ケーセイケーコク!!   作:柴猫侍

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第漆話:志操堅固

 

 

 

 菜館が店仕舞いしたのは陽が沈む前の事だった。

 

「それじゃあ羅鈿。見張りよろしくね」

 

 そして、羅鈿と黒蝶は今、銭湯の前に立っている。

 

「……おう」

「ちなみにだけど」

「あ?」

「今日は覗いちゃ駄目よ」

「いつもは覗いてるみたいに言うな」

 

 凄まじく語弊のある発言だった。

 ただでさえ周囲から集まる視線に殺気が宿るのを羅鈿は感じ取る。が、すぐさま睨み返して黙らせた。

 

「喧嘩しないで仲良く待っててね。約束よ」

「……善処する」

「じゃあ、これはその前払い」

「んむぅ!?」

 

 不意打ちの接吻に襲われ、羅鈿の瞳が大きく剥かれた。いきなり唇を重ねられたこともそうだが、ふわりと匂い立つ甘露な薫香にも驚かされる。

 

「頑張ってね、私の番犬(ワン)ちゃん♡」

「こ、此奴……!」

 

 人の気も知らない黒蝶は、そう言って銭湯の暖簾を潜っていく。見送る羅鈿の顔は、風呂にも入る前から逆上せていた。

 

和仁(ワニ)、お前もだ。無駄に騒ぎを起こすなよ」

「応」

 

 同時にもう一人暖簾を潜る人物。

 昼間、菜館に訪れた翡翠の双眸に透き通る銀髪を靡かせる美女だ。『香羅(カグラ)』か『愛渦(ラブカ)』と名乗っていた筈だが、どちらが本名かは羅鈿の知るところではなかった。

 ただ彼女も高い身分の持ち主なのだろう。一人の護衛を引き連れていた。

 『和仁』と呼ばれていた巨漢。平均的な身長を持つ羅鈿よりも頭一つ分大きいと言えば、どれほどの上背を持つかはある程度想像できよう。

 

「……」

「……」

 

 だが、()()は想像できなかった。

 

「何でこんな奴と警護を……!」

「まあまあ、そう言うな。お上が仲良しなんじゃ。儂らも仲良しこよししようや」

「誰が黒道なんかと仲良くするかッ!」

 

 厳つい強面に相反し、中々友好的に接する和仁。

 ただ、羅鈿にとっては既に超えてはならぬ線引きを越えている相手だった。

 

「刺青が見えてんだよ! 服の隙間から!」

「服の隙間から? ……助平め」

「喧しい! 隠せッ!」

「でも格好いいじゃろう? お(かしら)が儂の為に手ずから絵図を描いてくれてのぅ」

「堅気ビビらせてるって言わなきゃ伝わらねェか?」

 

 羅鈿に指摘され、ようやく和仁は周囲から向けられる視線に気づく。

 強面に刺青。ただでさえ庶民を畏怖させる特徴に加え、屹屹たる山の如き筋骨隆々な巨体と来た。何も知らずに湯浴みに着た庶民が蜻蛉返りで帰路に就く姿がチラホラ見える。これでは立派な業務妨害だ。振り返って銭湯の方を覗いてみれば、番頭が涙目を浮かべている姿が見える。

 

 あちゃあ、と和仁は自分の頭を叩く。

 

「こりゃあイカン。その通りじゃ」

「これだから黒道は……」

「なんじゃ? 黒道は嫌いか?」

「逆に訊く。好きになる要素あるか?」

 

 わざとらしい茶目っ気が羅鈿の神経を逆撫でしたのは、彼が生粋の黒道嫌い故だ。

 巨体に似合わぬ円らな瞳で見つめてくる和仁へ、羅鈿は歯を剥き出しにしてこう語った。

 

「金はケチるし嘘は吐く。おまけに約束も守らねェ。好きになる方がおかしいだろ」

「カカッ! そりゃ碌でもない奴らじゃのう」

「他人事みてェに言うな。てめェらの話だよ」

「何を言っとる。儂らは“江湖(ごうこ)”。弱者を食い物にする黒道とは違う」

 

 飽きる程聞いてきた言い分だ。

 だが、当の和仁は、それはそれは眩しい笑みを顔面に咲き誇らせる。顔面凶器と呼んで差し支えない強面に笑みが咲いたところで溢れる威圧感に変化はないが。いや、むしろ恐ろしさが増している気がしないでもない。

 

「何が違ェんだよ」

「江湖は武侠──“仁義”の道に生きる人間を指す言葉じゃ。黒道が肥やすは己の私腹じゃが、江湖が満たすは飢えた子供の腹じゃ」

「……ふぅん」

「ウチのお頭は大層立派でのォ、あれこそ仁義の御方じゃ。腹を空かせた儂の面倒を看てくれた。今の儂があるのはお頭のおかげよ」

 

