ケーセイケーコク!!   作:柴猫侍

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第玖話:磑風舂雨

 

 

 

 とある妃が後宮を追放されてから、早一か月。

 後宮は──激動の様相を呈していた。

 

『ねえ、聞いた? 昨日、妃がお亡くなりになられていたそうよ』

『本当? 嫌だ、怖ぁい……』

『最近そういうの多過ぎない……?』

『ちょっと前まで、こんな表沙汰になるほど事件は多くなかったのに』

『黒蝶妃が居なくなってからよね、後宮が物騒になったの』

『……やっぱり冤罪だったのかしら』

『莫迦! 他の妃に聞かれてたらどうするの!?』

『だ、だってぇ……あっ』

 

 井戸端会議に興じていた下女の動きが止まる。

 複数の視線が集う先に居たのは一人の妃。万華国でも珍しい深い琥珀色の肌。西方の国由来と言われる褐色肌の天辺には、天満月を彷彿とさせる黄金が輝いている。

 されど、最も輝いていると評すべきはその美貌だった。

 異国情緒溢れる肌と髪の色すら霞む──否、合わさるからこそ一層煌めく美しさとでも言おうか。

 

 月とは美の象徴だ。

 海を渡れど国が違えど、その認識は不思議なほどに共通している。月とは誰に取っても美しい──そういう訳だ。

 

 だが、下女が動きを止めた理由はそこではない。

 月白の美妃が離れるまで、それまで忙しなく動かしていた口に厳重な封をして、仕事に勤しみ始める。

 

 そして、注目していた妃が角を曲がった瞬間だ。

 

『……行った?』

美虎(ミトラ)妃が近くに居ると緊張するわぁ……』

『別に私達が悪いことしてる訳じゃないのにね~』

『でも、武警の家系よ? 些細なことでもいちゃもん付けられたら……!』

『黒蝶妃みたいに……ううん。私達みたいな下女は首が飛ぶわよ、物理的にね』

『ひぇ~! おっかない~!』

『ちょっと! 聞こえたらどうするの!?』

 

 

 

(聞こえているんだがな)

 

 

 

 距離的には十二分に離れていたはず。

 それでも美虎の地獄耳は下女の井戸端会議の内容をきっちり抑えていた。これが高慢ちきな妃であれば問答無用で不敬からの折檻──最悪、死罪とするところだ。

 

「やれやれ」

 

 しかし、美虎は何もしない。

 鼻を鳴らし、自身の私室がある宮殿を目指す。

 

 何かと敵の多い後宮だ。

 汚職に手を染める者が多い中、それを取り締まる役人の娘なら尚更だ。

 

 唯一、肩の力を抜いて休める場所はそれこそ私室くらいなもの。その他の部屋、施設、建物は全て自分を害する罠が張り巡らされていると言って過言ではない。

 自身と同じ肌色の──故郷より仕える信頼できる侍女達に出迎えられ、美虎はようやく私室に到着する。

 

 一見すると質素な造りだが、こだわられた彫刻が施された円卓につく美虎は侍女に一瞥をくれた。そして、

 

「報告」

「は。大我(タイガ)様からです。白牙領内にて武器の密輸に関わっていた組織を複数殲滅。引き続き殲滅するとのことです」

「次」

「は。頼牙(ライガ)様より、赫翼より麻薬を流す組織を壊滅させたとの完了報告です」

「次」

「は。太金(タイゴン)様の調べによると、玄甲の栄螺に不審な動きがあると」

 

 その後も淡々と報告は続く。

 時間にすると四半刻も掛かってはいない。だが、流し込まれる情報の密度により、体感ではそれ以上の時間が流れたものだと錯覚するだろう。

 

「──報告は以上です」

 

 しかしながら、聞きに徹していた美虎は美しい形の眉を一瞬たりとも歪めない。

 凛然とした面持ちのまま、最後の最後まで毅然とした佇まいを崩さなかった。

 

「……そうか」

 

 だが、重い声色だけは隠し切れない。

 疲弊の色も。

 

「どこもかしこも混乱しているな。いや、乗じていると言った方が正しいか」

「如何なさいますか?」

「根源を断つ」

 

 回答は、既に用意いたと言わんばかりに早かった。

 しかし、侍女頭である女官の顔色は優れない。

 

「よろしいのですか?」

「……背に腹は代えられん」

 

