ世界が別だった。

 

 しかし、その神秘も間もなく絶える。

 不自然に艶めいた美貌の黒蝶が、長く息を吐き切った。瞬間、羅鈿は自身の中にこれ以上ない“力”が宿った感覚を覚えた。

 

 同時に、懐で何かが砕ける。

 バラバラと。

 あの日と同じ喪失感が、何度も去来した。

 

「黒蝶?」

 

 

 

 

 

「羅鈿。

 

 

 

 

 

──謝謝悠(ありがとう)我愛你(大好きよ)!」

 

 

 

 

 

 笑みが咲き誇っていた。貝殻の髪飾りが、花にとまる蝶にも見えた。

 その光景は、一瞬ながら羅鈿に永遠を刻んだ。直後、肩に止まった蝶が霧散した。彼女の体も崩れ落ちた。前のめりに、受け身も取らず。

 

(こく)ッ……」

 

 開かれたままの瞳。

 生命(いのち)の熱が消えた瞳は、冷えた宝石のそれと同じだ。美しい──ただそれだけの石ころ。

 

『私の瞳を覗いてご覧なさい。……じゃーん♪』

『そう言わないでよ。これもあげるから』

『ピカピカに磨いたただの石ころよ』

『丁重に扱って。私の宝物なんだから』

 

 初めて出会った日の声が蘇る。

 

 いけ好けない女だと思った。

 とんでもない女だと思った。

 

 だのに、()()が手から零れ落ちたと気づいた瞬間──溢れ出す。

 

 

 

「ッッッ、黒蝶ぉおおおおおーッ!!」

 

 

 

 涙と衝動、そして龍気。

 刹那、羅鈿が受け止めていた龍気の凶刃は()()()()()()()()()

 

「ッ!!?」

「魔ァ゛蟲ィィイイイイ!!」

 

 慟哭の如き雄叫びを上げる羅鈿。

 黒蝶の置き土産──新たに分け与えられた龍気も、怒髪冠を衝くように噴き上がる。すると間もなく、龍気が彼の周囲を覆い始めた。

 

──あれは“殻”だ。

 

 肌を焼く龍気の奔流に、魔蟲は誕生を予感した。

 

()()()……」

「──奥義」

「まさかッ!!?」

 

 而して、殻は破れた。

 殻が破れ、生まれ出ずるは黒き蛇影。魔蟲の龍気と瓜二つの象形。

 だがしかし、次の瞬間、紫黒の蛇影より()()()()()()

 

「莫迦な」

 

 唖然と、魔蟲は漏らした。

 

()()()()()

 

 蛇影──否、蛇足を極めた細長き影はみるみるうちに更なる変貌を遂げた。

 

──何故“龍気”が“龍”の名を冠すのか。

 

 龍気とは、気を発する当人の“精神”と“血脈”に左右される。

 それ故、血の繋がった親子の龍気が同じ獣を象ることは多い。

 

 ここからが本題だ。

 龍の名を戴く龍気でありながら、龍を象る龍気使いは余りにも少ない。万象の獣の特徴を有する幻の獣、龍。しかしその特異性を見出した過去の偉人は、龍こそが万華国の象徴だと謳い、こう言葉を残している。

 

 

 

『多民族を統合し、天下を統一せしめた王に相応しい獣だ』

 

 

 

 

──初代皇帝の操る“気”は、“龍”を象っていた。

 

 

 

()()()()()……在って堪るかァァアアアアッッッ!!!!?」

 

 

 

 蜃気楼の如く揺らめく羅鈿の龍気が、とうとう(かたち)を定めた。

 

 

 

 

 

「──〈辰氣楼(しんきろう)〉ッ!!!!!」

 

 

 

 

 

 『遠当て』、そう呼ばれる技がある。

 本来、手の届かぬ場所に立つ相手に当身を加えるという幻の拳。一説には気合で相手を飛ばす武術の達人にのみ許されし奥義とも言われるが、どちらにせよ何とも眉唾な技術だ。

 

 昔の魔蟲ならば一笑に伏していたことだろう──だが、今は違う。

 

 ()()()()

 

(不味いッ!!?)

 

 眼前に迫る(あぎと)

 蛇よりも獰猛な──それこそ肉食獣が如き牙の羅列が視界を埋め尽くす。咄嗟に魔蟲は龍気で自分中心に渦巻かせ、強固な螺旋状の守りを展開する。

 次の瞬間、羅鈿の正拳と共に繰り出された黒き幻獣が魔蟲に襲い掛かった。紙一重だった。あと一瞬遅れていれば無残に食い散らかされていただろうと、魔蟲は内心冷や汗が止まらなかった。

 

「フッ──ハハハハハ、ハァ!!! 残念だったなァ、羅鈿!!?」

 

 羅鈿の、恐らくは決死の一撃を防いだ魔蟲は哄笑する。

 

「土壇場で龍気を昇華させたとは油断ならない奴!! だが、流れは僕に向いている!!」

 

 “水”の龍気は“流動”の特性を持つ、守りに秀でた属性だ。

 如何に強力な一撃も、受け流してさえしまえば致命傷には至らない。

 

「君は僕の守りを破れはしない!! 僕のォ……!!」

 

 バキッ。

 

「勝……ち……?」

 

 異音。

 兆しは不意に、そして迅速に広がっていった。魔蟲を覆う龍気の流れがみるみるうちに鈍化し、立錐の余地もないような龍気の壁に爪を突き立てた。

 鉄を劈くような悲鳴が上がる。魔蟲を守る龍気の毒蛇のだ。

 

「な……何故だ!? 奴は“象”!! 奴は“(ぼく)”の下!! その上に立つ僕が何故ッ!?」

 

 龍気の段階だが言えば、たった今、“象”を発現したばかりの羅鈿に負ける道理はない。そう自分に言い聞かせていた魔蟲だったが、彼は垣間見てしまった。

 

 ()()()()()()()()()()()()()

 

(……()()()?)

 

 瞬間、全てを理解する。

 手掛かりは、これまで歩んできた道に転がっていた。

 

 魔蟲は、転がる石ころに目を遣った。

 

(胡……黒蝶!!)

 

 “水”はあくまで()()の龍気。

 ()()()()()()()は別にあった。

 

 龍気の練り上げ方さえ伝授されていれば、羅鈿が龍気を扱えるようになっていてもなんらおかしい話ではない。この土壇場でもだ。

 

 斯くして、蝶の羽搏きは龍を呼んだ。

 

「そういう……ことだったか」

 

 魔蟲の頭上で雷鳴が轟く。まるで天が割れたかと錯覚させるようだった。

 間もなく全身に稲妻が突き抜けるかの如き衝撃が奔る。

 視界が、暗雲が切り裂かれた時と同様に明瞭となる。しかし、魔蟲の眼前に広がるのは暗い夜の帳。冷たい風が激流の龍気に引き裂かれ、痛みの灼熱に焼かれる肉体に染み込んでいく。

 

 魔蟲は翔んでいた。

 翼も持たずに。

 

「おのれ」

 

 ここは〈栄螺〉の楼閣──それより投げ出された外界の空。

 裏切者の辿る、妥当な末路だった。

 

 

 

 

(シン)……羅鈿(ラデ)ぇえええええええンッ!!!!」

 

 

 

 蛇となった蝙蝠は羽搏く。

 けれども、終ぞ夢見た龍門を登ることは叶わなかった。

 

 蛇は蛇のまま、水底に堕ちていく。

 

 

 

 龍に見下ろされたまま、地よりも深い場所へ──。

 

 

 

 

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