ケーセイケーコク!!   作:柴猫侍

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第肆話:当意即妙

 

 

 

──覚めたくない夢を見た。

 

 

 

 生まれ落ちた瞬間(とき)から人生は決まっていた。

 紅鸞(クラン)血縁集団(キンドレッド)。近親で構成された組織を運営するにあたり定められた血の掟は『親が絶対』。

 

 要は徹底的な年功序列だ。

 年老いた者ほど上の立場に就き、若衆は彼らの言いなりとなり、手と足となって馬車馬のように働く。

 

 命令は絶対。

 失敗は許されない。

 

 若衆同士であっても、この血の掟は変わらない。

 同じ親の下に生まれた兄弟であろうと、そこに家族の情はない。下の者は一番早くに生まれた兄弟に絶対服従を強いられる。

 

 それは、たとえ生まれる順番がほんの僅かしか違わない双子の姉であっても変わらなかった。

 

 命令に従わず見せしめにされる兄弟を何人も見た。

 命令を遂行できず、折檻される兄弟も何回も見た。

 

 百度の成功より、一度の失敗を咎められる。

 現実は余りにも辛く、逃げ場所がなかった。

 

 唯一夢を見られるのは眠っている間だけ。親にも兄弟にも怯えることのない世界は、瞼を閉じている間だけ広がっていた。

 

 

 

『──貴方、凰鸞じゃないでしょう?』

 

 

 

 筈だった。

 始まりは姉の影武者をしていた時だ。元より度々任務で席を外す姉の代役を務めることは多かった。

 

だが、自分の変装を見破ったのは後にも先にも彼女だけだ。

 

『安心して。別に言いふらすつもりはないもの』

 

 () 黒蝶(コクチョウ)

 鳴り物入りで後宮に入内してから間もなく、その美名を後宮どころか多くの役人が務める官公庁にまで轟かせた時の人だ。

 人畜無害な顔の裏で何人もの妃と官吏を陥れた姉でさえ、黒蝶に対してだけは態度が違った。損得感情なしに──いや、彼女にとっては黒蝶との交友こそが最上の得なのだろう。あの現実主義な姉の顔を知る弟として、その熱の入れようは余りにも不気味だった。

 

 だが、この日を境にその認識は改まった。

 

『ねえ、折角だし貴方の話が聞きたいわ』

 

 優雅に茶器を傾ける彼女がそう言った。

 

『大丈夫──凰鸞には秘密にしてあげるから』

 

 己を偽る術しか知らぬ者を前に、その言葉は、余りにも甘い毒だった。

 

『私のこと、“家族”だと思っていいからね』

 

──白昼夢とは、これを言うのだ。

 

 ただただ一人の人間として扱われることの、どれほど貴いことか。

 それを知らずに美貌にのみ目を向ける人の、どれだけ醜いことか。

 

 礼を尽くして義に重んじる。

 彼女の美貌も、所作も、ありとあらゆる人間への心馳せも。

 全ては、彼女の“礼義”の賜物なのだと──そう理解した。

 

 

 

(道理で姉上も入れ込む訳だ)

 

 

 

 覚めないでくれと希うほどの夢。

 自分にとって、それは目の前を舞う黒い夢見鳥だった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「……?」

「あら、御早う。流石、紅鸞で鍛えられた人間は違うわね」

「……黒蝶、様……?」

 

 一瞬、天女が迎えに来たかと鳳鸞は錯覚した。

 だが、目の前の女性は天女よりずっと貴く、美しい。

 

「ここは……一体……?」

「街道よ」

「街道ですって……?」

 

 黒蝶の言っている意味が分からず、周囲を見渡す。

 確か意識を失う寸前は龍気で焼かれた森の中に居た。それが今やどこぞの街道沿いの路傍に寝かせられていたのだ。

 視線を横に向ければ、同様に寝かせられている人影が三つほど。見覚えのある彼らは自分の部下──もとい、兄弟だった。

 

