「――はあああああああっ!!」
カノンの
突き出された小さな掌から、奔流のような魔力が放たれる。
媒介による変換も、詠唱による制御もない。
ただ極めて純粋な破壊のエネルギーが、扇状に広がりながらシオンへと殺到する。
それは凡百の魔術師が見れば卒倒するほどの出力を持つ、文字通りの『力の暴力』だった。
魔力そのものが物理的な質量を持ち、空気摩擦で熱を発している。
だが、それを迎え撃っているシオンは動じない。
「遅い」
一言。
シオンは迫りくる力場を悠々と回避すると、爆風の中を疾走した。
速い。目で追うことすら困難な神速の足運び。
「まだっ……!」
カノンは歯を食いしばり、デタラメに腕を振るう。
彼女は、基本的な術理を何も知らない。
魔力を変換し、炎を発する、風を吹かせる、水を氷へと変える。
そのようなことは何も学んでこなかった。
彼女が今相対する人物から学んできたのは、強者の在り方とその精神性だけ。
少しでもそこに届きたい一心で、自身の魔力を形にして叩きつける。
不格好でも、洗練されていなくても、魂の叫びをそのまま形にしたような攻撃。
木々が消し飛び、地面が抉れる。
だが、当たらない。
シオンは風に舞う木の葉のように、カノンの猛攻の隙間を縫って近づいてくる。
見て! 私を見て!
カノンは泣き出しそうな心を必死に抑え込み、魔力を練り上げていく。
あんなに弱かった私が、ここまでできるようになった。
全身から湧き出る魔力の奔流に、亜麻色の髪の毛が高く持ち上がっていく。
全部、シオンちゃんのおかげ。
シオンちゃんがいたからここまで来られた。
だから、私の全部を受け取って欲しいと、ありったけの魔力を込める。
「いっけええええええッ!!」
突き出されたカノンの両手から太陽のような光が溢れ出した。
視界の全てを白く塗りつぶす極大の閃光。
森の一角を消滅させるほどのエネルギーが、至近距離のシオンを飲み込……んだかに思えたその瞬間――
「……芸がない」
冷徹な声と共に、閃光が
シオンは素手で、魔力の塊を物理的に殴り飛ばして軌道を逸らした。
轟音と共に光が空へと抜け、雲を散らしていく。
魔力だろうが光だろうが、世界に在るのであれば拳で砕ける。
それが彼女の理屈だった。
「あっ……」
カノンの膝から力が抜けた。
魔力切れ。
視界が霞み、指一本動かせない程の脱力感が全身を襲う。
彼女が糸が切れた人形のように、地面へと崩れ落ちた。
土の冷たさを頬に感じながら、カノンは薄めを開ける。
目の前には、傷一つないシオンが立っていた。
彼女は冷ややかな瞳で、泥に塗れたカノンを見下ろしている。
「……弱いな、貴様は」
その言葉は、どんな攻撃よりも深く、カノンの胸を抉った。
全く、届かなかった。
全力で戦った。出会った時は戦うことすら考えなかった相手に全霊をぶつけた。
なのに、全く届かなかった。
「覚悟も、技術も、力も。何もかもが全く足りん」
シオンは興味を失ったように、背を向けた。
「
遠ざかっていく背中。
カノンは地面の土を握りしめた。
悔しい。悲しい。情けない。
様々な感情が涙となって溢れ出し、彼女は幼い子供のように声を上げて泣きじゃくった。
***
――森の出口付近。
カノンから十分離れたところで、シオンは足を止めた。
「見ていたのか、趣味が悪い」
シオンが虚空に向かって言葉を発すると、木陰からカグラが姿を現した。
「……随分と、お優しいですね」
カグラは師の横顔を見つめ、静かに言った。
「優しい? 貴様の目は節穴か?」
シオンは心底不愉快そうに鼻を鳴らす。
「己はただ、事実を事実のままに告げただけだ。そこに優しさなど含めていない」
「……私は、貴方にそこまでさせるあの子が羨ましい」
心からの本音を吐露するカグラ。
それでもシオンは何も答えず、ただ黙って森の外へと歩き出した。
***
数日後、村の入口には一台の立派な馬車が停まっていた。
王都への旅立ちの日、カノンの見送りに村中の人々が集まっていた。
「カノン、身体に気をつけるんだよ」
「辛くなったら、いつでも帰ってきていいんだからね」
村長夫妻が涙ながらに、カノンの手を握る。
その横では、ガンツ・ボルツが我が者顔で声を張り上げていた。
「流石は我が村の誇りよ! 王都に行っても、このボルツ家の加護があることを忘れるなよ!」
息子のドランが彼女のことをいじめていたことなど、完全に記憶から抹消されているらしい。
カノンは苦笑いしながらも、丁寧に頭を下げた。
それからも多くの村人が彼女に別れの挨拶をしにきた。
しかし、彼女の目線は常にそれとは違うものを探し続けていた。
人混みの中、建物の陰、森の入口。
どこを探しても、あの銀色は見当たらない。
……そう、だよね。来るわけ、ないよね。
胸の奥がチクリと痛む。
カノンは寂しさを隠すように明るく振る舞い、ギルバートに促されて馬車へと乗り込んだ。
馬車が動き出す。
見慣れた村の景色が、ゆっくりと後ろへ流れていく。
車内に沈黙が流れる中、向かいに座っていたギルバートが眼鏡を拭きながら口を開いた。
「面白い友人を持ったな」
「え?」
カノンは顔を上げた。
ギルバートは、穏やかな瞳でカノンを観ている。
「どういう、意味ですか……?」
「四日前の夜、彼女が私のもとを訪ねてきた。銀髪の……シオンと言ったか」
彼の言葉に、カノンが息を呑む。
それは、彼女が突き放されたあの日の夜のことだった。
「彼女は私にこう言ってきた。もし拒否された場合は引きずってでも、
ギルバートは苦笑しながら首をすくめる。
「断れば、その場で私に殴りかかってきそうな気迫を携えていたよ。実際、『もし貴様の教育が至らぬせいで、あれの才が潰えるようなことがあれば、地の果てまで追いかけて殴りに行く』と脅された。本当に、めちゃくちゃな友人だ」
カノンの瞳から、堪えていたものが溢れ出しそうになった。
『弱い』と言われた。『視界に入れる価値もない』と言われた。
けれど、彼女は誰よりも私の可能性を信じていてくれた。
強くなって、出直してこい。
あの言葉は拒絶ではなく、再会の約束だった。
いつか強くなって、その時にこそ、貴様が己を倒しに来いと。
「……はいっ!」
カノンは涙をぐっと堪え、遠ざかる村の空を見上げた。
泣かない。もう泣かない。
次に会う時は、貴方と相対しても恥ずかしくない『友』になっているために。
***
――西の森。
主の片割れを失った空間で、シオンは一人佇んでいた。
風が彼女の銀髪を揺らす。
その視線は遥か彼方、ここではないどこかへと向けられているようだった。
「……
シオンは誰に聞かせるでもなく呟くと、森の奥へと歩き出した。