 お頭──つまり、先程黒蝶と共に入っていった美女だろう。整った身なりを見るからに相当羽振りは良い筈だ。つまりは、その姿に裏打ちされる地位と財力がある筈だ。

 

(金持ちの道楽だな)

 

 顔の広い黒道ほど、表と裏の顔を使い分ける。偽善者ぶって地域の住民の信頼を得ている黒道のタチの悪さは、羅鈿もよく知るところであった。

 

(こういう手合いは一番喧嘩を売りたかねェ……)

「おっと! そう言えば……ほれっ、頭からの手土産じゃ」

「あ?」

 

 手土産も何も初対面だ。意味が分からず羅鈿は訝しんだ。

 だが、次の瞬間に差し出される革袋。その中よりギラギラと眩い輝きを放つ銀色を目の当たりにした時、思わず生唾を飲み込む音が響いた。

 

「なんだこれ?」

「銀じゃ! 向こう十年は遊んで暮らせる額とか言ってたのォ」

「……どういうつもりだ?」

 

 しかし、ここでまんまと受け取るほど羅鈿も愚かではない。

 

「『黒蝶を売れ』──そういう意味か?」

 

 それなら買うしかない、この喧嘩を。

 皮が突っ張って軋んだ音が鳴る。その音は、握りしめられた羅鈿の拳より奏でられていた。

 

 一触即発。

 鉄炮(ばくだんの)導火線に火が点いたかの如き緊張感を前に、和仁は慌てて体の前で手を振る。

 

「まあ待て。せっかちは嫌われるぞ。意味が違うわい」

「あ゛? じゃあなんだよ」

「頭と黒蝶嬢が“友”なのは薄々分かっておるじゃろう」

 

 わざわざ刺客を差し向けられている中、護衛を外して裸の付き合いをするほどの仲だ。

 

「まあ、なんとなくはな」

「頭はのォ、友が追手や刺客に狙われている状況を見過ごせぬ義理堅い御方じゃ」

「……はあ?」

「つまりじゃのォ──黒蝶嬢の護衛を儂らに任せろ。()()は、そのいわば手付金じゃ」

 

 つまり、()()()()()()()()()()()()()()()()という意味だろう。

 

「……いつ聞いたんだよ」

「さてな。まあ今頃、中じゃお頭がナシを付けている筈じゃ」

「聞いてないんだが?」

「話したの今じゃしのォ」

「しばくぞ」

 

 思わず手が出そうになるがグッと堪える。

 一応、黒蝶には『仲良くしろ』という指示が出ているのだ。苛ついたからと言って、軽々と手を出していい理由にはならない。

 

 余程の理由がなければ──。

 

「悪い話じゃああるまい。主は金を得られる。お頭は友を救える。黒蝶嬢も守られる。これぞまさしく三方良しじゃ!」

「……で?」

「『で?』、とは?」

「仮にナシが付かなかったらどーすんだ?」

 

 ここまで和仁は話が都合よく進んだ仮定の下で話している。しかし、黒蝶が話を拒否する可能性は十二分にある筈だ。

 

「俺はこれでも、一応、全くもって不服なことこの上ねェが──黒蝶(あいつ)の用心棒なんだよ」

「……ほォ?」

「だから、雇い主がどうこう言うより前に、俺から契約を破るような不義理はしねェ。絶対にな」

 

 問題は、()()()()()()

 隠し切れぬ敵意が、眼光となって和仁の肌を突き刺している。

 

「で? こうなった場合はどうする気だったんだ?」

「フゥム……弱ったのォ。儂好みな“(おとこ)”じゃ」

「……あ゛?」

「儂としても全くの不本意だが──こうするしかないのォ」

 

 そう言って和仁は握った拳を掲げた。巌の如き骨張った拳だ。殴られれば容易に骨を砕かれる光景が目に浮かぶようだった。

 

(……()()()()、か)

 

 羅鈿は唇に触れ、微かに残る温度と香りを思い出す。

 直後、熱気が噴き出す。

 銭湯から溢れ出たものではない灼熱の熱気。たった今銭湯に訪れた客足を遠のかせるほどの敵意──あるいは戦意を滲ませる両雄は、ぶつけ合う眼光から火花を散らしていた。

 ただし、それは唯の熱気ではない。

 

「ほォ……龍気か」

()()もか?」

 

 羅鈿からは紫黒の。

 和仁からは青緑の炎──否、龍気が噴き上がっていた。

 