 心底苦々しそうな声を紡ぎ、美虎は続ける。

 

「“正義”に殉じるなら“白”だけでは居られない。聡明なお前達もよく理解しているだろう」

「……は」

「今、自由に動けるのは頼我兄様だな」

 

 目くばせすれば、侍女の一人が頷く。

 確認は取れた。

 手の中にある動かせる駒を把握したならば、棋士がやることは唯一つ。

 

「頼我兄様に伝えろ。

 

 

 

 

 

──『胡 黒蝶を始末せよ』、と」

 

 

 

 

 

「は!」

 

 両手を胸の前で組み、腰を屈めてお辞儀する侍女たち。

 『揖礼』と呼ばれる敬礼を見せた侍女は、拙速を尊ぶかの如くテキパキと動き始める。迅速に文をしたため、待機していた伝書鳩の足に括り付ける。

 用意していた侍女が窓を開けた。

次の瞬間、伝書鳩は勢いよく羽搏いて北へと向かっていった。

 

(……胡 黒蝶)

 

 伝令を託した鳩が飛び去った後、伽藍堂となった鳥籠に目を移す美虎は回顧する。

 

 思い出すは一人の妃。

 “白”の道を突き進まんとする自分の目の前に立ちはだかった、“黒”の道より現れた存在。

あのまま後宮に居たならば、確実に国を掌握していたと断言できる力は、未だ各地と後宮の混乱という形で影を残している。

 

 だからこそ──。

 

(後宮の外へ追いやられたところで、結局お前は“黒”に囚われたままだ)

 

 だからこそ、()()()()()()()

 

(その道に縋る限り、お前に安寧は訪れない。それこそ死ぬまで──な)

 

 

 

 これは黒蝶と愛渦の会談が行われた数日前の出来事だった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「龍気を自在に操れるようになるための修行方法は主に五つ」

「おう」

「全身に気を巡らせる『行気』。身体の屈伸で気を巡らせる『導引』。思考で気を操作する『存思』。鼻や口に頼らない呼吸で取り込む『胎息』」

「……おう」

 

 相も変わらず馬車の中ではなく御者として鞍上に陣取る黒蝶。菜館の短期雇用契約も終え、町を出立した彼女は玄甲を目指す道すがら、羅鈿に対して龍気についての授業を行っていた。

 

「最後が男女が交わる『房中』よ。五つある中じゃこれが一番簡単……というより、他人から分けてもらう方法に関してはこれしかないわ」

「……そうか」

「やり方は簡単よ。交接すればいいだから」

「誰がするかッ!」

 

 食い気味な拒絶表明する羅鈿にも、黒蝶の微笑は崩れない。

 

「ふふっ、恥ずかしがり屋さんね」

「どこの世界に()る度にヤる人間が居るんだ!? 傻瓜(バカ)か!?」

「安心なさい、羅鈿」

「あ!?」

「私のこの体は、いつ誰に見られても恥ずかしくない体に仕上げているつもりよ」

 

 頭も仕上がっているようだった。

 羅鈿はさっと自分の体を抱きしめる。この調子では、いつこの悪女に衣を剥ぎ取られるか分かったものではないからだ。

 

「それによ」

「ん?」

「龍気を分け与えるやり方は、私も死ぬほど具合悪くなるから余りやりたくないのよ」

「先に言えよ!! 猶の事憚られる理由じゃねェか!! じゃあ俺一人で頑張るわ!!」

「あら? また龍気使いが襲ってきても?」

「……」

 

 ちらりと振り返る羅鈿。

 彼の視線は、舌で舐められ艶が出る黒蝶の唇に自然と吸い込まれていた。

 

 瞬間、羅鈿の唇に蘇る感触。

 熟れに熟れた桃に口付けしたかのような瑞々しさ、柔らかい感触、そして甘い香りと味。刹那の桃源郷を味わってしまった羅鈿は、不意に口寂しくなって舌なめずりしてしまう。

 次の瞬間、自身の行いにハッとして前方の警戒に戻った。

 後方からはくすくすと勝ち誇った笑い声が聞こえてくる。

 

「いつでも待ってるわよ♡」

「待ち惚けでも食らってろ」

 

 “悦”と“楽”より程遠い人生を歩んできたからこそ断言できる。

 

──あれにハマってはいけない。

──二度と抜け出せなくなる。

 

