ケーセイケーコク!!   作:柴猫侍

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第陸話:青天霹靂

 

 

 

 路銀がない。

 余りにも切実で切迫した問題だった。このままでは報酬の大金を得る前に餓死するやも知れぬ状況を打破するべく、黒蝶が打って出た手は、まさかの短期雇用(アルバイト)であった。

 

 首都の名のある菜館ならまだ分かる。

 けれども、そこいらに暖簾を掲げているような店では、得られる給金も高が知れているというものだ。

 

 加えて、忘れてはならない刺客の問題。

 彼女を取り巻く話を信じるのであれば、先日相まみえたのと同じ刺客が襲い掛かってくる筈だ。つまり悠長に時間を掛けている暇はないのだ。

 

 菜館で働き始めて早三日。

 黒蝶と羅鈿の現状はと言えば──。

 

「お待たせしました、酸菜魚(スワンツァイユィ)です」

「うへへ……あ、ありがとう」

「お熱いのでお気をつけて♪」

「お姉ちゃ~ん! こっちも注文いいかい?」

「はぁ~い!」

 

 大繁盛だった。

 重ねて言おう。

 大繁盛だった。

 

 店内どころか、外の長蛇の列を解消するべく特別に用意した屋外座席までもが満席だ。余った椅子や木箱までもを食卓とし、それでも卓に着けない客はと言えば立ち食いを甘んじている有様である。

 そこまでして彼らが訪れる理由──それは忙しなく働きながらも笑顔を振りまく看板娘の存在だった。

 

 時には厨房。時には配膳。

 何時何処に姿を現すかは運であり、仮に姿を見られるとしても一瞬。粘って遅々と食事しようものなら他の客に睨まれ、居座りが過ぎて店の用心棒らしき青年に蹴り出される者もチラホラ居る。

 

 それでも客は、彗星の如く現れた絶世の美女を一秒でも長く目に焼き付けんと奮闘していた。

 適度なペースで注文し続けねば居座りは許されない。結果、注文は定期的に入ってくる。店内も店外も大盛況のまま注文が続いていけば、それだけ売り上げは比例して伸びていく。

 

 黒蝶がやって来て五日目。

 すでに今日の売り上げは、開店至上最高の売り上げを達した初日の倍額を超えるに至っていた。

 

 普段なら閑古鳥が鳴く店内で欠伸を掻いている禿げ頭の店主も、今日だけは嬉しい悲鳴を上げて厨房を駆けまわっていた。

 

「はぁ~忙しい忙しい! この調子じゃあ仕込んだ食材全部なくなっちゃうヨォ~!」

「店主さーん! 餃子追加いけるー!?」

「もう手当たり次第作ってるヨォ~!」

 

 最早注文を聞いてからでは間に合わない。

 先に作れる分を作って、注文が入ってから提供するような有様だ。それでも料理が冷めていない熱々の状態で運ばれるというのだから、注文の速さが察せよう。

 しかし、それほどまでの回転率。当然だが空いた皿が出てくるペースも尋常ではない。両手に指の数より多い皿を運んでいった黒蝶が、帰りには山積みの皿を抱えて厨房に戻ってくる。

 

 最早、最早大道芸に等しい光景だ。

 だが哀しい哉。ここが劇場でない以上、汚れた皿を処理する役目は誰かが担わざるを得ない。

 

 厨房が店主。

 配膳が黒蝶。

 となれば、残るはただ一人。

 

「羅鈿、追加でお願いね♪」

「クソがァーーー!!」

「口より手を動かして。……あっ、どうせなら口も使ったらどう?」

ふほはぁ(クソがァ)ーーー!!」

 

 洗い場には修羅が居た。

 速過ぎる余り八面六臂に幻視してしまう皿洗いの鬼、羅鈿。昨日の客足を鑑み、本来の許容量を大きく超えた食器を仕入れた洗い場には、最早置き場すらない皿が山積みと化していた。

 辛うじて皿の摩天楼が倒れていないのは偏に羅鈿の身体能力あってこそ。それでも傾きつつある皿の楼を前に、羅鈿は言われるがままいくらか皿を口に咥えて事なきを得る。

 

「あははははっ! 本当にやってるっ!」

(この女ァ……!)