 それはまさしく殺気の表れ。

 腕に隆起する血管が導火線ならば、拳は鉄炮(ばくだん)だろうか。

 

「……てめェと仲良くしろとは言われたが」

「喧嘩するほど仲が良いとも言うのう」

 

 握った拳の骨が鳴る。

 残る導火線もあと僅か。

 

「負けても泣くなよ?」

「安心しろ。泣く子も黙る男前がこの儂じゃ」

「言わせてるだけだろ」

「よォし。主も男前にしてやる」

 

 拳を振りかぶる両者。

 そして、堅く握りしめられた拳は真っすぐ突き刺さった。

 

「ぽがッ!?」

「ぎびぃ!?」

 

──互いの背後に居た人間に。

 

 ゆっくりと拳を引き抜けば、あろうことか匕首を握っていた男達は同時に膝から崩れる。

 

「……誰だ? こいつら」

「主の客じゃないのか?」

「客の顔なんていちいち憶えてねェよ……って」

 

 心当たりを頭の中から探し出そうとすれば、間もなく足音が聞こえてきた。それも一人二人ではない。

 

「……チッ。()()()()()かよ」

 

 銭湯の入り口を取り囲む大勢の人間。

 誰も彼もが剣呑な雰囲気を垂れ流しており、事実、彼らの手には穏やかではない凶器が握られていた。

 

「成程(のう)。主の御嬢の方か」

「汗臭ェ野郎共が集まりやがって。女の風呂を邪魔すると怖いって知らねェのか?」

「知らんから来たんじゃろう。どうする? 不安なら手を貸すぞ」

「あ゛あん!? 誰がてめェの手なんか──」

 

 

 

「デカブツぅ!! よくも昼は邪魔してくれたなァ!!」

「俺達の顔に泥塗りやがって……この落とし前はデカいぞ!!」

「生きて帰れると思うなァ!!」

 

 

 

「あり?」

てめェの客(ご来店)じゃねェかッ!!」

 

 思わず羅鈿は和仁の尻を蹴る。が、硬すぎて逆に脛を痛めた。

 

「おい、どうすんだよ!?」

「仕方ない。此奴らは儂が接客する。主は物見遊山でもしておれ」

「……手は貸さなくていいのか?」

 

 先の提案の意趣返しに羅鈿は問う。

 が、しかし。

 

「カカカッ! なんじゃあ? 主はこの程度の人数でもう駄目か」

「あ゛ぁん?」

「そーかそーか。儂にとっちゃこの程度、多勢の内にも入らんが(のう)

 

 ドスドスと重厚な足音を鳴らし、黒道の前に恐れず躍り出る和仁。

 筋骨隆々な偉丈夫が凶暴な笑みを湛えながら迫るのだ。それだけですでに威圧感は凄まじく、数人の黒道が畏怖の声を上げて後退る姿が見える。

 

 だが、頭と思しき黒道が叫ぶ。

 

「わざわざ一人でのこのこと……まずはこいつから血祭りだァ!!」

『おぉ!!』

 

 

 

「上等。全員まとめて遊んでやろう喃」

 

 

 

「その次にあの後ろでスカした野郎だァ!! あいつも殺るぞォ!!」

『おぉ!!』

 

 

 

「は?」

 

 

 

 火事場に居れば、否が応でも火の粉は降りかかる。

 羅鈿は成程と頷く。けれども、一分たりとも納得はしなかった。

 

 

 

「俺を、巻き込むんじゃねェエエエ!!」

 

 

 

 羅鈿の悲痛な叫びは、もうそろ夜の街に響き渡った。

 

 

 

 ***

 

 

 

 蒸し風呂を嗜む美女が二人。

 どちらも目が眩むような美貌を持っており、元々蒸し風呂に入っていた女客達は、熱い蒸気とは違う理由で火照りを覚えた。

 しかも、間もなく部屋の中に香しい匂いが立ち込み始める。

 出所は当然、たった今やってきたこの美女だ。彼女達の肌に玉のような汗が浮かんだ途端、使っている香か元々持ち合わせた色香か、どちらにせよ脳髄が蕩ける甘い香気が蒸気と共に広がっていったのだ。

 

 これには同性の女達も堪らず立ち眩みを覚える。

 自分の内に眠っていた謎の衝動が目覚める前にと、誰に言われるでもなくそそくさと部屋から立ち去っていった。

 

 すると、部屋には二人しか居ない貸し切り状態となった。

 

「香羅様と湯浴みするのも久しぶり……三年ぶりだったかしら?」

 