「なんでよりにもよって……」

 

 これが村娘や町娘といった平凡な娘娘(にゃんにゃん)なら。心置きなくにゃんにゃんできたというのに。

 しかし現実は無情だ。実際に現れた娘娘は皇帝の命を頂こうとしたた泥棒猫である。人生がチャンチャンだ。

 

「──不服? 『後宮の黒真珠』と謳われたこの私の傍に仕えられてるのに」

「何が黒真珠だ。俺にとっちゃ豚に真珠だよ」

「ぶーたれないで。私の美貌は豚にも通じる」

「換金性のあるもん寄越せっつってんだよ」

「ぶーぶー」

 

 美貌だけあっても腹は膨れない。

 羅鈿にとっては今日の美人より明日の飯の方が重要なのだ。いくら彼女との接吻が極上だったからといって、残りの人生を捧げて破滅の道を突き進む度胸はない。

 頬を膨らませてぶーたれる美女を尻目に、羅鈿は改めて周囲の警戒に勤しむ。

 

 菜館を出立して以降、時々山賊などの襲撃にこそ遭いはしたが、今のところ順風満帆な旅路だった。

 龍気を分け与えてもらう必要のある強敵は未だ現れず。

 たんまり稼いだ路銀で食料も買い込み馬車に積んでいるから、道中餓死する心配もない。飢える心配がないという意味では、今は羅鈿の人生至上最も安泰な時期だと言っていいだろう。

 

 ついでに運ぶ荷物が特大の呪物である点を除けば、だが。

 

「……なァ」

「なぁに?」

「お前、玄甲に帰ったら何すんだ?」

 

 このまま順調に進めば、今日中に玄甲には辿り着く。

 実際には目的地までもう少し距離はあるにせよ、いよいよ到着が現実的になってきた頃合いであった。

 

 それはつまり、二人の交わした契約の終わりが近づいていることを意味する。

 

「帰ったらねぇ。……どうしようかしら?」

「おい、約束は忘れてねェだろうな?」

「報酬よね? 安心して。それだけは絶対守ってあげる」

「本当か? 嘘じゃねェだろうな? 嘘吐いたら針千本飲ましてやる」

「ぷっ!」

 

 羅鈿の言葉に、黒蝶は思わず噴き出した。

 その反応が予想外であったのか、羅鈿は目を真ん丸と見開く、鞍上で腹を抱えて震える美女をじっと見つめていた。

 

「な、なんだよ……おかしいこと言ったか?」

「針千本って……ッ! そんな、子供じゃないんだから……!」

「っ~~~! じょ、冗談だと思ってるようだが俺は真的(マジ)だぞ!?  本当に飲ませてやるからな!?」

 

 『覚悟しろよ!?』と羅鈿は叫ぶ。

 だがしかし、腹を抱えて蹲る黒蝶はそれどころではない。傾国の美女に似つかわしくない破顔一笑を咲き誇らせ、目尻に大粒の雫をこさえていた。

 

「ふふっ! そ、そうよね……本気よね……くっ!」

「……もういい。毒気抜かれた」

「──ふぅ、御免なさい。そんなつもりじゃなかったんだけど」

「……別に。お前が約束守ってくれさえするならどうでもいい話だ」

「そうね……でないと針千本を、ぷっ」

「もういいだろッ!?」

 

 いい加減にしないと羅鈿の顔は真っ赤っかだ。

 というより、既に真っ赤っかである。黒蝶も黒蝶で捧腹絶倒した直後であることから、透き通る白磁肌も今だけは桃のように紅潮していた。

 

「あ~、笑った。こんなに笑ったの久しぶり」

「へーへー、そりゃよごさんした」

「……有難うね、羅鈿」

「………………………………は?」

「何その間は」

 

 本日何度目になるかも分からぬ振り返り。

 しかし、此度の驚愕顔はそれこそ今日一番の仕上がりだった。限界まで見開かれた眼球は血走り、半開きになった口の口角はピクピクと痙攣している。

 

「お、お前……変なもんでも拾い食いしたんじゃねェだろうな!? 吐け!」

「貴方、私にどういう印象を抱いてるの?」

「手前の胸に聞いてみろよ……」

「そう? ……うん、うん。『今日も私は輝いている』、って」

「お前の胸に聞かせた俺が間違いだった」

 

 茶番も慣れた間柄となった。

 いや、なってしまったと言うべきだろうか。

 