 

 それを見て、黒蝶爆笑。

 対する羅鈿、超激おこ。

 

 ただでさえ不服な就労だというのに、これほどまでの激務を強いられるとはまったくもって予想外だ。

 けれども、彼は黒蝶に逆らえない。

 過酷な業務に耐え兼ねて逃げ出そうものなら、もれなく心臓が爆ぜて死ぬ。いや、実際爆ぜるか真偽は定かではないが、それに匹敵する激痛は襲い掛かる。

 

 行き場のないこの怒り、どうしようものか。

 そう考えている内にも追加の皿が積み上がっていくものだから、羅鈿は皿洗いに邁進することしかできない。

 

 彼は、昨日と今日とで皿洗いの達人に成っていた。

 水気を拭う布巾など疾うに擦り切れた。故に思い切り振って水気を振り払うのだが、台風の雨粒よりも激しい水滴に、洗い場の土間部分が段々と削れ始めている。洗い場に運河が出来るのも時間の問題だった。

 

(これで給料少なかったら許さねェぞ!)

 

 売り上げに比例した苦労を掛けられている分、支払われる給金への期待は高まる。というより、高くなければ許せない領域に達していた。

 今日に至るまで便利屋として様々な業務を経験してきた羅鈿があるが、ここまで忙しい仕事は初めてだ。皿洗いは飲食店にとっての要。皿洗いの速度がそのまま回転率に繋がってくる以上、手を抜くことは許されない。

 

「羅鈿、これも追加でね」

「またかッ!? 調理間に合ってんのかよ!」

「私も厨房手伝ってるしね。安心して頂戴」

「クソッ! てめェが料理出来るばかりに!」

「だって私、お料理屋さんで働くのが夢だったもの」

「……それで菜館(ここ)選んだんじゃねェだろうな!?」

「ふふっ♡」

 

 まさかの理由だった。

 だが、真偽を確かめる前に黒蝶は洗い終わった皿を持って去る。箸しか持ったことがないような見た目をしている癖に、随分と大量の皿を持っていく。

 彼女の美貌と大道芸染みた配膳。最早、味と関係のない点で面白いもの見たさで集客しているような状況。

 

 だからこそ、時折こういった客も現れる。

 

「へへっ」

「よっと」

「あっ!」

 

 テキパキと配膳する黒蝶の臀部に迫る手。

 しかしながら、まるで見えていたかのように躱した黒蝶は、手を伸ばしてきた客に向けてにっこり笑顔を向ける。

 

「お客さん。お触り厳禁ですよ」

「別にいいじゃないか。減るもんじゃ……ひっ!?」

「お触り、厳禁です」

 

 笑っているのに笑っていない。

 美人は怒ると怖いとよく言うが、それが最上級ともなれば尚更だ。有無を言わさぬ迫力を伴う笑顔の圧に、痴漢を働こうとした客は肩を窄めた。

 加えて看板娘目当てにやってきた他の客からの視線もある。聖域を穢そうとした愚行に対する視線は厳しい。あっという間に居た堪れなくなり勘定を済ませる客は足早に店を去っていった。

 

(ああいうお客さんは困るのよね)

 

 黒蝶も昨日今日で絶世の美女になった訳ではない。

 その為、いくらか自分が原因で起こってしまう事態はある程度把握していた。

 

(流石に刃傷沙汰は騒ぎになっちゃうし……)

 

 ただし次元(レベル)が違う。

 人を狂わせる魔性。それは時に他者への危害すら省みなくさせる。黒蝶が後宮に入内した当初、彼女に手を出そうとした輩を私刑に処した事件がいくつか起こった。

 

──女は欲情し、年老いた宦官は失った逸物が勃起する感覚を思い出す。

 

 過去の傾国の美女を鼻で笑うと称される美貌。

 その力は性的な魅力を通り越し、神仏に向ける崇拝の念を湧き上がらせる次元に至っていたのだ。

 

 何時の時代でも信仰する神を貶められた信者の行動は過激だ。

 既に今でも客達の間には『黒蝶に触れるべからず』と言わんばかりの空気が醸成している。先の客も、あのまま避けずに接触を許そうものなら、他の客からの袋叩きに遭っていたことだろう。

 

(気をつけないと。それに触らせてあげるのは──うん?)