「……何故……?」

「貴方達の苦労は心中察するわ」

 

 口火を切った女の、形のいい眉が下がる。

 憂いを帯びた美貌というのも眼福だ、と思ったその時、激しく胸が痛んだ。動悸かと思うも束の間、そう言えば最後に胸へ一撃叩き込まれたことを思い出す。

 

「だから、治療したと……?」

「そ。後宮の医官たる私が手ずから手当てしてあげたの」

「……有難う御座います」

 

──本当に。心の底から。

 

 想いを寄せる女性からの手当。

 そう考えるだけで苦労が報われるような気持ちで、胸が一杯になった。一杯に……なりはしたが。

 

「しかし、我々は命を果たせなかったし……果たせそうもない」

 

 そう言い切った鳳鸞は、黒蝶の背後に立つ青年を見上げた。

 羅鈿と呼ばれていた青年。黒蝶とは違い、何かがあればすぐ手を下せる雰囲気を放つ彼がある限り、隙を衝いて彼女を連れ去ることは難しいだろう。

 

「紅鸞に失敗は許されない……きっと我々は“折檻”を受ける」

「私を連れ去ろうとしたのは凰鸞? それとも紅鸞の総意?」

「……」

 

 口を噤む鳳鸞。

 今更何を言ったところで運命は変わらないが、組織の一員として叩き込まれた意識が体をそう動かした。

 

 しかし、

 

「──教えて。お願いよ」

「……端を発したのは姉上ですが、そうなるよう仕向けたのが“上”ならば……」

「成程ね」

 

 それを聞いた黒蝶は微笑む。

 背後の羅鈿は『何言ってるか分からねェ……』と、遠回しな言葉の意味をよく理解できていない様子だった。

 

──こんな奴が黒蝶様の護衛とは。

 

 一抹の心配を覚えつつも、鳳鸞はこれが最期と口を開く。

 

「黒蝶様、お願いがあります」

「却下」

「どうか私の──えっ」

 

 面食らう鳳鸞を置いてけぼりにし、黒蝶は腰まで届く長髪の中に手を突っ込んだ。そのまま取り出されたのは掌大の貝殻。開かれた貝殻の内側に塗りたくられていた紅色で、それが紅板のような化粧入れだと理解できるだろう。

 

()が納得すれば解決よね。なら簡単だわ」

「何を……!?」

「文を書くの。これをあの子に渡して頂戴」

 

 しかし筆がない。

 どうするのかと周囲が首を傾げていれば黒蝶は躊躇うことなく自分の髪をひと房掴み、それを筆として走らせる。

 あっという間に一筆したためた彼女は、それを鳳鸞の懐に潜り込ませる。有無も言わさず早業だった。

 

「これで貴方達は大丈夫。私のお願いだもの。あの子も無下にはできないわ」

「黒蝶様……」

「それに……貴方のことは個人的に好きだしね」

 

 そう告げて黒蝶は秋波を送る。

 想い人からの目配せ。そうでなくとも絶世の美女から向けられる清艶な所作だ。

 

 これで堕ちねば男ではない。

 いや、女でも堕ちるのだ。

 これで堕ちねば人ではない。

 

「……格別のご高配、誠に、誠に……!」

「お礼はまた今度。しっかり傷を癒してから頂戴♡」

「は!」

 

 感涙に咽ぶ鳳鸞につられるように、同じく横たわっていた兄弟らも涙を流す。

 二重の意味で命を救われた彼らは、『それじゃあね』とヒラヒラ手を振って馬車に乗り込む黒蝶へいつまでも感謝の言葉を口にしていた。

 

 彼らの姿が豆粒のように小さくなるまで、声は澄んで響いていた──。

 

 

 

 

 

 

「……悪ィ女」

 

 十分に距離が開いた頃、羅鈿が口を開いた。

 