 磨いた石ころを宝物と主張し、菜館で働くことを夢と口にしていた女は、穏やかな笑みを浮かべてみせた。

 

「そうじゃなくって。……貴方が居てくれたおかげで此処まで来れたこと、心より感謝しているの」

「……そ、そうかよ。急に礼を言われたから……」

「ドキッとした?」

「金ちょろまかされると思った」

「私に謝りなさい」

 

 これには流石の黒蝶も業腹だ。

 握った手綱を慣れた手さばきで振るえば、馬車を引く馬が嘶きを上げて走り出す。通り過ぎる馬車を見た羅鈿は慌てて走り出す。

 さもなければ、黒蝶と離れ離れになったことで胸が大変なことになってしまう。

 

「待て待て待て待て俺が悪かった! 謝るから止まれ! 止まってください!」

「……仕方ないわね。はい、どうどう」

「っはァ……! し、心臓破れるかと思った……!?」

「乙女心はね、繊細なの。蝶よ花よと丁重に愛でることね」

「乙女心……いや、待て。まだ何も言ってねェだろ!? 手綱を緩めるな!」

 

 口は災いの門だ。

 ついでに雄弁は銀、沈黙は金とも言う。余計なことを口にしないことが人生を上手くやり過ごす処世術であると、羅鈿は存分に思い知った。

 

 だが、痛い思いをしたのは決して無駄ではない。

 

「見てご覧なさい、羅鈿。そろそろ玄甲に着くわ」

「おっ、本当か!?」

「ほら。あそこが目的地よ」

 

 そう言って鞍上から指を差す黒蝶。

 彼女の指先を目で追う羅鈿は、上り切った丘陵の天辺から眼前の光景を一望する。

 

 そして、

 

「……なんだ、ありゃあ?」

 

 ()()()()()

 

「バカデケェ……楼閣?」

「──あれが栄螺(エイラ)の城よ」

「……どういう意味だ」

 

 魔王場も斯くやと思わせるほど、広大な街並みの最奥には巨大楼閣が鎮座していた。

 一言で言えば“異常”。縮尺が誤っていると錯覚するほどに周囲を隔絶する建造物は、最早それ単体で町と言い切れるほどの規模感・威圧感を放っていた。

 

「黒道の隠れ蓑は知っている」

「……あ?」

「どんな弱小組織だって表向きには真っ当な稼業をやっていると見せかけるわ。でないと武警に取り締まられるもの……で、一番多いのは土方ね。町を裏から支配するのに、土木と建築を掌握するのは効率的だもの」

 

 つまりはこうだ。

 

()()()()()()()()()()()()()()

 

 万華国の中央領・黄皮の都市に劣らぬ繁栄ぶりを見せる街並みは、そのまま栄螺という組織の強大さを示しているのである。

 

「……おいおい」

「そして、敵対勢力からの自衛手段として根城の改築・増築を進めるの……延々とね」

「その結果がアレってことか」

 

 素人目から見ても違法建築と理解できる砦だ。

 役人が見れば反逆の兆しとして黙っていないだろうが、そもそも目にした役人は一人も生きて帰られぬのだろう。

 

「とんでもねェ場所に来ちまったな……」

「でも、目的地まであとちょっとよ。最後まで同伴(エスコート)お願いね♡」

「へーへー……」

 

 気の抜けた返事を返す羅鈿。

 しかし、彼の拳は硬く握りしめられていた。最後の最後まで油断はできない。この町が彼女の根城(ホーム)であろうと、どこから敵が仕掛けてくるかは分かったものではない。

 

「よし……行くぞッ!」

「……何だか嬉しそうね、羅鈿」

「大金が待ってるからな」

「大金を積んでも買えない美女がここにいるわよ。どう?」

「いらん」

「どうどーう!」

「あっ、莫──てめェ馬走らせんなァ! 糞ッ、速ェ!? 妃の手綱捌きじゃねェぞ!」

「らでーん! 私を追いかけてらっしゃーい!」

「だったら速度を落とせやボケェ!」

 

 軽快な足取りで町に向かう馬、そして背に乗る黒蝶。

 そんな彼女を追い、羅鈿は痛む胸を押さえて死に物狂いで追いかけるのだった。

 

 目的地まではもうちょっと。

 黒蝶との契約完遂も目前に迫っていた。

 

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