 

 考え事をしながらも完璧に配膳と接客をこなす黒蝶。

 だが、一瞬彼女の動きが止まる事態が起こった。

 

 店内の卓に着いているとある団体客。

 下卑た視線は黒蝶の頭の天辺から足の爪先をじっくりと舐め回していた。特に注視されていたのは顔や胸。分かりやすいことだと考える黒蝶は、それでも笑顔を崩さない。

 

(はてさて。どうしたものかしら)

 

 輩共の衣服の隙間からは、厳めしい刺青が覗いていた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「……あ?」

 

 皿の山が減っている。

 羅鈿にとってそれは異常事態だった。ここ数日、開店直後から閉店間際まで皿の山が消えたことは一度たりともない。

 故に、皿の供給が途絶えた=厨房若しくは客席での厄介事を意味していた。

 

 ただし厨房の場合、大抵は黒蝶が補助に入るので大事には至らない。

 しかし、試しに洗い場から離れようとした途端、それなりの痛みが胸に奔る。そのことから厨房に彼女が居ないことは明白だった。

 

「──」

 

 すぐさま羅鈿は客席へと向かう。

 道中、厨房ではわはわと焦っている店主を見かけたがこれは無視。そのまま颯爽と客席に到着した羅鈿は目撃する。

 

 呆然と、あるいは怯えた様子で傍観する客達。

 それを見た羅鈿は迷いなく、騒ぎの中心へ足を進めていった。

 

 

 

「──だから言ってるだろォ!? ここは俺達のシマの店なんだよ! なのに仁義を切らずに商売とは何ごばっはぁ!?」

「ぃ喧しい俺の手を煩わせんじゃねェぞボケがこちとら忙しいんだ腹減ってイライラしてるんだったら食らわせてやるよ俺の拳をなァーーーーーッ!!」

 

 

 

 鉄拳制裁。

 黒蝶と口論していた男は、到着するや否や全力で土手っ腹に拳やら掌やらの満漢全席(フルコース)を喰らう。

 吐くほど満足してくれたのか、白目を剥いた男は泡を吹きながら床に崩れ落ちた。

 

「あ、兄貴ィー!?」

「てめェよくも兄貴を!」

 

 兄貴分がやられて騒ぎ立つ男達。

 恐らく子分なのだろう。気絶した男と同じ刺青を彫った子分達は、殺気立ったまま様子で羅鈿に迫っていく。

 

 一触即発の空気に店内は騒然とする。

 言い掛かりをつける輩は見るからに堅気ではない、黒道だ。

 このままでは巻き込まれる──危機感を覚え、入口の方へと逃げる客達であったが、それは叶わなかった。

 

「ちょ~っと御免よォ」

 

 立ち塞がる壁。

 否、()()

 

 壁と見紛うばかりの偉丈夫が、そこには在った。衣服の上からでも見てとれる巍然屹立とした肉体は、男でも……いや、男だからこそ見惚れてしまう力強い美しさがあった。

 

 まさに神に愛された肉体。

 この肉体美、目に焼き付けなければ損だろう。

 

 事実──。

 

「失礼ェ」

「うぉお!? だ、誰だ……あぐぅ!?」

 

 偉丈夫が騒ぎ立てていた黒道の首根っこを締め上げるように抱きかかえた。

 余りにも体格差がある為か、それだけで足は浮き、絞首刑の如く動脈が圧塞されていく。訳も分からぬまま抵抗する黒道ではあるが、締め上げる腕はピクリとも引き剥がせない。

 

「んがっ……!?」

「堅気に迷惑かけるたァ、こっちのモンは礼儀がなっとらんのォ。親の教育はどうなっとるんじゃあ?」

「く、くるぢッ……死゛ぬ……!」

 