「なんでわざわざあいつら助けたんだよ?」

「『好きだから』じゃ駄目かしら」

「黒道は嫌いなんじゃ?」

「あら。ちゃんと話聞いててくれたのね」

「おい」

 

 茶化すような言い草に苛立つ羅鈿。

 人によれば殺気とも感じる感情の棘。しかし、それを向けられる黒蝶はと言えば、何とも涼しい顔を浮かべていた。

 

「別にふざけてなんかいないわ。黒道が嫌いなことと、人間的に好いているかどうかは別の話でしょう?」

「……黒道って時点で碌でもねェだろ」

「世の中にはね、望むと望まざるに拘わらずそうならざるを得なかった人々がたくさん居るの」

 

 そう言い切る黒蝶はどこか遠い場所を見つめていた。

 いつの時代だって子は親を選べない。

 言われてみればそうだ。誰だって選べるのであれば、貧しい生活や流血沙汰から無縁の人生を送りたいと願う筈。

 

「分かる? この国の窮状が」

 

 だが、今の世はそうもいかない。

 何百年も続く皇帝による統治は、それ以前の乱世と比べれば平穏な世を築き上げた。敵の一族を根絶やしにする野蛮人の価値観から、着実に民度は上がっていた筈だ。

 

──それが、今はどうだ?

 

「国と法が真面に機能していないから人々は道を踏み外すの。自ら危険に命を投じるのは、そうしなければ生きられない世の中になってしまっているからこそよ」

「それは……」

「最近は隣国との情勢だって怪しいわ。聞くところによれば、皇帝に反旗を翻そうとしている勢力が隣国から武器を輸入してるって」

 

 笑えるでしょう? と。

 冗談には聞こえない口調で、笑った黒蝶が言い放った。

 

「……笑えるかよ」

「そうよね。()()()()()()()()()()()

「?」

 

 羅鈿には、一見それが前後と脈絡がない言葉のように思えた。

 何度か反芻して理解を試みる。

 けれども、どう頑張っても言葉の真意にまでたどり着くことは叶わない。

 

「あー……悪ィんだけどよ、学のねェ莫迦でも分かるように言ってくれねェか? お前はどこで何をしたかったんだ?」

「革命よ」

「革……?」

「後宮──正確には立后してからやる予定だったんだけどね。……ああ、勘違いしないでよ? 革命って言っても武力蜂起とかじゃない真っ当な改革よ。そこは安心して頂戴」

「いや、いや、いやいやいやいや!」

 

 『ちょっと待て』と羅鈿。

 

「お前が皇帝を暗殺しようとしたんじゃねェのか!?」

「だから冤罪だって。立后目前で皇帝を暗殺しようとする人が居る?」

「じゃあなんでお前追放されてんだ!?」

「考えられる理由は山程あるわ。私に皇后になられたくない妃とか、私に皇帝の物になられたくない役人とか。ま、一番の理由は八方美人が過ぎたことかしら?」

「……駄目だ、全っ然理解できねェ」

 

 どうして八方美人が過ぎると皇帝の寵妃が追放されるのか。

 それは後宮とは縁も所縁もない羅鈿には、完全に理解の外にあった。

 

「……信用できない味方は居ない方がマシって話」

「は?」

「私を蹴落としたい勢力と手に入れたい勢力。双方の陰謀が絡み合った結果よ」

 

 そこへ見かねた黒蝶の要約が入る。

 羅鈿は、ここでようやく彼女を取り巻く事件の全貌が見えてきた。

 

 何らかの形で彼女は皇帝暗殺未遂の犯人として、罪を被せられた。

 皇帝への謀反は重罪だ。極刑、あるいはそれに準ずる重い処罰が課される。

 

 黒蝶の立后を望まぬ妃からしてみれば、まさに絵に描いたような展開だ。

 一方で、彼女を慕う者達は違う。男や女、果てには宦官に至るまで。黒蝶を慕う者達は、それが冤罪だとして減刑を主張した。

 