 長い黒髪を後頭部でまとめ、体の前面を長い布巾で覆い隠す黒蝶。

 同性でさえ狂わせる魔性を持つ彼女が口火を切れば、これまた違った魅了を持った美女・香羅も妖艶な笑みを浮かべ。

 

「律儀に数えているんだな。……愛い奴め」

「勿論。香羅様と離れ離れになる間、私は胸が張り裂けんばかりの想いをしておりました」

「……歯が浮くような台詞を、よくもまあ素面で」

「だって本心ですもの」

「……そうだったな」

 

──お前はそういう奴だよ。

 

 そう言って香羅は微笑んだ。

 妖艶さとは程遠い温かな笑み。それは旧友──もっと言えば、年下の妹分にでも向けるような温もりと懐古に満ちたものだった。

 

 体を隠す布巾が落ちないよう、胸に香羅は手を当てる。

 その時感じた温かさが掌の熱だけではないこと──彼女はよくよく理解していた。

 

 かつての友が変わらぬことの喜びともう一つ。

 

「……聞いたぞ。後宮を追放されたんだってな」

「ええ。お恥ずかしい限りで」

「皇帝暗殺だったか? 随分派手なことをしでかしたもんだ」

「香羅様、未遂です。それに冤罪ですってば」

「はははっ、そうだったな」

 

 膨れっ面になって訂正する黒蝶。

 その表情が面白くて堪らないと香羅は低い笑い声を響かせた。女性にしてはやけに低く落ち着いた声も、()()()()に慕われていた彼女の特徴でもあった。

 聞く者全員に安心感を抱かせる重厚な響き。その大海が如き包容力に堕とされた妃や宦官は両手では数え切れない程だった。

 

 しかし、今此処に香羅は居る。

 それこそが彼女の胸を痛ませる原因であったのだ。

 

「──黒蝶。単刀直入に言う。俺と共に来い」

「何処へ? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

蒼爪(ソウソウ)。そこに、今の俺の“城”がある」

 

 香羅の目の色が変わる。

 かつて後宮の妃だった時代の華やかな空気が一変、殺伐とした空気が部屋中に満ちていく。

 

 隠し切れぬ血の臭いを漂わせる香羅を前に、黒蝶の美貌がほんの少し歪んだ。

 笑顔よりも、ほんの少し歪に。

 

「……変わられてしまったのですね」

()()()()()()。己の意志で」

「それで黒道に?」

「……ああ」

 

 徐に自身の布巾を捲る香羅。

 露わとなる白磁の肌であるが、そこには刺青が彫られていた。色鮮やかな梅と鮫。一流の彫り師が手をかけたであろう絵は、それが人の肌に描かれたものでなければ、素直に賞賛と感嘆の言葉を投げかけたいほど立派であった。

 

「『滄鮫會(ソウコウカイ)』。噂くらいは聞いているだろう?」

「青鱗連合の傘下。花街を仕切る新進気鋭の組織だとか」

「ああ。『愛渦(ラブカ)』──それが今の世を渡る俺の名だ」

 

 渡世名。

 伎女で言うところの源氏名に当たる、仕事上の名前とでも言っておこうか。ただし、今の世で渡世名と言えば、それはもっぱら黒社会で生きる者の名として知られている。

 

「……すっかり染まられてしまって」

「後宮でおべっかを使っているより、よっぽど世の中を動かす実感を覚えられる。そういう意味では俺向きの世界だったな」

「後悔はしていないんですか?」

 

 熱気が籠る部屋の空気が、一瞬凍った。

 

「──しているさ」

 

 その中心には香羅が──否、愛渦と名乗った黒社会の人間が佇んでいた。

 

()()()()()()()()()()()()

 

 それは自省であり、決意であり。

 渦巻くドス黒い感情は、その黒さ故に底を知ることはできない。彼女程深い博愛を持った妃を黒く染めたのは、流れ出た夥しい血故か。

 

 そのように思案していると、辛抱堪らない愛渦が改めて黒蝶に詰め寄った。

 

「で、実際どうだ? 俺と来る気は?」

「……私は」

「俺は、お前を私欲で後宮から追いやった奴らとは違う。ましてや、お前の価値を外面にしか見出していない莫迦共ともな」

 

 愛渦の眼光は怜悧だった。そして、鋭利だった。

 組織を率いる長として相手を値踏みする。それでいて一分の侮りすら許さぬ威圧的な力を宿していた。

 

「黒蝶……俺達の理想は近い場所にある。違うか?」

「私は──」

「俺と共に来い」

 

 

 

──もう一度、同じ夢を見よう。

 

 

 

 差し伸べられる手を前に、黒蝶は──。

 

 

 

 

 

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