 

 

「──和仁(ワニ)。そこまでだ」

 

 

 

「おっ」

 

 暖簾でも潜るように、巨漢の腕の下から現れる女性。

 彼女の一声を聞くや、『和仁』と呼ばれた男はパッと腕の力を緩める。そこでようやく窒息を免れた訳だが、最早自力では立ち上がれない様子を見かねた仲間の手によって外へと運び出されていった。

 

「ち、畜生! 顔は憶えたぞォ!」

「おっ、嬉しいのォ! また会いに来てくれや!」

「和仁。あまり煽ってやるな」

 

 クツクツと笑う女性。

 どうやら偉丈夫の連れらしき彼女は、怪訝にしていた羅鈿に『騒がせたな』と謝罪しつつ、空席となった卓を指差す。

 

「ここの席、いいか?」

「はい。どうぞ」

 

 すぐさま切り替え、案内を始める黒蝶。

 だが、彼女の視線は来客の女性に釘付けであった。頭巾(フード)こそ被っているものの、なだらかな曲線を描く肉体美は早々磨き上げられるものではない。

 時折匂い立つ香も平民が使う安物ではない。後宮でも上級妃が好んで使う、最上級の逸品の香りが彼女の一挙手一投足に乗ってくるのだ。

 

「ご注文はいかがなさいますか?」

 

 しかし黒蝶は、変わらぬ笑顔・変わらぬ美貌で応対する。

 

 頭巾の女性は『ふむ……』と悩まし気な声を漏らし、店内に掲げられた献立(メニュー)の木簡を見上げる。

 その際、彼女は徐に頭巾を脱ぎ捨てた。直後、店内におおと感嘆の声が上がる。

 

 透き通るような銀髪に鮮やかな翡翠の目。

 万華国の地でも東領・蒼爪に多い特徴を持った素顔は、黒蝶に負けず劣らずの美貌を誇っていた。ややツリ目で強気な印象を与える顔立ちなのは男性陣からすれば委縮する点かもしれないが、その辺りは最早個人の趣向の範囲だろう。

 

 兎も角、美女が二人相対す。

 さながら相博する竜虎を思わせる状況だ。今、この場で万華国一の美女が何方か雌雄を決す戦いが始まったとしてもおかしくはない。

 

「そうだな……」

 

 客の美女が指を指す。

 献立を右から一つ、二つと数えていくように探していく。

 

 そして、最後に。

 

「お前が欲しいと言ったらどうする」

 

 黒蝶を指差した。

 

「どうだ? () 黒蝶(コクチョウ)

「……香羅(カグラ)様」

「その名は捨てたよ」

 

──()()()()()()()

 

 そう言い切り、香羅と呼ばれた美女は笑う。

 尖った歯を剥き出しにするように。

 

「……ところで」

「うん?」

「ご注文は、いかがなさいますか?」

「おっと。そうだな……お前が作ってくれる料理ならなんでもいい」

「かしこまりました~♡」

 

 注文が確定したところで、黒蝶は厨房に向けて翻る。

 その道中、置いてけぼりにされていた羅鈿の肩に手を置き、軽く耳打ちをした。

 

「羅鈿、()()()()()()。丁重に扱って頂戴」

「叩き出せばいいのか?」

「違うわよ。言葉通りの意味。……貴方って狂犬?」

「誰の所為だ」

「はいはい、ごめんなさい」

 

 羅鈿も只者ではない雰囲気は薄々感じ取っていたのだろう。

 しかし、通常営業だと伝えられ、舌打ちをしながら持ち場へと戻っていった。けして、再びあの激戦地に戻らなければならぬことを理解したからではない。

 

 一方、最低限の内容を護衛(ラデン)に伝えた黒蝶は厨房に立つ。

 

 

 

「さてと……どう捌こうかしら」

 

 

 

 小さくぼやく黒蝶は魚を一尾手に取った。

 丸々と太った立派な河豚。

 捌き方によっては美味にも毒にもなる魚を目の前に、黒蝶は包丁を握りしめた。

 

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