 しかし、中にはこう考える者達も居た。

 

──黒蝶という至宝を手に入れる絶好の機会だ。

 

「流刑に処される道中、罪人が殺されたり連れ去られたとしても、それ以上役人は関与しないわ。死亡か行方不明ってことで処理する」

「……おい、まさか」

「紅鸞は紳士的よ。なんたって純粋に私の身を案じてくれたんだもの。……けど今後はもっと過激な人達が私を狙いに来るかも♡」

 

 あるいは攫いに。

 あるいは殺しに。

 

 どちらにせよ、彼女の口振りや今まで見た周囲の反応を考慮するに、彼女をつけ狙う者達は相当数居ると見て間違いない。

 

「冗談じゃねェー! あんなヤバい奴らがまだまだ来るのかよ!?」

「またまた……私を守ってくれた癖に」

「そういう契約だからなっ!」

 

 断固として嬉々としながら命を呈した訳ではない。

 羅鈿はそう訂正した。

 

「クソッ! やっぱこの仕事は外れだ! 命がいくらあっても足りゃしねェ!」

「安心なさい。貴方の腕っぷしと私の龍気、二つ揃えば敵なしよ」

「また()()やるのか!?」

「接吻ね」

「憚られるわっ!」

 

 特に人前では。

 

 刺客が来る度に接吻する護衛と護衛対象の女。相手からすれば『何しているんだこいつら』と、変なものを見る視線を向けられること請け合いだ。

 いや、変なものを見られる視線ならばまだいい。困るのは先の鳳鸞の如く、黒蝶に執着するが余り、激高や憎悪といった感情を抱く連中と対峙した場合である。

 

「余計な喧嘩を俺が売る羽目になるだろうが!」

「ちなみになんだけど」

「……なんだよ」

「貴方に捧げた唇……私の“初めて”♡」

「墓場まで持ってく秘密だろそれ」

 

 大勢を魅了する傾国の美女。

 誰もが欲している彼女の初物など捧げられてみろ。最初の権利を得られなかった野郎共──あるいは女共からも嫉妬と憎悪を向けられることは想像に難くなかった。

 

「墓場まで持ってってくれるの? 浪漫的♪」

 

 だというのに、この女。

 ポッと紅潮した頬を両手で押さえる姿は、今後自分に降り掛かる苦労というものをまるで考えていない様子だった。

 

「お花畑頭が……」

「でも、花がなければ蝶も寄ってこない」

「いッ!?」

 

 ポツリと独り言ちた瞬間、馬車から飛び降りてきた黒蝶が羅鈿に顔を寄せてくる。

 鼻先と鼻先が触れ合う──その気になればすぐにでも唇を重ねられる距離で見つめられ、羅鈿は思わずどぎまぎする。

 

「都合の悪い現実ばかり想像していたって、明るい未来は訪れないわよ。……貴方に夢はある?」

 

──無いなら私が見せてあげる。

 

 それだけ言って、黒蝶は再び馬車へと舞い戻っていった。

 

 嵐のような女だ。

 いや、嵐を呼ぶ蝶と言うべきか。

 

(……退屈は……しなさそうだな)

 

 波乱万丈な人生は今に始まったことではない。

 けれども、此度は過去のいずれよりも激しい嵐に見舞われそうだ。

 

「その為にも」

「?」

「私のこと……死ぬまで守って頂戴ね♡」

「……上等だ」

 

 呆れと諦観、そしてほんのわずかな希望を胸に。

 

「俺が死ぬまで守ってやるよ」

 

 彼は便利屋から護衛として、彼女の道に付き従う。

 

 

 

 羅鈿と黒蝶。

 野良犬と胡蝶。

 路傍の石ころと後宮の黒真珠。

 

 

 

 まったくもって正反対な彼らの旅路は、今日、この瞬間から始まるのであった。

 

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